第47話 現仕様、基盤炉へ
果てしなく広がる虚数次元の暗闇の中、天と地を貫く光の柱が、心臓の鼓動のように脈打っていた。
その根元に鎮座する『創世の基盤炉』のメインコンソール。
俺は、そこに浮かび上がった冷酷な文字列を睨みつけていた。
【プロジェクト名:箱庭維持・永久機関構想】
【第一要件:当世界の存続を絶対の優先事項とする】
【第二要件:そのためのエネルギー源として、異世界の『魂』を永久的に搾取・消費するシステムを構築せよ】
「……これが、数百年間、誰も開けなかった仕様書の根源だ」
俺の呟きに、背後に立つリゼット、マルファス、そして聖女が息を呑む気配がした。
「狂っている……。初代の王は、国を豊かにするために、他人の命を燃やし続ける仕組みを最初から意図して作っていたというのか」
マルファスが、顔を歪めながら言う。
野心家であった彼でさえ、このスケールの違う非人道的なシステム設計には戦慄を覚えていた。
「聖女様。あんたたちが祈りを捧げていた『奇跡』の大元は、こんなおぞましい要件定義から生まれていたんだよ」
俺が言うと、聖女は法衣の胸元を強く握りしめ、悲痛な顔で頷いた。
「……ええ。私は、この罪深き歯車の一部でした。マナベ殿、どうか……その狂った理を、終わらせてください」
「ああ、もちろんそのつもりだ」
俺はコンソールに両手を置き、左腕の真紅の腕輪を限界まで輝かせた。
『――差分解析(現仕様閲覧)、最高深度!』
視界が光に包まれ、俺の意識は基盤炉の最深部、この世界を構成する論理の海へとダイブした。
無数の光の線が、王都の地上や、はるか東の最前線から、この基盤炉へ向けて束ねられている。その一本一本が、カズヤたち異世界人から無理やり抽出されている魔力(命)のパイプだ。
「よし、まずはあのふざけた『資源召喚陣』のループを、根本から完全停止する!」
俺は、地上で大長老たちが動かしている強制召喚シーケンスのルート権限を、このメインコンソールから直接無効化した。
遅延パッチで空転させていたシステムに、『資源枯渇エラー』という偽装データを叩き込み、プロセスそのものを強制終了させる。
【システム通知:『異界指定・資源召喚陣』の稼働を完全停止します】
【対象スロット:16(すべて解放)】
これで、今まさに引きずり込まれようとしていた新たな16人の若者たちは救われた。
地上の大長老たちは今頃、沈黙した召喚陣を前に、すべてを失った顔で絶望していることだろう。
「次は、カズヤたちを縛っている『X-01(勇者支援システム)』の強制搾取ラインの切断だ」
俺は、前線から最も太く光り輝いている四本のパイプ――カズヤたち勇者パーティーから魔力を吸い上げている接続線を掴み取った。
「マナベ! いきなり全部引っこ抜く気か!? 奴らの魂とシステムが癒着してるんだろ、下手をすれば彼らの精神がクラッシュするぞ!」
マルファスが鋭く警告する。
「分かってる! だから、段階的にパッチを当てるんだ。マルファス、聖女様! 俺が接続の『流量』を絞る。あんたたちは、その空いた帯域に『緩衝用の治癒魔法』を流し込んでくれ! システムの強制力を、徐々に生身の肉体へと軟着陸させるんだ!」
「……っ、承知しました!」
「チィッ、本当に人使いの荒いバグだ!」
聖女とマルファスがコンソールに触れ、彼らの高度な魔力制御がシステムへと流れ込む。
俺は、カズヤたちに付与されていた【痛覚遮断】【感情抑制】【強制抽出】のプロトコルを、一つずつ慎重にコメントアウト(無効化)していった。
王都へ強制的に送られていた魔力が、彼ら自身の体内へと還元されていく。
その時。
開通したばかりのクリアな魔力回線を通じて、ノイズ混じりの「声」が、コンソールから響いてきた。
『……ハァ……ハァ……。マナベ、さん……?』
「カズヤ!?」
俺は驚き、声を上げた。システムと深く繋がっていたカズヤの精神波形が、通信回線として基盤炉に一時的に直結したのだ。
『……っ、体が……すごく、重いです。……痛みも、恐怖も、全部……一気に押し寄せてきて……』
カズヤの掠れた声からは、彼が今、どれほどの絶望的な状況に置かれているかが痛いほど伝わってきた。
彼らは今、東部戦線のさらに奥深く、魔物の大群の真っ只中にいるはずだ。強制的な支援システムが外れたことで、彼は初めて「生身の人間」として、本当の戦場の恐怖と痛みに直面している。
「カズヤ、よく聞け! あんたたちを縛っていた搾取のシステムは、俺が今ここで止めた。もう、あんたたちが魔法を使うたびに命を吸い取られることはない!」
『……止まった……。僕たちはもう、燃料じゃないんですか……?』
「ああ。それだけじゃない。この基盤炉の奥底に、凍結されていた『帰還プロトコル』を見つけた。あんたたちを日本へ帰す手順は、ちゃんと残っていたんだ」
『日本へ……帰れる……!』
通信の向こう側で、カズヤだけでなく、青年や女性の咽び泣く声が微かに聞こえた。
「だが、すぐには帰せない」
俺は、目の前の現実を冷酷に告げた。
