表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第6章:帰還手順リリース監査編
PR
61/111

第61話 停止済みのはずの承認書

 王宮承認局は、魔導省の東隣に建つ、特に見栄えのしない石造りの建物だ。

 正面の扉には「承認・審査・記録」と彫り込まれた石版が掲げられており、中に入ると広い執務室が広がっている。書記卓が三列に並び、両側の棚には羊皮紙の綴りが天井近くまで積まれていた。インクと古い紙の匂いが染み込んでいて、窓を開けても抜けない類いの気配をしている。


 修司がその部屋へ足を踏み入れたのは、翌朝の早い時間だった。セルアスが先に公式照会の申し入れをしてあり、応対に出てきたのが承認局の実務主任、オルフェ・ラグレンだった。

 四十代半ばと見える男で、鉛色の髪を几帳面に整え、眼鏡の奥の目は疲れた色をしていた。服装は実務向きで飾り気がない。修司の姿を見ると、「監査の方ですね」と短く確認してから、自分の卓の前に椅子を二脚追加した。


「昨日、セルアス文官からご照会をいただきました。副回線から発信された非同期パケットの発信元権限が、当局のテンプレートに由来するとのことで」


「そうです。旧-〇二八番のテンプレートです」


 オルフェはすぐに棚へ向かい、迷わず綴りを一冊引き出した。慣れた手つきだった。


「こちらが当該テンプレートです。勇者補充管理室との連携書式として、おそらく五年ほど前に登録されたものです」


 修司はセルアスから渡された書類と見比べた。テンプレートの構造はシンプルだ。発行部署、承認先、記入欄の一覧、有効期限の欄。

 有効期限の欄は、空白だった。


「このテンプレート、有効期限が設定されていませんね」


「……はい」


 オルフェは静かに答えた。「当時、勇者補充計画は継続的な業務として登録されていましたので、期限を区切らない書式として扱っていました。召喚停止の通達が出た後も、書式そのものの廃止手続きは受けていなかったため、テンプレートとしては現在も有効な状態です」


「分かりました。続いてお聞きしますが、このテンプレートを使った書類が最近、神殿側から提出されていますか」


 オルフェが眼鏡を外し、フレームを軽く拭いてから掛け直した。小さな間だった。


「神殿定期点検書類として、十日ほど前に一件受理しています。通常処理で承認印を押しました」


「その書類を見せていただけますか」


 書類は翌朝ではなく、当日の午前中に出てきた。オルフェが綴りの中から素早く見つけたからだ。

 修司はその一枚を受け取り、卓の上に広げた。


 表題は「召喚陣定期安全点検報告書」。提出元は大神殿。承認印は入っており、処理日付が入っている。

 修司はまず、書類の構造を見た。


 点検報告書のはずだが、欄目が多い。安全確認の記録欄と、技術担当者の署名欄は、点検書類として自然だ。だが、次のページに進むと、あまり見覚えのない欄が並んでいた。

 資材欄。魔力余裕欄。そして――魂ID待機枠。


「この三つの欄は、点検書類に必要なものですか」


 修司は書類を持ったまま、オルフェを見た。

 オルフェが、修司の指が示している欄を覗き込んだ。そして、わずかに眉が動いた。


「……必要かどうか、という観点では確認していませんでした。テンプレートに含まれている欄目ですので、提出書類が記入していれば、そのまま処理する形になります」


「テンプレートに含まれているから、問わずに通す、ということですね」


「処理上はそうなります」


 修司はページを戻した。表題のすぐ下に、承認先の一覧がある。

 魔導省。神殿管理局。王宮魔導院。そして、勇者補充管理室。


「承認先が四部署に分岐しています。点検報告書がこれだけの部署に回るのは、通常の手順ですか」


 今度はオルフェが少し間を置いた。


「……定期点検の書類が、魔導院や勇者補充管理室に回ることは、通常はありません。ただ、このテンプレートはそもそも補充管理室との連携書式として作られていますので、分岐先の設定がそのまま残っています」


