第83話 人を在庫に戻す帳票
配給窓口に並んだのは、朝の早い時間だった。
前の人が受け取って、次の人が受け取って、サナの番が来た。配給札を出した。窓口の担当者が台帳を確認した。
少し間があった。
「……少しお待ちください」
担当者がもう一度台帳を見た。それからサナを見た。それからまた台帳を見た。
「申し訳ありません。こちらの記録では、本日分は支給済みになっています」
「支給済み? 受け取ってないですよ」
「はい、それは……。記録上は、今朝支給されたことになっているんです。こちらでは変更できなくて」
「今朝ここに来たのは初めてです」
「はい、そうだと思うんですが、台帳が……」
後ろに列が続いていた。サナは少し考えてから、「分かりました」と言って列を外れた。受け取れないことより、後ろの人たちを待たせることの方が気になった。
バルトに連絡したのはリゼット経由だった。
バルトが配給管理室に来て、台帳を開いた。サナの名前を探して、該当の行を確認した。
その欄を見て、短く息を出した。
「台帳上は支給済みになっている。ただし——」
バルトが別の棚を確認した。今朝の配給実物の記録だ。数量、配布先、受け取り確認。
「実物は残っている。今朝の配布分に、サナの名前での受け取り確認がない」
「ということは」
「帳票上は出ているが、実際には出ていない」
バルトが台帳の欄をもう一度確認した。支給先の欄に記載がある。
「支給先欄に……。稼働可能者、と出ている。あと、費目欄は勇者備蓄になっている」
修司がその欄を覗いた。確かにそう書いてある。
〔費目:勇者備蓄・維持対象支給 支給先分類:稼働可能者〕
「サナさんは今日、ここに来ていないです」
「ああ。来ていないのに、勇者備蓄から出たことになっている」
「実物がある、ということは、物資そのものは動いていない」
「台帳だけが動いている。帳票上で支給済みとして処理されているが、物は出ていない。実物が窓口に残っているのに、記録上は誰かが受け取ったことになっている」
財務担当部署に確認を取ったのは午前中だった。
担当者は中年の女性で、名前はトゥレという。書類の管理に慣れた印象の人物だった。バルトが持ってきた台帳の該当ページを見せると、一度確認してから言った。
「この処理は、仮登録の時点で自動的に入るものです」
「どういう意味ですか」
「残留希望者の登録が入った時点で、食料支給の費目をどこから出すかを自動で割り当てる処理があります。残留者向けの専用費目が存在しないため、最も近い既存費目として勇者備蓄費目が選ばれています」
「専用費目が存在しない」
「はい。残留者という区分は、制度上まだ正式には存在していません。仮分類として運用されているだけで、費目としての登録がない。費目がない区分に支給はできないので、既存費目の中で対応できる欄に入れることになります。それが勇者備蓄でした」
「新しい費目を作ることは」
「費目の新設には、財務局の予算承認が必要です。申請から承認まで、通常では数週間かかります。仮設定という形での対応は難しく——」
「人道上の必要は理解しているが、費目がないものは出せない」
「……はい。そうなります。制度の問題だと分かっていますが、私個人の権限では動かせない部分がある」
トゥレは申し訳なさそうにしていた。サナを困らせようとしているのではないことは口調から分かる。ただし動かせない。
修司は手元に四つの費目の資料を並べた。
一般住民配給。軍務協力者支給。勇者備蓄。召喚者維持費。
一般住民配給は、この国で生まれ育った住民が対象だ。戸籍と居住登録が必要になる。残留者はまだ戸籍を持っていない。
軍務協力者支給は、軍の任務に従事している者への支給だ。サナは治療院で補助をしているが、軍務契約者ではない。
勇者備蓄は、召喚者の維持・運用のための費目だ。今まさにここから処理されているが、支給先分類が「稼働可能者」になっている。生活者ではなく、運用対象として扱われる。
召喚者維持費は、基盤炉の供給リンクに接続している者への費目だ。残留者はその接続を外す方向で動いている。
四つを見渡した。どれも違う。残留者に必要な費目は、既存の四つのどれでもない。
「セルアスさん、来てもらえますか」
セルアスが来て、修司が四費目の比較を説明した。セルアスは聞きながら手元のメモに何かを書いていた。修司が話し終わると、少し考えてから言った。
