表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第6章:帰還手順リリース監査編
PR
73/111

第73話 帰還成功報告書

 昨日の帰還処理が終わってから、修司は一度も監視室を離れなかった。

 片付けるべきことが二つあった。一つは報告書の統合、もう一つは凍結命令の根拠固めだ。どちらも、今日の朝までに形にしておく必要があった。


 コンソールの前で、ログを並べていく。

 帰還前チェックリストの全項目完了記録。本人同意の署名書類——リゼットがユウトの言葉を書き留めた一枚。切り戻し手順の動作確認記録。帰還処理中のセッション正常終了コード。外部座標から届いた到達確認パケット。基盤炉の安定値。旧テンプレートの復帰試行ログ——これは反対側の証拠だが、報告書に含める必要がある。


 七つの記録が、一つの結論を指している。

 修司は報告書の表題を書いた。


〔帰還工程実行報告書・第一号:技術ログ、本人同意、安全余裕確保、外部座標応答の統合記録〕


 書き終えてから、もう一枚を取り出した。凍結命令の根拠文書だ。こちらはセルアスが起草する。修司は、その草案に入れるべき事実の一覧を整理した。

 朝の早い時間にセルアスが来た。


 廊下から入ってくるなり、修司の机の上の紙の量を見て一瞬だけ目を細めた。それから椅子を引いて座り、持ってきた書類をテーブルに出した。


「昨日から徹夜ですか、マナベ殿」


「報告書の統合を優先しました。今日中に出す必要があります」


「同意します。王宮側は昨夜のうちに動いています」


 修司が顔を向けた。


「どう動いていますか」


「帰還処理中の基盤炉負荷変動を、異常事態として記録しようとしているようです。魔導院から魔導省への内部文書が出ています。内容は帰還処理が基盤炉に過負荷をかけたというものです。もしこの文書が先に登録されれば、帰還成功ではなく『危険な処理だった』という記録が先に立ちます」


「私たちの報告書の方が先に出れば」


「先に登録された記録が基準になります。帰還処理中の負荷変動については、私たちの報告書ではエイラさんの監視記録を根拠に、定常値内での変動だったと明示できます。先手を取る必要があります」


「これを使ってください」


 修司は手元の統合報告書を渡した。

 セルアスが受け取り、素早く読んだ。眼鏡の奥の目が、ページをめくるたびに少し動いた。最後まで読んで、一度戻ってから顔を上げた。


「本人同意記録が一番目に来ていますね」


「最上位条件だからです。帰還が成功した技術的な根拠より前に、本人の意思があったという記録を置きました」


「……そうすることに意味があると思いますか」


「あります。旧制度では本人同意がどこにも記録されていなかった。今回、それが工程の最上位にある記録として残れば、次の帰還でも同じことを求める根拠になります」


 セルアスが少し間を置いてから「了解しました」と言い、書類に向き直った。


「召喚再開凍結命令は、この報告書と同時に提出します。二つをセットにすることで、帰還成功の事実と、召喚再開の停止が同じ根拠に基づくことを示します」


「できますか、今日中に」


「やります」


 午前中、オルフェが監視室を訪ねてきた。

 今日は用件を持って来た、という顔だった。入口で修司を見て、短く会釈してから中に入った。


「昨日の帰還処理の結果を聞きました」とオルフェは言った。


「成功した、と」


「ログ上は正常終了を示しています」


「それで十分です」


 オルフェは少しの間、手を組んで机の前に立っていた。それから口を開いた。


「私から申し出たいことがあります。承認局のテンプレートの改訂を、正式に上層部へ申請します。今の合議フローの問題点を明示した上で、全体影響確認の欄を追加する改訂案を出します」


「以前も話してくれましたね。上層部が通すかどうかは分からないと」


「通らなくても構いません。申請したという記録が残ります。帰還成功の記録と同じように、改訂を求めた記録も残す必要があると考えています。今の運用で問題があると認識した実務担当者が、記録として申請を残すことで、将来誰かが同じ問題を調べたときに手がかりになる」


