第32話 前線砦の最上位ログ
「どういう意味だ、検査官殿? 王都の人間以外に、誰がこの術式を操っているというのだ」
背後からダリル司令が険しい声で問いかけてきた。
俺が視界に展開されたログを整理し、言葉を返そうとしたその時。
冷たい石室の奥に続く通路から、慌ただしい足音が響いてきた。
「司令! 勝手に認証核の封印を解いては困ります! ここは王都の魔導院から直接監視されている聖域ですよ!」
息を切らして駆け込んできたのは、灰色のローブを着た中年の魔導師だった。
目元には濃い疲労の影が落ち、ローブの袖口は魔石の煤で黒く汚れている。彼がこの砦の認証核、および魔導炉の保守を任されている責任者だろう。
「この方は王都から来られた首席検査官殿だ。監査のために開けさせてもらったのだ、取り乱すな」
ダリル司令が窘めるが、保守担当の魔導師はパニックを起こしたように首を横に振った。
「し、首席検査官……!? いや、しかし、認証核に直接触れるなど……もし王都からの接続が切れたら、我々はどう責任を取ればいいのです! 少しでも魔力の供給が遅れれば、王都から『前線の怠慢だ』と厳しい叱責が飛んでくるのですよ!」
彼の声には、最前線という過酷な環境で、理不尽な要求に振り回され続けてきた現場の技術者としての悲痛な叫びが込められていた。
俺は黒水晶から手を離さず、彼に静かに声をかけた。
「心配いらない。中身の術式を壊したりはしない。ただ『読んでいる』だけだ」
「読んでいる? 認証核の内部の術式をですか? そんなこと、王都の最高位の解析魔導具がなければ不可能ですぞ!」
「俺の目には見えるんだよ。……あんた、この砦の保守責任者なんだよな。王都から送られてくる命令の中身について、どこまで知らされている?」
俺の問いに、魔導師は悔しそうに唇を噛んだ。
「……我々に教えられるのは、ただ『最優先の術式が通るから、魔導炉の出力を限界まで上げろ』という指示だけです。中身が何かなんて、地方の魔導師には開示されません。ただ、理不尽に魔力を吸い上げられるたびに、徹夜で予備の魔石をくべ続け、結界が落ちないように祈るしかないのです……!」
やはりそうか。現場の人間は何も知らされず、ただ「絶対優先」という王都からの強制力に従うだけの奴隷にされていたのだ。
「あんたの苦労はよくわかる。だが、もう徹夜で魔石をくべる必要はなくなるかもしれないぞ。……今、その理不尽な命令の根源を洗い出しているところだ」
俺は再び意識を深く沈み込ませ、左腕の真紅の腕輪を淡く発光させた。
『――差分解析』
視界の奥に展開されている金色のフローチャート。
先ほど見つけた【上位参照権限:Summon-Origin(召喚由来権限)】という漆黒のタグを中心に、この砦の認証履歴と、過去の設備追加時期のデータを照らし合わせていく。
膨大な時間の流れが、情報の糸となって俺の脳内を駆け巡る。
「……司令。この砦の魔導炉が現在の大出力のものに改修されたのは、いつですか?」
「ん? たしか、今から十年前だ。魔物の活動が活発になり、より強固な結界が必要になったためと聞いているが」
「十年、前……」
俺は視界のログとダリル司令の言葉を照らし合わせる。
勇者であるカズヤたちが王宮に召喚されたのは、俺と同じつい数ヶ月前のことだ。
王都の聖女や貴族たちが「勇者を支援するため」という名目で、あの狂ったような過剰支援の術式(X-01)を次々と追加していったのも、ここ数ヶ月の出来事である。
「勇者支援の術式が追加されたのは最近のことだ。だが……この魔導炉の制御術式には、十年前の設置当初から『巨大な空白の受け皿』が用意されていた」
「空白の受け皿、だと?」
「ああ。王都からのどんな理不尽な要求でも、無条件で最優先として受け入れるための『絶対的な窓口』だ。そして、その窓口の権限者として最初から登録されていたのが……この『召喚由来権限』だ」
俺の言葉に、ダリル司令と保守担当の魔導師は顔を見合わせた。
「つまり、どういうことだ?」
「王都の人間は『勇者が来たから、慌てて勇者のための支援術式を作った』わけじゃないってことですよ」
俺は振り返り、彼らに冷酷な事実を告げた。
「十年前の時点で、すでに『いつか召喚される誰か』のために、この砦の……いや、おそらく国中のインフラに、無制限の魔力を奪い取るための仕掛けを意図的に仕込んでいたんだ。勇者への過剰な支援は、その後付けの口実にすぎない」
石室に、凍りつくような沈黙が落ちた。
「そんな馬鹿な……。では、我々が必死に守ってきたこの砦の魔導炉は、最初から『召喚された人間』に魔力を捧げるための搾取装置として設計されていたというのか!?」
