第74話 現仕様、空いた席は人を呼ばない
朝、修司は一枚の紙を書いていた。
章を通して集めてきた問題を、一行ずつ並べていく作業だ。報告書でもなく、公文書でもなく、自分のための整理として書く。
最初の問題。帰還用に確保した空き容量に、召喚受け入れ予約のパケットが走った。
次。承認局の旧テンプレートが有効期限なしで残っており、空き容量の発生をトリガーに自動起動した。
次。神殿の定期点検書類が、テンプレートの構造上、召喚再開準備として処理された。
次。地方炉の予備魔石が点検名目で召喚用触媒として徴発された。
次。防衛予備権限の承認階層が召喚補充管理権限と同じ親ノードを持ち、防衛名目で召喚権限が同時に有効化された。
次。神託枠の発火閾値が古い仕様のままで、帰還処理の負荷変動が災厄判定を起動した。
次。召喚陣の入出力ポートが帰還と召喚で共用されており、受け入れ枠の完全停止が帰還精度に影響した。
修司は七行を並べてから、下に一行書いた。
〔全部、同じ問題の別の顔〕
承認書。点検書類。資材徴発。防衛名目。神託枠。入出力ポート。見た目は全部違う。解決の手順も全部違った。ただし、根は一つだ。
基盤炉に空き容量が生まれると、旧制度はそれを「補充すべきリソース枠」として自動的に扱う。誰かが命じなくても、各部署が通常業務をこなすだけで、空いた席に誰かを座らせる方向に動く。
その仕組みを変えることが、この章でやってきたことだった。
午前中にセルアスとエイラを呼んで、三人で作業した。
修司が提示したのは「空き枠再利用禁止仕様」という一枚の定義書だ。帰還処理によって生まれた空き容量は、以下の三つのいずれかにのみ分類され、召喚受け入れ枠としての使用を禁止する——帰還用安全余裕、生活必須系統予備、障害復旧バッファ。いずれにも当たらない非緊急余剰のみが、別途協議のうえで他用途へ回せる。
「これを今日中に公文書化したいです」と修司はセルアスに言った。
「可能です。ただし、帰還用安全余裕を暫定分類から恒久分類へ格上げする部分については、今まで以上に上位の承認が必要になります」
「どこの承認ですか」
「魔導省の統括部門、または王宮の行政委任機関が必要です。帰還監査の権限範囲だけでは確定できない可能性があります」
「暫定のまま先に出して、恒久化を後追いで取りに行く形で構いません。今日は暫定として公文書化してください。恒久化は別件として積み上げます」
セルアスが頷いた。書類を広げて書き始めた。
次にエイラに確認した。「基盤炉の運用手順への反映は、どのタイミングでできますか」
「今日中に入れられます。流用禁止タグの設定は既にあるので、それを恒久分類の定義と紐づける作業です。マニュアルへの追記は私が担当します」
「帰還用安全余裕の監視ラインも、今日の設定を正式な監視項目として登録してください。毎日の確認項目に入れます」
「了解しました」とエイラは言い、コンソールを開いた。
もう一点——召喚受け入れ枠の非実行化だ。帰還処理中はサンドボックス化して対処していたが、今後は恒常的な非実行状態として設定し直す必要がある。
「マルファスさんに頼む必要があります」
「昨日から外部座標応答ログの解析に入っていると思います」とエイラが言った。「午後なら時間が取れるはずです」
「午後に確認します」
昼過ぎ、リゼットが帰還準備室へ向かった。
そこには今、カテゴリーB以降の帰還を待っている召喚者が数名いた。ユウトが帰ってから一日が経っている。空いた部屋に、それぞれがばらばらに座っていた。
リゼットが入ってくると、みんな顔を向けた。
「今日、お話ししたいことがあって来ました」
誰も何も言わなかったが、話を聞く体勢になっていた。リゼットは部屋の中央に立って、ゆっくり話した。
「昨日、帰還成功の記録が制度上の文書として登録されました。召喚再開の凍結命令も受理されました。空き容量を召喚枠として再利用しないための定義も、今日中に公文書化されます」
一人が言った。「次は俺たちですか」
「次の帰還準備は、それぞれのカテゴリーに応じて個別に設計します。一号と同じ手順では進められない場合があります。ただし、一号で使った手順書——チェックリスト、切り戻し条件、本人同意の記録方法——これは全員に適用します」
「本人同意が最上位条件というのは、変わらないんですね」
「変わりません。帰る気があるかどうか、帰りたい場合はいつかを、それぞれから確認します。帰らないという選択も、その記録を取ります」
