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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第6章:帰還手順リリース監査編
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第65話 上書きされる流用禁止タグ

 朝、修司が最初に確認したのは、昨夜の上書き要求が保留のまま残っているかどうかだった。

 コンソールを開く。保留中の通知が一件、まだそこにあった。


〔処理要求待機中:王宮魔導院 防衛予備権限による緊急割り当て 対象:帰還用安全余裕リソースID〕


 昨夜セルアスが起草した流用禁止の公文書は、今朝の早い時間に承認が入った。暫定フラグが公文書で補強された。これで魔導院側は即座に上書きできない状態になっている——はずだった。

 エイラが監視室に入ってきた。


「修司さん。今朝また来ています」


「上書き要求ですか」


「昨夜のとは別に、もう一件。内容が少し変わっています」


 エイラが画面を切り替えた。新しい要求の種別欄に、昨夜とは違う名称が入っていた。


〔処理要求:国家防衛緊急対応権限 優先度:A1 根拠:魔導院省令第十七条〕


「省令名目に変えてきた」


「昨夜の防衛予備権限とは別の根拠を出してきています。どちらも、公文書の流用禁止に対する上書きを要求しています」


 修司は二つの要求を並べて見た。名称は違うが、対象のリソースIDは同じだ。


「発信元は同じですか」


「発信元は両方とも魔導院の管理系統から来ています。ただ、処理経路が違う。昨夜は管理システム経由、今朝は省令適用の行政経路を使っています」


 修司はメモに書いた。


〔上書き要求:二種類の権限根拠を使い分けている——管理系統と行政経路〕


「エイラさん、今日の午前中、この二件を保留のまま維持できますか」


「技術的には保留できます。ただし、行政経路の要求については私の権限では止めきれない可能性がある。セルアスさんに動いてもらう必要があります」


「分かりました。セルアスさんはもう来ていますか」


「ちょうど廊下にいます」


 セルアスを呼んで、三人で確認した。

 セルアスは二件の要求を読んでから眼鏡を直した。


「省令第十七条は、魔導院が国家防衛のために行政処理を優先執行できる条文です。ただし、使用条件が限定されています。発動には、現在進行形の防衛上の脅威が確認されている必要がある」


「今、その条件を満たしていますか」


「帰還監査中の今の状況がそれに当たるかどうかは、解釈の問題です。魔導院は『勇者補充の遅延は防衛上の脅威になりうる』という論理で使ってくる可能性がある」


「それに対する反論は」


「『現在の前線結界は安定しており、防衛上の緊急事態は発生していない』という事実証言があれば、省令発動の条件を満たさないとして行政審査で異議を申し立てられます。ダリル司令の書面は昨日取得済みですが、今日の状況でもう一度確認が取れれば強化できます」


「追加照会をかけてください」


「はい」


 セルアスが通信書類を取り出した。


「もう一点。権限継承の根拠を今日中に確認したい。昨夜、防衛・勇者補充・召喚受け入れが同一承認階層にある可能性を話しましたが、それを文書で押さえれば、省令の乱用として照会できます」


「それを私が確認します」


 修司は自分の担当を分けた。セルアスが行政経路、修司が権限継承の技術的確認。エイラが基盤炉側の監視維持。

 修司は上書き要求の権限コードを逆引きする作業に入った。


 権限コードは一見、独立した番号のように見える。ただし、承認システムには階層構造がある。どのコードが、どのコードを参照して動いているかを辿ることができる。

 魔導院の管理系統から出てきた権限コードを開いた。


 親ノードの参照先は「防衛予備管理権限・第三階層」だった。そこを辿る。第三階層の親ノードを展開すると、さらに一段上に「国家安全基盤権限」という大括りのノードがある。