「暫定費目として起案できます。正式な費目新設ではなく、帰還監査期間中の仮設支給区分として設定する形であれば、財務局の正式承認を待たずに動かせる余地があります」
「仮設区分として置けますか」
「起案書の文面次第です。残留者を維持対象としてではなく、生活者として扱うための暫定措置という形で書けば、帰還監査の権限範囲内として通せる可能性がある。ただし、財務局へは事後報告が必要です」
「起案してもらえますか」
「今から書きます」
セルアスが紙を取り出した。
バルトが口を挟んだ。
「実物の裏付けを出す。今朝の配給で、サナの分として台帳に計上されているが実際に出ていない食料がある。それを仮設区分の支給の裏付けとして使えるなら、今日中に処理できる」
「使えます。台帳の計上済みと実物の不一致を訂正する形で、新しい区分からの支給として記録を立て直せます。バルトさんが実物確認書を出してくれれば、それを根拠にできます」
「書く」とバルトは言った。それだけで立ち上がって、記録を取りに行った。
ガルドがその間に言った。
「身分証との接続条件も入れた方がいいかもしれない」
「どういうことですか」
「仮設区分に入った人間が、窓口でどう確認されるかの話です。今のサナさんの身分証には、残留者という分類が入っていない。窓口で提示しても、何の区分かが読み取れない。仮設区分と身分証が繋がっていないと、次に来たときも同じことが起きます」
「身分証に仮設区分を反映させる手順は」
「身分証の更新手順は私が持っています。仮設区分が確定したら、その日付で更新できます。手数はかかりませんが、窓口担当者への周知も同時にやらないと、担当者が区分を知らないまま弾いてしまう」
「窓口への通知もお願いできますか」
「やります」
三人が動き始めた。セルアスが起案書を書き、バルトが実物確認書を持ってきて、ガルドが窓口への通知文を準備した。
修司は三人が作業する横で、費目の定義を整理した。残留者に必要なのは、生活者としての身分だ。居住の権利、日常の医療、労働の可能性、身分を証明する手段。それらを一括りにした暫定保護身分という区分が必要だった。
セルアスがその定義を起案書に落とし込んだ。
〔召喚者生活保護・非供給接続:残留希望者および保留者に対して、維持対象としてではなく、生活者として必要な支援を行う暫定費目。供給接続を前提とせず、居住・配給・医療・身分証明の四点を含む〕
「この文言でよいですか」とセルアスが確認した。
「はい」
「では提出します」
サナが窓口に戻ったのは昼過ぎだった。
ガルドが窓口担当者に通知を入れていた。担当者が新しい区分の確認を取り、サナの配給札を読み取り直した。
今度は弾かれなかった。
「こちらどうぞ」
サナはそれを受け取ってから、少し考える顔をした。
「今朝弾かれたのは、費目がなかったから、ですか」
「そうです。今日付けで仮設区分が入りました。身分証も更新しています」
「費目ひとつで、食べられなくなってたんですね」
「そうなっていました」
サナが少し息を出した。深刻ではなく、呆れたような、でも本気で言っている顔だった。
「大変なところで残留することにしましたね、私」
「そうかもしれません」
「でもまあ。今日は食べられるから、いいです。ありがとうございました」
そう言って歩き出した。
夕方、仮設区分の起案書がセルアスを通じて財務局に提出された。
正式承認には時間がかかるが、帰還監査期間中の仮設として今日付けで有効という扱いになった。
セルアスが承認局への届け出も済ませたと報告してきた。新費目の名称と定義を承認局の台帳に登録する手続きだ。
修司はその報告を聞いて、今日の作業を記録に入れていた。
承認局への届け出が処理されたという通知が届いたのは、夜になった頃だった。
登録完了という短い文面の後に、一行だけ追記がある。
〔自動分類処理:類似費目の参照により、以下の分類へ自動紐づけを実行しました〕
〔紐づけ先:勇者補充維持費〕
修司は画面を見た。
今日新しく作った費目の名称に「召喚者」という言葉が入っていた。承認局の分類辞書が、それを読み取って勇者補充維持費の類似費目と判断した。自動で、任意の処理として、記録に残った。
サナの食料支給の費目を変えるために作った区分が、別の文脈で同じ場所に戻っていた。
修司はその一行をメモに書き写した。分類辞書が動いた記録として、明日確認すべき事項として残しておく。




