第45話 強制召喚シーケンス
神聖不可侵の『祈りの間』――その実態である運用監視室は、今や致命的なエラーを示す赤き警告光に埋め尽くされていた。
『――警告。大神官権限(Admin-Authority-Overdrive)を受理』
『――勇者補充計画(第128期)、強制召喚シーケンスを起動します』
無機質な魔導音声が響く中、壁一面に並んだ水晶パネルが、かつてないほどの激しい明滅を繰り返している。
王都の地下深くから、地鳴りのような重低音が湧き上がり、足元の石畳を震わせていた。俺たちの頭上、大召喚広間に描かれた巨大な魔法陣が、莫大な魔力を吸い上げて空間をこじ開けようとしている証拠だ。
「マナベ! 魔力流量が跳ね上がってるぞ! このままじゃあと数分で空間の亀裂が固定化される!」
マルファスが、コンソールの数値を睨みつけながら叫んだ。
「あのジジイ、本気で強行しやがった! 新しい16人を、一気に引きずり込む気だ!」
「させない。絶対にここで食い止める……!」
俺は中央コンソールに両手を叩きつけ、左腕の真紅の腕輪――首席検査官の権限をフルスロットルで励起させた。
『――差分解析(現仕様閲覧)、深度最大!』
視界が反転し、真紅に染まった空間に、無数の文字列とフローチャートが滝のように流れ落ちてくる。
俺の目は、起動したばかりの『異界指定・資源召喚陣』の最深部、その実行プロセス(ソースコード)を直接捉えていた。
【実行プロセス:異界ネットワークへの接続を確立】
【検索条件:世界の理に適合しない魂(高摩擦エネルギー発生源)】
【抽出数:基本枠4、予備資源枠12】
【動作:条件に合致する対象をランダムにロックし、強制取得を実行する】
「……なんて悪辣なAPI(取得プログラム)だ」
俺は吐き気を催しそうになるのを必死に堪え、コードを睨みつけた。
勇者召喚という、おとぎ話にあるような「神が選ばれし者を導く」なんてロマンチックな手順はどこにもない。
そこに書かれているのは、「条件に合うデータベース(異世界)から、一番手近なデータ(人間)を無作為に16個引っ掴んで、無理やりこちらのフォルダにダウンロードしろ」という、極めて乱暴で機械的なリクエストだ。
相手の意思も、事情も、年齢も関係ない。ただ「燃えやすい魂」であれば誰でもいいのだ。
「シュウジさん、止められますか!?」
リゼットが、祈るように両手を組んで俺を見つめる。
だが、俺の仮想コンソールに表示される『プロセス停止(Kill)』のコマンドは、無情にもグレーアウトして押せなくなっていた。
「くそっ……! 停止コマンドが弾かれる! 大元の召喚陣と創世の基盤炉が直結しているせいで、俺の検査官権限じゃルート承認が降りないんだ!」
システムエンジニアとしての常識が、絶望的な現実を突きつけてくる。
上位管理者(大神官)がルート権限で実行したプロセスを、下位権限の俺が直接「止める」ことは不可能だ。無理に停止コマンドを叩き込み続ければ、俺のアクセス権そのものが不正とみなされてBAN(凍結)され、二度とコンソールに触れられなくなる。
「駄目だ……もう魔力充填率が九割を超えている……!」
召喚管理官が、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。
「門が開く! また何の罪もない若者たちが、この地獄に……!」
「諦めるな! 止められないなら、別のやり方で止めるんだよ!」
俺は仮想コンソールを開き直し、新たなコードを猛烈な勢いでタイピング(構築)し始めた。
システム開発において、実行中のプロセスを直接止められない場合の『裏技』がある。
それは、プロセスそのものに「終わりのないタスク」を投げ与え、永遠に空回りさせることだ。
「マルファス! 召喚陣の認証ゲート(関所)にあたる術式節点を割り出せ! そこへ俺が作ったパッチをねじ込む!」
「無茶言うな! 召喚中の魔力流流に異物を混ぜるなんて、一歩間違えば逆流して俺たちが消し飛ぶぞ!」
「やるしかないんだよ! お前の腕ならできるだろ!」
「……チィッ! 失敗しても恨むなよ、人使いの荒いバグ野郎め!」
マルファスは悪態をつきながらも、杖を構えてコンソールの一部に魔力を流し込み、システムの装甲を物理的にこじ開けるための隙間を作ってくれた。
俺は、その一瞬の隙間を縫って、書き上げたばかりの遅延プログラム(パッチ)を召喚陣のプロセスに叩き込んだ。
【関数:候補者認証リトライループ(Infinite-Retry-Loop)を追加】
【挿入箇所:候補者ロック〜強制取得の直前】
この召喚陣は、条件に合う魂を見つけたら「即座に引き抜く」仕様になっている。
そこに俺は、「この魂は本当に条件に合致しているか? エラーがないかもう一度厳密に再確認しろ」という、極めて冗長なチェック処理を割り込ませた。
当然、人間の魂という複雑なデータに、システムが求める100%完璧な「純潔性」など存在しない。何度確認しても、必ずコンマ以下の「誤差」が検出される。
【条件:対象の『完全な純潔性』が証明されるまで、取得を保留し、再試行する】
システムに、「絶対に終わらない確認作業」を命じたのだ。
「……通れッ!!」
俺が承認のルーンを全力で押し込んだ、その瞬間。
『――システム通知。候補者認証プロセスに移行します』
