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第36話 召喚由来権限

 砦の地下石室を支配していたのは、まるで巨大な墓所のような、重く冷たい静寂だった。

 王都との通信回線を物理的に切断し、俺がパッチを当てて独立駆動に切り替えた魔導炉は、安定した低い駆動音を響かせている。その規則正しい重低音だけが、この空間で唯一の「正常な鼓動」だった。


 つい先ほどまで、この石室には絶対防衛結界の維持に奔走する兵士たちの怒号が飛び交っていた。

 だが今、東部方面軍の司令であるダリルや、保守担当の魔導師、数人の護衛兵たちは皆、一言も発することなくその場に立ち尽くしている。


 彼らの視線の先にあるのは、部屋の中央に鎮座する巨大な黒水晶のコンソールだ。


 俺の固有能力である『現仕様閲覧(差分解析)』によって暴かれた、この国の最も深く、最もおぞましい根幹仕様のログ。

 そこには、俺たちが「英雄を呼ぶ神聖な儀式」だと教えられてきたものの正体が、剥き出しの文字列として記録されていた。


【オブジェクト識別:Summon-Origin(召喚由来権限)】

【実効要件:異界指定・資源召喚陣】

【実行目的:創世の基盤炉の稼働維持、および燃料の恒久的な確保】


「……マナベ殿。あんたが暴いたその事実は、到底信じられるものではない。我々が信じてきたすべてを根底から覆す、悪夢のような話だ」


 沈黙を破ったダリル司令の声は、ひどく掠れていた。


「だが……この黒水晶に残された、王都からの一方的な処理の痕跡ログは、嘘を吐かないのだな」


「ええ。残念ながら、これが今、この世界で実際に動いている『現仕様』です」


 俺は冷え切った黒水晶の表面からゆっくりと手を離し、彼らの方へと向き直った。


「召喚された異世界人は、世界を救う英雄などではない。彼らの魂がこの世界の法則に適応しようとする際に生じる『強烈な摩擦ストレス』を、魔力というエネルギーに変換して吸い上げるための……ただの生体バッテリーです。そして、その摩擦を最大化するために、彼らは常に死の恐怖がつきまとう最前線へと放り込まれる仕様になっている」


 その事実を改めて言葉にした瞬間、保守担当の若い魔導師が耐えきれずに膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らした。

 彼らは最前線の砦で、傷ついた勇者たちを必死に支援してきた。手厚く治療し、最高のポーションを与え、彼らが魔王を倒してくれると信じて疑わなかった。


 だが、その手厚い保護すらも、貴重な「燃料」がすぐに壊れてしまわないようにするための、ただの冷却装置クーラーに過ぎなかったのだ。


「……勇者カズヤ殿たちは、今どうなっている?」


 ダリル司令が、血が滲むほど拳を強く握りしめながら尋ねた。


「俺が彼らと別れたのは、ほんの数時間前です。王都から突如として下された『極秘の急進軍命令』に従い、この砦よりもさらに東……魔物の領域の奥深くへと向かっていった。……あの不可解な命令も、今なら理由がわかります」


 俺は視界の端にまだ残っている、金色のフローチャートの残滓へと思考を向けた。

 王都とのメイン回線は切断したが、この砦の魔導炉に残った「ルーティングの履歴」を辿れば、彼らが今どうなっているかの大まかなトラフィック(通信量)は推測できる。


 視界に浮かぶ、王都へと向かう魔力の転送量グラフ。

 それは、数時間前にカズヤたちがこの砦を出発した直後から、異常な数値を叩き出していた。


「……酷いものですよ。今この瞬間も、東の空の彼方から王都の地下へ向かって、膨大な量の魔力が送られ続けている。おそらく彼らは今、未曾有の大群と交戦状態にある。……王都の連中は、俺をこの砦のデバッグに足止めし、彼らを意図的に過酷な状況へ誘導した。基盤炉へ送る魔力の『抽出量』を跳ね上げるために……。戦場が激しくなればなるほど、魂が軋み、魔力が湧き出す。彼らにとって戦場は、効率的な『発電所』なんです」