「つまり、点検書類として提出されたけれど、テンプレートの構造上は補充管理室との連携書式として処理される」


「……はい、そうなります」


 オルフェは静かに言った。声が少し低くなっていた。

 修司は書類を伏せず、そのまま手元に持っておいた。


「もう一つ確認させてください。この魂ID待機枠の欄、何か記入されていましたか」


「枠の中に数値は入っていませんが、待機枠として開いた状態のまま処理しています」


「欄が開いているということは、待機枠として有効な状態で承認されたということになりますか」


 オルフェが手を組んだ。「……書類上は、そう解釈できます」


 昼前、修司は承認局の小会議室を借りて、エイラとセルアス、それからバルトを集めた。ガルドが入口に立っている。

 修司は書類を卓の中央に置き、隣に自分が昨夜整理したログのメモを並べた。


「整理します。昨日のパケット解析で、発信元権限が承認局の旧-〇二八番テンプレートだと分かった。そのテンプレートを使った書類が、十日前に神殿から提出されている。表題は定期点検報告書ですが、テンプレートの構造上、承認先に勇者補充管理室が含まれています。さらに書類の中に、資材欄、魔力余裕欄、魂ID待機枠の三つが開いたまま通っている」


 エイラが書類を手に取り、魂ID待機枠の欄を確認した。「これ、点検書類に入っているのは……」


「おかしいです。安全点検の記録に、待機枠の欄は要らない」


「ではなぜ入っているのか」とセルアスが問う。


「テンプレートの構造がそうなっているからです。テンプレートは召喚再開前の補充管理室連携書式として作られているので、召喚に必要な欄目が最初から組み込まれている。そこに『定期点検』という表題で書類を提出すると、欄目の意味に関わらず、承認局はテンプレートの通りに処理する」


「書類の名前は点検報告書だが、処理された結果は補充管理室への連携書類として回る」


「そうです」


 セルアスが眼鏡のブリッジを押し上げた。「書類名と実際の処理が、全く別物になっているわけですね」


「現仕様上は、そうなっています」


 修司はメモを一枚めくった。


「もう一つ見てほしいのが、資材欄です。この欄に記入されていた資材種別と数量を、バルトさんに確認してもらいました」


 バルトが渋い顔で腕を組んだ。「確かめてきた。欄に書いてある資材の種別は、召喚触媒と魔力増幅石。量は点検用の最低必要量の、五倍以上だ」


「点検で使う量じゃないということですね」


「俺が管理してる地方備蓄から、同じ種別の資材が先週から少しずつ動いている。帳簿上は王都への定期補充扱いだが、受け取り場所が通常の物流倉庫じゃなく、召喚の間の付属倉庫になってる」


 エイラが低く「付属倉庫」と繰り返した。「召喚の間の。……それは普通の点検で使う場所じゃない」


「ないです」とバルトが短く言った。「俺も最初は見過ごしてた。帳簿の送り先を確認するまでは」


 修司はバルトの報告をメモに書き加えた。


「資材欄が実際の調達に繋がっている。点検名目の書類が承認局を通ることで、地方備蓄から資材を合法的に動かせる状態になっている」


「……合法的に」


 セルアスが言葉を繰り返した。少し重い口調だった。「書類の体裁が整っているから、誰も止められなかった、ということですか」


「承認局が止める理由を持てなかった、ということです。書式上問題ない書類を、テンプレートの通りに処理しただけですから」


 午後、修司はオルフェに再び会った。

 承認局の自室でなく、廊下の端の小さな窓のそばに立っていた。報告を待っていたのだと、修司にはすぐに分かった。


「昨日からの調査で、この書類の意味が分かりました。報告します」


 修司は簡潔に説明した。点検書類の欄目が召喚再開前キャリブレーションに対応していること。承認先の分岐が補充管理室に繋がっていること。資材欄が実際の調達に反映されていること。

 オルフェは、途中で一度目を伏せた。それだけだった。最後まで黙って聞いた。


「……私は、定期点検の書類を処理していたつもりでした」


「そうだったと思います」


「テンプレートに欄目が含まれていれば、中身を問わずに通す。それが私の仕事でした。なぜその欄目が入っているのかを確認する手順は、うちの局にはありません」


「仕組みがそうなっていたんです。あなたの判断の問題ではない」


 オルフェは少し間を置いてから言った。「ただ、結果として私の承認印が、召喚再開の準備書類に押されていた」


「はい」


「……それは事実です」


 修司は否定しなかった。

 オルフェが窓の外を見た。薄曇りの空だった。


「監査官。私に何かできることがありますか」


「テンプレートの一時差し止めをお願いしたいです。旧-〇二八番を含む、召喚補充管理室連携の書式全てを、帰還監査が完了するまで処理停止にしてほしい」


「上層部が反対するかもしれません。書式上問題がない書類を止める根拠がないと言うでしょう」


「そう来ると思います。そのときのために、今日の調査記録と資材調達の証跡を文書にまとめます。問題は書式ではなく、テンプレートの欄目と承認先が召喚再開処理に対応している事実です。それを根拠にします」