壁一面の水晶パネルに、目まぐるしい速度でログが流れ始めた。
【対象No.001をロック。……純潔性確認エラー。再試行します】
【対象No.001をロック。……純潔性確認エラー。再試行します】
【対象No.001をロック。……純潔性確認エラー。再試行します】
秒間何千回という猛烈な速度で、「確認」と「失敗」のログが画面を埋め尽くしていく。
それに呼応するように、頭上の大召喚広間から聞こえていた地鳴りのような駆動音が、不協和音を伴った甲高い空転音へと変わった。
空間を裂こうとしていた莫大な魔力が、行き場を失って行き止まりのループの中でぐるぐると回り始めているのだ。
「な……召喚陣の充填が、99パーセントで停止しました! いえ、止まっているわけではありません! 魔力は消費され続けているのに、術式が先へ進んでいません!」
下級神官の一人が、信じられないものを見るように叫んだ。
「空転しているんですよ」
俺は、汗だくになりながらコンソールから手を離した。
「扉の前に立っている客の顔を、門番が永遠に確認し続けている状態だ。『よし、通れ』という許可が出ない限り、召喚陣は誰もこの世界に引きずり込めない」
「す、すごい……! 召喚を止めたんですね、シュウジさん!」
リゼットが顔を輝かせ、聖女もまた、祈るように両手を胸の前で組んで深く安堵の息を吐き出した。
召喚管理官と下級神官たちも、互いの無事を喜び合うようにへたり込んでいる。
「……だが、あくまで時間稼ぎだ」
俺は息を整えながら、厳しい声で告げた。
「この『無限ループ』は、システムにとって非常に不自然な負荷だ。いずれ大神官か、王都の最高位魔導師たちが異常に気づいて、俺のパッチをデリートしに来る。……それまでに、大元である基盤炉の仕様を書き換えて、召喚制度そのものを無効化しなきゃならない」
「基盤炉へ向かいましょう。この祈りの間の奥に、基盤炉の管理領域へと続く正規の昇降機があります」
聖女が立ち上がり、決意を秘めた瞳で通路の奥を指差した。
「今の私なら、その扉を開くことができます。……急ぎましょう、皆様」
彼女の案内で、俺たちは管理室の最奥にある重厚な隔壁へと向かった。
これで、まずは最悪の事態は防げた。新たな16人の犠牲者が生まれることはない。
あとは、諸悪の根源である創世の基盤炉の要件定義を書き換え、カズヤたちを縛る鎖を断ち切り、帰還手順のロックを解除するだけだ。
そう思って、俺がホッと肩の力を抜いた、まさにその時だった。
『――警告(FATAL ERROR)。警告(FATAL ERROR)。』
突然、管理室の水晶パネルがすべて真っ黒に染まり、血のように赤い、極太の文字が浮かび上がった。
それは、先ほどまでの大神官のアクセスログとは次元が違う。この部屋のシステムそのものが、悲鳴を上げているような異様な表示だった。
「……なんだ!? 大神官の野郎がもうパッチに気づいたのか!?」
マルファスが杖を構え直す。
だが、俺の『現仕様閲覧』が捉えたその警告の「発信元」は、大神官がいるはずの地上の神殿ではなかった。
それは、俺たちの足元――王都の地下の、さらに何千メートルも深い場所。
この国のすべてのインフラを束ねる、巨大な心臓部から発せられていた。
【システム通知:『異界指定・資源召喚陣』の致命的遅延を検知】
【分析結果:外部からの不正なコード注入による意図的な妨害行為と断定】
「嘘だろ……。システム自身が、俺のパッチを検知したのか……?」
俺は冷や汗を流しながら、流れ続けるログを凝視した。
大神官が気づいたわけではない。
召喚陣という「燃料調達プロセス」が異常に長引いていることを、大元である『創世の基盤炉』のシステムそのものが検知し、自律的に判断を下したのだ。
【オブジェクト識別:マナベ・シュウジ】
【状態:資源適合率・極低/観測不能な差分を保持】
【判定:当個体を、基盤炉の稼働を脅かす『運用阻害要因』と認定】
「運用阻害、要因……」
その言葉の意味を理解した瞬間、俺の背筋に、これまでにない強烈な悪寒が走った。
この世界の中枢システムは、ついに俺を明確な「敵」としてロックオンしたのだ。
『――防衛プロトコル(System-Defense)、起動』
『――対象の完全排除(Physical-Delete)を実行します』
ズズズズズズッ……!!
王都の地下全体が、震度を伴って激しく揺れ始めた。
それは単なる地震ではない。王都全域の古代魔導基盤が、水道、熱源、結界、通信といったあらゆるインフラのリソースを一時的に遮断し、その莫大な魔力を、俺という「たった一人のバグ」を駆除するためだけに一点へ集中させ始めたのだ。
「シュウジさん! 壁が……っ!」
リゼットの悲鳴。
見れば、管理室の強固な石壁の隙間から、青白い高密度の魔力が、まるで意思を持ったスライムのように蠢きながら滲み出してきていた。
それは、俺の命を物理的にデリートするための、システムによる「修復プログラム」そのものだった。
「逃げるぞ! 昇降機へ急げ!!」
俺たちは、崩壊し始めた運用監視室を後にし、基盤炉へと続く隔壁へ向かって全力で駆け出した。
敵はもはや、腐敗した神官でも、傲慢な貴族でもない。
この世界を数百年間回し続けてきた、古代魔導基盤そのものが、俺を殺しに動き出したのだ。




