第76話 未処理欄の人々
朝の配給列が止まったのは、開始から十分も経たない頃だった。
居住区管理官のミレーヌが配給台帳を抱えて立ち往生している。列の先頭には召喚者が数人並んでいた。
「少しお待ちください。確認中です」
ミレーヌは何度目かの同じ言葉を言った。台帳のページをめくる。めくるが、探している欄が見つからない。
理由はシンプルだった。
帰還の直前にある者と、この世界に残ることを決めた者と、まだ何も決めていない者が、同じ列に並んでいる。それぞれに必要なものが違う。帰還前の者は身体への負荷を減らした食事がいい。残る者は通常の生活食でいい。状態が不安定な者は医療側の管理食が必要だ。
だが台帳には全員、同じ欄しかない。
〔召喚者種別:暫定管理対象〕
それだけだ。
「まだですか」
列の中ほどから声が出た。男の声だった。
「残る人は急がないんでしょうけど、帰る側は準備があるんですよ」
前の方に並んでいた女性が、小さく振り向いた。
「そういう言い方しなくてもいいんじゃないですか」
「事実を言っているだけです」
「残ることにした人間が、帰る人の邪魔をしているみたいな言い方でしょう」
声が少し大きくなった。ミレーヌが顔を上げた。止めようとして、何も言えなかった。
台帳に欄がなければ、整理のしようがない。
修司が居住区に来たのは、ミレーヌから使いが来てから一時間後だった。
配給列はいったん解散になっていた。ミレーヌが申し訳なさそうに台帳を広げて見せた。
「規則では、帰還または正式残留が決まるまで、全員『暫定管理対象』のままなんです。私が判断できることじゃなくて」
「分かりました。見せてください」
修司は台帳を受け取って、ページをめくった。それから言った。
「他にも台帳はありますか。医療の分と、外出許可の分と、帰還候補の一覧」
「そちらは別の管理になっていて」
「全部持ってきてもらえますか」
しばらくして、四冊の台帳が並んだ。
修司はそれを順番に開いた。読み比べた。
医療台帳には、食事制限が必要な者の名前がある。外出許可台帳には、居住区外を許可された者の状態が書いてある。帰還候補一覧には、接続状態と優先順位がある。
それぞれの台帳は、それぞれに状態を把握しようとしていた。現場はすでに動こうとしていた。
ただ、大元の召喚者台帳には、それが反映されていない。全員が同じ「暫定管理対象」のままで、他の台帳の情報と繋がっていない。
「各台帳の情報はある。ただ、大元が更新されていない」
「更新するための欄がないので。申請を出せばいいのかもしれませんが、前例がないので、どこに出すのかも分からなくて」
修司は台帳を閉じた。
「管理局に話を通してみます」
管理局の窓口担当者は、修司の話を最後まで聞いてから、首を横に振った。
「分類を増やすのは難しいです」
穏やかな声だったが、はっきりしていた。
「分類が増えると、登録の際に種別を選ぶ判断が発生します。判断が発生すると、誤登録した場合の責任問題になる。現場の管理官にそこまでの権限と責任を持たせるのは、制度上むずかしい」
「分類を増やすことで困っている人がいます。増やさないことでも困っている人がいますが」
「困っていることは理解します。ただ、分類の追加には上位承認が必要です。今すぐ動かせるものではありません」
「承認の手続きを教えてもらえますか」
「それは……。前例がないので、どの部署に申請するかから確認が必要になります」
修司は手元にメモを取った。
「確認をお願いできますか」
「……はい、確認はします」
担当者が端末に向かった。修司は椅子に座って待った。
ガルドが通りがかったのは偶然だった。
廊下でミレーヌと話しているのを見かけて、立ち止まった。修司が事情を説明すると、ガルドはしばらく黙ってから言った。
「門ではよくある話だ」
「門で?」
「身分証の話です。城門を通るとき、身分証に書いてある種別で通れるかどうかが変わる。召喚者って書いてあれば、担当者は何種類かの対応手順を持っている。でも手順の中に、本人の状態に合うものがなければ、止まるしかない」
「止まると?」
「通れないか、上に確認を上げるか、その場で判断するかになる。上に確認を上げる時間がなければ、止める。判断を間違えれば責任問題になる。だから止める」
ガルドが続けた。
「台帳に欄がなければ、担当者は判断できない。人柄で通せない、と言うとひどく聞こえるけど、それが制度の実態だ」