「この基盤炉は、王国のインフラすべてと完全に癒着している。今ここで基盤炉の機能を完全に停止させれば、王都の防壁は消滅し、何百万という人間が魔物に食い殺されることになる。……あんたたちを『安全にアンインストール(帰還)』させるためには、この国が基盤炉なしでも回るように、新しいシステムを再構築する時間が必要なんだ」
それは、気の遠くなるような大規模なデバッグ作業になる。
カズヤたちは、まだしばらくはこの世界に留まらなければならない。
「だからカズヤ、逃げろ! 俺がダリル司令に連絡して救出部隊を出させる。それまでなんとか生き延びて、砦まで撤退するんだ! もう、魔物と戦う必要なんてない!」
俺がそう叫んだ時だった。
通信の向こうで、魔物の恐ろしい咆哮と、それに混じる一般兵たちの悲鳴が響いた。
カズヤたちが王都の命令で進軍した場所には、彼らに同行させられていたエルネストたちのような随行員や、前線の護衛兵たちが大勢いるはずだ。
『……駄目です、マナベさん。ここで僕たちが逃げたら、後ろにいるエルネストさんたちが、全部魔物に食われちゃいます』
カズヤの声が、不思議なほど静かに響いた。
「カズヤ! あんたはもう、この国を守る義務なんてないんだぞ! 燃料として扱われていたのに、どうして……!」
『ええ。王都の偉い人たちのために戦う気は、もうありません。……でも、僕に酷いことをした「システム」と、泥まみれになりながら僕たちを心配してくれたエルネストさんたちは、違いますから』
カズヤの声には、かつてのシステムに操られた「作られた英雄」の覇気はなかった。
だが、そこには痛みを知り、恐怖を知り、それでも自らの意志で立ち上がろうとする、一人の人間としての確かな強さが宿っていた。
『痛いし、怖いですけど……。でも、魔法は使えます。魔力が吸い取られない分、前よりもずっと、自分の力を熱く感じるんです。……燃料としてじゃなく、僕自身の意志で、この剣を振ります』
『――みんなを守って、必ず、あなたたちがいる砦へ帰ります。だからマナベさん。僕たちが帰るべき日本を……必ず、切り開いてください』
通信の向こうから、聖剣が力強く魔力を帯びる音が響き、そこで回線は途絶えた。
「……バカヤロウが」
俺は目頭が熱くなるのを堪え、コンソールを強く叩いた。
あいつらは、もう操り人形じゃない。誰に強制されるでもなく、自分の大切なものを守るために戦うことを選んだのだ。
なら、俺がやるべきことは一つしかない。
「リゼット、マルファス、聖女様。……あいつらが命懸けで帰ってくるんだ。俺たちも、ここのデバッグを完遂させるぞ」
俺は、メインコンソールに浮かぶ【第一要件:異世界の魂を永久的に搾取・消費する】という、初代王が残した忌まわしいコードを鷲掴みにした。
「王国のインフラよ、お前たちの甘えた『現仕様』は今日で終わりだ。これからは、他人の命ではなく、お前たち自身の限られた魔力で、汗水流して現場を回せ!」
俺は、その要件定義を完全に【削除(Delete)】し、新たなコードを叩き込んだ。
【アップデートパッチ:Ver.2.0(自立運用モードへの移行)】
【新要件:基盤炉は異界の魂への接続を完全に遮断する】
【新要件:王都インフラは、自然魔力と魔石のみを用いた『セーフモード』へと強制移行する】
「……承認!!」
俺が最後のコマンドを実行した瞬間。
虚数次元にそびえ立っていた巨大な光の柱が、激しく明滅し、やがてその眩い光を失って、穏やかで静かな青色の輝きへと変貌した。
周囲を飛び交っていた水晶のリングの回転が遅くなり、空間全体を満たしていた暴威のような圧迫感が嘘のように消え去る。
基盤炉の「燃料」は、完全に切り替わったのだ。
王都はこれから、莫大な魔力を使った快適な生活を失うだろう。だが、それは本来あるべき「当たり前の冬」に戻るだけのことだ。
「……やりましたね、シュウジさん」
リゼットが、へたり込みながらも満面の笑みを向けた。
「ああ。これでカズヤたちを縛る鎖は消えた。帰還プロトコルのロックも解除できた」
俺はコンソールの奥に輝く『Return-Process(稼働待機中)』の文字を確認し、深く安堵の息を吐いた。
「だが、これで終わりじゃない。むしろ、ここからが本番だ」
俺は、静かになった基盤炉を見上げた。
帰還プロトコルを実行し、カズヤたちを、そして俺自身を元の世界へ帰すためには、この基盤炉に依存しきった王国のインフラ全体を、根本から「自立可能な形」へと設計し直さなければならない。
王都の魔導師たち、現場の役人たち、そして各地方都市の代官たち。
彼らすべてを巻き込み、この世界の「仕様書」を俺たち自身の手で一から書き上げる、超特大のプロジェクト。
「さて、忙しくなるぞ。……まずは王都に戻って、大長老たち『古い管理者』に、引導を渡してやろうか」
俺の左腕の腕輪が、再び静かな、しかし力強い真紅の光を放ち始めた。
王国の根幹バグを潰し、真の運用改善へ挑むための戦いが、今、新たなフェーズへと進もうとしていた。




