第80話 治癒履歴に残る鎖
ミオが担架に乗せられるとき、意識はあった。
リゼットが付き添い、修司が後ろに続いた。ホールを出て、廊下を二度曲がった先に医療室がある。ミオは天井を見ながら、規則正しく呼吸していた。
「大丈夫です。立てないだけで、頭は動いています」
「動いているなら余計なことを考えないで安静にしてください」とリゼットが言った。
「余計なこと、とは」
「倒れたのが自分のせいだという考えです」
ミオが少し口元を動かした。否定はしなかった。
医療室で、ミオの補助を元の水準に戻した。
戻すとゆっくりと体に力が戻ってくる。五分もせずに、自分で起き上がれるくらいには回復した。
「昨日から補助を段階的に下げていました。帰還前の工程として言われた通りにやっていたんですが、今日で三段階目で、急に立てなくなって」
「三段階目で初めて出た症状ですか」と修司が聞いた。
「一段階目と二段階目は問題なかったです。今日だけです」
「聖女治癒を受けた記録が複数あると聞きました。最後に受けたのはいつですか」
「三ヶ月ほど前です。前線の補助に出ていたとき、傷を受けました。重傷ではなかったんですが、聖女様が来てくださって、二回治癒していただきました」
「その前にも」
「召喚した直後に一回。それから訓練中に一回。全部で四回です」
修司はメモを取った。治癒回数、時期、その間の補助の推移。数字として並べてみる必要があった。
聖女が医療室に来たのは、少し経ってからだった。
リゼットが呼んでいた。廊下から顔を見せたとき、聖女の表情は固かった。
「ミオさんが倒れたと聞いたので」
と言いながら、部屋に入ってきた。ミオを見て、少し安堵したような顔になった。
「意識がある」
「あります。補助を戻したら楽になりました。ご心配をかけてすみません」
聖女がミオの隣に椅子を引いて座った。修司を見た。少し言いにくそうに、それでも聞いた。
「私の治癒が、何か問題を起こしましたか」
「まだ調査中です」と修司は言った。
「ただ、確認したいことがあります。聖女治癒について、教えてもらえますか」
「もちろんです。なんでも話します。責められることは覚悟しています」
「責めるために聞くのではないです」
聖女が少し目を細めた。
「治癒のとき、術式の中に何が含まれているか、分かりますか」
「傷を塞ぐ術式と、生命維持を安定させる術式が主になります。この世界の人間に対しては傷の修復だけですが、召喚者の方には、身体がこの世界の環境に馴染むよう補助する術式を追加で入れることがあります」
「それはいつから入れるようになりましたか」
「召喚者の方が最初に来たとき、普通の傷の処置だけでは回復が遅いと感じて、自分で考えて追加するようになりました。神殿から指示があったわけではなく……私が、帰りたいのに苦しんでいる人を助けたくて」
「その判断は正しいと思います」と修司は言った。
「ただ、その補助術式が何に接続しているかを確認したい。一緒に見てもらえますか」
エイラが接続ログを展開した。
ミオの記録を時間順に並べた。召喚時。最初の治癒。二度目の治癒。前線での治癒一回目と二回目。そして直近の補助調整三段階。
修司が画面を指した。
「最初の治癒の後、生命維持補助の値が上がっています。次の治癒の後も上がっている。治癒を受けるたびに、補助が一段強くなっています」
「傷が治るから補助が増えるのは当然では」とリゼットが言った。
「増えた補助の参照先を見てください」と修司は返した。
エイラが画面を操作した。補助の参照先のIDが出た。
「これは……X-01の補助系統ではなく、基盤炉の供給リンクに直接繋がっています」
「治癒を受けるたびに、基盤炉側の接続が一本ずつ追加されていた」
「傷が治って回復したとき、身体がこの世界の環境に最適化された状態になる。それが同時に、基盤炉への接続を一本増やすことになっていた」
「それは。私が、知らないうちに……」
「設計上そうなっていたということです。あなたが術式を使ったことが間違いだったのではない。ただ、術式が何を経由して働いていたかが、今まで見えていなかった」
聖女が黙っていた。
「補助を段階的に下げていくとき三段階目で初めて問題が出たのは、最初の二段階では自然についた補助が落ちていたからだと思います。三段階目で、治癒によって接続された補助に触れた。その瞬間、古い治癒術式が生命維持補助の不足と判定して、基盤炉に再要求を出した」
「それが立てなくなった理由ですか」とミオが言った。
「ログを見る限り、そう読めます」
「治癒を受けなければよかったんですか」
「傷を治すことは必要でした。問題は、治癒の術式が基盤炉への接続を補強する経路を通っていたことです。あなたが受けた治癒は正しかった。ただし帰還工程においては、その接続を先に分離する手順が必要になります」
報告をまとめていた夕方、神殿の儀礼部門から担当者が来た。
