第62話 点検と呼ばれた召喚準備
召喚の間の付属倉庫は、大神殿の北側の廊下を突き当たって、右に折れた先にある。
表向きの役割は「召喚陣関連の維持管理資材の保管庫」だ。扉には鍵がかかっているが、神殿職員証があれば開く。修司が神殿区画に入るための手続きを、セルアスが帰還監査の延長として前日に整えておいたため、当日の朝、ガルドと二人で問題なく入ることができた。
倉庫の中には、木箱が六列に積まれていた。
修司は一番手前の箱を開けた。中身は円柱形の石で、表面に細かな文様が刻まれている。触媒石だ。単体では魔力を持たないが、術式と組み合わせると反応の媒介になる。
修司は石を一つ取り出して手に乗せた。重さを確かめながら、隣の箱も開けた。同じ石が、今度は倍の密度で詰まっている。
「……この型番」
修司はガルドを振り返った。「バルトさんに確認したいんですが、この触媒石の刻印、地方炉の予備魔石と同じ型番ではないですか」
「俺には分からんが、確認は取れる」
「お願いします。今すぐじゃなくていい。今日中に」
ガルドが頷いて通信用の魔導具を取り出した。修司は木箱の列を最後まで歩いた。六列全部、同じ型番だ。量は——数えるまでもなく、点検用の必要量を大きく超えている。
修司は倉庫を出て、扉の横に貼られていた搬入記録の用紙を確認した。記録によると、最初の搬入は十二日前。その後、五日前と二日前に追加搬入がある。担当者名の欄に「ミナ・セイル」という名前が三回とも書かれていた。
リゼットが午前中にミナと会う約束を取り付けていた。
場所は神殿区画の外、王都の中層区にある小さな茶屋だ。神殿職員が昼休みに使う店で、リゼットはそこに先に入って待っていた。
ミナ・セイルは約束の時刻ちょうどにやってきた。二十代前半と見える女性で、神殿の下級職員が着る灰色の上着を身につけている。細い目をしていて、疲れた色が滲んでいたが、入口でリゼットを見つけると小さく会釈をした。
「急にお呼び立てしてすみません。私、セルアス文官の補佐をしているリゼット・ハルフェンといいます」
「……ミナ・セイルです。帰還監査について伺いたいということでしたが」
二人は向かいに座った。リゼットは茶を二人分頼んでから、すぐに本題に入らなかった。まず「最近忙しかったですか」と聞いた。
「それは、まあ……少し」
「付属倉庫への搬入が続いていたんですよね」
ミナがわずかに肩を固くした。「はい。召喚陣の定期点検の準備で」
「どんなものを運んでいましたか」
「触媒石と、魔力増幅用の魔石です。先輩から指示書をもらって、そこに書いてある型番と数量を倉庫から出して、付属倉庫に運ぶ仕事です」
「指示書は誰から?」
「神殿資材管理の上の方から来ます。定期的に点検が入るときは、必ずこういう準備作業があります。私は前にも一度やりました。三年前の点検のときに」
「そのときも同じ量でしたか」
ミナが少し考えてから言った。「……今回の方が、多かったと思います。三年前の倍くらい」
「その点についてどなたかに確認しましたか」
「最初は疑問に思って、先輩に聞きました。そうしたら、今回は念入りな点検だからって。それで納得しました」
「召喚に関係があるとは聞いていないですか」
ミナが首を振った。「聞いていません。点検だって言われましたから」
リゼットは静かに茶を一口飲んだ。
「それは本当のことだと思います。あなたは正しく仕事をしていた。ただ、確認したいことがあって来てもらいました。指示書、今日持ってきていますか」
ミナが少し驚いた顔をして、懐から折り畳まれた紙を出した。
午後、修司はマルファスを監視室に呼んだ。
テーブルの上に三枚の紙を広げた。一枚は今日の朝に倉庫で確認した搬入記録の写し、一枚はリゼットがミナから受け取った指示書の写し、もう一枚は修司が基盤炉の監視端末から引き出した召喚陣の過去実行ログの抜粋だ。
「マルファスさん。この三枚を見てほしいんですが」
マルファスは椅子に座り、腕を組んだまま紙を一枚ずつ見た。最初は流し見だったが、ログの抜粋を手に取ったあたりから目の動きが変わった。
「……これ、どこから出した」
「基盤炉の監視ログです。今は引き出せる状態にあります。基盤移行の監査で権限が通っています」
「召喚陣の第四段階から第六段階のログだな」マルファスは紙を卓に戻し、指で特定の行を示した。「これ、点検じゃない」
「そうですか」
「点検なら第一から第三段階で終わる。陣の構造確認と劣化チェックと接続試験、それだけだ。第四段階からは受け入れキャリブレーションで、本番前に初めて使う処理だ。点検には出てこない」
「このログは、点検名目の作業中に記録されたものです」
マルファスが紙から目を離し、修司を見た。「……指示書を見てもいいか」