 そのノードの子要素を全部展開した。


 修司は少しの間、画面を見た。

 子要素に並んでいるのは三系統だった。


 一つ目、防衛補強権限。二つ目、勇者補充管理権限。三つ目、召喚受け入れ準備権限。

 三つが同じ親ノードの下にある。


「……やっぱり同じ親か」


 修司はその構造をメモに書き落とした。


〔国家安全基盤権限(親):防衛補強・勇者補充管理・召喚受け入れ準備の三系統を子として持つ〕


 これが意味することは単純だ。防衛予備権限を発動すると、同じ親ノードを通じて勇者補充管理権限も有効化される。召喚受け入れ準備権限も同様だ。

 「防衛目的です」と言いながら、実際には召喚準備の権限も一緒に通せる構造になっている。現仕様上、三つは別物として区別されていない。


 意図して作られた構造かどうかは分からない。ただし、現在この構造が「防衛名目で召喚準備を通す」ために使われているのは事実だ。

 修司はセルアスへのメモを書いた。


〔権限構造確認:「国家安全基盤権限」の子に防衛・補充・召喚受け入れが並列。防衛権限発動で補充・召喚系も同時有効化される現仕様〕


 午前の遅い時間、魔導院から使者が来た。

 ガルドが監視室の手前の廊下で止めた。使者は三十代と見える男で、魔導院の白い上着を着ている。肩書は「魔導院行政監察補佐」とのことだった。


「帰還監査担当の方にお取り次ぎ願います。魔導院管理者から直接、御用があります」


「面会は申請ベースです」とガルドが言った。「今日の帰還監査の予定を確認してからご連絡します」


「急ぎの用件です」


「急ぎでも手順は変わりません」


 使者は少し言い返そうとしたが、ガルドの立ち位置が廊下を自然に塞いでいた。物理的に正面から入れない形だ。使者は一歩退いた。


「……では、いつ取り次いでいただけますか」


「午後の二時以降で調整します」


 使者が引いていくのを確認してから、ガルドは修司に短く報告した。「魔導院から来ました。午後に面会の設定をしましたが、来てほしくなければ断る形にもできます」


「来てもらいます。記録を取りたいので」


「了解しました」


 午前中、ダリルからセルアスへの返信が届いた。

 今回は短かった。


「本日時点で前線に防衛上の緊急事態はない。召喚補充より現在の結界安定を優先する。新規召喚が防衛名目で処理されるなら、その名目を使っている者は前線の実情を知らない。前線の軍務部として、防衛予備権限の召喚転用に反対する意見書を提出する。——東部方面軍ダリル司令」


 意見書という言葉が入っていた。

 セルアスがその書面を読んでから、修司に見せた。


「意見書として提出するということは、軍務部の名義で行政に異議申し立てができます。これを根拠に、防衛予備権限の召喚転用を一時停止させる申請を今日出せます」


「出してください」


「ただし、承認局を通す必要がある。今日中に処理できるかは分かりません」


「記録に残る形で出すことが重要です。時間がかかっても、申請があったという事実を積み上げる」


「分かりました」


 セルアスが書類の準備を始めた。

 午後二時、魔導院の使者ではなく、管理者本人が来た。


 五十代の男で、名前はリオート・ガルンという。王宮魔導院の技術管理部門の長だ。修司は初めて顔を見た。派手な装飾はないが、服の質が良い。声が低く、落ち着いている。

 会議室に通して、修司とセルアスが対応した。ガルドが入口に立った。


「帰還監査の方々にお伝えしたいことがあって参りました」


 リオートは座ってから言った。急いでいる様子はなかった。


「昨日、貴監査チームが帰還用安全余裕に流用禁止の処置を施したことは把握しています。私どもは、その処置に対して防衛予備権限に基づく上書きを申請しました。理由を説明させてください」


「どうぞ」


「王国は現在、魔導基盤の移行作業中です。この不安定期に、魔力余裕を凍結することは、防衛上のリスクになります。帰還処理のためだけに容量を確保し続けることは、国家安全の観点から見れば非効率です。私どもは帰還を妨害したいわけではない。ただ、資源の有効活用として申請を出しています」


