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第82話 召喚者なしの試算表

 朝、修司の手元に書類が届いた。

 地方炉の冬季運用試算だ。北部第二管区の炉管理担当ヨルムから、前日の依頼に対して返ってきたものだった。几帳面に整理された数字が並んでいる。ただし、冒頭に一行だけ赤い文字がある。


〔重要:現行計画通りに召喚者供給リンクを削減した場合、冬季ピーク時の予備率が安全基準を下回ります〕


 修司は試算表を最後まで読んだ。ヨルムが怒っているのではない。不正を訴えているわけでもない。ただ数字が合わない。それを正直に書いてきていた。

 赤字の下に、小さく一行ある。


〔担当として判断を仰ぎたく、送付いたします〕


 エイラを呼んだのは午前中のうちだった。


「技術的には想定内の数字です。召喚者リンクの削減を進めれば、移行が完全に終わるまでは一時的に余力が落ちる。それは基盤炉移行設計の計画段階でも分かっていました」


「分かっていたなら対処が入っているはずですが」


「入っているはずです。基盤炉移行の進捗が計画通りなら、地方炉の補助で賄える計算になっています。ただし、現場運用が追いついていない箇所がある」


「どういうことですか」


「技術的には削減できる数字でも、実際に切り替えようとすると止まる系統がいくつかある。手順書が整備されていなかったり、切り替え担当者の訓練が終わっていなかったり。計画の紙の上では成立していても、現場で動かせる状態になっていない」


「絵は完成しているが、実行する側が追いついていない」


「そうです。私の管理範囲でも、まだ手が回っていない部分があります」


 バルトが入ってきたのはそのタイミングだった。前日のカズヤの件でそのまま残っていたらしく、書類を脇に抱えていた。


「物資側から見てどうですか」


「魔力が足りなくなったとき、物資で補うのは難しい。備蓄魔石の増強には生産から搬入まで時間がかかる。今から動かして冬に間に合うかというと、間に合わない」


「春なら」


「春なら間に合う」


 午後、各部署の試算を全部並べた。

 物流部門。前線結界維持。生活必須系統。帰還処理バッファ。四つの資料を机の上に出した。


 個別に見ると、それぞれ問題ないように見える。物流は「不足は調整可能」。前線結界は「一時低下は許容範囲」。生活必須系統は「バッファで吸収できる」。帰還バッファは「確保済み」。

 合算した。


 数字が合わなかった。

 同じ余力を、四部署が同時に当てにしていた。


 修司は試算表を部署別ではなく、魔力源別に並べ替えた。どの魔力がどこから来てどこに行くか、という軸で整理し直す。

 並べ替えると、見えていなかったものが出てきた。


 各部署が「調整可能」「吸収できる」と言っている根拠の多くが、同一の余力を参照していた。その余力が複数の参照先を持っており、全部が同時に発動すると足りなくなる。

 さらに、試算の前提欄を全部読み直した。


 物流部門の試算に、こう書いてある。


〔上記は現行リンク削減後の不足分を基盤炉余力で補う前提。余力が不足する場合は要追加検討〕


 前線結界の試算にも似た記述がある。


〔当試算は召喚者リンクの段階削減後も基盤炉の安全余力が維持される前提で作成〕


 生活必須系統も、帰還バッファも、同じ基盤炉余力を参照していた。


「エイラさん。各部署が参照している基盤炉余力の総量を計算してもらえますか。全部を合算すると、実際の余力を超えますか」


 エイラが端末を操作した。数分後、静かに言った。


「超えます。部署ごとの計算は成立しているんですが、同時に発動すると、合計要求量が実際の余力の一・七倍になります」


 一・七倍。


 各部署は正しく計算していた。ただし、他部署が同じ余力を当てにしていることを知らずに計算していた。


「誰かが確認しなかったわけですね」


「各部署が独立して試算を出すフローになっているので、横断的に合算する工程が入っていませんでした。私も今日初めて並べました」


 バルトが腕を組んで試算表を見ていた。何も言わなかったが、表情が少し固くなっていた。

 管理局から担当者が来たのは夕方だった。


 名はアンゼル。今日の試算の確認を依頼していたため、回答を持ってきたという。


「試算の多重参照については認識しました。ご指摘の通り、同一余力を各部署が独立して当てにしていた点は、調整が必要です」


「では、召喚者なしで冬を越せる試算を改めて出してもらえますか」


「……それが、難しい状況です」


「難しいとはどういう意味ですか」


 アンゼルが書類を一枚出した。


「重複を除いて計算し直すと、冬季ピーク時に全体で一四パーセントの不足が出ます。現行計画の段階削減を維持した場合です。この不足を解消する手段が、今のところ確保できていない」