修司が指示書の写しを渡した。マルファスはそれを読んで、少し間を置いた。
「手順書の何番から何番が、第四段階のキャリブレーションと対応している」
「今それを確認したくてあなたに来てもらいました。点検手順書のどの作業が、召喚陣の実行フローのどのステップに対応しているか。技術的に見てほしい」
マルファスは返事をしなかった。指で机を一度叩いて、立ち上がった。「手順書の原本が要る。写しじゃ細部が分からん。取れるか」
「神殿の資材管理部門に正式照会をかけています。今日中に原本の閲覧申請が通るかどうかはセルアスさんが動いています」
「通らなかったら?」
「写しで判断できる範囲だけ確認してもらいます。断定じゃなくて仮説の段階でいい」
マルファスはしばらく紙を見ていた。
「……言っとくが、俺が見て分かることは、術式の構造と処理の順序だ。誰が意図的にこうしたかとか、神殿側が召喚を狙っているかどうかとか、そういうことは分からん。俺に言えるのは、この手順を踏めば陣がどういう状態になるか、それだけだ」
「それで十分です」
マルファスが修司を見た。また少し間があって「……分かった」と言った。今回は逃げなかった。
午後の遅い時間、ガルドから連絡が入った。
「バルトが確認した。触媒石の型番、地方炉の予備魔石と一致している。北部と東部の炉から先週抜かれた分と同じロットだ」
「倉庫に現物があることも確認できていますか」
「ある。バルトが直接見に行った」
「了解しました。帳簿の記録と現物の照合を書面にしてもらえますか」
「もうやってる。夕方には持ってくる」
修司は通話を切ってから、メモに一行書き加えた。
〔地方炉予備魔石と同型番の触媒石を確認。現物と帳簿の一致。北部・東部炉のロットと同一〕
地方炉から抜かれた資材が、召喚の間の付属倉庫に入っている。点検名目の指示書で動かされた現物が、召喚準備に必要な型番と量で存在している。
三つが揃ってきた。
夕方になって、神殿区画から代理人が来た。
修司とセルアスが監視室で対応した。代理人は五十代の男で、神殿の上位職員が着る白い上着に金の縁取りが入っている。名前は名乗ったが、修司は役職の方を覚えた——神殿資材管理副長という肩書だった。
「帰還監査の名目で、当神殿の職員に接触し、内部資材の記録を引き出したと伺っています。当神殿は、召喚陣の維持管理に関わる業務を独自の管理規程のもとで行っています。外部からの干渉は、聖域の独立性に関わる問題として受け取らざるを得ません」
「私どもは、帰還処理に影響する可能性のある資材の動きを確認しています」とセルアスが答えた。「帰還用バッファと同一の経路を使う可能性のある準備作業は、帰還監査の対象に含まれます」
「点検は点検です。帰還とは無関係です」
「その点について、技術的に確認したいことがあります」
修司が口を開いた。
「付属倉庫に収められている触媒石の量が、点検用の必要量を大きく超えています。型番は地方炉の予備魔石と同一です。また、今日確認したところ、倉庫への搬入が始まった時刻と、召喚の間の内部センサーが起動した時刻が近い。これらが点検業務の範囲であるなら、点検にその量の触媒が必要な理由を教えていただけますか」
副長が少し間を置いた。「……点検の詳細な手順については、神殿の内部規程に従います。外部への開示は管轄外です」
「開示できないということは記録します」
「妨害と見なします」
「妨害ではなく、確認の申請です。申請を断られたことも記録します」
副長が何か言いかけた。セルアスが静かに割り込んだ。
「本日の対応は帰還監査の公式記録に含まれます。副長のご発言も含めて」
副長は視線を修司からセルアスへ移し、また修司へ戻した。それから短く「失礼します」と言って席を立った。
副長が出て行ってから、ガルドが倉庫の前に立った。
召喚の間への搬入路を封鎖する形ではなく、「監査中につき立ち入り記録を求める」という掲示を出す形にした。搬入を物理的に止めることは権限上難しいが、誰が何を持ち込んだかの記録をすべて残す体制を作った。
「これで今夜の追加搬入は来ないと思うか」とガルドが修司に聞いた。
「来るかもしれないです。ただ、来たら記録できる。来なくても、監査を意識して止めたという事実が残る」
「どちらでも証拠になるということか」
「動いても止まっても、記録は積み上がります」
ガルドは短く頷いて、倉庫前の廊下に立った。
夜、マルファスが監視室に戻ってきた。
手元に何枚かのメモを持っている。照合の作業をしていたらしく、インクの染みが指についていた。
「言えることだけ言う」
修司が頷いた。
「指示書の写しに書いてある手順の、第七番から第十二番。あの順序で作業をすると、召喚陣の受け入れ準備フローの一部が起動する。第七番の触媒石の配置手順が、召喚陣の実行前チェックリストの第三ステップと一致している。配置座標が同じだ」
