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第42話 聖女は仕様を信じる

 大神殿の地下深くへと続く螺旋階段を、俺たちは駆け下りていた。

 背後からは、ガチャガチャと重々しい金属音を鳴らす神殿騎士たちの足音が迫ってきている。


「おいマナベ! このまま地下へ降りていけば、いずれ行き止まりだぞ! 創世の基盤炉へ続く道なんて、王宮の連中すら全容を把握していないんだからな!」


 息を切らしながら、マルファスが怒鳴るように言った。

 ルミナスで威張っていた元・魔導長も、今や命懸けの逃亡劇に巻き込まれ、すっかり形無しだ。


「だからこそ、神殿の奥底に直結する物理的な回線ケーブルを辿るしかない。基盤炉から一番太い魔力を引っ張っているのは、間違いなくこの神殿の真下だ」


 俺は視界の端に『現仕様閲覧』のミニマップのようなログを維持し、壁の裏を走る極太の魔力供給線を追いかけていた。


「シュウジさん、前方に強い光が……!」


 並走していたリゼットが、鋭い声を上げた。


 螺旋階段を降りきった先、基盤炉へと続くであろう巨大な扉の前に、煌々たる光の障壁が展開されていた。

 青白い物理的な防壁とは違う。温かく、優しく、それでいて絶対に何者も通さないという強固な意志を持った、純白の光の壁。


 その壁の前に、一人の女性が立っていた。

 純白の法衣に身を包み、手には豪奢な装飾が施された杖を握っている。


 東部の最前線砦で、勇者カズヤを優しく抱き寄せていたあの女性――王国の『聖女』だ。


「……ここから先へは通しません、マナベ・シュウジ」


 聖女の澄んだ声が、地下の冷たい空間に響き渡った。

 彼女の背後には神殿騎士の姿はない。彼女一人で、この最終防衛線を死守するつもりのようだ。


「聖女様……。どうしてあなたがこんな地下に」


 リゼットが戸惑うように尋ねる。冒険者ギルドの受付である彼女にとっても、聖女は信仰と尊敬の対象として刷り込まれてきた存在だ。


「大神官様より、異端者が基盤炉を目指していると神託しらせがありました。……勇者様を惑わし、御陣の結界を破壊しただけでは飽き足らず、王国の心臓部にまで手を出そうとする悪魔よ。あなた方の思い通りにはさせません」


 聖女の眼差しは氷のように冷たかった。

 俺という存在は、彼女の目には「世界を滅ぼそうとするバグ」にしか見えていない。


「悪魔、ね。……あんた、自分が何を守っているのか分かって言っているのか?」


 俺は歩みを止めず、光の障壁の数歩手前まで進み出た。


「俺たちが今、召喚陣で何を止めてきたか。……あんたの大神官様は、カズヤたちの魔力が落ちてきたからって、新しく十六人の人間を異世界から攫ってこようとしていたんだぞ。それを知ってて、あんたはここに立っているのか」


 俺の言葉に、聖女はわずかに眉をひそめたが、その表情が崩れることはなかった。


「……勇者様の補充は、世界を守るために必要な儀式です。魔王の脅威が去らぬ今、新たな光を求めるのは当然のこと。彼らの尊い犠牲と献身があるからこそ、この世界は明日を迎えることができるのです」


 淀みない回答だった。

 彼女は、マルファスのような私欲で動く悪人でもなければ、大神官のように真実を知った上で隠蔽する権力者でもない。


 ただ純粋に、「少数の犠牲(勇者)によって多数の世界が救われる」という非情なシステムの建前を、本物の正義だと信じ込んでいるのだ。


「犠牲、か。……あんた、本気でカズヤたちを助けているつもりだったんだな」


 俺は深くため息をつき、光の障壁に右手を押し当てた。


「最前線で傷つく彼らを魔法で癒やし、寄り添い、祈りを捧げる。……あんた自身は、彼らの負担を少しでも減らしてやろうと、本気で思っていたんだろう」


「……当然です。私は聖女として、神より賜りし治癒の奇跡で、勇者様方の心身の痛みを和らげることに生涯を捧げてきました。それを、あなたのような平民に侮辱される筋合いはありません!」


