第49話 黒塗りの原因階層
王都魔導省、インフラ統合監視室を支配しているのは、規則正しい機械音ではなく、絶え間なく鳴り響く高音の警告音と、パニックに陥った人間たちの怒号だった。
壁一面を覆う巨大な魔導クリスタルのパネルには、王国全土を網の目のように結ぶ魔導供給ラインが投影されている。だが、その光の網は、北部の地方都市や東部の国境付近を中心に、不吉な赤色に染まり、激しく明滅を繰り返していた。
「第三管区、魔導通信網の伝達遅延がさらに拡大! 地方からの魔法連絡が途絶し始めています!」
「北部第二都市から再入電! 暖房用魔導炉の出力が定格の四十パーセントを割り込んだ! このままでは深夜の冷え込みで死人が出ます、至急出力を戻せと!」
「東部前線のダリル司令部より緊急要請! 補助結界の出力低下により、防衛線の一部に魔物の浸食を許した! 何をやっているんだと、通信兵が泣き叫んでいます!」
報告が上がるたび、監視室の空気は目に見えて重くなっていく。
だが、その混乱の中心に立つ統括監視官のバルトロは、震える手で自身の髭をいじりながら、虚勢を張るような声を張り上げた。
「落ち着け! これは基盤炉の一時的な出力揺らぎに過ぎん! 王都中枢は現在も『安全運転』を継続中だ。各所には、地方系統の制限は基盤全体を守るための『予防的な措置』であると回答しておけ!」
その言葉は、現場の切迫した状況とはあまりにも乖離していた。
バルトロたち管理職にとっては、自分たちの足元である王都の石畳が温かく、街灯が煌々と輝いている限り、それは「正常」の範囲内なのだ。
「予防的な措置……? そんな言葉で、現場が納得するわけないでしょう!」
コンソールに張り付いていた女性技師、基盤炉保守主任のエイラ・ノックスが、弾かれたように顔を上げた。彼女の目は充血し、必死に数値を追いかけている。
「バルトロさん、見てください! 出力が足りないんじゃない、基盤炉側が勝手にバルブを絞っているんです。手動操作での強制開放を試みましたが、すべてシステム側に拒絶されました!」
「何だと? 君は保守主任だろう。保守権限を使えばいいじゃないか」
「使っています! でも、ダメなんです……!」
エイラは悔しそうに唇を噛み、自身の手元にある黒水晶の操作端末をバルトロに向けた。
「警告は出ています。でも、その『原因』が分からないんです! 原因欄の階層がすべて黒塗り(ブラックボックス)にされていて、私たち下位の管理端末からは照会すらできません。上位権限からの『自動制限命令』を一方的に受けるだけで、こちらから理由を聞くことも、設定を変えることもできない……。これじゃ、ただの監視員じゃないですか!」
エイラの叫びは、この監視室にいる実務者全員の総意だった。
彼らは技術者として選ばれ、この国の心臓を守っている自負があった。だが、真の危機を前にして、システムは彼らから「考える権利」さえ奪っていた。
「……現場が直せない障害。典型的な、隠蔽されたハードコードの類ですね」
混乱する監視室の入り口から、俺は静かに歩み出た。
隣に立つリゼットが、不安そうに俺の袖を引く。
「シュウジさん……。エイラさんたち、すごく困っています。私たちに何かできることはありますか?」
「ええ。ですが、まずは『書き換え』じゃありません。現状の定義からです」
俺は、怒鳴り合うバルトロとエイラの間に割って入った。
「ルミナス特別領首席検査官、真鍋修司です。……エイラさん、手を止める必要はありません。ただ、あんたの端末で見えている『表層のログ』だけ、こちらに共有してもらえますか?」
「え……? 地方の検査官さん? でも、言った通り原因は真っ黒で何も見えませんよ?」
「いいんです。原因が見えないなら、外側の事実から逆算するだけですから」
俺はバルトロの制止を制し、エイラが操作するコンソールの横に陣取った。
バルトロが血相を変えて飛んでくる。
「おい! 地方の小役人が何をするつもりだ! ここは魔導省の、それも最高機密に触れる場所だぞ!」
「最高機密が火を噴いて、国を焼き殺そうとしているんですよ、バルトロさん。……セルアスさん、例のものを」
俺が呼ぶと、背後に控えていたセルアスが、無表情のまま数枚の羊皮紙をバルトロに突きつけた。
