第44話 神聖不可侵の管理画面
聖女が杖で触れた隠し扉の先は、王都の華やかな地下空間とは打って変わって、無機質で冷たい通路だった。
装飾の一切ない剥き出しの石壁に、青白い魔導灯が等間隔で埋め込まれている。空気はひんやりと乾燥しており、微かにオゾンのような焦げた匂いが漂っていた。
「……まるで、要塞の動力区画だな」
マルファスが周囲を見回しながら、忌々しげに鼻を鳴らす。
「神殿の地下にこんな無粋な通路があるとは、王宮の連中も知るまいよ。結界の張り方も、祈りや信仰なんてチャチなもんじゃない。純粋に『物理的な侵入』を拒絶するための、軍事レベルの仕様だ」
「ええ。ここは、神殿の中でも大神官様と一部の選ばれた者しか立ち入れない領域ですから」
先頭を歩く聖女が、力ない声で答える。洗脳から解放された彼女は、自分の足でしっかりと歩いてはいたが、その横顔には深い後悔の影が落ちたままだった。
「聖女様、無理はしないでくださいね」
リゼットが気遣うように声をかけると、聖女は小さく首を横に振った。
「大丈夫です。……私は今まで、見たくないものから目を背けてきました。でも、もう逃げません。自分が信じていたものの正体を、この目で見届ける義務があります」
通路を数分ほど進むと、やがて突き当たりに巨大な黒鉄の扉が現れた。
扉の上部には『祈りの間』と古めかしい文字で彫り込まれている。だが、扉そのものは分厚い金属でできており、どう見ても祈りを捧げるための神聖な場所の入り口には見えない。
「この奥が、基盤炉の論理的な制御権を握る場所ですね」
俺が確認すると、聖女はコクリと頷き、扉の脇にある窪みに自分の手を押し当てた。
カチリ、という機械的な音と共に、分厚い扉が重々しく左右に開いていく。
開かれた空間を前にして、俺たちは思わず息を呑んだ。
『――第二ノード、波形安定。主への祈り、滞りなく』
『――第六ノード、わずかに乱れあり。慈悲の光を注入し、魂の定着を促せ』
そこは、およそ「祈りの間」という言葉から連想される場所ではなかった。
ステンドグラスも、祭壇も、神像もない。
広大な円形の部屋の壁一面に、無数の「魔導水晶のパネル」がびっしりと埋め込まれている。それぞれのパネルには、複雑なグラフ、波形、そして明滅する数値がリアルタイムで流れ続けていた。
部屋の中央には巨大な円卓状のコンソールがあり、十数人の下級神官たちが、それに張り付くようにして水晶の盤面を操作している。
彼らは白装束を着ているものの、その眼差しは完全に「計器を監視するオペレーター」のそれだった。
「……これが、神への祈りだと?」
リゼットが信じられないというように呟く。
「誰だ! ここは許可なき者の立ち入りが――聖女様!?」
俺たちの侵入に気づいた一人の男が、コンソールの奥から血相を変えて飛んできた。
灰色の法衣を纏い、片眼鏡をかけた神経質そうな中年男。他の下級神官たちを束ねる、現場の責任者らしき人物だ。
「聖女様、なぜこのような場所へ!? 大神官様から、あなたは上層の自室で待機するよう命じられていたはず……それに、そちらの者たちは一体……!」
「召喚管理官殿」
聖女は凛とした声で、男――召喚管理官の名を呼んだ。
「彼らは、王都の監査を命じられた首席検査官、マナベ・シュウジ殿です。……私たちは、この部屋の『真実』を確かめに来ました」
「監査、だと……? 馬鹿な、ここは神聖不可侵の『祈りの間』ですぞ! 俗世の役人が踏み込んで良い場所ではない! それに真実とは何事ですか!」
召喚管理官は激昂し、背後の下級神官たちに目配せをした。彼らが即座に防御の術式を編み上げようとする。
だが、俺は彼らの制止を無視して、壁一面に並ぶ魔導水晶のパネルへと真っ直ぐに歩み寄った。
「神聖不可侵ね。……随分とサイバーな神様を信仰してるじゃないか」
俺は水晶の一つに右手を押し当てた。
『――差分解析(現仕様閲覧)、実行』
視界が反転し、水晶に表示されている「神聖なルーン文字」の裏側で動いている、本物のログデータが展開される。
俺はその中から、見覚えのあるIDを引きずり出し、空中にホログラムのように投影させた。
「マルファス、こいつを読んでみろ」
「あ? ……なんだこりゃ。ただの魔力波形のグラフじゃねえな」
マルファスは目を細め、投影されたグラフをなぞった。
「……心拍数、魔力放出量、精神的負荷(ストレス値)……。おいマナベ、こいつは『生体モニター』のデータだぞ。しかも、尋常じゃない極限状態にある人間のな」
「ご名答だ」
俺は召喚管理官を振り返り、冷酷な事実を告げた。
「召喚管理官殿。あんたたちがここで『神への祈り』と称して監視しているこの数値……誰のものか知っているか?」
「だ、誰のものとはどういう意味だ! 我々は、勇者様方が神の加護を失わぬよう、世界の魔力バランスを監視し、祈りの力で彼らを遠隔支援しているのだ!」