 修司はオルフェを見た。最初に会ったときとは、立ち方が違う。背筋が少し伸びている。


「申請書が完成したら、帰還監査の関連文書として添付させてください。承認局内の申請と、監査記録の両方に入れます」


「そうしてください」とオルフェは言った。


「私が通した書類が起点になっていたことは、変えられない事実です。ただ、その後でできることをします」


 昼前、聖女が来た。

 セルアスから連絡が行っていたようだった。今日、帰還成功報告書を提出する際に、神殿側の儀礼文書との関係について証言をもらえるかどうか確認したいという内容だ。聖女は「行きます」と返事をしてきたらしい。


 修司が椅子を示すと、聖女は腰を下ろして修司を見た。


「今日の証言で、何を話せばいいですか」


「一点だけです。今回の帰還処理では、神殿の帰還儀礼マニュアルではなく、帰還工程実行手順書を優先して使いました。その手順書には本人同意が最上位条件として入っています。神殿の儀礼文書には、本人同意の欄がない。これを神殿関係者として確認してもらえますか」


「できます」


「神殿儀礼の否定ではなく、本人同意記録が工程条件として機能したという事実の確認です」


「分かっています」と聖女は言った。


「本人の意思が最上位にある手順で帰還が行われたことを、私は確認していました。それを証言します。神殿の儀礼が間違っていたとは言いません。ただ、帰還という工程においては、本人の意思の確認が先にあるべきだという考えを持っています、と言います」


「十分です」


 聖女が少し間を置いた。


「ユウトさん、帰れましたね」


「ログ上は正常終了を示しています」と修司は答えた。


「それで十分です」


 聖女が静かに笑った。修司はそれを見て、何も言わなかった。

 午後、セルアスが報告書と凍結命令を持って王宮の書類受付へ向かった。


 修司は監視室で待機した。書類を持って行くのはセルアスの仕事で、修司がついていっても余計な存在感を出すだけだ。

 一時間後、セルアスが戻ってきた。表情は変わっていなかったが、歩き方に疲れが出ている。


「提出しました」


「受理されましたか」


「受理されました。ただし」とセルアスが椅子に座りながら言った。


「窓口の担当官が受け取ってから、上席に回す前に一度留め置こうとしました。今日中には処理できないかもしれない、という言い方をしてきました」


「今日中に処理されなかった場合は」


「明日、改めて確認に行きます。受理の記録は取りました。留め置きの事実も、今日の日時とともに記録しています。処理が遅れるほど、受理後に何日間、何の理由で留め置かれたかという記録が積み上がります」


「了解です」


 修司はメモに書いた。


「留め置きの日時と担当官名を記録に入れてください」


「もう入れました」とセルアスは言い、自分のメモを修司に見せた。既に書いてある。修司は頷いた。


 夕方、王宮保守派の窓口として知られている一人の高官が、監視室に来た。

 名前は出さなかったが、肩書は「王宮内府府参事」だった。五十代後半で、落ち着いた話し方をする人物だ。怒鳴らない。圧力を言葉でかけてくる。


「帰還成功報告書を受け取ったとの報告を受けました」と彼は言った。


「確認したいのですが、今回の処理は一例です。一例をもって制度を変えることは難しい、という点はご理解いただいていますか」


「記録として提出しました。制度変更を要求しているのではなく、今回の処理の経緯と結果を記録したものです」


「同時に召喚再開凍結の命令も出ていますね」


「帰還監査が完了するまでの暫定凍結です。帰還監査が終わればその後の運用は改めて協議できます」


「召喚補充計画は、王国の防衛上の必要から生まれたものです。一時的な帰還成功例が一件あったからといって、それを廃止する根拠にはなりません」


「廃止を求めていません」と修司は言った。


「召喚再開準備が、帰還処理中に帰還用安全余裕へ割り込もうとした記録が残っています。帰還と召喚再開が同じリソースを奪い合う状態では、今後の帰還処理も同じ問題が起きます。その問題を整理するための期間として、凍結を求めています」


「整理にはどれほどかかりますか」


「帰還監査の完了に必要な期間です。現在進行中のカテゴリーB以降の帰還準備が一通り終わり、安全余裕の定義が恒久的に確定したあとで、召喚再開の要否を改めて協議するという形になります」


