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第84話 名前を変えて戻る旧仕様

 朝、修司が帰還準備室に来る前に、オルフェが待っていた。

 廊下の端に立っていた。承認局から来るなら事前に連絡をよこすのが彼の習慣だったが、今日は直接来ていた。手に書類を持っていた。


「少し時間をいただけますか」


 声は落ち着いていたが、いつもと少し違う。急いでいる、というより、自分から動いてきた、という種類の雰囲気だった。


「どうぞ」


「昨夜、承認局の処理記録に通知が入りました。新しく登録された費目への自動分類処理の完了通知です」


 修司は昨夜のことを思い出した。承認局への届け出が処理された後に、分類辞書が「勇者補充維持費」への自動紐づけを実行した、という通知だ。


「見ましたか」


「見ました。それで、今日こちらに来ました」


 オルフェが手の書類を差し出した。昨日の自動紐づけの通知記録と、分類辞書の該当部分の抜粋だ。几帳面に整理されている。彼が昨夜から用意していたものだと分かった。

 承認局の小会議室に移った。


 オルフェが自動分類の仕組みを説明した。


「当局では、費目の名称に特定の語句が含まれる場合、あらかじめ登録された分類辞書に照らして自動的に類似費目へ紐づける処理が入っています。業務効率化のための機能で、書記官が一つひとつ手動で確認しなくても、関連する費目を参照できるようにするために作られました」


「いつからある機能ですか」


「少なくとも三十年以上前から使われています。変更の記録はほとんどなく、追記と参照先の更新が少数あるだけです」


「昨日登録した費目の名称に『召喚者』が入っていたから、辞書が反応した」


「そうです。名称に『召喚者』という語句が含まれると、辞書は関連する参照先への紐づけを行います。その参照先が『勇者補充維持費』だった」


 修司はオルフェが持ってきた辞書の抜粋を開いた。


「辞書の判定順を見せてもらえますか。召喚者という語句から始まって、どこへ向かっているか」


 オルフェが別の紙を出した。判定の連鎖が書いてある。


〔召喚者 → 参照:勇者候補 → 参照:補充対象 → 参照:維持費〕


 修司はその連鎖を確認した。


「四段階ですね。召喚者という言葉から始まって、勇者候補、補充対象、維持費の順に参照先をたどる。最終的に維持費の費目群に着地する」


「その通りです」


「旧テンプレートの凍結は、テンプレートそのものを止めた。この辞書は対象に入っていなかった」


「辞書はテンプレートとは別のシステムです。テンプレートを凍結しても、辞書は通常運用のままでした。凍結の際に辞書を確認していなかった」


 修司はメモを取った。テンプレートを止めても、辞書が生きていれば、別の経路で同じ結果に向かう。テンプレートは入口だった。辞書は地図だ。地図が変わっていなければ、入口が変わっても目的地は同じになる。

 承認局旧運用派の担当者に話を通したのは午前の遅い時間だった。


 担当者は五十代の男で、名前はファーナという。辞書の設計当時から承認局にいる人物だ。異論を唱えているのではなく、仕組みを一番よく知っている立場として話を聞いてもらった。


「辞書を変更することは難しいです」とファーナは言った。


 声に険はなかった。説明しようとしている口調だった。


「この辞書は費目の参照だけに使われているのではなく、承認処理の順序判定にも使っています。辞書の内容を変更すると、費目参照と処理順序の両方に影響が出ます。試験なしに変更すれば、承認処理が止まる系統が出る可能性がある」


「削除するのではなく、追記するだけなら影響は少ないですか」


「追記の場合は参照関係が増えるだけなので、既存の処理には影響しません。ただし、追記した内容が何かの処理に干渉しないかどうかは確認が必要になります」


「追記の確認にどれくらいかかりますか」


「照会先の部署数にもよりますが……一週間から二週間で影響範囲を確認できます」


 修司は少し考えた。一週間から二週間。


「仮設として上位に置く方法はありますか。辞書の中身を変えるのではなく、辞書が参照する前の段階で、特定の語句が別の経路に向かうようにする」


 ファーナが眼鏡のブリッジを触った。少し考えた。


「辞書の上位に、優先判定の層を追加することはできます。辞書は参照の順番を持っているので、既存の参照より優先度の高い参照先を先頭に置けば、そちらが先に判定される。既存の辞書には触れずに済みます」


「影響範囲は既存の辞書の変更より小さいですか」


「はい。上位層の追加は辞書本体の変更ではなく、前段の設定変更として処理できます。確認範囲が絞られます」


「では、その方法で検討できますか」


 ファーナが少し間を置いてから頷いた。


「技術的には可能です。申請の形式は承認局の内部手続きになります」


 会議室に戻ってから、修司は分類の設計を整理した。

 置くべきは、旧連鎖に乗る前に判定を受け取る上位分類だ。


 「召喚者」という語句を辞書が読んだとき、最初に参照されるのが旧連鎖ではなく新しい分類になるようにする。新しい分類の名前は「召喚者選択権保護」とする。

 その下に四つを置く。帰還。残留。保留。生活支援。


 これで、召喚者という語句を含む費目や書類が辞書を通るとき、旧連鎖の「勇者候補→補充対象→維持費」より先に「召喚者選択権保護」に到達する。旧連鎖への参照が無効になるのではなく、優先度として新しい分類が前に来る。