管理官は声を荒げるが、その額には冷や汗が浮かんでいた。彼自身、自分のやっている業務にどこか違和感を抱いていたのだろう。
「遠隔支援じゃない。これは『品質管理』だ」
俺は投影したログのタグ情報を拡大した。
【対象ID:127-01(勇者・カズヤ)】
【状態:交戦中。精神的負荷:88%(危険域)】
【基盤炉への魔力転送レート:最大効率で稼働中】
「あんたたちが見ているのは、最前線で命を削っているカズヤたちから、どれだけ効率よく魔力(燃料)を抽出できているかを示す『発電メーター』だよ」
「なっ……!?」
俺は下級神官たちが操作している中央コンソールを指差した。
「あんたたちがさっき『慈悲の光を注入しろ』と言って弄っていたバルブ。あれは、彼らを助ける魔法じゃない。抽出の負荷で彼らの心が完全に壊れて(焼き切れて)しまわないよう、一時的に痛覚を麻痺させ、無理やり延命させるための『冷却水』の注入ボタンだ」
管理室が、水を打ったように静まり返った。
下級神官たちは自分たちの手を震えながら見つめ、召喚管理官は顔面を蒼白にして後ずさった。
「ば、馬鹿な……我々が、勇者様を……燃料として監視していたというのか……?」
「そんなはずはない! 大神官様は、これが世界を救うための尊い祈りだと……!」
「建前に騙されるな!」
俺は一喝し、さらに別のログを展開した。
それは、書庫庁舎で見つけたあの『欠番勇者』たちのデータに連なるものだった。
「あんたたちは『儀式』と呼んでいるが、ここのシステムログには『異界指定・資源召喚陣』とハッキリ書かれている。世界を救うためじゃない。王都の地下にある基盤炉を回すための、生きた薪を管理するのがこの部屋の本当の役割だ。……あんたたち現場の人間は、大神官の都合のいい言葉で、人身御供の計器係にさせられていたんだよ」
その言葉に、現場の神官たちが次々と膝をついた。
彼らは神に仕える者として、誰よりも「命の尊さ」を重んじてきたはずだ。だが、自分たちが日々行っていた業務が、異世界から攫われた若者たちを監視し、搾取するためのものだったと突きつけられたのだ。
「……私の、私たちの祈りは……一体、何だったというのだ……」
召喚管理官が、崩れ落ちるようにコンソールに手をついた。
「管理官殿」
聖女が静かに歩み寄り、彼と同じ目の高さで語りかけた。
「私も、あなたと同じように騙され、無自覚に勇者様を苦しめていました。……ですが、真実を知った今、これ以上システムに加担することはできません。彼らを解放するための権限を、私たちに渡してください」
「聖女様……」
召喚管理官は涙を浮かべ、やがて震える手でコンソールのロックを解除しようとした。
「……分かりました。我々現場は、もう大神官様の狂気には従いません。基盤炉への接続を一時的に遮断し、勇者様たちへの搾取を……」
だが、彼がコンソールの承認キーに触れようとした、その瞬間だった。
『――ピーッ! ピーッ! ピーッ!』
部屋中の魔導水晶が、一斉に血のような赤色に染まり、けたたましい警告音を鳴らし始めた。
「な、何だ!? 何が起きた!」
マルファスが慌てて水晶を覗き込む。
「管理官殿! 我々のコンソールから、システムの制御権が奪われました! 上位権限(Admin)による強制アクセスです!」
下級神官が悲鳴を上げる。
俺は即座に『現仕様閲覧』を再起動し、赤く染まったログの流れを追った。
そこにあったのは、昨日俺が物流倉庫で見たあの狂ったバッチ処理の、最終フェーズの起動ログだった。
【システム通知:Admin-Authority-Overdrive(大神官権限)を受理】
【警告:『勇者補充計画(第128期)』のスケジュールを前倒しで実行します】
【処理内容:強制召喚シーケンス、起動。対象スロット:16(予備枠含む)】
「……ちぃっ! 大神官の野郎、現場が俺たちに寝返るのを察知して、強行手段に出やがった!」
俺はコンソールを強く叩いた。
「俺たちが基盤炉の仕様を書き換える前に、新しい16人の『燃料』を無理やりこの世界に引きずり込む気だ!」
「そんな! 召喚陣が完全に起動してしまえば、もう誰にも止められません!」
召喚管理官が絶望に顔を歪める。
「止めるんじゃない……時間を稼ぐんだ!」
俺は仮想コンソールに両手を突っ込み、激しく流れる赤いコードの波へと指を走らせた。
大元の召喚陣は、俺たちの頭上にある大召喚広間で今まさに空間を裂こうとしているはずだ。それを物理的に止める時間はもうない。
だが、この部屋は召喚陣の「論理的な制御」を担う場所。ならば、システムの隙間を突いて、処理そのものを遅延させることはできる。
「新たな犠牲者は出させない……! 絶対に、ここで食い止めてやる!」
王都の地下深く、青白い光と赤い警告が交錯する無機質なサーバールームで。
16人の命を懸けた、システムエンジニアのタイムアタックが始まった。