 聖女が杖を突き出すと、光の障壁がさらに輝きを増し、俺の右手を弾き返そうとする。


「奇跡、ね。……じゃあ、その『奇跡』のソースコードを、俺と一緒に読んでみようか」


『――差分解析(現仕様閲覧)、実行』


 俺の目に、聖女の放つ純白の光が、無数の0と1、そして関数と変数の羅列へと分解されていくのが見えた。

 俺は空中に展開された半透明のログ画面を操作し、彼女の『治癒術式』の実行プロセスを可視化する。


「マルファス、こいつの波形を翻訳してやれ。あんたなら、これがどういう構造の魔法か分かるはずだ」


 俺が視界のログをマルファスの方へ共有シェアすると、元魔導長は胡散臭そうに空中の数式を眺め、やがてその顔色を青ざめさせた。


「……なんだ、これは。確かに表面上のレイヤーは高位の『組織再生』と『魔力回復』だ。だが……その裏で動いているバックグラウンドの処理が異常すぎる」


「裏の処理……?」


 聖女が、初めて不安げな声を漏らした。彼女には俺たちが見ているコンソールは見えていないが、マルファスの言葉の重みは伝わったのだろう。


「聖女様。あんたの治癒術式の中には、あんた自身も知らない『隠しコマンド』が組み込まれているんですよ」


 俺は、赤く点滅しているそのログを読み上げた。


【実行プロセス:対象の魂IDの接続状態を確認】

【条件分岐:肉体の損傷による魂の乖離(システムからの剥離)の兆候を検知】

【自動実行:魂接続の最適化(再アンカー付与)】

【自動実行:基盤炉への供給リンクの強制補強】


「……これが、あんたの奇跡の正体だ」


 俺は冷酷に事実を突きつけた。


「あんたの治癒は、傷を治す魔法なんかじゃない。戦闘で死にかけて、この世界のシステムから『剥がれ落ちそうになっている』カズヤたちの魂を、もう一度基盤炉へガチガチに繋ぎ止めるための……『ハンダ付け(固定化処理)』の作業だ」


「なっ……!?」


 聖女の顔から、完全に血の気が引いた。


「嘘よ……! 私の祈りは、勇者様の痛みを癒やすためのもの……! 彼らが少しでも楽になるようにと……!」


「表面上の痛みは消えるさ。でも、魂のレベルでは、あんたが治癒をかければかけるほど、彼らはこの世界から逃げられなくなっていたんだ。基盤炉へのパイプがどんどん太くなり、魔力を吸い上げられる効率が良くなっていく。……王都の連中からすれば、あんたの治癒は『最高のメンテナンス機能』だったわけだ」


 俺の言葉は、聖女のアイデンティティそのものを破壊する劇薬だった。

 彼女は、傷ついた勇者を救うために祈っていた。


 だが、その祈りが、結果として勇者をこの世界の燃料バッテリーとしてより強固に縛り付ける『呪い』として機能していたのだ。

 勇者たちがなぜあんなに疲弊していたのか。なぜ傷は治っても、彼らの瞳から絶望の色が消えなかったのか。


 その理由が、今、彼女の前に突きつけられた。


「嘘……嘘です……! そんな、私は……彼らを、苦しめていたというのですか……?」


 聖女は震える手で杖を落としそうになり、純白の障壁が不規則に揺らぎ始めた。


「シュウジさん、もう……」


 リゼットが、たまらず俺の袖を引いた。聖女のあまりにも痛々しい姿に、同情を禁じ得ないのだろう。

 だが、中途半端な同情は、システムを改修する上では命取りになる。ここで彼女に現実を見せなければ、彼女は永遠に「壊れた大義」に縛られ続ける。


「聖女様。あんたに悪意がなかったことは分かっている。……この国のシステムは、あんたの善意すらも『仕様』の中に組み込んで利用していただけだ」


 俺は障壁に触れたまま、言葉を続けた。


「この先、王都の地下で基盤炉の仕様を書き換えない限り、カズヤたちは永遠にあのままだ。……本当に彼らを救いたいなら、道を空けろ」


 聖女は、その場に膝をつきそうになりながらも、ギリッと奥歯を噛み締め、両手で杖を握り直した。

 揺らいでいた光の障壁が、再び強固な輝きを取り戻す。


「……それでも……っ!」


 彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 だが、その瞳にはまだ、折れ切っていない信仰の炎が宿っていた。


