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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第8章:脱・召喚前提運用移行編
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第89話 召喚を待つ仕組み

 神殿の資材室から呼び出しが来たのは、朝の早い時間だった。


 修司が着くと、召喚管理官が記録板を前に立ち尽くしていた。床には木箱がいくつも積まれている。布、香木、銀の器、儀礼用の燭。どれも召喚の儀式に使うものだ。


「これが、勝手に届くのです」と召喚管理官が言った。「先月も、今月も。誰も発注した覚えがないのに、定期で運ばれてくる。止めようとしたのですが、止め方が分からない」


「発注の元はどこですか」


「分かりません。台帳には『定例補充』とだけあります。私が着任する前から続いているもので、誰がいつ決めたのかも、もう記録にない」


 修司は記録板を借りて、端末に転写した。


 〔処理:儀礼資材・定例補充/状態:自動継続/停止条件:未設定〕


 修司の中では、それは一つの宙吊りの処理として見えた。召喚の儀式が再び行われることを前提に、資材だけが今も供給され続けている。儀式そのものは、もう半年以上行われていない。だが、それを準備する流れだけが、止まらずに回っていた。


「この資材は、今は使われていないのですね」


「ええ。次の召喚があれば使います。でも、いつあるのか、私には分からない。だから捨てるわけにもいかず、こうして積んでいるのです」


 召喚管理官は悪びれていなかった。むしろ、律儀に備えを続けてきただけだった。修司はそれを責める気はなかった。問題は人ではなく、止め方が誰にも引き継がれていない、という一点にあった。


――――――


 執務室に戻り、修司はセルアスとリゼットを呼んだ。


「神殿の儀礼資材だけではないと思います。召喚をまた行う前提で、止まらずに動いている処理が、他にもあるはずです。一度、全部並べたい」


 セルアスが手元の控えを繰った。


「心当たりはあります。上位承認のテンプレートが、召喚関連の項目を残したままです。新しい召喚者が来たら自動で権限を発行する、という古い書式が、今も標準のひな型に入っています」


「予備資源枠も、ですか」


「はい。基盤炉の受け入れ準備として、毎月いくらか出力を空けてあります。新しい接続が来たときに備える枠です。今は空けたまま、誰も使っていません」


 修司は端末にそれらを書き出していった。儀礼資材の定例補充。神殿の儀式予約枠。上位承認テンプレートの召喚項目。予備資源枠。基盤炉の受け入れ準備。


 どれも、別々の部署が、別々の理由で、同じ一つのことを待っていた。次の召喚を。


「誰も悪意で動かしていない」と修司は言った。「全部、いつ再開してもいいように、という備えです。それが、止める人がいないまま続いている」


「責任の話になりますね」とセルアスが言った。「止めた担当者が、後で『なぜ止めた』と問われることを恐れます。だから誰も止めない」


――――――


 リゼットが、神殿と各部署の担当者から話を聞いてきた。


「皆さん、心配していることは同じでも、中身が少しずつ違います」とリゼットは言った。


「どう違いますか」


「神殿の資材を担当している若い方は、自分の仕事がなくなることを怖がっています。発注を止めたら、自分はもう要らないと言われるのではないか、と。承認のひな型を管理している年配の方は、逆です。長く続いてきた書式を自分の代で外して、後で問題になったら、責任を取らされるのではないか、と」


「同じ『止めたくない』でも、片方は職を失う不安、片方は責められる不安、ですか」


「はい。予備資源枠を見ている方は、また別でした。あの枠は、過去に一度、急な召喚で足りなくなって叱られた記憶から続いている、と。あの人にとっては、枠を空けておくことが、二度と同じ失敗をしないための工夫なんです」


 修司は黙って聞いた。処理として並べると同じ「召喚を待つ仕組み」だが、その一つひとつの裏には、別々の人の、別々の事情があった。惰性の一語で片づけられるものではなかった。


「責めると、止まりません」とリゼットは続けた。「だから、言い方を変えた方がいいと思います。『召喚の備えをやめる』ではなく、『召喚がなくても回る形に組み替える』。やめるのではなく、置き換える。担当者の仕事を奪うのではなく、別の仕事に移ってもらう」


 修司は頷いた。リゼットの言うことは、いつも仕組みの外側にある人の感情を拾っていた。修司が処理として並べたものを、リゼットは人の不安として並べ直す。


「組み替える、で進めます。止めるとは言わない」


――――――


 午後、五つの処理を二つに仕分けた。


 止めてよいもの。儀礼資材の定例補充は、いったん停止して在庫を使い切る方向にできる。神殿の儀式予約枠も、必要になったら都度立てればいい。上位承認テンプレートの召喚項目は、ひな型から外して別保管にできる。


 置き換えが要るもの。予備資源枠と、基盤炉の受け入れ準備。この二つは、ただ止めるだけでは済まなかった。


「単一のスイッチはありません」と修司は言った。「全部を一度に止める方法はない。部署ごとに、止める順番と条件を決めて、段階的に下ろしていくしかない」


「では、止めやすいものから順に」とセルアスが言った。「儀礼資材から着手し、承認テンプレート、予約枠と進める。予備資源枠と炉の準備は、最後に回す」


「それでいきましょう。順番と停止条件を一覧にしてください」


「一つ、加えてください」とリゼットが言った。「止める処理ごとに、その担当者が次に何をするかも、同じ紙に書く。神殿で資材を見ていた方には、在庫を使い切るまでの管理を任せる。承認のひな型を扱っていた方には、新しい書式の作り直しを任せる。仕事がなくなるのではなく、移るのだと、紙の上で見えるようにしたいんです」


「分かりました」と修司は言った。「停止条件の隣に、移行後の担当を書く。止めるだけの一覧にはしない」


 セルアスが控えに書き加えた。止める順番、止める条件、止めた後に誰が何をするか。三つを一枚にまとめれば、誰も宙に放り出されない。少なくとも、そう見える形にはなる。


――――――


 夕方、技術側のマルファスが、基盤炉の受け入れ準備を試しに絞ってみた結果を持ってきた。


「儀礼資材や承認テンプレートは、止めても何も起きません。ただ動いていただけです」とマルファスが言った。「でも、炉の受け入れ準備の方は、違いました」


「どう違いました」


「絞ると、炉の出力が揺れます。受け入れ準備の枠を細くしただけで、定常運用の数字が乱れた。完全に止めると、たぶん炉の安定そのものが崩れます」


 修司は端末でその挙動を確かめた。儀礼資材は、止めても波一つ立たない、ただの惰性だった。だが炉の受け入れ準備は違う。それは備えではなく、炉が動き続けるために要るものとして組み込まれていた。


 召喚がなくても回る形に組み替える。そのつもりで棚卸しを始めた。止めてよいものは、思ったより多かった。だが、最後に残った一つだけが、性質が違っていた。


 炉の受け入れ準備は、次の召喚を待つ備えではなかった。


 炉そのものが、誰かが接続してくることを、前提にしている。


「これは、後回しにできる処理ではないかもしれません」と修司は言った。


 窓の外は暮れかけていた。止められる仕組みと、止められない仕組み。その境目に、炉があった。

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