「セルアスさん、この設計で申請書の文案を作ってもらえますか」


「今から書きます」


 セルアスが紙を取り出した。

 オルフェが、その作業を横で見ていた。修司が気づくと、少し口を動かした。


「この申請、私から出せますか」


「承認局の内部手続きですから、オルフェさんから出す方が形式として通りやすいです」


「では私が出します」


 少し間があった。付け加えるように言った。


「旧テンプレートの件があったとき、修司さんに教えてもらったことがあります。記録を積み上げる、断られた記録も含めて、と。今回は自分から先に動けると思って来ました」


 修司は特に何も言わなかった。ただ頷いた。


「申請が通らない可能性もあります。上層部が費目分類辞書の変更に慎重だとすれば、却下されるかもしれない。でも申請が記録に残れば、問題があることを認識していた証拠になる」


「そうです」


「……こういうやり方に、少し慣れてきました」


 申請書の文案ができたのは昼過ぎだった。

 セルアスが読み上げた。要旨は二点。一点目、分類辞書の「召喚者」語句への判定連鎖が旧テンプレートの凍結後も有効であり、新設費目が旧制度の費目へ自動紐づけされる状態になっている。二点目、既存辞書への変更ではなく、上位優先分類「召喚者選択権保護」の追加によって、この問題を解消したい。


「この文言でよいですか」とセルアスがオルフェに確認した。


「よいです」とオルフェが言った。


「署名はここに」


「はい」


 オルフェが署名した。書いた後、少し手を止めて、書類を見た。


「出してきます」


「上層部からの反応があったら教えてください」


「すぐに報告します」


 オルフェが会議室を出た。

 午後、申請書の提出を待っている間に、修司はエイラに頼んで分類辞書の試験照会を確認した。


 上位分類の追加が承認された場合の動作テストを事前に組んでおくためだ。召喚者という語句を含む架空の費目名を使って、辞書がどう判定するかを確認する。


「架空の費目で照会をかけてみます。名称は何にしますか」


「召喚者帰還準備費としましょう」


 エイラが照会をかけた。返ってきた判定結果を見た。


「旧連鎖に乗っています。召喚者→勇者候補→補充対象→維持費、の順に参照されて、維持費関連費目に着地しています。上位分類がないので想定通りです」


「上位分類を仮設して同じ照会をかけると、そちらに先に着地することを確認したい」


「設定を入れます」


 エイラが作業した。修司が設計した上位分類「召喚者選択権保護」を仮設置し、同じ照会をもう一度かける。

 今度の判定結果は違った。「召喚者選択権保護」に先に着地した。旧連鎖には至らなかった。


「動きます。上位分類が先に参照されています」


「上位分類の下に帰還、残留、保留、生活支援を置いた場合も確認しておきます」


 エイラが設定を追加した。照会を繰り返した。費目名に含まれる語句によって、四つの下位分類にそれぞれ正しく分かれることを確認した。


「問題ないです」


「記録に残しておいてください。申請が通ったときすぐに本設置できるように」


「分かりました」


 エイラがログを保存した。少し操作が続いてから、手が止まった。


「修司さん、一件確認してもいいですか」


「どうぞ」


「試験照会を繰り返していたら、比較用に修司さんの魂IDを参照ログに含めていたんですが……」


「どうしましたか」


「他の召喚者の魂IDは旧連鎖か新分類のどちらかに着地するんですが、修司さんのIDだけ、どちらにも着地していなくて」


 修司は手を止めた。


「どちらにも着地しない、というのは」


「辞書の参照先が別の経路になっています。旧召喚者分類でも新しい選択権保護分類でもなく……」


 エイラが画面を指した。


〔参照先:深層分類コード・照会不可〕


「照会不可というのは」


「このコードに対して内容を開こうとすると、アクセス権限不足で返ってきます。コード自体は存在していて、参照先として登録されているのは確かなんですが、中身が見えない」


 修司はその画面を少し見た。


「記録に残しておいてください」


「……はい。ただ、これ、どういう意味なんですか」


「今の段階では分からないです。分からない、という記録を残しておきます」


 夕方、オルフェが戻ってきた。

 申請書を出してきたという。上層部から即答はなかった。反発もなかった。持ち帰り検討という返答だった。


「却下ではなかったです。持ち帰りということは、検討するということだと思っています」


「検討する間も、今の辞書は動き続けます。承認待ちの間、新設費目が旧連鎖に引き込まれないようにする暫定措置が必要です」


「暫定として、該当費目に手動で参照先を上書きする方法があります。通常の処理フローを経由しないので、一時的なものにはなりますが、申請の承認を待つ間の措置として使えます」


「それをお願いできますか」


「今日中にやります」


 オルフェが会議室を出ようとしたとき、修司は声をかけた。


「今日、自分から来てくれたことで、半日早く動けました」


 オルフェが少し立ち止まった。振り返らなかった。


「記録が積み上がると重くなる、と言ったのは修司さんです。私がやっているのはそれです」


 そう言って、出ていった。

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