「ルミナス代官府、および軍務部前線司令、地方都市連合からの連名による緊急監査状です。名目は『召喚者供給リンク切断時の王国インフラ影響調査』、および『召喚者帰還手順実行に伴う基盤炉移行設計監査』。……これより、首席検査官マナベによる技術監査を開始します。異議は受け付けません」
「な……召喚者の帰還だと!? 馬鹿な、あれは神殿の儀式で……」
「その儀式の影響で、あんたたちの基盤炉が止まりかけている。これはもう神殿の召喚問題じゃない。れっきとした『王国インフラ障害』です」
俺はバルトロの声を切り捨て、エイラが印字し始めたログの束を掴み取った。
「エイラさん、時刻を合わせます。俺の指示する項目の発生時刻を読み上げてください。……まず、北部で暖房炉の出力低下が始まったのは?」
「え、ええと……第十四刻、二十分三秒です」
「東部前線の補助結界に揺らぎが出たのは?」
「……二十分五秒。ほぼ同時です」
「魔導通信網に最初のパケットロスが出たのは?」
「二十分八秒……。全部、数秒の間に集中しています」
俺は手元のメモに、それらの時刻を書き込んでいく。
さらに、俺がカズヤたちの供給リンクに制限パッチを当てた時刻を照合する。……コンマ単位で一致している。
「よし。次は、王都中央区の維持系統の稼働ログを見せてください。空調、照明、噴水……それらの出力に、同時刻の変動はありましたか?」
「……いえ。全くありません。定格の百パーセントを維持し続けています。……あ」
エイラが、自分の言葉に何かを察したように息を呑んだ。
俺は彼女の代わりに、その事実を言葉にする。
「燃料が減った瞬間に、地方と前線だけが落ちて、王都は無傷。……偶然にしては出来すぎていますよね」
俺はコンソールの黒水晶に左手を添え、固有能力を発動させた。
『――現仕様閲覧(差分解析)、実行』
視界が反転し、現実の風景がセピア色に沈む。
代わりに、無数の金色の文字列と、複雑に絡み合う巨大なフローチャートが空間を埋め尽くした。
エイラたちの端末では黒塗りにされていた「原因階層」の奥。俺の瞳には、そこに隠された醜悪な「優先順位設定」が、剥き出しのコードとして映し出されていた。
「……なるほど。これが『王都中枢保護』の正体か」
俺の視界の中で、一つの巨大な「グループタグ」が赤くハイライトされる。
それは基盤炉がリソースを配分する際、何があっても死守すべき最優先項目として定義されているものだった。
「リゼットさん、これを見てください」
俺は自分の視覚情報を、コンソールのメインモニターへとミラーリング(強制出力)した。
そこには、これまで秘匿領域として伏せられてきた、王都を支える「現仕様」の内訳が、冷酷な数値と共に並んでいた。
【保護対象グループ:王都中枢】
【内包項目数:512件】
【うち生活必須系統:37件】(医療、最低限の水道、防壁結界等)
【うち儀礼・快適化系統:286件】(上層区季節調整、噴水、儀礼照明、勇者予備枠等)
【うち権限由来不明:189件】(秘匿パッチ、貴族邸宅個別回線等)
監視室に、凍りつくような沈黙が流れた。
エイラが、震える声でその画面を指差す。
「……嘘。王宮の季節調整や、広場の照明、それに勇者様の装備予備枠まで……。地方の暖房や、前線の命に関わる結界よりも、上のグループに入っているんですか……?」
「その通りです、エイラさん。この国は、燃料が足りなくなった時に『地方の命』を真っ先に切り捨てるように設計されている。王都の連中が、一晩中暖かく、煌びやかな光の中で過ごすためにね」
俺は、モニターに映し出されたその歪な数字の羅列を、叩きつけるような視線で見つめた。
これが、この王国の「現仕様」の残酷さだ。
命を守るためのインフラであるはずの基盤炉は、いつの間にか、特権階級の贅沢を維持するための自動装置へと成り下がっていたのだ。
俺は低く、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「まずいな。……命に関わるものより、贅沢の方が多い」
基盤炉の深層から、重苦しい唸り音が響いてくる。
それはまるで、偽りの春を享受し続ける王都の地下で、限界を迎えつつあるシステムの悲鳴のようだった。




