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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第8章:脱・召喚前提運用移行編
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第88話 帰すほど、足りなくなる

 翌朝、修司が地下の保守区に着いたのは第一刻を少し回った頃だった。


 ドルムはすでに作業を始めていた。記録板を二枚並べて、照合している。修司が入口に立つと、顔を上げずに言った。


「来たか。そこに置いてある束が昨日の分だ」


 記録板の横に、紙の束があった。修司はそれを取り上げて端末に転写しながら、数字を追い始めた。


 ドルムが言っていた「目減り」は、データの上で明確だった。帰還処理が一件完了するたびに、基盤炉の入力値がわずかに下がっている。一件あたりの減少は小さい。だが帰還件数が積み重なるにつれ、減少幅は線になっていた。


「どの地点から入力が減っていますか」


「北側二か所と、東の中継炉だ。直接の原因は確定できていないが、供給元と帰還処理の地点が重なっている」


「帰還者が去った後、その場所から入ってくるものが減る、ということですか」


「そう見えている。機序は分からん。分かるのは、数字が下がっているという事実だけだ」


 修司は端末を見た。供給リンクの分離は、特権系統のマージンを削った後から進めてきた。召喚者を「炉への供給源」として組み込まない形に、少しずつ作り替えてきた。そのすべての変更が、今この数字に出ている。


 帰還を進めるほど、炉が受け取れる量は減る。


「このまま続けると、どのくらいで問題が表面化しますか」


「今の速度なら、四か月から六か月だな。ただ寒い季節が重なればもっと早い。暖房・水道が最初に食われる。生活系統から順番に足りなくなる」


「今年の冬が来る前に手を打てるなら、打ちたい」


「打てるかどうかは俺には分からん。炉の番をしているだけだからな。ただ、今年の冬が来る前だ」


 ドルムは記録板を一枚ずつ重ねて修司に渡した。今日から一週間分の炉の数字、入力値の推移、予備回路の使用状況。硬い紙の端が、作業の跡で少し黒くなっていた。


---


 一時間後、修司は上の執務室に戻り、セルアスを呼んだ。


「地方都市の方では何か出ていますか」


 セルアスが手元の報告を確認した。


「三か所。ラドヴィル、エーセン、それからミュヴァルの外縁部です。夜間の暖房系統と、ミュヴァルでは早朝の水道に出力不足が出ています。今のところ停止には至っていませんが、予備回路で補っている状態です」


「基盤炉の問題と連動していますか」


「主幹炉からの供給が落ちた分が、地方系統に響いている可能性があります。地方炉が独立で補えれば問題ないですが、稼働余地が限られている」


 修司は地図を広げた。報告の上がった三都市は、帰還処理が集中していた地域と重なっていた。データ上の傾向と、現場の報告が一致している。


「帰還を止めれば、炉は楽になりますか」


「楽になります」とセルアスが言った。「帰還が止まれば、今の数字の減少傾向もいったん止まる。現場への影響も小さくなる」


「しかしそれは」


「召喚者を、再び供給源として維持することになります。帰れない状態のまま炉を保たせる、ということ」


 修司は地図から目を上げた。


「帰還を止める選択肢は、取りません」


「分かっています。ただ、数字の上ではそちらの方が炉は安定する。それは伝えておくべきだと思った」


「分かりました。前提として理解します。ただ、帰還の継続は変えない」


---


 午後、賢者会議の実務者がマルファスを通じて接触を求めてきた。


 対応したのはセルアスだったが、内容をそのまま修司に伝えた。


「先方の意向は、帰還の一時停止、もしくは供給リンクを維持したままの段階的帰還への変更、です。数字の裏付けもあった。今の傾向が続けば、年内に地方の生活インフラで深刻な不足が出る可能性がある、という試算です」


「召喚者供給なしでは回せない、という主張ですか」


「現仕様では、という留保付きです。ただし召喚者供給に頼り続けることへの問題提起は、あちら側では棚に上がっています。今は目の前の数字を見ている」


 修司は少し考えた。相手の言い方は問題があったが、指摘している事実は正しい。今の炉の数字は、帰還継続の結果として下がっている。それは否定しようがない。


「再開論は、今の数字を根拠にしているわけですか」


「そうです。先方の資料には、今の傾向が続けば年内に地方インフラが停止水準に達するという試算があります。試算の前提条件には甘い部分もありますが、方向性は間違っていない」


「分かりました。その試算を見せてもらえますか」


「受け取っています。端末に送ります」


 修司はファイルを開いた。賢者会議側の試算は、確かに前提が都合よく設定されていた。現状の帰還速度が加速する前提、地方炉の稼働余地をゼロに近く見積もる前提。だが基本的な傾きの見立ては、ドルムの数字と一致していた。


「現場調整として、何ができますか」


「地方炉の再稼働余地が、エーセンに一か所あります。修繕に時間がかかりますが、三ヶ月以内に稼働できる見込みです。それと、王都の備蓄魔石を地方に転送する方法があります。備蓄は六ヶ月分ある。ただし使えば補充が必要です」


「両方を使います。地方炉の再稼働を優先発注、備蓄の転送は週次で調整する。上限は備蓄の三割まで」


「分かりました。起票します。ただ、三割でも三か月の余裕にしかならない計算です」


「分かっています。三か月で、次の手を打つ。時間を買うための処置です」


「ただし、これは時間稼ぎです。根本を変えなければ、六か月後に同じことが繰り返される」


 セルアスはその一言に何も返さなかった。返す言葉がない、という沈黙だった。


---


 夕方、修司は端末を閉じて窓の外を見た。


 地方の夜に寒さがある。水が出ない朝がある。それは今日起きていることだ。その背後に、炉の数字がある。その数字の背後に、帰還の進行がある。


 繋がりは一本の線ではない。帰還が炉を下げ、炉が地方を圧迫し、地方が再開論を後押しし、再開論が帰還を止めようとする。輪になっている。


 輪を断ち切るには、召喚者に頼らずに炉を保つ仕組みを、正面から作るしかない。


「応急策では、追いつかない」


 それが今日の結論だった。備蓄を使い切れば終わる。地方炉を稼働させても、帰還が進めば同じことが繰り返される。根っこにある「召喚者供給を当てにした設計」そのものを、定常運用の外へ出さなければ、何度でも同じ場所に戻ってくる。


 修司は手帳を開いた。


 「召喚者供給を前提としない定常運用の設計」


 それが、次にやるべきことだった。帰還を止めることなく、炉を保たせ、地方の生活を支える形。現仕様の設計書にそんな回路はない。誰かが初めて書かなければならない。


 設計書には書かれていない。前例もない。だから誰も作っていない。今まで召喚者がいるという前提で全ての運用が組まれてきたのだから、いなくても回る形は、まだどこにも存在しない。


 修司はその空欄を、今日から埋めていかなければならなかった。帰還を続けながら、炉を保ちながら、地方の夜を守りながら。


 窓の外の光が、夜に向かって落ちていった。地方のどこかで、夜間の暖房が予備回路に切り替わっている。それが今夜の現実だった。

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