 オルフェが静かに頷いた。「私から内部申請を上げます。ただし、承認局内での通過は保証できません」


「内部申請が記録に残ることが重要です。却下されても、申請があったという事実は消えません」


 オルフェが修司を見た。少し表情が変わっていた。驚いた、というより、理解した、という顔だった。


「……そういうやり方ですか」


「記録を積み上げるんです。断られた記録も全部含めて」


 夕方、承認局の上層部は修司とセルアスを別室に呼んだ。

 相手は三人で、いずれも管理職の肩書を持つ中高年の男たちだった。名前は名乗ったが、修司はそれより先に相手の口調を確認していた。


「監査官殿。当局が処理しているのは、定式に沿った正規の書類です。書式に問題がない限り、処理を止める根拠がない」


「書式上の問題ではなく、テンプレートの構造上の問題です」


 修司は落ち着いた声で言った。


「テンプレートに召喚再開キャリブレーションに対応する欄目が含まれている。そこへ定期点検という表題で書類を提出すると、点検処理として通しながら、召喚再開準備として必要な承認先と資材枠が同時に通る。現在動いている資材調達は、その書類を経由して地方備蓄から引き出されています」


「それは提出側の問題では? 書類の内容を偽る行為があったとすれば、それは神殿側の問題です」


「神殿の現場は、点検業務として指示を受けています。書類が何のテンプレートに基づいているかを、現場は知らない」


 三人が短く目を見合わせた。


「いずれにせよ、当局が書式外の審査を行うことはできません。権限の範囲を超えています」


「では、テンプレートの登録内容の確認はどこの管轄ですか」


「……それは、魔導省との連携事項になります」


「連携の窓口はどこですか」


 短い沈黙が落ちた。


「……追って確認します」


「結構です。記録してください」とセルアスが静かに言った。「確認中である事実を含めて」


 三人が何か言いかけた。セルアスは眼鏡の奥から相手を見て、表情を変えなかった。「帰還監査の公文書です。発言はすべて記録されます」

 それ以上の反論は出なかった。


 夜、修司は監視室に戻り、今日の記録を整理した。

 テンプレートの一時差し止めは、承認局内部での申請が上がった。上層部は承認しなかったが、申請記録は残った。資材調達の証跡は、バルトが現物確認と帳簿の差異を文書にしてくれた。書類フローと魔導ログの照合は、修司がメモとして整理した。


 今日一日で確定したことが、一つある。


 「召喚停止」は技術的な実行処理を止めただけだ。承認書式は動き続けている。資材は動き続けている。準備業務は動き続けている。複数部署がそれぞれの通常業務として処理しているから、全体が召喚再開準備として機能していても、誰にも止められない。

 それが今日の結論だった。


 エイラが修司の隣に来て、静かに言った。


「帰還工程の開始承認、まだ通っていません。今日の話を聞いて、正直なところ、何を提出すればいいか分からなくなった」


「分かります」


「修司さん。これ、全部の書類フローを確認しないと帰還は始められないんですか」


「全部は無理です。でも、帰還工程に直接影響する部分だけ先に隔離することはできる。明日、そこから始めます」


「明日も続くんですね」


「明日も続きます」


 エイラが少し息を吐いた。「……分かりました」

 修司はエイラが席に戻るのを見てから、メモの最後に一行書き加えた。


〔旧-028テンプレート差し止め申請:承認局内申請済み・上層部未承認・記録確保〕


 積み重ねていく。断られた記録も含めて。

 深夜、バルトから短い連絡が来た。


「マナベ殿。今日確認した資材の動きだが、一点追加で報告がある」


「何ですか」


「召喚の間の付属倉庫への搬入指示が出ている業者を追った。元の指示書を辿ったら、神殿の資材係の名前が出てきた。下級職員だ。大神殿の名前では出ていない」


 修司はその一行を読んで、少し間を置いた。


「個人名で出ているんですか」


「ああ。神殿の資材係ミナ・セイルという者だ。本人は何を運んでいるか分かっていないかもしれない。ただ、既に動いている」


「承知しました」


 修司は返信してから、メモに書き加えた。


〔資材徴発:既に神殿下級職員へ降りている。担当者名・ミナ・セイル〕


 承認局の書類が通っている。資材が動いている。下級職員まで作業が降りている。

 どれも、誰かが「召喚を再開せよ」と命じた記録ではない。それぞれが、自分に割り当てられた通常業務をこなしているだけだ。


 それが、一番厄介な構造だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