「なんだと……っ! では、カズヤ殿たちは今も、何も知らされないまま命を削られ続けているというのか!」


 ダリル司令の背後にいた副官が、激昂して声を上げた。


「司令! すぐに最速の伝令部隊を編成させてください! 勇者様たちの元へ急行し、この真実を伝えなければ! 今すぐ彼らに剣を置かせ、あの忌まわしい勇者の装具を脱ぎ捨てるように言うべきです!」


 現場の人間としての、あまりにも真っ当な怒りだった。

 数時間前に見送ったばかりの若者たちが、今まさに死地で燃料として搾取されている。彼らを追いかけ、その身を縛る鎖を外してやる。それが人間として取るべき当然の行動だ。


 だが、俺はシステムエンジニアだ。感情論だけで動くわけにはいかない。残酷な仕様には、冷徹な論理で立ち向かわなければならない。


「駄目です。それはできない」


 俺の冷たい宣告に、副官が信じられないという顔でこちらを睨みつけた。


「なぜだ! マナベ検査官殿、あんたは彼らが今この瞬間も燃料にされている事実を知りながら、それを見殺しにしろと言うのか!」


「見殺しにするとは言っていません。ですが……あの装備を今、物理的に外させることだけは絶対に不可能です。無理に外せば、彼らはその瞬間に死にます」


「なっ……!?」


 石室にいる全員が息を呑んだ。


「……システムに深く食い込みすぎているからです」


 俺は虚空に指を走らせ、俺にしか見えていない『勇者支援システム(X-01)』の要件定義の階層構造を可視化しながら説明を続けた。


「いいですか。彼らの魂は本来、この世界の物理法則ルールに適合していません。そのままでは存在を維持できない彼らを、この世界に無理やり繋ぎ止めているのが、あのX-01というシステムなんです。魂という一番デリケートなOSのカーネル部分に、王都のサーバーが直接プラグインしているようなものだ」


 数時間前までカズヤたちが身につけていた、銀色の胸当てや聖剣のコア部分を思い出す。


「あの装備は、単なる武器や防具じゃない。彼らの精神を安定させ、痛覚を遮断し、生命維持を行うための『外部接続の人工心肺』のようなものです。彼らの魂は今、システムと不可分なレベルで癒着ハードコーディングさせられている」


「癒着……」


「ええ。システム開発の業界では、これを『ベンダーロックイン(囲い込み)』と呼びます」


 俺は吐き捨てるように、その忌まわしい用語を口にした。


「一度そのシステムを導入してしまったら、他社のシステムへの乗り換えはおろか、システムを停止することすらできなくなる悪質な設計構造のことです。召喚制度を設計した連中は、勇者が真実に気づいて逃げ出さないよう、最初から『逃走そのものを物理的に不可能にする仕様』を組み込んでいたんですよ」


 今いきなり彼らに追いついて装備を外させたり、術式を完全に破壊したりすれば、異世界の魂とこの世界の肉体の間に強烈なズレが生じる。

 これまでシステムによって麻痺させられていた疲労とダメージ、そして世界の法則による排斥作用が一気に押し寄せ、彼らの心身は一瞬でクラッシュ(崩壊)するだろう。


「そんな……。では、カズヤ殿たちは、死ぬまで王都の乾電池として使い潰されるのを待つしかないのか……!」


 ダリル司令が、己の無力さに打ちひしがれるように拳を机に叩きつけた。

 鈍い音が響き、兵士たちは皆、やり場のない怒りに震えながら俯いている。


「……いえ。完全に停止させることはできませんが、『吸い上げ量』を制限することなら、ここからでも可能です」


 俺は再び黒水晶のコンソールに手を置いた。

 【現仕様閲覧】の深度を上げ、この砦の端末に残っている「カズヤたちのX-01への上書き権限(Override-Ticket)」を探し出す。


 王都から送られてきた進軍命令のログに、わずかだがその欠片が残っていた。


「今からカズヤたちの支援システムに『帯域制限スロットリング』の仮パッチを当てます。王都の基盤炉へ送られる魔力の転送レートを、九割から一割以下にまで強制的に絞り込む。システムには『勇者が極度の疲労状態にあり、出力が低下している』という偽装モックのステータスを返させ続ける。……これで、彼らの命を削る速度は劇的に遅くなるはずだ」


