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第35話 現仕様、その召喚へ

 砦の地下石室は、先ほどまでの緊迫した空気が嘘のように、静かで安定した熱気に包まれていた。


 王都からの接続を物理的に切断し、俺が書き換えた独立駆動の術式によって、魔導炉は力強く、そして穏やかに鼓動を打っている。


 地上からは、微かに魔物の断末魔や、兵士たちの歓声が響いてきていた。


 どうやら、新しく展開した絶対防衛結界は、魔物の大群による猛攻を完全に弾き返し、砦を守り抜いたようだ。


「マナベ殿。地上の防衛戦は、我々の勝利に終わりましたぞ」


 石室の入り口に、血と泥にまみれたダリル司令が立っていた。


 その顔には深い疲労が刻まれているが、瞳には誇り高い光が宿っている。彼に続いて、保守担当の魔導師や数人の兵士たちも、安堵の表情で地下へと降りてきた。


「司令、無事で何よりです。結界の出力は落ちませんでしたか?」


「ああ。これほど強固で、頼もしい光の壁を見たのは初めてだ。王都からの支援などなくても、我々は自分たちの足で立ち、この砦を守り抜くことができた。……すべては、あんたがこの魔導炉を正しく導いてくれたおかげだ」


 ダリル司令が深く頭を下げる。


 俺は小さく首を横に振った。


「俺はただ、本来あるべき魔力を、あるべき場所へ流しただけですよ。……ですが、喜んでばかりもいられません。俺たちが王都に反旗を翻したという事実は変わりませんからね」


「わかっている。大長老の逆鱗に触れたのだ、明日にでも王都から討伐隊が派遣されてくるかもしれん。だが、我々に後悔はない。異世界から呼ばれた若者たちを道具として使い潰すような国に、これ以上忠誠を誓うつもりはないからな」


