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第43話 癒やしの裏側

 光の障壁を砕き、創世の基盤炉へと続く巨大な鉄扉へと向かった俺たちの背後で、それは起きた。


『――警告。対象の精神的負荷が規定値を突破。帰還不能処理の自衛ロックを起動します』

『――基盤炉防衛システムとの同調を開始。対象:聖女』


 無機質なシステム音声のようなものが、俺の『現仕様閲覧』の視界に直接響いた。

 振り返ると、膝をつき虚ろな目をしていた聖女の身体が、不自然な挙動でふわりと宙に浮き上がっていた。


「なっ……なんだありゃ!?」


 マルファスが驚愕の声を上げる。

 聖女の純白の法衣が、激しい魔力の風に煽られてはためいている。だが、その瞳に先ほどの悲壮な決意や信仰の光はない。完全に焦点が定まらない、硝子玉のような無機質な眼差しだった。


「排除……します。基盤炉への、不法侵入者を……」


 機械の合成音声のように平坦な声と共に、彼女の持つ杖の先端から、先ほどとは比べ物にならないほどの高密度の光線が放たれた。


「ちぃっ! 物理防壁・三重展開!」


 マルファスが咄嗟に前に出て、分厚い魔力の壁を展開する。だが、光線はそのうちの二枚を飴細工のようにあっさりと貫通し、三枚目で辛うじて相殺された。

 衝撃で吹き飛ばされたマルファスが、床を転がりながら悪態をつく。


「冗談じゃねえぞ! あれは個人の魔力じゃない。地下の魔力脈から直接エネルギーを引き上げやがった!」


「シュウジさん! 聖女様の様子がおかしいです! まるで、操り人形みたいに……!」


 リゼットが俺の背中に庇われながら叫ぶ。


「ああ、その通りだ。彼女は今、完全にシステムに乗っ取られている」


 俺は歯を噛み締め、再び『現仕様閲覧』の深度を上げた。

 聖女の全身を覆い尽くすように、真っ赤なエラータグと制御用のコードが縛り付いているのが見える。


【オブジェクト識別:聖女・洗脳プロトコル(Admin-Override)】


 神殿の上層部は、彼女を「尊い信仰を持つ聖女」として表向きは祭り上げながら、その精神の奥底に絶対的な『防衛装置』を仕込んでいたのだ。

 彼女の信仰心が揺らぐか、あるいは基盤炉に危険が迫った時、彼女個人の意思を完全に上書き(オーバーライド)し、殺戮兵器として起動させる最悪のバックドア。


「……ここまでやるかよ、王都の連中は」


 俺は仮想コンソールを開き、彼女を縛るプロトコルの解除を試みる。

 だが、そこには何重もの強固なロックが掛けられており、解除キーは彼女が今まで行ってきた『治癒術式』のログと複雑に絡み合っていた。


「マルファス! もう三分解防壁を持たせろ! 俺が彼女の制御コードを書き換える!」


「無茶言うな! 相手は無限の魔力タンク直結だぞ!」


 文句を言いながらも、マルファスは再び杖を構えて光線を受け止める。


 俺は飛び交う光の矢の雨の中で、聖女の『治癒術式』の過去のログを凄まじい速度で走査スキャンしていった。

 彼女が勇者たちにかけていた「治癒」の裏側。そこには、彼女自身も知らなかった残酷な真実が記録されているはずだ。


【参照ログ:勇者カズヤへの治癒実行(計142回)】

【内部処理:対象の魂IDの接続状態を確認。基盤炉への供給リンクを補強】

【バックグラウンド処理:実行者(聖女)への同調フィードバック】


「……なんだこれは。治癒をかけるたびに、彼女自身にもシステムから負荷がかけられていたのか?」


 俺の目に飛び込んできたのは、双方向の通信ログだった。

 彼女が勇者を癒やし、勇者の魂を基盤炉へ強く縛り付ける(固定化する)たびに。


 彼女自身の魂もまた、「勇者を管理する端末ルーター」として、基盤炉のシステムと深く癒着するようにプログラミングされていたのだ。


「彼女は、勇者を繋ぎ止めるための『楔』だったんだ。そして楔である彼女自身も、絶対に逃げられないようにシステムに打ち込まれていた……」


 聖女が「勇者の犠牲は世界を救うために必要だ」と頑なに信じていた理由。

 それは、純粋な信仰心だけではない。治癒を行うたびに、システムから微弱な『同調信号(洗脳)』を流し込まれ、彼女の思考そのものが「基盤炉の維持を最優先する」ように、長い年月をかけて調教コーディングされていたからだ。


