第41話 帰還手順は存在する
王都大神殿の最深部、『大召喚広間』へと続く回廊を、俺たちは全力で駆け抜けていた。
石造りの壁には、歴史の重みを感じさせる精緻な浮き彫りが施され、数歩おきに配置された魔導灯が、青白い光で俺たちの影を長く引き伸ばしている。
「ハァ、ハァ……シュウジさん、急がないと!」
「分かってる。マルファス、儀式場のセキュリティはどうなってる!」
リゼットの切迫した声に応えながら、俺は並走する元魔導長に鋭い視線を送った。
マルファスは、脂汗を流しながらも懐から取り出した古びた羊皮紙――神殿内部の魔力回線図――を睨みつけている。
「……クソッ、この先は『聖域』だ。物理的な扉は一つだが、術式的な二要素認証が施されている。神官たちの持つ『聖印』がなければ、内側からロックされた扉はびくともせんぞ!」
「なら、その『認証プロセス』そのものを横取りするまでだ」
俺たちは回廊の突き当たり、天を突くほど巨大な白銀の二枚扉の前に辿り着いた。
扉の表面には、複雑に絡み合った魔法陣が脈動するように輝いている。内側で、かつてない規模の魔力が練り上げられているのが、肌を刺すような静電気となって伝わってきた。
『――おお、大いなる神の意志よ。今再び、この地に救済の光を……!』
扉の奥から、大神官たちの狂信的な祈りの声が漏れ聞こえる。
同時に、俺の視界には『現仕様閲覧』による警告ログが、洪水のように流れ込んできた。
【警告:大規模リソース取得シーケンスを開始】
【対象:異界・座標不確定領域】
【要求スロット:16(基本4+予備12)】
【魔力充填率:92%……95%……】
「……始まった。あいつら、本当にやる気だ」
俺は迷わず、白銀の扉に右手を叩きつけた。
冷たい金属の感触と共に、膨大な情報が脳内に直接流れ込んでくる。
『――差分解析(現仕様閲覧)、過負荷実行!』
視界が爆発した。
白銀の扉は透き通り、その向こう側に広がる光景が「論理構造」として俺の眼前に展開される。
儀式場の中央に描かれた巨大な召喚陣。それは神聖な魔法陣などではなく、異世界という外部ネットワークから強制的にデータを引き抜くための、おぞましい『資源採取用API』だった。
「マルファス、扉の認証コードを解析した。座標(102, 45)の術式節点に干渉しろ。俺が外部から過負荷をかけて、一時的に認証エラーを発生させる!」
「なっ、そんな力技……やってやる、死ぬ気で回線を維持しろよ!」
マルファスが杖を突き立て、扉の節点に向けて魔力を流し込む。
俺は視界に浮かぶ管理コンソールを叩き、扉のロックを制御している「認証デーモン」に対して、数万回に及ぶ『無効なアクセス要求』を叩き込んだ。
【システムエラー:認証処理がタイムアウトしました】
【例外処理:フェイルセーフにより、扉の緊急開放を実行します】
『――ガコォォォン!!』
物理的な重さを無視したような轟音と共に、白銀の扉が勢いよく左右に跳ね上がった。
「な、何事だ!? 儀式の最中に、何者が――」
光溢れる広間の中で、白装束に身を包んだ神官たちが驚愕の声を上げる。
広間の中央では、カズヤたちが使っていたものよりも数倍巨大な召喚陣が、不気味な紫色の光を放ち、空間に亀裂を入れようとしていた。
「そこまでだ、管理不足の神官共」
俺は、立ち塞がる神殿騎士たちを無視して、召喚陣の縁まで一気に駆け寄った。
リゼットが俺の背後で、神官たちの怒号を「首席検査官の臨時監査である!」という叫びで遮ってくれている。
「……マナベ・シュウジ。ルミナスのハズレ勇者が、何の真似だ」
祭壇の上に立つ、一際豪華な法衣を纏った老人――大神官が、燃えるような瞳で俺を睨みつけた。
「これは神聖なる『勇者補充計画』である。貴様のようなバグ一人の介入で止まるような、底の浅い奇跡ではないぞ」
「奇跡? 笑わせるな」
俺は召喚陣の光の中に手を突っ込んだ。
皮膚が焼けるような熱気。だが、それ以上に俺の指先は、陣の深層に流れる「汚いコード」を捉えていた。
「これは単なる、エラー処理を無視した『強制フェッチ(データ取得)』だ。お前たちは今から、16人の無辜の人間を、ただの燃料としてこの世界に引きずり込もうとしている。……だが、そうはさせない」
「フン、止めてみろ! 既に起動シーケンスは最終段階だ。一度開いた『門』を閉じる手段など、人間には存在せん!」
「……閉じる必要はない。俺がやるのは、単なる『遅延処理』だ」
俺は視界に浮かぶ召喚陣の制御フローの途中に、無理やり一つの関数を割り込ませた(インジェクション)。