「それでも、私が退くわけにはいきません……! 彼らが燃料として使われていようと、その魔力がなければ、この王都の防壁は消え、無数の民が魔物に喰い殺されるのです! 世界を救うためには……誰かが、犠牲にならなければならない……! それが彼らの運命ならば、私は最後まで、その業を共に背負う覚悟です!」


 狂信ではない。

 それは、究極のトロッコ問題に対する、彼女なりの悲壮な決意だった。


 数人の異世界人を犠牲にして、数百万の国民を生かす。管理する側からすれば、それはあまりにも「正しい(合理的な)」選択だ。


「……立派な覚悟だ。でもな、聖女様」


 俺は冷ややかに言い放った。


「世界を救うために他人の命を燃料にするシステムなんて、最初から設計アーキテクチャが間違ってるんだよ。誰かの犠牲を前提とした平和なんて、ただの『バグの先送り』だ。いつか必ず、もっと大きな崩壊を招く」


 俺は『現仕様閲覧』の出力を上げ、聖女の展開する障壁のソースコードに直接干渉した。

 彼女の心が揺らいだ一瞬の隙。そこにある「変数の乱れ」を突き、障壁の認証プロセスに偽装データ(モック)を流し込む。


「悪いが、あんたの『尊い犠牲』に付き合ってやる義理はない。俺たちは、誰も犠牲にしない『正しい仕様』を書き直すために行く」


『――パキィィィンッ!』


 光の障壁に巨大な亀裂が走り、次の瞬間、ガラスが砕け散るようにして純白の壁が消失した。

 魔力を強制キャンセルされた聖女は、反動でその場に崩れ落ちる。


「……ああっ……」


 彼女は、俺たちが突破していくのを止める力も残されていなかった。ただ、虚ろな目で冷たい床を見つめている。


「行くぞ、リゼット、マルファス。追手が来る前に基盤炉へ降りる」


「は、はいっ!」


「チッ、全く人使いの荒いバグだぜ」


 俺たちは、崩れ落ちた聖女の横を通り抜け、さらに奥へと続く巨大な鉄扉へと向かった。


 だが、すれ違いざま。

 俺の『現仕様閲覧』の視界の端に、聖女の身体の奥深くで明滅する、一つの小さなエラータグ(警告)が引っかかった。


【オブジェクト識別:聖女・洗脳プロトコル(Admin-Override)】

【状態:対象の精神的負荷が規定値を突破。帰還不能処理の自衛ロックを起動】

【警告:対象の意志に関わらず、基盤炉防衛システムと同調させます】


「……なんだと?」


 俺は思わず足を止めた。

 聖女の意思の固さ。それは彼女の純粋な信仰心だけではなかった。


 神殿の上層部は、カズヤたち勇者だけでなく、この『聖女』という存在自身にも、システム防衛のための「操り糸(制御タグ)」を埋め込んでいたのだ。


「シュウジさん? どうしたんですか、早く!」


 先を急ぐリゼットの声に、俺はハッと我に返った。

 今は聖女のタグを解析している時間はない。大元である基盤炉を落とせば、彼女に組み込まれた洗脳プロトコルも一緒に停止するはずだ。


「……なんでもない。急ごう」


 俺は後ろ髪を引かれる思いで、聖女を背にし、創世の基盤炉へと続く闇の中へ足を踏み入れた。

 王都の地下。この狂ったシステムの中枢は、もう目の前だ。

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