 ダリル司令の強い決意に、周囲の兵士たちも無言で頷いた。


 彼らはもう、王都の言いなりになるだけの捨て駒ではない。真実を知り、自分たちの意志で戦うことを選んだのだ。


「……マナベ殿。先ほど、その黒水晶に触れて何かを調べていたようだが。王都の連中が隠していたという、この国の真実……その全容は掴めたのか?」


 司令の問いに、俺は傍で沈黙を保っている巨大な黒水晶へと視線を向けた。


 王都からの強制切断により、この端末は完全に孤立している。


 大長老たちは、回線を切れば俺が何もできなくなると高を括っていたのだろう。


 だが、彼らはネットワークの基本をわかっていない。


 巨大なシステムにおいて、上位の権限から下された命令や、過去に実行された術式の痕跡というものは、必ず末端の機材にも「一時的な記録」として残骸を留めるものだ。


 通信が繋がっていれば、王都の監視プログラムが俺のアクセスを弾いただろう。


 しかし、通信が切断された今、この黒水晶に残された過去のログは、誰の監視も受けることなく読み放題の無防備な状態になっていた。


「今から、最後の答え合わせをします。……司令たちは、下がっていてください。少しばかり、頭が痛くなる情報かもしれませんから」


 俺は油で汚れた手袋を外し、冷え切った黒水晶の表面に右手を押し当てた。


 そして、深く、深く息を吸い込み、意識を極限まで研ぎ澄ませる。


『――差分解析』


 視界が反転し、現実の石室が消え去る。


 俺の目の前に広がったのは、先ほどまでのような複雑に絡み合った金色のフローチャートではない。


 一切の装飾や偽装が剥がれ落ちた、剥き出しの文字列と、無機質な論理構造の羅列だった。


 俺は、その情報の海の中から、一つの漆黒のタグを見つけ出した。


【上位参照権限:Summon-Origin(召喚由来権限)】


 勇者支援システム(X-01)の大元であり、この国中のインフラに「絶対優先の窓口」を強制的にこじ開けていた、最上位の権限。


 俺はそのタグの封印を、まるで古びた扉を蹴り破るようにしてこじ開け、最深層に隠された「最古のログ」へと足を踏み入れた。


 そこに記されていたのは、数百年前、この国を建国したとされる初代の王と、当時の最高位魔導師たちが組み上げた「召喚の術式」の、本当の設計図(要件定義書)だった。


 俺は、流れてくる情報を一つ一つ読み解きながら、あまりの吐き気に顔を歪めた。


【術式名称:異界指定・資源召喚陣】

【実行目的:創世の基盤炉の稼働維持、および燃料の恒久的な確保】


「……資源召喚陣、だと」


 勇者召喚ではなかった。


 彼らは最初から、異世界の人間のことを「魔物を倒す英雄」などとは定義していなかった。


 ただ、王都の地下で眠る巨大な魔導炉――国中を豊かにするための『創世の基盤炉』を動かすための、高純度な燃料(資源)として定義していたのだ。


 ログをさらに下層へスクロールする。


 そこには、俺が先ほど予想した「なぜ異世界人なのか」という疑問の答えが、冷酷な仕様として記されていた。


【資源の要件:この世界の魔力法則(理)に適合していない魂であること】

【抽出の仕組み:世界の理と反発する魂を強制的に適応させる際、莫大な摩擦エネルギー(魔力)が発生する。これを基盤炉の動力源として回収する】


 システムエンジニアとしての思考が、その残酷な仕様を瞬時に理解してしまう。


 この世界の住人の魂は、最初からこの世界の法則に適合しているため、そこから魔力を絞り出そうとしても大したエネルギーにはならない。


 だが、異世界から無理やり引っ張り込んできた魂は違う。


 異なる物理法則や常識で生きてきた魂を、このファンタジー世界の枠組みに無理やり押し込む。その際に発生する強烈な「ズレ」や「摩擦」が、規格外の魔力を生み出すのだ。


 そして、その摩擦を最大限に引き起こすための最も効率的な手段。


 それこそが、「死の恐怖」や「極限のストレス」を与えることだった。


【運用手順一:召喚した資源を最前線へ投入し、生命の危機による精神的負荷を最大化する】

【運用手順二:資源が精神崩壊(破損)を起こさないよう、痛覚遮断および過剰な環境保全術式を用いて寿命を延命させる】

【運用手順三:資源の魔力が完全に枯渇、あるいは肉体が消滅した場合、自動的に次回の召喚陣を起動し、新たな代替資源を補充する】


「…………ふざけるな」


 俺の口から、無意識のうちに呪詛のような声が漏れていた。


 最前線で魔物と戦わせるのは、彼らに死の恐怖を与え、魂を激しく摩擦させるため。


 過剰なまでに豪華な宿営地や薬を用意したのは、貴重な燃料がすぐに壊れてしまわないようにするための、単なる冷却装置。