「基盤炉移行設計の計画段階では、依存率を二十四パーセントまで下げる見込みでした。今の依存率はどうなっていますか」


「技術的な削減は進んでいます。ただし現場運用の移行が遅れており、実質的な依存率はまだ三十一パーセント前後です」


 エイラが少し顔を上げた。修司はその表情に気づいたが、今は先を続けた。


「三十一パーセント。計画より七パーセント高い状態で冬を迎える」


「遅延の原因は技術側ではなく、各現場の手順移行にあります。人員と時間が足りなかった」


「移行が遅れている現場の一覧はありますか」


「あります。今日持ってきていますが——」


「見せてもらえますか」


 アンゼルが一覧を出した。修司が受け取った。系統名、担当部署、移行完了予定、現在の進捗が並んでいる。未完了が十七系統。そのうち、冬季ピークに影響する系統が八つ。


「この八系統の移行を優先的に進めることはできますか」


「人員を集中させれば可能です。ただし他の作業が——」


「他の作業との優先度を比較した上で、この八系統を冬までに終わらせることを条件として、代替案を三つ提示します」


 アンゼルが書類にメモを取り始めた。


「一つ目、地方炉の短期増強です」


 修司はバルトの方を向いた。


「バルトさん、冬までに備蓄魔石の増強は間に合わないとのことでしたが、既存設備の最大出力稼働は可能ですか」


「可能だが、摩耗が出る。機材の寿命を一から二シーズン縮める覚悟がいる」


「機材の更新費用と、現行依存を続けるコストを比較します。試算を出してもらえますか」


「出せる」


「ありがとうございます。二つ目、生活必須系統の優先順位の再定義です。現在、生活必須系統の内部で優先度の細分化がされていない。同じ『生活必須』でも、一時的に落としても人命に影響しない系統と、絶対に落とせない系統がある。その順番を事前に合意しておけば、不足時の判断が速くなります」


「順番を決めるということは。後回しになるものが出るということです。その決定に対して、各担当部署から反発が出る可能性があります」


「その通りです。ただし、今は順番がないまま、誰かがその場で判断しています。事前に合意した順番がある方が、現場は動きやすい。反発への対応は合意形成の工程として組む必要があります」


「三つ目は前線結界の過剰維持設定の見直しです。前線結界の現行設定は、第3章当時の戦況を前提にした水準です。現在の魔物密度と侵入リスクに照らして、安全に余力を削減できる設定値がないか確認したい。ダリルさんの協力が必要になります」


「ダリル司令への話は?」


「先に私から確認します。前線の安全が前提です」


 アンゼルが三つの案をメモに書き終えた。少し考えてから言った。


「この三案で、冬の不足が埋まる見込みはありますか」


「今の段階では分かりません。試算を出してから判断します。不足が残る場合は、また別の対処が必要になります。ただし、今持っている選択肢の中で、召喚者リンクを維持する方向は検討しません」


「なぜ召喚者リンクを除外するのですか。最終手段として残しておくことも」


「技術的な話です。召喚者の帰還工程は進めています。帰還工程を進めながら、その人たちのリンクを維持するための前提を別途積み上げると、工程が矛盾します。帰還の準備をしながら、残ることを前提にした計算を同時に組むことはできない」


 アンゼルが静かに頷いた。


「三案で動かせるか、こちらでも確認します」


 アンゼルが帰ってから、バルトが手元の別の書類を広げた。

 今日確認していた生活物資の配給数量の件で、そのままになっていた資料だ。


「修司」


「どうしましたか」


「残留者の配給が、ここから出る扱いになっている」


 バルトが指した欄を修司が覗いた。残留者への食料配給の出所欄にこう書いてある。


〔勇者備蓄:維持費扱い〕


「勇者備蓄」とバルトが繰り返した。声に感情はなかったが、眉が少し動いた。


「残留者への飯代が、勇者の維持費から出ている」


「最初からそうなっていたのですか」


「仮登録した時点からそうなっていたらしい。備考欄には『召喚者維持対象への支給として処理』とある」


 修司はその欄を確認した。確かに書いてある。


「費目がなかったから、近い欄から出した」


「そうだろう。残留者向けの費目が存在しない。だから既存の中で一番近い欄を使った。それが勇者備蓄だった」


 残留を選んだ人間が、食事を受け取るたびに「召喚者維持対象」として処理されている。仕組みの上では、帳票が変わっていない。


「明日、この経緯を確認します」


「ああ」


 バルトは書類を畳んで立ち上がった。出口で一度振り返った。


「飯代がどこから出るかは、人がどう扱われているかの話だ」


 それだけ言って、出ていった。

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