別の一人が「帰りたくない人は帰らなくていいんですか」と聞いた。
「帰らないことを選べます。それも本人の意思として記録します。ここにいることを選ぶなら、その人が何を必要としているかを確認していきます」
室内が少し静かになった。誰かが小さく息を吐いた。長い息だった。ずっと息を止めていたような、そういう音だった。
午後の早い時間、カズヤが監視室に来た。
入り口に立って「少しいいですか」と言った。修司が頷くと、入ってきて椅子に座った。向かいに修司が座るまで黙っていた。
「定義書ができたと聞きました」
「空き枠再利用禁止の定義書です。今日公文書化します」
「それが通れば、空いた席に次の誰かを座らせられなくなる」
「恒久化するには追加の手続きが要ります。今日は暫定ですが、記録が積み上がれば強くなります」
カズヤは少し間を置いた。膝の上に手を置いて、修司を見ていた。
「俺の帰還は、まだ時間がかかります」と彼は言った。
「接続が深い。カテゴリーDの手順は一号とは全然違う。それは分かっています」
「分かっています」
「自分が最後になってもいいです。他の人が全員帰るまで、俺がここにいてもいい」
「……それはあなたが決めることです」
「決めています」とカズヤは言った。短く、迷いがない声だった。
「自分が残ることが問題なんじゃない。自分の席が空いたとき、そこに次の誰かが座らされることが嫌なんです。それだけは、絶対に嫌です」
修司は何も言わなかった。
「だから、今日の定義書ができることは、俺にとっても関係のある話です。俺が最後に帰るときに、空いた席が安全余裕として守られている。その状態にしておく必要がある」
「そうなるよう動いています」
「……分かりました」とカズヤは言い、立ち上がった。扉に向かいながら、少しだけ振り返った。
「ユウトのことを、ちゃんと帰せたので。よかったと思っています」
それだけ言って出て行った。
午後、マルファスが召喚受け入れ枠の非実行化作業に来た。
帰還本番中のサンドボックス化では「実行フラグを読み取り専用にする」という一時処置を取った。今回は、それを恒常的な設定として入れ直す作業だ。
「今日でもできるが、サンドボックス化との違いを確認してくれ」
とマルファスは言った。コンソールの前に座りながら。
「サンドボックス化は帰還処理の間だけ有効にした暫定設定だ。今回は帰還監査が完了するまでの期間を対象とした恒常設定になる。技術的には同じ操作だが、有効期間の設定が違う」
「帰還監査完了後の扱いはどうなりますか」
「監査が終わったら、改めて設定を見直す必要がある。自動的に解除はしない設定にしておくのが安全だ」
「そうしてください。解除には監査チームの承認を必要とする条件を入れてもらえますか」
「入れられる」とマルファスは言い、作業を始めた。
エイラが監視ラインを確認している。セルアスが公文書の最終版を仕上げている。修司は全体の状態を確認しながら、必要な修正が出たら各自に伝える役割に徹した。
午後の半ばに、三つの作業が同時に完了した。
召喚受け入れ枠の非実行化。帰還用安全余裕の恒久分類格上げ(暫定)。基盤炉運用手順への反映。
修司はそれぞれの完了を確認してメモした。
〔召喚受け入れ枠:恒常的非実行設定へ移行。解除には監査チーム承認が必要〕
〔帰還用安全余裕:恒久分類へ暫定格上げ。上位承認取得は継続対応〕
〔基盤炉運用手順:空き枠再利用禁止の定義を正式監視項目として反映〕
夕方、王宮から短い文書が届いた。
セルアスが確認して修司に見せた。内容は「帰還監査期間中の暫定措置として空き枠の再利用制限を認める。ただし、召喚補充計画そのものの廃止または変更については、監査完了後に改めて協議する」というものだった。
「完全な折れ方ではないですね」とセルアスが言った。
「監査完了後に改めて、という留保が入っています」
「入っていていいです」と修司は言った。
「監査が完了するまでの間は止められる。その間に次の帰還を進めます。帰還が積み上がれば、一例ではなくなる」
「一例ではなくなれば、協議の前提が変わる」
「そうです」
セルアスが少し間を置いた。
「マナベ殿。今日の定義書と、召喚受け入れ枠の非実行化と、運用手順への反映が揃いました。これで、空いた席に次の誰かを座らせる仕組みを、当面の間は止められます」
「当面の間は、ですね」