「有効活用する先は何ですか」


「防衛予備です」


「防衛予備として、具体的にどこへ割り当てますか」


 リオートが少し間を置いた。


「それは、状況に応じて優先度の高い箇所へ充当します」


「防衛予備権限の承認階層を確認しました」と修司は言った。「その階層には、防衛補強権限と同列に、勇者補充管理権限と召喚受け入れ準備権限が入っています。防衛予備権限を発動すると、同じ親ノードを通じてこの二系統も有効化される現仕様です」


 リオートの顔が、わずかに変わった。


「……それは、権限構造上の問題であって、実際にどう使うかは私どもの判断です」


「現仕様上は分離されていません」


「分離されていなくても、使用目的は防衛です」


「現状の前線について確認します。本日、東部方面軍のダリル司令から書面が届きました。防衛上の緊急事態は現在ない、新規召喚補充より現在の結界安定を優先する、防衛予備権限の召喚転用に反対する、という内容の意見書です。防衛上の緊急事態が確認されない場合、省令第十七条の発動条件を満たしません」


 リオートが少し腕を組んだ。


「前線の判断が全てではありません」


「防衛予備権限は前線の安全のための権限です。その権限について、前線の軍務部が反対意見を出している」


「王都の安全も防衛の一部です」


「王都の安全に対する現在の脅威を教えてください。基盤炉の監視ログには防衛上の緊急警告は出ていません」


 リオートが静かに言った。


「マナベ検査官。あなたは地方監査の立場です。国家防衛権限について、その資格があるかどうかを問います」


「私の権限は帰還監査です。帰還用安全余裕に対する流用禁止は、帰還監査の範囲内で行いました。その処置に対して国家防衛権限で上書きを試みるなら、その権限行使が帰還監査の妨害になるかどうかを確認する権限は、帰還監査側にあります」


「……言葉遊びです」


「現仕様の確認です。権限継承の構造は記録に残っています。防衛目的と主張しながら、召喚系の権限が同時に有効化される承認構造を使っている。その記録は今日の監査文書に含まれます」


 室内が静かになった。

 リオートは修司を見ていた。怒っているというより、値踏みしている目だった。


「……セルアス文官。軍務部の意見書は正式提出しますか」


「本日中に提出します」とセルアスが静かに言った。「防衛予備権限の召喚転用を一時停止する申請として」


「承知しました」


 リオートは立ち上がった。特に声を荒げなかった。


「ただし、一つだけ言わせてください。私どもは王国の安定を守るために仕事をしています。帰還は実行してほしい。その上で、帰還後に生まれる余裕を適切に運用することも必要です。そのための権限行使です。帰還を妨害する意図はない」


「その主張は記録します」と修司は言った。「帰還後の余裕をどう使うかについては、帰還が完了して安全が確認されてから、改めて協議できます。今は帰還のための余裕を守ることが優先です」


「……いつ帰還の予定ですか」


「まだ確定していません。今日も確認すべきことがあります」


 リオートが頷いた。会釈をして、出て行った。

 ガルドが扉を閉めた。


 廊下に出たリオートの後ろ姿が見えなくなってから、セルアスが静かに言った。


「彼は本気で防衛を考えているんだと思います」


「そうですね」と修司は答えた。「だから厄介なんです。悪意じゃない。技術的に正しいと思ってやっている」


「空き容量を使うのは正しい、という発想は理解できる」


「できます。ただし、使う先が帰還を妨げると分かれば話は変わる。そこを見ていないのが問題です」


 夕方、セルアスが軍務部への申請を提出した。

 ダリルの意見書を添付し、防衛予備権限の召喚転用を一時停止するよう求める内容だった。宛先は軍務部長官名義だ。処理には数日かかる可能性があるが、申請が記録に入った。


 修司はそれを確認してから、今日の権限継承調査の結果をまとめた。


〔確認済み:「国家安全基盤権限」ノード配下に防衛補強・勇者補充管理・召喚受け入れ準備が並列。防衛権限発動で召喚系が同時有効化。承認構造上、三系統を分離する機構は現在存在しない〕