 俺は、黒水晶の仮想コンソールに複雑なコードを叩き込んだ。

 砦の独立した魔導炉から、カズヤたちのいる座標へ向けて、不可視の「制御信号」が放たれる。


【権限上書き:魔力転送ルートの帯域を制限】

【痛覚遮断・感情抑制プロトコルの出力を段階的に低下】

【偽装ステータス:出力低下(疲弊)を返信】


「よし、送信完了……。これで、彼らは少しだけ『生身の自分』に戻れるはずだ」


 遠く離れた戦場で、カズヤたちは今頃、急激な身体の重さと痛みに驚いていることだろう。だが、それこそが彼らが生きている証であり、システムによる搾取から逃れるための第一歩だ。


「マナベ殿、感謝する。これで少しは時間が稼げるのだな」


「ええ。ですが、あくまで仮パッチです。王都側が不審に思い、本格的なリモートメンテナンスや権限の再認証をかけてくれば、この細工は突破される」


 俺は、石室にいる全員の顔を一人ずつ見据えながら、はっきりと宣言した。


「彼らを縛る首輪の『大元の権限(ルート権限)』は、王都の地下にある『召喚陣』と『創世の基盤炉』のメインサーバーにあります。あの最深部にアクセスして権限を奪い取り、システム側から安全に彼らを切り離す(アンインストールする)手順を俺が構築するしかない。……俺が王都へ戻り、インフラ監査の特等権限を使って、あの狂ったメインサーバーの仕様書を根本から書き換えてやります」


 俺の宣言に、ダリル司令が顔を上げた。

 絶望に染まっていた彼の瞳に、再び鋭い、猛禽のような光が宿っていた。


「……よく言った、マナベ殿。ならば、我々東部方面軍もあんたと共に往こう」


 ダリル司令は腰の剣を抜き、その輝く刀身を俺の前に掲げた。


「大長老や王宮の連中が、力ずくであんたの監査を邪魔しようとするなら、この砦の全兵力を挙げて王都の門をこじ開けてみせる。我々はもう、使い捨ての駒ではない。この歪んだ王国の理を正す、真の刃だ!」


「おおおおおっ!!」


 司令の言葉に呼応し、兵士たちが一斉に武器を打ち鳴らし、力強い鬨の声を上げた。

 ルミナスの街で、物流の拠点で、そしてこの最前線で。俺が泥臭く現場のバグを直し、現場の人間たちと向き合ってきたその「積み重ね」が、今、最大の武器となって王都に牙を剥こうとしているのだ。


 俺たちの意思が一つにまとまった、その時だった。


『――ピィィィィィン!!』


 石室の隅、司令塔から引かれている緊急連絡用の魔導端末が、けたたましい警告音と共に不吉な赤色に点滅し始めた。


「なんだ!? 王都との通信は物理的に遮断したはずだぞ!」


「司令! これは……軍の系統回線じゃありません! 独立した魔力で動いている、神殿専用の『高優先度回線ホットライン』です!」


 通信兵が吐き出された羊皮紙を手に取り、その内容を見た瞬間、顔面を蒼白にさせた。


「……どうした。何と書かれている?」


 ダリル司令の問いに、通信兵は震える手で羊皮紙を差し出した。


「マナベ首席検査官殿宛てに……直通の命令書です」


 俺は羊皮紙をひったくるように受け取り、そこに印字された文字列を走査した。

 その内容は、極めて簡潔でありながら、この上なく傲慢な宣告だった。


『ルミナス特別領首席検査官、マナベ・シュウジ。

 貴殿の東部方面における一切の監査権限、および情報アクセスの権限を、ただ今をもって即時凍結する。

 貴殿が触れた領域は、王権や行政に属する管理項目ではない。

 それは、神より託されし「聖域」の不可侵仕様である。

 これ以上の越権行為は、神への反逆とみなし、異端審問の対象とする』


 羊皮紙の末尾には、魔導省の歯車の紋章ではなく、純白の翼と光輪を模した紋章が威圧的に押されていた。


「……『王都大神殿』、だと」


 ダリル司令が信じられないというように唸った。


 王都大神殿。

 召喚儀式を司り、「勇者は神に選ばれた」という嘘を国中に広めている、この国最大の宗教権威。

 その巨大な黒幕が、ついに俺を「バグ(障害)」として認識し、排除デリートに動き始めたのだ。

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