「当面の間は。それを積み上げていくのが今後の仕事です」
修司は頷いた。
夕方遅く、修司はエイラに確認した。
「基盤炉の状態はどうですか」
「安定しています。帰還処理後の余力が、今は三つの分類に整理されて管理されています。流用禁止タグも有効です。召喚系の自動タスクは、監査記録の中では全部保留中か非実行になっています」
「旧テンプレートの復帰試行は」
「今日は来ていません」
「明日以降も確認を続けてください」
「続けます」
エイラが画面を確認してから言った。
「修司さん。今日で一区切りという感じがしますが、次はどこへ向かいますか」
「カテゴリーBの帰還準備です。一号の手順書をベースに、それぞれの接続深度に合わせた個別設計が必要になります」
「カズヤさんは最後になりますか」
「接続の状態から見れば、そうなる可能性が高い。ただし、本人は最後でもいいと言っています」
「……そうですか」とエイラは言い、少し間を置いた。
「彼らしいですね」
修司は答えなかった。それだけで伝わるものがあった。
夜、修司は接続削減予定表を再確認した。
前日に見つけた件——修司自身の魂IDの接続先ノードが空欄になっている——をもう一度確認した。
空欄だった。変わっていない。
他の召喚者は全員、接続先ノードが記録されている。修司だけ空欄だ。帰還候補リストには名前があり、魂IDがある。ただし、接続先がどこにも書かれていない。
今日はマルファスが外部座標応答ログの解析に入っていた。作業が終わっていれば何か分かるかもしれない。明日確認する、と昨日に決めていた。
廊下に出ると、ちょうど向こうからマルファスが歩いてきた。
マルファスは修司を見て、少し足を止めた。それから近づいてきた。
「少し話せるか」
「どうぞ」
マルファスが廊下の端へ移動した。周囲に誰もいないことを確認してから、修司の方を向いた。
「外部座標応答ログを今日一日かけて解析した。ユウトの帰還先座標補正、未知の補正値の出所、応答パケットの構造。全部見た」
「何か分かりましたか」
「ほとんどは予想の範囲だった」とマルファスは言った。
「一つだけ、予想の範囲外があった」
少し間があった。
「マナベ殿」
マルファスが、普段の技術的な報告とは違う声のトーンで言った。静かで、少し重かった。
「……あなたの魂IDだけ、帰還側ではなく、この世界の基盤側に登録されています。召喚者の接続先として記録されているのではなく——管理者未満の保守権限として、基盤炉の深層ノードに紐づいています」
修司は少し間を置いてから言った。
「保守権限、として」
「ああ。召喚者としてではなく、何らかの管理系統の一部として登録されている。誰がそうしたのか、いつそうなったのかは、まだ分からない。ただ、お前が帰還候補リストから接続先ノードを持たないまま外れている理由は、これかもしれない」
廊下が静かだった。
修司はその一言の意味を整理した。召喚者として来ているが、帰還先の記録を持たない。かわりに、この世界の基盤炉の管理系統に一部として登録されている。
「これを、他の人に話しましたか」
「お前にだけ言った」
「ありがとうございます。もう少し調べてから、判断します」
マルファスが頷いた。
「続きが必要なら協力する」
それだけ言って、歩いていった。
修司は監視室に戻って、椅子に座った。
コンソールの画面には、今日設定した空き枠再利用禁止の監視ラインが出ている。三つの分類に整理された空き容量が、それぞれの分類ラベルのもとで管理されている。召喚受け入れ枠は非実行状態だ。旧テンプレートは凍結中だ。
帰還が成功した。空いた席は今日から、誰かで補充される枠ではなく、安全余裕として守られる記録になった。
ただし、修司自身の帰還先はまだ、どこにも記録されていない。
修司はメモを一枚取り出した。マルファスから聞いたことを書いた。事実だけを書いた。感情は書かなかった。
〔修司の魂ID:帰還側の接続先ノードが空欄。基盤炉深層ノードに管理者未満の保守権限として登録されている——マルファス解析による。根拠・経緯は未確認〕
書き終えてから、閉じた。
今日の仕事は終わりだ。
明日は、カテゴリーBの帰還準備を始める。その前に、この件をもう少し調べる必要がある。
コンソールの警告色は黄色のままだった。赤には向かっていない。基盤炉は安定している。空いた席は守られている。
そこまでは確かだった。