〔本日の応急対応:軍務部名義で防衛予備権限の召喚転用一時停止申請を提出。承認局保留中〕


〔次に確認すること:召喚再開予約の最終承認者欄〕


 最後の一項目を書いてから、修司は少し考えた。

 今日、リオートと話した中で一つ気になったことがある。


 リオートは「防衛予備権限を使っている」と言った。しかし、昨夜の上書き要求は自動で来た。タグを付けてから三十秒だった。人間がそこまで速く対応できる時間ではない。

 自動トリガーが組まれているのは分かっていた。だが、問題はそのトリガーが誰の指示で動いているかではなく、「誰の指示も必要なく動いている」可能性だ。


 修司はオルフェに確認を取ったことを思い出した。以前見た承認局の旧テンプレートは、有効期限なしで登録されていた。

 召喚再開予約の最終承認者欄に、誰かの名前があるのか。それとも——自動合議の処理フローとして組まれていて、特定の誰かが命じなくても条件が揃えば進む仕組みになっているのか。


 エイラが修司の手元を覗いた。


「次は最終承認者欄の確認ですか」


「はい。今日の権限継承調査で、承認の親ノードが一つだと分かった。その上で、誰が最終決定者なのかを確認します」


「誰かの名前が出ると思いますか」


「出ないかもしれません」


 エイラが黙った。


「承認者が一人いれば、その人を特定できる。でも、誰もいなくて——複数の部署が条件を揃えると自動的に処理が進む仕組みなら、止める相手が存在しないことになります」


「……それは」


「その場合、個人ではなく承認フロー全体を止める必要がある。今日止めた防衛予備権限の転用は、その一部を塞いだことになります」


「全部塞ぐにはどれだけ時間がかかりますか」


 修司は少し間を置いた。


「分かりません。でも、今日分かったことがあります。この権限構造は、一人の悪意で動いているんじゃない。複数の部署が、それぞれ自分の通常業務をしているだけで、全体として召喚再開に向かっていく仕組みになっている」


「だから止める相手が見つからない」


「見つかりにくい、という方が正確です。今日、軍務部への申請が入った。これで防衛経路の一本は塞いだ。承認テンプレートは、先に一時差し止めを申請した。神殿の資材搬入は、ガルドさんが記録体制を取った。ひとつひとつは細いけれど、繋がっている」


 エイラが静かに頷いた。

 夜、セルアスが帰り際に修司に言った。


「今日、一つ確認が取れました。召喚再開予約の最終承認者欄の件です。オルフェさんを通じて承認局のテンプレートを改めて確認したところ——」


「どうでしたか」


「最終承認者の欄が、一人の名前ではなく、承認部署のリストになっていました。王宮魔導院、大神殿管理局、王宮承認局、軍務部の四部署が、それぞれの承認フラグを立てると自動的に処理が進む合議フローです」


 修司は少し間を置いた。


「……黒塗りじゃなかった」


「黒塗りではありませんでした。ただ、一人の名前もなかった」


「誰も命じていないのに、全員が自分の仕事をすると動いてしまう仕組み」


「その通りです。今日時点で、四部署のうち軍務部のフラグは申請処理中で保留状態に入っています。ただし、他の三部署——魔導院、大神殿、承認局のフラグは、現在もアクティブです」


 修司はメモに書いた。


〔召喚再開予約・最終承認フロー:四部署自動合議。軍務部は保留中。魔導院・大神殿・承認局は現在アクティブ〕


「三つが残っている」


「残っています。次の優先度はどこになりますか」


「魔導院の権限継承は今日塞いだ。大神殿は神殿経路の問題と繋がっている。承認局はオルフェさんが差し止め申請中です。ただし、それぞれ別の経路から回避しようとする可能性がある」


「バラバラに見えて、一つの合議フローに向かっているわけですね」


「そうです」と修司は言った。


「誰も責任者がいない仕組みを止めるには、責任者を作る必要がある。今は、各フラグを一つずつ保留に追い込みながら、全体を誰が管理するかを問い直す方向になります」


 セルアスが静かに頷いた。


「では、次は各フラグの全体像を整理することが次の課題ですね」


「そうしましょう」

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