第57話 強制召喚再開を技術的に止める
王都魔導省、インフラ統合監視室。
窓の外に広がる王都の夜景は、かつての黄金色の輝きを失い、深い冬の闇に沈んでいた。
修司が「贅沢」を削ったことで、王都を包んでいた人工的な春は死んだ。だが、その代わりに監視パネルに並ぶグラフは、地方の暖房炉や前線の防衛結界が辛うじて息を吹き返したことを示している。
ようやく、破綻の淵で踏みとどまった――はずだった。
「……マナベ殿。王宮および大神殿諮問委員会より、緊急の直命(パッチ命令)が届いている」
監視室の重い扉を押し開けて現れたのは、バルトロだけではなかった。王宮魔導院の意匠を凝らした法衣に身を包んだ、顔色の悪い中年の官僚が数人の護衛を伴って立っていた。
その手には、王室の封蝋が押された一通の指令書が握られている。
「結論から言おう。ただちに『召喚の間』の魔力充填を開始せよ。不足しているリソースを補うため、追加の召喚を三件、同時実行する」
その言葉が落ちた瞬間、室内の温度がさらに数度下がったかのような錯覚を修司は覚えた。
コンソールの前で作業を続けていたエイラが、弾かれたように振り返る。
「追加召喚……!? 馬鹿な、今はシステムの移行設計の真っ最中ですよ! そんなことをすれば、ようやく安定し始めた供給網がまた無茶苦茶になる!」
「黙れ、現場の小娘。これは王宮の決定だ」
督促官と呼ばれた男は、鼻を鳴らして修司を指差した。
「真鍋修司。貴殿が勇者供給を絞り、王都の快適性を損なったせいで、基盤炉の不安定化が懸念されている。王宮側は、貴殿の不手際を補うために『燃料』の補充を認可したのだ。これ以上、王都の冬を長引かせるわけにはいかんからな」
リゼットが、憤りに顔を赤くして一歩前へ出ようとした。だが、修司はそれを手で制し、ゆっくりと椅子を回転させて督促官と正対した。
その瞳は驚くほど冷めていた。怒りよりも先に、エンジニアとしての「呆れ」が勝っていた。
「……本気で言っているんですか?」
「何だと?」
「追加召喚をして基盤炉を安定させる、というその主張ですよ。……エイラ、今のシステムの負荷率をメインモニターに出せ」
エイラが素早く操作し、金色のグラフが空中に浮かび上がる。
「いいですか、督促官。あんたたちが『燃料』と呼んでいる召喚者は、システム的には単なる魔力の源じゃありません。一つの『召喚者プロセス』を立ち上げるたびに、付随する管理タスクが山のように生成される」
修司は『現仕様閲覧(差分解析)』の視覚情報をモニターへミラーリングした。
「一人の人間をこの世界に固定するために、基盤炉は【生命維持補助】を常時回し、【X-01同期セッション】を確立し、【治癒履歴による更新トリガー】を監視し、【帰還ロック】という巨大な暗号化プロセスを走らせる。……これらすべてが『オーバーヘッド(付随コスト)』だ」
修司はモニターの数値を指で叩く。
「確かに、召喚直後は一時的に魔力供給が増えるでしょう。ですが、長期的にはその新しいプロセスを維持するための管理コストが、供給分を食い潰し、結果としてシステムの依存度をさらに高めることになる。……一時の延命のために、負債をさらに積み増すつもりですか?」
督促官は、一瞬たじろいだ。だが、すぐに尊大な態度を取り戻す。
「それは貴殿の勝手な解釈に過ぎん。召喚は神聖なる儀式であり、異世界の力を取り込む唯一の手段なのだ。理屈をこねるな」
「神聖かどうかは議論しません」
修司は短く切った。
「今はインフラ障害の真っ只中だ。……システム屋の常識で言わせてもらえば、致命的な障害が発生し、原因の特定と復旧作業を行っている最中に、未検証の高負荷バッチ処理を追加実行するなんて、運用上あり得ません。それは復旧ではなく、ただの『自爆行為』だ」
