第78話 保留は未決ではない
居住区の出口に、小さな受付窓口がある。
外出許可証の発行窓口だ。召喚者が居住区の外へ出るときは、ここで日時と目的を告げて証明を受け取る。許可が出ればそのまま通れる。
レオは朝からその窓口の前に立っていた。
「神殿の図書室へ行きたいんです。調べたいことがあって」
窓口の担当者が台帳を確認した。少し間があった。
「申し訳ありませんが、現在の分類では居住区外への活動は制限されています」
「制限、というのは」
「帰還または残留の選択が確定していない方は、暫定管理対象として区外活動を原則保留としています」
レオは黙っていた。もう一度言う。
「調べたいことがあります。図書室に、元の世界と時間差についての記録があると聞いたんです」
「それは……。規則の範囲では、選択が確定するまでは——」
「選択するために調べに行くんです」
担当者は答えられなかった。規則の外に踏み込む権限を持っていなかった。
修司がそれを知ったのは、リゼットから話を聞いたからだった。
居住区の共用スペースで、レオが窓口から戻ってきたところをリゼットが見かけていた。何かあったと気づいて声をかけ、話を聞いてから修司に連絡した。
「外出許可の制限条件を確認してもらえますか。保留者全員に適用されているなら、他にも同じ状態の人がいるかもしれない」
「分かりました」
修司は外出許可の規則書類を引いた。
召喚者の居住区外活動に関する規定。帰還希望者は帰還準備担当者の同行があれば可。残留希望者は仮分類後に通常許可申請可。保留者は、帰還または残留の選択確定まで原則制限。
規則そのものは短い一行だ。
修司は続けて、保留者への定期通知文書を確認した。何日ごとに意思確認の通知が送られているか。通知の更新間隔を帰還希望者・残留希望者と比較した。
帰還希望者への更新間隔は三十日。残留希望者は六十日。
保留者は七日だった。
さらに通知文の末尾を読んだ。
〔期限内に選択の意思表示がない場合、暫定的に残留仮扱いへ移行します〕
修司はその一行を少し見た。
七日で通知。選択がなければ残留仮扱いへ自動移行。帰還希望者の更新間隔は三十日で自動移行の記載なし。残留希望者は六十日で自動移行の記載なし。
保留者だけが、七日という最も短い間隔で、かつ自動的に選択肢の一つへ押し込まれる設計になっている。
管理局の担当者に話を聞いたのは午前中のうちだった。
「七日で更新、期限超過で残留仮扱いへ自動移行する設計になっていますね」
「はい、そうです。保留状態が長くなりすぎると、管理コストがかかります。生活支援や医療の適用範囲が決まらないと、現場が動かせない」
「帰還希望者と残留希望者は三十日・六十日で、自動移行は設定されていない。保留者だけ七日で自動移行になっている理由は何ですか」
「……それは。保留状態が最も確定しにくいため、より頻繁な確認が必要という判断です」
「確認の間隔を短くすることと、本人の同意なく別の分類へ移行することは、別の話です」
「管理上の便宜として——」
「管理上の便宜のために、本人の意思選択を上書きしていることになります」
責めているのではなかった。事実の確認だった。
「帰還を選ぶか残留を選ぶか決めていない人が、七日ごとに督促を受けて、答えなければ残留として扱われる。これは保留を許可しているのではなく、保留を消化しようとしている設計です」
担当者が少し黙った。
「……変更の権限は、どちらが持ちますか」
「外出許可の適用条件は、帰還監査の作業区分として仮分類に含められます。保留者の生活上の制限を解除することは、昨日設定した残留者保護対象の類似措置として対応できます」
「自動移行の設定は」
「管理局側の規則です。変更には正式な申請が必要です。ただし、帰還監査の作業手順として『保留者への自動移行を一時停止する』という仮措置であれば、監査権限の範囲内で設定できる可能性があります」
「確認します」
リゼットがレオと話したのは、午後になってからだった。
共用スペースの窓際に二人で座った。レオは背が低くて細い。話すとき視線が少し斜めに向く。今日は特に、どこかを見ているような目をしていた。
「外出の件、修司さんが確認してくれています。制度側の問題なので、あなたが何かを間違えたわけではないです」
「……そうですか」
「帰還か残留かまだ決めていないと言っていましたが、理由を聞いてもいいですか。急かしているのではないです。記録に残しておきたいんです」
レオが少し間を置いた。
「記録にして、意味がありますか」
「あなたが何かを責められたとき、理由が書いてある記録があれば、それが何も考えていなかったのではないと示せます」
しばらく、レオは黙っていた。それから、ゆっくりと言い始めた。