「……マナベ! 防壁が保たんぞ!」


 マルファスの悲鳴。光の障壁にピキピキと亀裂が入り始めている。


「今やる!」


 俺は、聖女の深層心理――洗脳プロトコルが覆い隠そうとしている、彼女本来の「善意のログ」を抽出しにかかった。


 システムが上書きした「王都を守れ」「異端者を排除しろ」という強制コマンドの下。

 そこには、彼女自身が本当に祈っていた、ささやかな、けれど純粋な願いのデータ(差分)が残っていた。


『――カズヤ様が、どうか今日一日、無事に眠れますように』

『――どうかこれ以上、彼らが傷つきませんように』


 彼女は確かに、システムの一部として利用されていた。

 だが、彼女の「祈り」そのものまでは、システムも完全に消去することはできなかったのだ。


「……見つけたぜ。これが、あんたの本当の仕様だ」


 俺は、その「純粋な祈り」のログを起点にして、洗脳プロトコルの条件分岐に強制的なエラー(矛盾)を発生させた。


【権限上書き:『対象の排除』コマンドと『対象の保護』コマンドを衝突コンフリクトさせます】

【システムエラー:無限ループ発生。洗脳プロトコルの実行を強制停止キルします】


 俺が最後の承認エンターを叩き込んだ瞬間。


「……あ、ああっ……!」


 空中に浮遊していた聖女の身体がビクンと跳ね、放たれようとしていた極太の光線が、霧散するようにかき消えた。

 彼女を縛り付けていた赤いエラータグが、音を立てて砕け散っていく。


「聖女様!」


 リゼットが駆け寄り、落下してくる聖女の身体をしっかりと受け止めた。


「……ハァ、ハァ……ギリギリだったな」


 マルファスが杖を突きながらへたり込む。


「……私は……何を……」


 リゼットの腕の中で、聖女がゆっくりと目を開けた。

 その瞳は、もはや無機質なシステムの端末ではなく、迷いと痛みを抱えた、一人の人間の色を取り戻していた。


「洗脳が解けたんだよ。あんたを縛り付けていた、神殿の『操り糸』がな」


 俺はゆっくりと歩み寄り、彼女を見下ろした。


「……操り糸……」


 聖女は震える手で、自分の胸元を握りしめた。洗脳が解けたことで、自分が先ほどまで何をさせられていたのか、そして自分が今まで「治癒」という名目で何をさせられてきたのか。そのすべての情報が、彼女の中で正しく処理され始めている。


「私は……勇者様を癒やしているつもりで……彼らを、この世界に縫い付けていた……。私の祈りは……神の奇跡ではなく、彼らの命を削るための……ただの道具だったのですね……」


 彼女の目から、再び大粒の涙が溢れ出した。

 だが、先ほどの「己の信仰が揺らいだ」絶望の涙ではない。自分が加担してしまっていた残酷な現実に対する、深い悔恨と懺悔の涙だ。


「あんたは騙されていたんだ。責めるべきは、その善意を利用したシステムを組んだ連中だ」


 俺の言葉に、聖女は力なく首を横に振った。


「いいえ……。私は、彼らの苦しむ顔を見て……どこかで、おかしいと気づいていたはずなのです。でも、私は『これは世界を救うための試練だ』と、自分に言い聞かせて、見ないふりをしてしまった。……それが、私の罪です」


 聖女は、よろめきながらも自力で立ち上がった。

 そして、その涙に濡れた瞳で、真っ直ぐに俺を見つめてきた。


「マナベ・シュウジ。あなたは、この残酷な歯車を……本当に止めるおつもりですか。王都が滅びるかもしれないというのに」


「王都の連中は、今まで他人の命を燃やして贅沢をしてきたんだ。少しばかり冷たい水で顔を洗うくらい、我慢してもらわなきゃ割に合わないだろう」


 俺が皮肉交じりに言うと、聖女は小さく、本当に小さく吹き出すように笑った。


「……不遜な方。でも……だからこそ、あの狂った大神官様に立ち向かえるのですね」


 聖女は決意を固めたように、落ちていた杖を拾い上げた。


「この先へ行くのですね。創世の基盤炉へ」


「ああ。だが、この鉄扉の先は物理的な迷宮になっているらしいな。基盤炉の正確な位置を割り出すには、少し時間がかかりそうだ」


 俺がそう言うと、聖女は静かに首を横に振った。


「この扉の先へ行っても、基盤炉そのものには辿り着けません」


「……どういうことだ?」


「基盤炉は、王宮のさらに地下深く、物理的な空間からは隔離された『虚数次元』に置かれています。直接歩いて辿り着くことはできません。……ですが、基盤炉の『論理的な制御権』を握っている場所なら、この神殿の地下に存在します」


 聖女の言葉に、俺とマルファスは顔を見合わせた。


「論理的な制御権……つまり、メインフレームにアクセスできる『管理室コンソールルーム』があるってことか?」


 俺が尋ねると、聖女は頷いた。


「はい。神殿の上層部だけが立ち入りを許されている、真の聖域です。表向きは『神託を受ける祈りの間』とされていますが……その実態は、勇者様たちの生命力や魔力出力を常時監視し、基盤炉への供給量を調整するための場所です」


「……祈りの間が、運用監視室だったってわけか。いけすかない建前だぜ」


 マルファスが吐き捨てるように言う。


「案内します。このままでは、大神官様が強制的に召喚陣を回しきってしまいます」


 聖女は、決然とした足取りで鉄扉の横にある、一見するとただの石の壁にしか見えない場所へと向かった。

 そして、杖の先端を特定の魔力波形で押し当てる。


 ゴゴゴゴゴ……。

 重い音と共に、石壁の一部がスライドし、下へと続く隠し通路が現れた。


「こっちです。……私の犯した罪は、決して消えません。ですが、せめてこれ以上、私と同じように『善意』を利用されて、誰かが犠牲になるような世界は……終わらせなければならない」


 その背中は、もはやシステムに操られる哀れな人形ではなかった。

 自分の意志で、自らが信じてきた世界の「仕様変更」を望む、一人の人間の姿だった。


「行くぞ。神聖不可侵の管理画面とやらを、デバッグしてやろう」


 俺たちは聖女の案内に従い、神殿の隠された闇の奥深くへと足を踏み入れた。


 新たな16人の犠牲者が、この世界に引きずり込まれるまで、残り時間は少ない。

 俺の『現仕様閲覧』が、ついにこの国の心臓部のコードを暴く時が来ていた。

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