ダリル司令の怒りに震える声が響く。
「勇者を特別扱いするための後付けの運用だけなら、まだ『過剰な善意の暴走』で説明がつく。だが、国中のインフラの根幹に最初から仕込まれていたとなれば、話は別だ。これは、国を挙げての『意図的な設計』だ」
保守担当の魔導師も、膝から崩れ落ちそうになっていた。
「我々の苦労は……この砦の兵士たちが流した血は、一体何だったというのですか……!」
「それを今から調べる。この根源にある権限が、一体何を目的として作られたのかを」
俺は再び黒水晶に向き直り、漆黒のタグ『Summon-Origin』のさらに奥深くへと意識を潜り込ませた。
そこには、王都の最高位魔導師たちが何重にも掛けたであろう、強固なプロテクト(魔導の封印)が張り巡らされていた。
赤いエラーの壁が、俺の解析を拒絶するように次々と立ち塞がる。
だが、俺の『現仕様閲覧』は暗号の鍵を解く能力ではない。今現在、システムがどう動いているのかという「結果の事実」を直接読み取る能力だ。
封印そのものをすり抜け、その奥で実際に稼働している「意味」を掴み取る。
視界の最奥。
厳重に隠蔽されていたその領域に並んでいたのは、勇者を支援するための言葉ではなかった。
魔物討伐。世界を救うための希望。
王都の人間たちが口にする輝かしい建前とは、まったく異なる冷酷で無機質なタグの羅列。
【プロセス:維持機構への接続を確立】
【プロセス:供給優先度の絶対固定】
【プロセス:代替資源としての生体登録】
「維持機構……代替資源……?」
俺が無意識にその言葉を口に出すと、ダリル司令が怪訝な顔をした。
「なんだそれは。魔物の討伐や、世界を救うための言葉ではないのか?」
「……ええ。俺にもまだ、全容はわかりません。ですが、少なくともこれは『勇者を助ける』ための術式じゃない」
俺の脳裏に、先ほど「光の城」の跡地で見た、勇者カズヤたちの姿が蘇る。
彼らの装備には、痛覚を麻痺させ、感情を抑制し、常時監視する術式が組み込まれていた。
それは彼らを守るためではなく、彼らが「逃げ出さないように」するための枷だったのだ。
「勇者という存在を……いや、召喚された人間そのものを、『この国の何かを維持するための部品』として扱っているような……そんな異常な仕様だ」
俺の言葉に、ダリル司令は絶句し、保守担当の魔導師は恐怖に顔を引き攣らせた。
「国の何かを維持する部品……? 勇者様は、この国を救う英雄ではないというのか?」
「英雄という名の『生け贄』かもしれませんね。……この召喚制度は、魔物を倒すための戦力を呼ぶことが本当の目的じゃない。王都のさらに奥深くに隠された、何か巨大なものを維持するために、定期的に異世界から『代替資源』を引っ張り込んでいるんだ」
点と点が線で繋がっていく。
なぜ、戦闘能力のない俺が「外れ枠」としてすぐに追い出されたのか。
それは俺が魔物と戦えないからではない。この国のシステムに接続し、魔力を注ぎ込む「代替資源」としての適性がなかったからだ。
逆に言えば、カズヤたちのような「勇者」は、その適性が高かったがゆえに、莫大な支援という名目でシステムに深く接続され、感情や痛覚までコントロールされて逃げられないように飼い殺されている。
「……狂っている。こんな仕組みが、この王国の根幹だというのか……」
ダリル司令が、重い呻き声を上げた。
最前線で命を張ってきた誇り高き騎士にとって、自分が命懸けで守ってきた国の正体が、異世界人を部品として搾取する巨大な怪物だったという事実は、あまりにも残酷だった。
「司令。絶望するのはまだ早い」
俺は黒水晶から手を離し、視界を通常に戻した。
「相手がどれほど巨大で、どれほど狂った仕様を持っていようと、システムである以上は必ず『バグ』がある。そして、バグがあるなら……直すことができる」
俺は左腕の真紅の腕輪を握りしめた。
「この召喚制度の『現仕様』は、俺がすべて暴いて叩き壊す。カズヤたちを解放し、この砦の魔力を本来の防衛に取り戻すために」
「……検査官殿。いや、マナベ・シュウジ殿」
ダリル司令は深く頷き、俺に向かって直立不動の姿勢をとった。保守担当の魔導師も、涙を拭いながら深々と頭を下げる。
「我々前線の兵士は、あんたを信じる。この狂った仕組みから、我々を……そして勇者様を救ってくれ」
俺は二人に頷き返し、冷たい石室を後にした。
次に向かうべき場所は決まっている。
召喚制度の真の目的を暴き、この国のシステムそのものを根底から書き換えるための戦いが、今ここから始まるのだ。




