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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第5章:古代魔導基盤移行設計編
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第58話 初代王の要件定義

 王都魔導省、インフラ統合監視室。

 王宮からの督促官が捨て台詞を残して去った後の室内は、かつてないほど重く、そして凍てつくような静寂に支配されていた。


 修司が王都上層部の「贅沢」を削り落としたことで、室温は容赦なく下がり続けている。窓枠に張り付いた白い氷霜が、ここが過酷な冬の只中であることを無言で告げていた。


 だが、監視官たちが息を呑み、身を強張らせている理由は、物理的な寒さのせいだけではなかった。

 彼らの視線はただ一点、監視室の中央に鎮座するメインコンソールの空中に投影された、禍々しい術式の輝きに釘付けになっていた。


 修司の固有能力『現仕様閲覧(差分解析)』の限界出力を以てしても、完全に透過しきれないほど強固な暗号化が施された領域。

 それは通常の運用ログが放つ金色の文字列とは異なり、まるで凝固した血のような、どす黒い赤色の光を放っていた。


「……マナベ殿。これが、王宮の連中が拠り所にしているという、この国の『始まりの言葉』だというのか」


 背後に立つセルアスが、眼鏡の奥で鋭く目を細めながら問う。彼の声音には、平時の事務的な冷徹さを上回る、得体の知れないものへの警戒感が滲んでいた。


「いいえ、セルアスさん。これは神学的な言葉でも、ただの歴史的な記録ログでもありませんよ。……システムの『マスター仕様書』。つまり、後世の人間が何を起こそうとも絶対に書き換えられないように、ハードウェアレベルでロックアウトされた絶対的な要件定義レギュレーションです」


 修司はコンソールの黒水晶に両手を押し当て、額に脂汗を浮かべながら、その赤い記述の解読デコードを進めていく。

 何百年もの間、王国の誰も触れることができなかった基盤炉の最深部。そこには、王国の建前と実態どころではない、絶望的なまでの「設計思想の乖離」が可視化されようとしていた。


「エイラさん。……泣き言を言う前に、これを見てください。あんたたちが守ってきた『神聖なる創世の基盤』には、本当は何が書かれていたのかを」


 修司の指示で、空中に展開された赤い文字列が、現代の魔導言語へと翻訳トランスレートされていく。

 右側に現在稼働しているインフラの「現仕様」のリストを置き、左側に引きずり出した「初代王の要件定義」を並べて表示する。


【初代王による初期要件定義:ROOT-Spec-001】


 ■ 要求仕様1:王国民の生命維持を最優先とし、基盤炉は常にそのためのリソースを確保せよ。

 ■ 要求仕様2:外部供給(異世界からの召喚等)は、災害時または魔力枯渇時の『非常用補助資源』としてのみ定義する。

 ■ 要求仕様3:平時運用においては、地方分散炉による内部循環を基本とし、中央への過度な依存・一極集中を避けよ。

 ■ 要求仕様4:外部供給対象者の『帰還可能性』は常に保持されなければならず、基盤炉への恒久的な固定化は禁忌とする。


 翻訳されたテキストが表示された瞬間、監視室にいた魔導師たちの間から、悲鳴のような息を呑む音が漏れた。

 カズヤたち召喚者も、リゼットも、そして統括監視官であるバルトロでさえも、言葉を失ってそのテキストを凝視している。


「……嘘。嘘でしょう……?」


 エイラが、足から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えながら、掠れた声で呟いた。


「だって、私たちが教わってきた歴史では……召喚者様は王国を永遠に支えるための神聖な礎で、基盤炉は召喚者様の魔力なしには動かない、絶対的な主従関係にあると……。それが、この国の常識だったはずです……!」


「それは、あんたたちの先祖が数百年かけて書き換えてきた『嘘の運用マニュアル』ですよ」


 修司は冷徹に言い放ち、右側のモニターに表示させておいた「現仕様」のリストを、赤い初期要件の隣へと叩きつけた。


【現仕様(Current-Spec):第502代管理院・継ぎ足し版】


 ■ 現仕様1:召喚者由来供給を常時稼働の前提デフォルトとし、インフラ維持の恒常的な燃料として定常消費せよ。

 ■ 現仕様2:地方分散炉は中央基盤の『従属設備』と定義し、地方の余剰出力は王都へ強制徴収せよ。

 ■ 現仕様3:召喚者の帰還プロトコルは『未定義・凍結処理』とし、魂を基盤炉へ密結合させよ。

 ■ 現仕様4:王都中枢保護タグの権限を拡張し、特権階級向け快適化機能を最優先維持グループに編入せよ。


「左右の仕様を比較すれば一目瞭然だ」


 修司は、コンソールのパネルを指先で強く叩いた。


「初代王が善人だったのか、それとも単にリスク管理に長けた優秀なシステム設計者だったのか、俺には分からない。古代の真相なんてどうでもいい。……だが、少なくともこのテキストが証明している事実が一つある。初代王は『人を燃料にして国を回す』ことを、常態化させようとはしていなかった」