名はロスタとだけ名乗った。長い上着を着た、年配の男性だった。椅子には座らず、立ったまま話し始めた。
「聖女様の御業が不具合として調査されているとお聞きしました」
「不具合として調査しているのではないです」と修司は言った。
「ロスタ殿。帰還工程に支障が出ることが確認されました。それを調べています」
「支障と言いますが、聖女様の御業は何百年もこの神殿で受け継がれてきた奇跡です。それを現在の技術手順の都合で問題扱いするのは、神殿の権威に対する侮辱になりませんか」
「奇跡を否定しているのではないです」
「しかし、聖女様の術式が問題の原因と見なされているのでしょう」
「原因は術式そのものではなく、術式が参照している接続先です。聖女様が傷を治してくださったことは正しかった。ただし、その治癒が基盤炉の供給リンクに接続していた。その接続が、帰還工程において干渉を起こしています。奇跡の価値を否定せずに、帰還に関係する接続だけを分離したい」
「分離すれば、治癒の効果が失われるかもしれない」
「治癒の効果は身体の回復です。供給リンクへの接続は帰還の障壁になっています。二つは別の機能です。分離は可能です」
「可能と言えるだけの根拠が」
「今日のミオさんのログがあります。治癒履歴と供給リンクの接続を時間順に確認しました。御覧になりますか」
ロスタが少し口を動かした。すぐには答えなかった。修司はログを画面に出したまま待った。
「……神殿に持ち帰って、協議します」
「協議する間、ミオさんの帰還本番は延期します。供給リンクへの接続を分離してからでないと進めません」
「それは……ミオさんに説明されましたか」
「今からします」
ミオへの説明は短くした。
帰還本番の前に、治癒によって接続された供給リンクを分離する工程が必要になる。今日分かったことで、準備が一つ増えた。工程自体はできる。ただし今日はできない。
「また延期ですか」とミオは言った。責める口調ではなかった。疲れた声だった。
「延期です。中止ではないです」
「前に誰かも同じことを言っていましたね」
「アニカさんです」
「帰れますか」
「帰れます。分離工程ができれば進めます」
ミオが少し間を置いた。
「治癒を受けたことを後悔しなくていいですか。前線で倒れていたとき、聖女様が助けてくださったことは、正しかったですか」
「正しかったです。傷を放置したら別の問題が起きていた。今日出た問題は、治療を受けたことで生じた後続の調整作業です。治療が間違っていたのではない」
ミオが天井を少し見た。
「……それなら、聖女様に謝らなくていいですか」
「謝る理由はないです。ただ、気になるなら直接話してもらってもいいと思います。聖女様も今日、一人で考えていることがあると思うので」
夜、修司はログの整理をしていた。
治癒履歴を持つ召喚者への帰還前工程を新たに設計する必要がある。治癒履歴と供給リンクの接続を分離する手順。分離後の波形確認。そこから先は既存の工程と合流できる。
名前をつけるなら、保護分離工程と呼ぶのが分かりやすい。治癒によって接続された部分を、帰還の障壁にならないよう先に切り離しておく手順だ。
仮設として今日付けで記録に残す。
エイラが戻ってきたのは、その作業の途中だった。
別の端末で何かを調べていたらしく、入ってきながら画面を見ていた。修司の方を見ずに言った。
「修司さん。一件確認していいですか」
「どうぞ」
「今日の件で、治癒履歴のある召喚者の帰還前工程を確認しようと思って、全員の履歴を引いていました」
「それは助かります。人数は」
「帰還候補の中で治癒履歴があるのは現状で四名です。ミオさん含めて」
「他の三名も保護分離工程が必要か確認します」
「そのうちの一名について」とエイラが言った。少し声が変わった。
「カズヤさんの履歴を確認しました」
「カズヤさんは治癒を何回受けていますか」
「七回です。ただし問題は回数だけじゃないんです」
エイラが手元の画面を修司の方に向けた。
「治癒履歴、供給リンク、前線ログ、勇者装具との同期記録。これを時間順に並べると……全部重なっているんです。ミオさんの場合は供給リンクへの接続が四本ですが、カズヤさんの場合は——」
エイラが少し間を置いた。
「治癒と装具と前線活動が重なった部分で、接続が何層にもなっています。カテゴリーCの工程では、どこから手をつければいいか見えない状態です」
修司がエイラの画面を確認した。ミオのログと並べると、規模が違う。
「カズヤさんは、カテゴリーCでは収まりません」
エイラが静かに言った。確認ではなく、記録として残すような言い方だった。
「カテゴリーDの工程でも、まだ全部見えていない層があります。これは、別で設計が必要になります」
修司はその画面を少し見てから、メモを取った。
今日はここまでにする。続きは明日以降の課題だ。