「点検のための配置と、召喚準備の配置が同じ座標になっている」
「座標だけじゃない。配置の順序も同じだ。点検目的なら順序はどこからでもいい。ただ、召喚陣の実行前チェックは順序が決まっている。指示書の第七から第十二は、その順序に従っている」
「つまり」
「点検の手順書として渡されているが、その手順を踏むと、召喚陣が受け入れ準備状態に入る。現場の人間は点検をしているつもりで、陣の受け入れ準備を踏んでいる」
修司はその説明をメモに書き落とした。
「ありがとうございます。これを証言として記録に残していいですか」
マルファスが腕を組んだ。少し間があった。逃げ癖が出そうになっている、と修司は顔を見て分かった。
「……構わん」
短く言った。それだけだった。
「どの形で残しますか。口頭での説明を筆記したものでいいですか」
「それでいい。ただし、俺が言えるのは術式的な構造の話だ。誰がこの手順書を設計したかとか、意図的にそうしたかとかは言えん」
「それで十分です。術式として、この手順は召喚準備フローに繋がっている——それだけ残してもらえれば」
マルファスは椅子に座り直した。メモを手元に置いて、セルアスが持ってきた記録用紙に向かった。
深夜、修司はその日の作業記録を整理した。
確定した事実が三つある。一つ目、付属倉庫の触媒石は点検用の必要量を大きく超えており、地方炉の予備魔石と同型番。二つ目、現場の担当者ミナは「定期点検の準備」としか聞かされていなかった。三つ目、点検手順書の第七番から第十二番を踏むと、召喚陣の受け入れ準備フローが起動する——マルファスの術式評価による。
これで、書類の流れ、資材の実在、現場証言、術式の構造が揃った。
召喚再開準備は、実行シーケンスだけでなく、承認テンプレートと資材徴発と点検手順が三本柱として動いていた。そのどれも、「召喚」という言葉を使わずに進められる。
修司はメモの最後に一行書き加えた。
〔点検手順書・触媒搬入記録・ミナ証言・マルファス術式評価——監査記録として固定〕
扉が軽く叩かれた。リゼットだった。
「今日のミナさんのこと、少しいいですか」
「どうぞ」
リゼットが入ってきて、壁際の椅子に腰を下ろした。
「彼女、最後に一つだけ言っていたことがあって」
「何ですか」
「触媒を運ぶたびに、倉庫の奥の方から低い音がするって。うまく言えないけど、地面の底から来るような感じだって言ってた。気になって上の人に報告したけど、『召喚陣の正常反応だから問題ない』って言われて終わったって」
修司は手を止めた。
「……低い音」
「そう。最初の搬入の日から続いているらしくて、でも点検作業中は当たり前の音なんだって教えられて、それ以上気にしなかったって」
「その音の話、記録に追加していいですか」
「構わないけど、どういう意味がありますか」
修司はメモに書き加えながら言った。「搬入が始まったタイミングと、音が始まったタイミングが一致するなら、倉庫への触媒配置が陣の何らかの処理を起動させていた可能性がある。ミナさんが聞いた音が、受け入れ準備フローの起動音だったとすれば——」
修司は一度止まって、書いたメモを読み直した。
「まだ仮説です。ただ、エイラさんに確認してもらいたいことが一つ増えました」
リゼットが少し表情を引き締めた。「修司さん、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「ミナさんは、自分が何かまずいことに巻き込まれていたって、薄々分かってきていると思います。あの子、帰り際に少し怯えた顔をしていました。何かあの子にできることはありますか」
「証言を記録したことで、ミナさんは今後何か問われたときに、自分は点検業務として指示に従っていたという事実を残せます。巻き込まれた現場担当者と、指示した側を分けて記録に残すのが、今できる一番の方法です」
「それを、彼女に伝えていいですか」
「伝えてください」
リゼットが頷いた。それから「そうか」と小さく言った。「記録が、守ることにもなるんですね」
「なります」
修司はメモを一枚めくった。
翌日に確認することがある。エイラに倉庫周辺の基盤炉ログを確認してもらうこと、ガルドの現場記録を正式な監査書類に統合すること、マルファスの証言と術式評価を技術文書として整理すること。
それから、もう一点。
修司はメモの端に、昨夜エイラから受け取ったデータの数字を書いた。
帰還用バッファの資材管理台帳を見直したとき、エイラが発見した一行。バッファの使用状況欄に、確保済みとして記録されている項目がある。
帰還予定者の名前が入っていない、空白の「魂ID待機枠」が一件。
確保日付は十日前。ちょうど、最初の触媒搬入が始まった日だ。




