第53話 前線結界の切り戻し条件
「――地方炉からの魔力まで吸い戻すか。どこまで強欲なんだ、このシステムは」
王都魔導省、インフラ統合監視室。修司はコンソールに表示された「マスター・スレーブ設定」のログを睨みつけ、苦々しく吐き捨てた。
地方が自分たちの魔石を燃やして作った魔力が、見えない「延長コード」を伝って王都の基盤炉へと吸い上げられていく。地方を救うための分散運用は、王都側の傲慢な仕様によって阻まれていた。
だが、その不快な驚きを上書きするように、監視室に新たな、そしてより鋭い警告音が鳴り響いた。
『警告:東部前線・第一種防衛結界に同期不全を検知。出力が閾値を下回りました』
「……っ、今度は前線か!」
エイラが悲鳴に近い声を上げる。モニターには、東部砦を取り囲む光の壁が、電圧不足の電球のように激しく明滅する様子が映し出されていた。
直後、緊急通信の魔導具が激しく発光し、ダリル司令の怒号が室内に響き渡った。
『魔導省! 何をやっている! 結界の強度がみるみる落ちているぞ! 今、カズヤたちが砦の外で大規模な魔物群と交戦中なんだ。結界の援護がなければ、あいつらの背後がガラ空きになる!』
「ダリル司令、真鍋です。状況は分かっています」
修司が通信に割り込むと、ダリルは一瞬の沈黙の後、すがるような、それでいて切迫した声を出した。
『マナベ殿か! あんたが供給リンクを制限したせいか!? あいつらの魔力が戻ってきたのはいいが、そのせいで結界が死ぬんじゃ本末転倒だぞ!』
「……その通りです。これを見てください、エイラさん」
修司は視界に浮かぶ『現仕様』の接続図を、メインモニターへとミラーリングした。
そこには、前線結界の制御術式が、召喚者たちが装備する『X-01』の冷却・循環プロセスと複雑に絡み合っている様子が描かれていた。
「前線結界の『補助出力』は、召喚者が高負荷戦闘を行う際にX-01から排出される余剰魔力を、そのまま変換して流用するように組まれています。つまり、勇者が戦えば戦うほど結界が強くなる――という建前で、彼らの命を削った魔力を防衛に転用していたわけだ」
修司がカズヤたちへの「供給リンク」を絞り、魂の摩耗を抑えたことで、皮肉にも結界へ回る「おこぼれ」の魔力が絶たれてしまったのだ。
「カズヤさんたちを守れば、前線が抜かれる。前線を守れば、彼らの命が削られる……。そんな、二者択一なんて……」
リゼットが青ざめた顔でモニターを見つめる。
バルトロは「それ見たことか」と言わんばかりに、震える指で修司を指差した。
「だから言ったのだ! 召喚者の供出は、王国の安寧という歯車の一部なのだ。それを勝手に止めるから、こうして国が滅びにかける! マナベ、今すぐ制限パッチを解除しろ! カズヤたちから魔力を搾り取って、結界を戻すんだ!」
「嫌ですよ、そんなクソみたいな切り戻し(ロールバック)」
修司はバルトロを冷めた目で一瞥し、再びコンソールのログにダイブした。
「エンジニアを舐めないでください。リソースが足りないなら、カズヤたちの命を削る前に、他に捨てている場所がないか探すのが先だ。……あるはずですよ。この国が『前線の兵士の命』よりも優先している、どうしようもないゴミのような仕様が」
修司は『現仕様閲覧(差分解析)』の精度を最大まで引き上げた。
前線結界の出力履歴と、王都内の各系統の出力履歴を、過去一時間分にわたって重ね合わせる。
すると、そこには明白な「優先順位の逆転」が可視化された。
「……見つけた。エイラさん、この二つのグラフを比較してください」
修司が提示したのは、前線結界の供給量と、王都上層区の『季節調整(常時春設定)』の魔力消費量だった。
