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第79話 応答ログは答えではない

 朝の居住区は、いつもより声が多かった。

 廊下を歩く人たちが、立ち止まって話している。何かが広がっている、という空気だった。


 修司が聞いた内容は、リゼットから伝えてもらった断片だ。

 ユウトが無事に帰れた、という話は最初から広まっていた。そこに昨日から新しい情報が加わった。


「元世界から返事が来た」


 それだけの言葉が、居住区の中を走った。返事が来たなら、帰れる。帰れるなら、早く帰りたい。ユウトが帰れたんだから、次も大丈夫。

 情報の断片が、誰かの言葉を通るたびに少しずつ変わって広がっていた。



 午前中、アニカが帰還準備室の前の廊下で修司を待っていた。


 珍しかった。アニカはいつも呼ばれてから来る。待っているのは初めてだった。


「聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「元世界から返事が来たって話、本当ですか」


「応答らしきものが確認されています」


「らしき、というのは」


「確認できた事実と、まだ確認できていない部分があります。今日、説明の場を設けようと思っていました。アニカさんにも来てもらいたいです」


「何時ですか」


「夕方を予定しています。詳しくはリゼットさんから連絡します」


 アニカが少し間を置いた。


「帰れる可能性は上がりましたか」


「上がっています。ただし、どこまで何が分かっているかを今日説明します」


 アニカがゆっくりと頷いた。目に力があった。怖がっているのではなく、前を向いている目だった。

 昼前、レオが来た。


 アニカとは逆の顔をしていた。廊下に立ったまま、少し迷ってから修司に近づいた。


「元世界から応答があったと聞きました」


「はい」


「それって……帰った人が無事だということですか」


「そうではないです」と修司は言った。


 レオが眉を動かした。


「違うんですか」


「応答があったことと、帰還した人が無事かどうかは別の話です。今日の説明会でもその点を扱います。来られますか」


「行きます」


 レオは少し安心したような、少し混乱したような顔で立っていた。


「応答があったのに、無事かどうか分からないって、どういうことですか」


「説明会でマルファスさんに話してもらいます。今の段階で言えるのは、方向は正しかった、ということだけです」


 王宮の担当者が来たのは午後の早い時間だった。

 今回は前回のケルハイムではなく、帰還審査側の担当者だった。書類を持って入ってきて、修司に向かって言った。


「元世界側からの応答が確認されたと聞いています。帰還工程の再現性が上がった、という判断でよいですか」


「一つの根拠として使えます」


「であれば、帰還希望者の処理を前倒しできないでしょうか。現在、居住区の管理コストが——」


「処理の前倒しはできません」と修司は言った。


「理由を聞かせてもらえますか」


「応答ログが帰還の可能性を示しているのは事実です。ただし、応答ログは本人の安全を確認するものではない。本人の接続状態の確認、事前分離工程、切り戻し条件の設定、これらは応答ログの有無とは別の工程です。一件ずつの確認を省略すると、今日帰還できたとしても、安全に帰還できたかどうかが記録に残らなくなります」


「しかし、応答があるなら——」


「応答がある場所に、誰かが安全に届けられるかどうかは別の問題です。応答があるから安全とは言えない。その違いを、今日の説明会で召喚者の皆さんに伝えます」


 担当者が少し黙った。


「……管理コストを削減したいという現場の事情は理解します」


 責めるような口調ではなかった。


「ただ、確認を省いて進めた結果に問題が出た場合、それは管理コストの削減どころか、帰還工程全体の信頼を失うことになります。一件ずつ正確に進める方が、長期的な管理コストは下がります」


 担当者がメモを取った。反論はしなかった。

 夕方の説明会は、居住区の共用ホールで行った。


 椅子を並べると、召喚者が数人集まった。アニカが前の方に座った。レオは後ろの方、出口に近い席を選んだ。ミレーヌが端に立っていた。

 マルファスは壁際に立ったまま、椅子には座らなかった。


 修司が最初に口を開いた。


「今日は元世界側からの応答ログについて説明します。分かっていることと、分かっていないことを分けて話します」


 小さな声が一つ出た。「分かっていないことって何ですか」と誰かが言った。


「それを含めて説明します」


 修司はマルファスに目を向けた。


「ログの中身を説明してもらえますか」


 マルファスが少し前に出た。喋るのが得意ではない、という種類の沈黙があった。それでも話し始めた。


「ユウトが帰還処理を受けた後、帰還先の座標方向から短いパケットが届いた。パケットの種別は到達確認だ。こちらが送ったデータに対して、向こう側から受け取ったという返答が来た、それだけの内容だ」


「ユウトが無事という確認ですか」とアニカが聞いた。


「違う」とマルファスは言った。短く、はっきりと。


「届いたのは自動的に返される確認信号だ。帰還処理の座標に対して、受信可能な状態にある何かが反応したということは分かる。だが、そこに誰がいるか、本人が意識を持って受け取ったのか、身体が無事かどうかは、このログからは分からない」