 そして、カズヤたちが死ねば、悲しむ間もなく自動で次の若者たちが日本から攫われてくる。


 すべてが、完璧に理にかなっていた。


 一切の無駄がない、極めて合理的で、反吐が出るほど邪悪なシステム設計。


 マルファスのような、己の欲望のために魔力を盗む悪党の方が、まだ人間味があった。


 ここにあるのは、人間の命を乾電池バッテリーと同じように扱い、国という巨大な機械を回すためだけに使い捨てる、血の通っていない冷徹な仕様だ。


「……マナベ殿? どうした、ひどく顔色が悪いぞ。何が書かれていたのだ」


 現実の視界の向こうで、ダリル司令が心配そうに声をかけてくる。


 俺は黒水晶からゆっくりと手を離し、重い足取りで彼らの方へと向き直った。


「司令。……全部、わかりましたよ。この国が、どうやってその繁栄を維持してきたのか」


 俺は、最古のログに記されていた残酷な真実を、隠すことなくすべて彼らに語った。


 異世界人は英雄などではなく、基盤炉を動かすための燃料であること。


 魔物との戦いは、燃料から魔力を絞り出すための意図的なストレスであること。


 そして、カズヤたちが死ねば、また次の犠牲者が自動的に呼ばれる仕組みになっていること。


 語り終えた時、石室は完全な静寂に包まれていた。


 ダリル司令は拳から血が滲むほど強く手を握りしめ、保守担当の魔導師はその場にへたり込んで嗚咽を漏らしていた。


「……なんという、おぞましい……。我々は、そんな外道な理の上に成り立った国を守るために、剣を振るっていたというのか……」


「ええ。王都の連中は、カズヤたちの魂をすり潰して得た魔力で、温かい風呂に入り、明るい街を歩いていたんです。……そして、その事実を綺麗事の建前で隠蔽し、現場の兵士たちには『世界を救うため』と嘘を吐き続けてきた」


 俺は、自分の左腕にある真紅の腕輪を乱暴に引きちぎり、石畳に叩きつけた。


 首席検査官という肩書きも、王都から与えられた権限も、もはや何の意味もない。


「俺は、システムエンジニアです」


 俺は、司令たちに向かってはっきりと告げた。


「壊れた仕組みを直し、現場の人間が安全に、効率よく回せるように整えるのが俺の仕事だ。……だけど、世の中には『直してはいけないシステム』というものがある」


 どんなに美しくプログラミングされていようと。


 どんなに国が豊かになるという大義名分があろうと。


 最初から、誰かの命をすり潰すことを前提(要件)として作られたシステムは、バグではない。それ自体が存在してはならない「悪」だ。


「この召喚制度は、バグじゃない。意図的に作られた、悪意のある仕様です。だから、これはデバッグ(修正)なんかじゃ済まされない」


 俺は、石室の天井――その遥か向こうにある、王都の方向を睨みつけた。


「叩き壊す。王都の地下にある『創世の基盤炉』も、異世界から人を攫ってくる『召喚陣』も、何もかもすべて、跡形もなく物理的に破壊する。……それが、俺がこの世界でやるべき、最後の仕事だ」


 俺の宣言に、ダリル司令は静かに剣を抜き、その切先を天井へと向けた。


「ならば、我々前線軍も共に往こう。使い捨ての駒として死ぬのではなく、この狂った王国の理を正す、真の刃としてな」


「司令……」


「マナベ殿。あんたは一人ではない。我々だけではない、第一中継基地のヴァンスや、野戦治療院のガロン院長も、必ず我々に賛同するはずだ。王都の連中に、現場の人間が本気で怒った時に何が起きるか、教えてやろうではないか」


 ダリル司令の顔には、もはや迷いはなかった。


 彼の背後に立つ兵士たちも、無言で武器を握り直し、力強い眼差しを俺に向けている。


 王都は、俺を孤立させたつもりだった。


 だが、彼らは致命的な計算違いをしている。


 俺は、一人で王都のシステムと戦ってきたわけじゃない。


 ルミナスの街で、物流の拠点で、そしてこの最前線で。俺が泥臭く現場のバグを直し、現場の人間たちと向き合ってきたその「積み重ね」が、今、最大の武器となって王都に牙を剥こうとしているのだ。


「……ありがとうございます、司令。心強いですよ」


 俺は、彼らに向かって深く頭を下げた。


 王都へ向かう。


 あの煌びやかな玉座の奥底に隠された、真のメインサーバー(基盤炉)を落とすために。


 そこに繋がれているカズヤたちを、そして、これから呼ばれるかもしれない見知らぬ誰かを救うために。


「さあ、行こう。王国の根本的なバグを、削除デリートしに」


 俺たちは、足並みを揃えて石室の階段を上り始めた。


 冷たい風が吹き抜ける地上には、俺たちが自分たちの手で取り戻した、青白い絶対防衛結界の光が、どこまでも力強く輝いていた。

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