「前線結界が不安定化して警告が出ている間も、上層区の気温維持には一ワットの欠損も出ていない。……建前では『防衛は最優先』と言いながら、実際のシステムの棚卸し順位(ソート順)では、貴族たちの庭園を暖める『春の維持』の方が、結界の維持よりも上位に固定されている」
「そんな……。結界が落ちれば王都だって危ないのに、どうして……」
エイラが呆然と呟く。修司は冷徹に、その「バグ」の正体を指摘した。
「『王都中枢保護』というタグが強すぎるんです。このタグが付いている機能は、システムが自動でリソースを配分する際、例外なく『Tier 1』として扱われる。前線結界はあくまで外部設備だから『Tier 2』。……だから、燃料が減った瞬間に、Tier 2の結界が真っ先に切り捨てられたんだ」
修司はコンソール上で、一つのシミュレーションを実行した。
「エイラさん、計算が出ました。……王都上層区の『季節調整』の出力を、設定レベルでたった一段階、落としてください」
「えっ? たったそれだけで……?」
「ええ。上層区の気温が、摂氏で約二度下がるだけです。……ですが、その浮いた魔力をすべて前線結界の『基底出力』に振り向ければ、カズヤたちの魔力を一滴も吸い上げることなく、結界の最低強度を維持できます」
監視室に、どよめきが走った。
勇者の命を削る必要も、前線を見捨てる必要もない。ただ、王都の贅沢を「ほんの少し」削るだけで解決できる。これ以上ないほど合理的な、インフラ移行設計の提案だった。
『――聞こえたぞ、マナベ殿!』
通信の向こうで、ダリル司令が机を叩く音が響いた。
『バルトロ、聞こえているな! 王都の貴族どもが少し肌寒く感じるだけで、俺の部下や勇者たちが死なずに済むんだ! 今すぐその設定を書き換えろ! 軍務部として、正式に要求する!』
エイラも、覚悟を決めたようにバルトロを見た。
「統括監視官。……これなら実行できます。召喚者を解放し、かつ前線を守る。これが、今の私たちが取るべき最善の運用です!」
だが、バルトロの顔は、先ほどまでの恐怖とは別の、根深い「拒絶」に染まっていた。
彼の傍らにある魔導通信機が、ひときわ不快な音を立てて明滅を始める。それは現場からの障害報告ではなく、王宮の上層部――いわゆる「お客様」からのホットラインだった。
「だ、ダメだ……。できない……。すでに王宮の侍従長や、賢者会議の保守派から苦情が入っている……。わずかに電圧が揺らいだだけで、『王都の春を乱すとは何事だ』と……」
「バルトロさん! 今、前線では兵士たちが血を流しているんですよ!」
リゼットの叫びも、バルトロには届かない。彼は、目に見える魔物よりも、目に見えない「権力という名の仕様」に怯えていた。
「彼らにとって、王都の春は『神聖不可侵の要件』なのだ! それを一段階落とすなど……私の首が飛ぶどころではない。魔導省全体の予算が、いや、神殿とのパワーバランスが……!」
修司は、コンソールを叩きつけるように操作し、王都上層区の現在の室温データを画面いっぱいに表示した。
そこには、摂氏二十五度という、冬の最中にはあり得ないような「春」の温度が刻まれている。
「……バカバカしい。上層区の気温が二度下がっただけで、前線一個砦が守れるんだぞ」
修司の声は、低く、そして鋭かった。
「あんたたちが守っているのは『国』じゃない。ただの『贅沢な生活』だ」
その言葉に応えるように、通信機からヒステリックな声が漏れ聞こえてきた。王都上層区の居住区管理官からの、優先供給の維持を求める執拗な催促だ。
前線の叫びと、上層区の不平。
どちらを取るべきか、システムとしての答えは出ている。だが、運用のハンドルを握る人間たちは、いまだに「現仕様」の呪縛から逃れられずにいた。