「じゃあ何も分からないんですか」とレオが静かに言った。


「そうではない。帰還先の座標が正しかったことは分かる。向こう側に届ける方向が合っていたことは分かる。次の帰還で同じ座標を使う際の補正精度が上がる。それは分かる」


 マルファスが壁際に戻った。

 修司が続けた。


「今のマルファスさんの説明を整理します。応答ログは三つに使い分けられます。一つ目、帰還先の座標補正に使える情報。二つ目、帰還工程が再現できることの確認に使える情報。三つ目、帰還した人が無事かどうかの確認には使えない情報。この三つは別々の話です」


 ホールが少し静かになった。


「ユウトが無事に帰れたかどうかは、今の段階では分かりません。帰還処理そのものは正常終了しています。届けることはできた。ただし、届いた先でどうなっているかを確認する手段が、現在の技術にはありません」


「帰った後のことは分からないということですか」とアニカが言った。


「今は分かりません」


「でも、帰れる可能性は上がっているんですよね」


「上がっています。座標が合っていたことが確認できた。同じ工程を別の人に適用するときに使える根拠が増えました」


 アニカが少し顎を引いた。考えている顔をした。それからまっすぐに言った。


「それでも帰りたいです。帰った後のことが分からなくても」


「分かりました」


「帰った後が分からないまま帰ることを、修司さんは止めますか」


「止めません。あなたの意思です。ただし、帰還工程の一つひとつの確認は省けません。帰った後が分からないからこそ、帰る前の工程を正確にやる必要があります」


「それは分かります。やります」


 レオは黙って聞いていた。

 アニカの言葉が終わった後も、しばらく何も言わなかった。それからゆっくりと口を開いた。


「帰った後が分からないなら……僕はまだ決められません」


 アニカが振り向いた。レオを見た。


「帰った後が分からないから帰りたくないんですか」


 責めているのではなかった。純粋に確認していた。


「分からないから帰れないんじゃなくて」とレオは言った。昨日リゼットに話したことと同じだった。


「分からないから判断できないんです。家族のことが分からないまま帰って、着いたとき誰もいなかったら……それが怖い」


「それは私も怖いです」


 少し間があった。


「でも私は、帰ってから考えることにしました」


「帰ってから考える、か」


「帰れなかったら考える機会もないから」


 二人の間に短い静かな時間があった。

 修司は二人を見ていた。


「両方、正しいです」と修司は言った。


 アニカとレオが修司を見た。


「帰った後が分からないまま帰ることを選ぶことも、分からない以上はまだ決めないことを選ぶことも、どちらも間違いじゃない。情報が足りない状態で、何をどこまで受け入れるかは、本人が決めることです」


 説明会が終わりかけたとき、ホールの後ろの方で小さな声がした。

 リゼットが最初に気づいた。立ち上がって、後ろに向かう。


 ミオだった。

 椅子から崩れ落ちそうになっていた。リゼットが素早く支えた。顔色が白い。意識はあるが、身体に力が入っていない。


「ミオさん、聞こえますか」


「……はい、聞こえます。急に……立てなくなって」


 修司が近づいた。


「今日、補助の調整がありましたか」


「昨日……少し下げました。いつも通りの段階だったんですが」


 リゼットがミオを支えたまま、修司を見た。目に問いかけがあった。


「医療室へ」と修司は言った。


 二人がホールを出ていく。他の召喚者が席から立って、少し後を追いかけようとした。修司が静かに制した。


「今日の説明会はここで終わります。ミオさんの件は医療室で確認します。続きの情報は後ほど共有します」


 ホールが少しざわめいた。落ち着かせるほどの声ではなかったが、心配の空気があった。

 ホールが空になってから、修司はリゼットに連絡を取った。


「ミオさんの状態は」


「意識はあります。補助を戻したら少し楽になってきています。ただ原因がまだ分かりません」


「ミオさんの帰還前チェックの記録はありますか」


「確認してみます」


 数分後、リゼットから返答が来た。


「ミオさん、聖女の治癒を何度も受けていた記録があります。直近で四回」


 修司はその言葉を聞いて、手元のメモを開いた。

 今日の説明会の最中に倒れた。補助を段階的に下げていた。聖女の治癒履歴が複数ある。


 補助を下げた後に、何かが働いた。

 修司はミオの接続記録を確認してみる必要があると判断した。治癒履歴と、供給リンクの推移と、今日の補助調整のタイミングを時間順に並べれば、何かが見えるかもしれない。


 ただし今日は夜になっていた。ミオの状態確認を先に終わらせてから、記録の確認は明日にする。


「明日、ミオさんの接続記録を見せてもらえますか」とリゼットに伝えた。


「分かりました」


 修司は端末を閉じた。

 今日分かったことは整理できた。帰還先に届けることはできる。ただし、届いた先で何があるかは分からない。それを正確に伝えることが今日の仕事だった。


 それが終わった。

 次に見るのは、聖女の治癒履歴と接続記録の関係だ。

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