「帰りたいんです。本当に帰りたい」
「うん」
「家族がいます。父と母と、妹が一人。……でも怖いのは、帰ったときに何年経っているか分からないことで」
声が少し固くなった。
「ここに来てからどれくらいの時間が経ったかは分かります。でも、元の世界でどれくらい時間が流れたかは、誰も教えてくれない。一年くらいなら、みんな待ってくれているかもしれない。でも十年経っていたら」
言葉が途切れた。
「妹は今、高校生のはずです。十年経ってたら二十代後半になってる。父と母はもっと年を取る。……それが怖くて帰れないんじゃなくて」
「怖くて帰れないんじゃなくて?」
「帰ったとき、家族がいるかどうかが分からないまま帰ることが、正しいのかどうか分からない。情報がないのに選べない。それだけです」
リゼットは何も急かさなかった。ただ、手元のメモに書いていた。
「分かりました」
「怖いのは本当です。でも、怖いから決められないんじゃないです」
「情報が足りないから決められない、ですね」
「……はい」
「それを記録します。決断が足りないのではなく、判断に必要な情報が揃っていない状態。それが今のあなたの状況として記録に残ります」
レオが少し顔を上げた。
「記録すると、何が変わりますか」
「今は何も変わらないかもしれない。でも、時間差の情報がどこかで出てきたとき、最初に連絡が来るのはあなたになります。情報待ちとして記録してあれば、情報が入った時点で確認できる」
「……連絡が来る」
「来ます。情報待ちという状態を、ちゃんと記録しておけば」
レオがまた黙った。今度は少し違う種類の沈黙だった。
午後遅く、管理局から回答が来た。
保留者への自動移行設定について、帰還監査の作業手順として一時停止する仮措置が認められた。正式な規則変更には申請が必要だが、仮措置の範囲なら監査権限で対応できる。
修司はその場で設定を変えた。
決断の期限は廃止する。代わりに、再確認の周期を設定する。条件は三つ。新しい情報が得られた時。接続状態が変わった時。本人が希望した時。この三つのどれかが満たされた時だけ、意思確認を行う。
それ以外のタイミングでは、保留は合法的な状態として継続する。
外出許可についても、保留者を保護対象として扱う仮設置を加えた。帰還・残留が確定していなくても、生活上の必要がある外出は申請できるようにする。目的の記録は必要だが、許可の判断基準を「分類確定の有無」から「目的の正当性」に変える。
変更は今日付けで仮設置。記録に残す。
夕方、レオが外出許可を受け取った。
窓口の担当者が新しい仮分類の適用を確認して、外出証明を出した。目的欄には「神殿図書室・時間差関連資料の調査」と書いてある。
レオは証明書を受け取って、少し見た。
「行けますか」と担当者に聞いた。
「今日から可能です」と担当者が答えた。
レオは頷いた。何も言わなかった。ただ証明書を手帳に挟んで、歩き出した。
その背中を、窓口の横に立っていたリゼットが見送った。特に声はかけなかった。
夕暮れに近い時間、帰還準備室の外の廊下で、マルファスが修司を待っていた。
マルファスは術式解析の補助として動いている。寡黙で、逃げ癖がある。廊下に立っているのは珍しかった。
「少しいいか」
「何ですか」
「元世界側の応答ログを確認していた」
修司は立ち止まった。
「昨日から断片的に入ってきている。ユウトが帰還してから、ある程度安定した間隔で信号らしきものが来ている。座標補正には使えそうだ。ただし......」
「ただし?」
「これは帰還先の安全確認にはならない」
「どういう意味ですか」
「信号はある。受信先と思われる座標への反応もある。だが、そこに何がいるか、誰がいるか、いつの時点の信号かは分からない。信号があることと、場所が安全であることは、別の話だ」
修司は黙って聞いた。
「帰還の技術的な条件が整うことと、帰った先に何があるかは、別の問題として扱う必要がある。今の段階で分かるのは前者だけだ。後者は分からないまま帰还することになる可能性がある」
廊下に、しばらく人の声が通り過ぎた。
「整理が必要な話です」と修司は言った。
「ああ。ただ、居住区の連中には噂が広がっている。ユウトが帰れたなら次も大丈夫、という話で。それが技術的に何を意味しているかは、伝わっていない」
「明日、説明の場を設けます」
「それでいい。逃げるつもりはない」
それだけ言って、マルファスは廊下を戻っていった。
修司はしばらくそのまま立っていた。
帰還先に何があるかは分からない。分からないまま帰ることを選ぶ人もいる。分からないから決められない人もいる。どちらも、間違いではない。
問題は、分からないという事実を誰も説明していなかったことだ。