【関数:候補者認証リトライループ(Infinite-Retry-Loop)】
【条件:対象の魂の『完全な純潔性』が証明されるまで、次の候補者探索へ移行する】
本来、この召喚陣は「条件に合う魂」を見つけたら即座に引き抜く仕様だ。
そこに俺は、「この魂は本当に正しいか? もう一度確認しろ」という冗長なチェック処理を無限に繰り返すループを仕掛けた。
もちろん、システムの定義する「純潔性」なんてものは、いくらリトライしても100%の回答は返ってこない。
【システムログ:候補者No.001……認証失敗。再試行中……】
【システムログ:候補者No.001……認証失敗。再試行中……】
空間の亀裂が、ピタリと止まった。
激しく明滅していた召喚陣の光が、まるで壊れた蛍光灯のように頼りなくチカチカと点滅し始める。
「な、何が起きた!? 召喚陣の回転が止まったぞ!」
「魔力は溢れているのに、術式が……空転しているようです!」
うろたえる召喚技師たちの声を背に、俺はさらに深く、召喚陣のソースコードを潜っていった。
このループが稼いでくれる時間は、長くて数十分。それまでに、俺は「最後の真実」を見つけなければならない。
「……あった、これだ」
カズヤたちが、そして俺たちがずっと探していたもの。
召喚陣の最古層、建国当時の初代王が組み上げたとされるオリジナルコードの残骸。
そこには、誰もが存在を否定していた『逆方向のパス』が、ひっそりと、しかし確実に記述されていた。
【オブジェクト識別:異界帰還プロトコル(Return-Process)】
【機能概要:接続された魂IDを抽出し、元の座標(Source-IP)へ再送(Redirect)する】
【ステータス:凍結(Frozen/Admin-Lock)】
「……シュウジさん、見つけたんですか?」
リゼットが、俺の横顔を覗き込む。
「ああ。……『帰還手順』は、ちゃんと存在した。神様が忘れたわけでも、世界の法則で禁じられたわけでもない」
俺は祭壇の上で呆然としている大神官を指差した。
「そこの連中が、自分たちの便利な『燃料』を手放したくないがために、手動でロックをかけていただけだ。……運用上の凍結、ただそれだけのために、俺たちは何代にもわたってこの世界に閉じ込められていた」
リゼットが唇を噛み締め、涙を浮かべた。
マルファスですら、「……なんてことだ。魔導の極致だと思っていたものが、ただの『鍵付きの牢獄』だったとは」と力なく呟いている。
「お、愚かな……! それを解いてどうする! 帰還機能などは禁忌だ! 勇者を帰せば、基盤炉への供給が途絶え、この王国は一日で滅びるのだぞ!」
大神官が狂ったように叫ぶ。
「貴様は、数人の異世界人のために、数百万のリネア国民を見殺しにするというのか!」
「いいや。インフラを止めることなく、搾取だけを止める。……それが、俺の仕事だ」
俺は帰還プロトコルの詳細ログを読み進める。
だが、そこで一つの大きな壁にぶつかった。
【依存関係:Admin-Lockの解除には、王都地下『創世の基盤炉』のルート承認が必要です】
「……なるほど。召喚陣だけで完結する処理じゃないのか。……帰還を実行するには、この陣と繋がっている『基盤炉』そのものの仕様を書き換えて、彼らを『資源(燃料)』としての登録から抹消しなきゃならない」
それは、この神殿の地下、さらに深くにある王国の心臓部へ乗り込むことを意味していた。
「……マナベ・シュウジよ、貴様はもう生かしておけぬ」
大神官の声が、低く冷たいものに変わった。
彼が合図を出すと、広間を囲んでいた数十人の神殿騎士たちが、一斉に抜剣し、鋭い殺気を放ちながら距離を詰めてきた。
「禁忌に触れ、奇跡を汚した異端者め。貴様が何を暴こうと、その記録ごとこの場でデリート(消去)してやる」
「……話が通じないのは、仕様書が古いからか、それとも頭の回路が焼き付いてるからか」
俺はリゼットを背後に庇い、マルファスに合図を送った。
時間は稼いだ。ループパッチはまだ生きている。
だが、管理者による「物理的な強制排除」が始まった以上、ここからはデバッグだけでは済まされない。
「逃げるぞ、リゼット。……目指すは、王都の地下最深部。『創世の基盤炉』だ」
「はい!」
俺たちは、神殿騎士たちの包囲を縫うように、再び走り出した。
背後では、大神官の「異端者を捕らえよ! 帰還の記録を抹消しろ!」という怒号が響き渡っている。
俺たちが暴いた「希望」は、神殿にとっては最悪の「不具合」だった。
ならば、その不具合を正式な『仕様』として確定させるまで、俺は絶対に止まらない。