「貴様……! 王宮の意志に背くというのか!」
「俺は首席検査官として、現在の基盤炉の状態を『不安定な移行期間』と定義しています。この状態で新たな外部リソースの接続を試みれば、十中八九、基盤炉のカーネルパニックを招き、王国全土の魔法供給が完全停止する。……その責任、あんたが取るんですか?」
修司の声は低く、そして重かった。
脅しではない。数値を読み、現実を定義している者の言葉だ。
バルトロが青ざめて督促官の袖を引く。
「ま、待ってください、督促官殿……。真鍋殿の言う通り、今の基盤炉は、少しのショックでどうなるか分からん状態です。もし召喚の途中で炉が止まれば、王都の灯りどころか、王宮の結界すら……」
「……っ」
督促官の顔が引き攣った。彼のような官僚にとって、最も恐ろしいのは王の叱責よりも、自分の判断で取り返しのつかない実害を出すことだ。
「……よかろう。だが、これは中止ではない。貴殿の言う『移行設計』とやらが完了するまでの、一時停止に過ぎん。速やかに炉を安定させ、召喚を再開できる状態に整えよ。さもなくば、次は騎士団を連れてくることになる」
男は吐き捨てるように言い残すと、逃げるように監視室を去っていった。
室内に、張り詰めていた空気がふっと緩む。
エイラが力なく椅子に崩れ落ち、リゼットが安堵の溜息を吐いた。
「助かった……。ありがとうございます、修司さん。あんな無茶苦茶な理屈、よく跳ね除けられましたね」
「……跳ね除けてはいませんよ、リゼットさん。ただ、時間を稼いだだけだ」
修司は再びコンソールに向き直り、モニターに映る「ある一行」のログを凝視した。
それは、先ほど督促官が立ち去り際に、呪詛のように呟いた言葉に呼応して浮かび上がったものだった。
「連中は、まだ奥の手があると思っている……。エイラ、基盤炉の最深部、俺たちがまだ触れていない『保護セクター』の記述を再スキャンしてください」
「え? あそこは初代王が定めた『聖域』で、誰も読み書きできないはずですが……」
「いいから出してください。……奴らの自信の根拠は、きっとそこにある」
エイラが戸惑いながらも、特殊なコマンドを打ち込む。
やがて、メインモニターの暗闇に、これまでの金色の文字とは異なる、血のように赤い、禍々しい術式が浮かび上がった。
それは、王国の歴史の始まりに刻まれた、この世界の残酷な設計図だった。
【ROOT要件定義:初代王-001】
【定義内容:王国の存続は、異世界の魂という外部リソースの恒常的摂取を前提とする】
【例外処理:供給が停止した場合、システムは自動的に『強制徴収モード』へ移行し、全召喚対象の魂を完全燃焼させることで最優先機能を維持せよ】
修司の背中に、冷たい汗が流れた。
「……なんだ、これ。要件定義の段階で、召喚者を『使い捨ての燃料』として扱うことが正当化されているのか……?」
「修司さん、これ……」
リゼットの声が震える。
王宮側が突きつけてきたのは、単なるわがままではなかった。
彼らは知っていたのだ。基盤炉の深層に、どれだけ汚い手を使ってでも「王都だけは守る」という、初代王が残した呪いのような仕様(要件)が刻まれていることを。
「……初代王の仕様では、召喚者の供給は王国維持の正当な前提である、か」
修司は、自らの『現仕様閲覧』で見えてしまったその文字を、憎しみを込めて睨みつけた。
「いいでしょう。……なら、その要件定義自体が、今の時代には通用しない『時代遅れのバグ』だってことを、証明してやる」
王国という名の巨大なシステムの、本当の「敵」が見えた気がした。
それは目の前の官僚ではなく、数百年の間、人を燃料にすることに疑問を持たなかった、この国の歪んだ設計思想そのものだった。