修司はメモを書き足した。
「それは分かります」
「分類を作るのは、担当者を守ることにもなる。曖昧なままにしておけば、現場が毎回判断しなければならなくなる」
管理局の担当者が戻ってきたのは、昼を過ぎた頃だった。
「上位承認の手続きが確認できました。ただ、正式な申請から承認まで、早くても十日はかかります」
「十日ですか」
「それが通常の工程です」
修司は少し考えた。
「仮分類という形ではどうですか。正式な制度変更ではなく、帰還監査の作業上の作業区分として、現場で使う暫定の分け方を作る。正式分類と並列ではなく、帰還工程の補助情報として扱う」
担当者が首をわずかに動かした。
「作業上の区分なら、監査側の権限で設定できる可能性があります」
「そこを確認したいんです」
もう一度、待った。
今度は三十分ほどで戻ってきた。担当者の顔が、少しだけ変わっていた。
「帰還監査の補助情報として扱うなら、管理局承認は不要です。帰還監査担当者の作業権限の範囲内になります」
「ありがとうございます」
仮分類の表を作るのに、そう時間はかからなかった。
修司がセルアスに確認を取り、ミレーヌに説明した。帰還希望・事前分離中。帰還希望・条件確認中。残留希望・権利未整備。保留・情報待ち。条件未確定。
五種類。
「これは、どちらが有利とかそういうものではないですよね」とミレーヌが確認した。
「ないです。必要な手順が何かを区別するだけです。帰還希望の人に帰還前の食事を出すのは、帰還希望者を優遇しているのではなく、帰還工程に必要な準備です。残留希望の人に通常食を出すのは、生活者として扱うということです。どちらが上とか下とかの話ではない」
「それを、列の人たちに説明していいですか」
「説明してください」
午後、配給列が再開した。
アニカが最初に来た。ミレーヌが台帳を開き、「帰還希望・事前分離中」の欄にアニカの名前を書いた。食事の種別欄に、帰還前準備食と入力した。
「昨日より少ない分量になります。消化の負担を減らすためです」
「分かりました」
とアニカが答えた。それだけだったが、受け取るときの手が、朝よりも落ち着いていた。
次に来たのは、修司が初めて顔を見る女性だった。リゼットが短く紹介した。サナ。治療院で補助の仕事をしている。残留希望だと言った。
「残るって決めたのは、なんとなく分かってきたんです」とサナが言った。
「帰っても帰りたい場所に戻れるか分からないし、ここでやれることがあるから」
ミレーヌが欄を開いた。残留希望・権利未整備。
「権利未整備って、なんか不安な感じがしますね」とサナが言った。少し笑っていた。
「整備していくための分類です。今の欄が整えば、通常の生活者と同じ窓口が使えるようになります」
「じゃあ、今日から普通の食事になりますか」
「なります」
サナが少し目を細めた。
「それだけで、だいぶ違います」
最後に来たのはレオだった。
修司よりも年下に見える、細い青年だった。列の前に立ってから、少し迷うような間があった。
「保留のまま登録してもらえますか」と小さな声で言った。
「もちろんです」とミレーヌが答えた。
「帰りたいとは思ってる。でも、帰った先に時間がどれくらい経ってるか分からなくて。それが分かるまでは決めたくない」
「保留は、まだ情報が足りない状態です。決められないのではなく、決めるための材料が揃っていない」
レオが少し顔を上げた。
「……そう書いてあるんですか」
「今日からそう書きます」
レオは何も言わなかった。ただ、受け取った配給札を両手で持った。
夕方、修司は帰還準備室に戻っていた。
今日の仮分類登録の確認をしていたとき、端末に通知が入った。
サナの仮登録処理が完了した直後のタイムスタンプで、補助フォームが自動生成されていた。
フォームの名称は「協力召喚者登録(任意)」とある。
修司はフォームを開いた。氏名、残留理由、身体状態、得意分野。そこまでは分かる。
問題は最後の欄だった。
〔緊急時供給接続許可:□同意する〕
チェックボックスが、空白のまま表示されていた。
サナはまだ、これを見ていない。
修司はフォームを閉じずに、少しだけ眺めた。
残留希望者を登録すると、このフォームが出る。フォームの中に、接続への同意欄がある。自動で、任意の体裁で、目立たない場所に。
仮分類を作ったのは今日だ。だが、このフォームはすでにある。
誰が、いつ、何のために作ったものかは、今日の段階では分からない。