「……カテゴリーB以降、というのはいつ頃の話ですか」


「確定した予定はまだありません。ただし、一号の成功記録があれば、次の準備は進めやすくなります」


 高官が少し間を置いた。


「一号が成功したという前提で話が進むことについては、私どもも確認が必要です。波形が消失したという記録があります」


「波形消失の後に外部座標から到達確認が来ています。セッション終了コードは正常終了を示しています。この三点が揃っている状態で失敗と判断する根拠はどこにありますか」


「古来より、波形の消失は失敗の兆候とされています」


「その根拠となった記録を確認したいです。古来の帰還事例で、波形消失後に外部座標応答を確認した例があるかどうか。記録が残っていれば比較できます」


「……残っているかどうかは確認が必要です」


「確認してください。記録があれば参照します。記録がなければ、今回が初めて正常終了のログを確認した事例になります」


 高官がしばらく修司を見ていた。何かを探っている目だった。修司は目を逸らさなかった。


「一例だけでは制度は変わらない、という点はどうお考えですか」


「一例が記録になることで、次の一例が作りやすくなります。次の一例が増えれば、一例ではなくなります。記録を積み上げることが今の仕事です」


 高官は頷かなかったが、それ以上の反論も出なかった。「承りました」と言い、立ち上がった。

 出る前に、少しだけ立ち止まった。


「一つだけ申し上げると……私は帰還が失敗してほしいと思っているわけではありません。ただ、王国のあり方をどう変えていくかについては、慎重でなければならない立場です」


「それは理解しています」と修司は言った。


「慎重であることと、記録を止めることは別です」


 高官は黙って出て行った。

 夜、セルアスから短い連絡が来た。


「報告書、処理が進みました。帰還成功として登録されています。召喚再開凍結命令も、帰還監査期間中の暫定措置として受理されました」


 修司はそれを読んで、メモに書いた。


〔帰還工程実行報告書・第一号:制度上の記録として登録完了〕

〔召喚関連全タスク:帰還監査完了まで再開不可として凍結命令受理〕


 制度上の記録になった。

 揉み消されなかった。


 それで今日の仕事は終わりだ、と思ってから、もう一つ確認したいことがあることを思い出した。

 カズヤの接続削減予定表だ。帰還準備室で管理している書類の中に入っているはずだった。カズヤはカテゴリーDで、接続が深い。帰還の手順は一号とは別に設計する必要がある。その予定表を今夜確認しておく必要があった。


 修司が帰還準備室の書類棚を開いたのは、夜も深くなってからだった。

 召喚者の接続状態の一覧が入っているファイルを取り出し、カズヤの項目を開いた。接続深度、供給リンクの段階遮断に要する予想期間、生命維持補助の代替必要量、今後の削減スケジュール。


 削減スケジュールの欄に、参照する魂IDのリストがあった。

 修司はそれを確認した。


 他の召喚者の接続削減予定と同様に、接続先の基盤炉ノードのIDが並んでいる。それぞれに、どの召喚者の魂IDが接続されているかが記載されている。

 修司は自分の魂IDを参照したことがある。帰還前チェックリストを作る前に、召喚者台帳を確認した際に見た。


 リストを一件ずつ確認した。

 カズヤ。接続先ノードのリスト。他の召喚者と同じ形式で記録されている。


 修司は自分の魂IDを探した。

 なかった。


 台帳に登録されている全ての召喚者の魂IDはリストに参照されている。ただし、修司自身のIDだけが、参照先のどのノードにも現れていない。

 接続削減の計画において、修司の接続は対象になっていない。


 なっていないのではなく——そもそも記録されていない。

 修司は台帳を最初から読み返した。召喚者の一覧。カテゴリーA、B、C、D、E。それぞれの名前と魂ID。修司の名前はある。IDの欄もある。


 ただし、そのIDに紐づく接続先ノードの欄が、空欄だった。

 全員、接続先ノードが記録されている。修司だけ、空欄だった。


〔確認事項:カズヤの接続削減予定表に修司自身の魂IDが参照されていない。台帳上、接続先ノードの欄が空欄——他の召喚者と異なる記録形式〕


 修司は台帳を閉じた。開いたまま置かず、きちんと閉じて棚に戻した。

 今夜はここまでだ。


 この問題は明日、マルファスかエイラに確認する。帰還監査の記録に関わる問題として、正式に調べる必要がある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