 修司は、コンソールの奥深く、王都の地下で低く唸りを上げる基盤炉の鼓動を感じ取っていた。

 この巨大なシステムは、元々はもっと健全で、安全性を考慮した分散型のネットワークだったのだ。非常時にだけ外部の力を借り、平時は自分たちの身の丈に合った魔力で生きていく。それが初期バージョン(1.0)の正しい姿だった。


 それがいつしか、王都という巨大な心臓が地方の血を貪欲に吸い上げ、召喚者という外部バッテリーを使い捨ての電池として消費し続ける、醜悪な怪物へと変貌を遂げてしまった。


「……修二さん」


 リゼットが、不安と怒りの入り混じった顔で修司の横顔を覗き込む。


「この残酷な『現仕様』は、一体誰が作ったんでしょうか。悪魔のような思想を持った誰かが、国を乗っ取るために、こんな酷い書き換えを行ったとでも……?」


「いいえ、リゼットさん。特定の悪の親玉なんていませんよ」


 修司は、暗く沈んだ目で監視室の天井を見上げた。


「何代にもわたる王、貴族、そして現場を見ない怠慢な管理職たちだ。……彼らは自分たちの生活を少しでも楽に、豊かにするために、初代王の厳しい要件ルールを少しずつ無視し始めた。ちょっとだけ地方から魔力を借りよう。少しだけ召喚者の滞在期間を延ばそう。王宮の空調を少しだけ暖かく保とう。……そうやって、自分たちに都合の良い『例外処理』をパッチとして当て続けた結果ですよ」


 それは、システムエンジニアの世界でも日常的に起こる悲劇だった。

 最初は美しく、論理的に設計されていたソースコードも、短納期やクライアントのわがまま、保身のための隠蔽工作が重なれば、やがて設計者本人でさえ触るのを恐れる「スパゲッティ・プログラム」へと成り果てる。


 この王国は、まさしくその技術的負債の最悪の果てだった。


「修司さん。……じゃあ、俺たちは、初代王が作ったその赤いルールに従えば、無事に帰れるんですか?」


 カズヤが、一筋の希望を見出したように、切実な問いを投げかける。


 修司は一瞬、黙り込んだ。

 そして、ゆっくりと、しかし明確に首を横に振った。


「いいえ。……残念ながら、今のこの国に、初代王の初期仕様(バージョン1.0)をそのまま適用して初期化ロールバックすることはできません」


「え……? どうしてですか! それが本来の正しい姿なんじゃないんですか!」


「あまりにも継ぎ足し(パッチ)が多くなりすぎたからです、カズヤ。……初期設定に戻した瞬間、今の王国のインフラは文字通り爆発クラッシュします。地方の暖房網も、前線の魔物除けの結界も、野戦病院の医療設備も、初代王の時代には存在しなかった、あるいはもっと小規模だったはずだ。今の肥大化した王国の人口と防衛線を支えるには、完全に初期化してしまうと絶対的な魔力が足りず、無数の人間が死ぬことになります」


「そんな……。じゃあ、結局どうにもならないのかよ……! 俺たちは、ずっとこの狂ったシステムの歯車として生きていくしかないって言うのか……!」


 カズヤが拳を握り締め、絶望に顔を歪める。

 監視室の魔導師たちも、自分たちの国が抱える「直すことも戻すこともできない病」を前に、深い沈黙に沈んでいた。


「言ったでしょう。……俺は、システムエンジニアです」


 修司は、迷いのない手つきでコンソールのキーボードを叩き始めた。

 赤い「初代王の要件定義」も、醜悪な「現仕様」も、すべてを一つのデータとして統合し、新たな設計図アーキテクチャを描き出していく。


「初代王が正解で、今の連中が間違い、なんて単純な二元論バイナリじゃない。……大事なのは『今、人が生きているこの現場』をどう回すかだ。過去の仕様書きぼうを神と崇める必要もなければ、今の腐った仕組み(ぜつぼう)に屈して諦める必要もない」


 修司の視界の中で、金色のラインが複雑な軌跡を描き、王国全土の供給網を再編するための壮大な移行プランが構築されていく。

 それは、失われた古代の知恵にすがる行為でも、現代の魔法を盲信する行為でもない。


「今、そこにあるもの」を最大限に活用し、命を削らない、最も無理のない形へと導く。それこそが、修司だけが持つ『移行設計』の力だった。


「……セルアスさん。エイラさん。……そしてカズヤ」


 修司は、一度だけコンソールを叩く手を止めて、彼らを見据えた。


「この基盤炉を物理的に破壊するわけじゃない。……全プロセスの意味を書き換えます。召喚者を都合のいい燃料だと思い込んでいるこの腐ったシステムの『定義』そのものを、俺が強制的に上書きしてやる」


 修司の指先が、最終確定のエンターキーに添えられた。

 その瞳には、かつて日本のオフィスで絶望的な炎上プロジェクトに向き合っていた時と同じ、冷徹で狂気じみたエンジニアの光が宿っていた。


「燃料の定義を、人間から『運用』に戻す。……これが、俺が導き出した、この国の最終提案だ」


 コンソールの奥で、基盤炉の赤い光が激しく明滅し、やがて修司の意志に呼応するように、力強い金色の光へと押し戻されていく。

 それは、数百年ぶりに王国の「血液」が、搾取ではなく循環という正しい主従関係を取り戻そうとする、確かな胎動だった。

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