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第30話 勇者本人は知らない

 荒野に吹きすさぶ冷たい風の中、崩れ去った天幕の跡地には奇妙な静寂が落ちていた。


「毎晩毎晩……眩しすぎる光の結界と、甘すぎる香水や肉の匂いで、僕も他の皆も、一睡もできていなかったんです。……やっと、静かな夜が来ました。ありがとうございます、マナベさん」


 王国の至宝たる聖剣を下げ、豪奢な銀の胸当てを身につけた若き勇者、カズヤ。


 彼が発した感謝の言葉に、周囲を取り囲んでいた近衛兵たちは剣を下ろしたまま硬直し、宮廷書記官は目を丸くして口をパクパクとさせていた。


「ゆ、勇者様!? 何を仰られているのですか! この男は、勇者様の偉大なる御陣を破壊した大罪人で……!」


「黙ってください、書記官」


 カズヤの声は決して大きくなかったが、そこには有無を言わせぬ重い疲労が込められていた。


 書記官はビクッと肩を震わせ、それ以上言葉を紡げなくなる。


「僕は何度も言いましたよね。夜くらいは普通の暗闇で眠りたいと。肉を焼く匂いや香水の匂いも、魔物を引き寄せるんじゃないかと不安で休まらないと。……でも、あなたは『王国の威信に関わる』『勇者様に相応しい環境を用意するのは我々の義務だ』と言って、聞き入れてくれなかった」


 カズヤは力なく首を振り、俺の方へと視線を戻した。


 彼の目元には、高校生という年齢にそぐわないほど濃い隈が深く刻まれている。


 その後ろには、同じくあの日王宮で召喚された、スーツ姿の青年と私服姿の女性が怯えたように身を寄せ合っていた。彼らも上質な魔法具を身に纏っているが、その顔色は土気色で、今にも倒れそうなほど消耗しきっているのが一目でわかる。


「……マナベさん。あなたも、酷い目に遭ったんですよね。戦闘能力がないからって、あの王宮から一人だけ追い出されて……」


 スーツ姿の青年が、ひどく掠れた声で俺に問いかけてきた。


 俺は小さく首を横に振った。


「俺は地方の街で拾われて、なんとかやっているよ。……あんたたちの方が、よっぽど酷い顔をしているじゃないか」


「僕たちは……」


 青年は震える手で自分の顔を覆った。


「毎日、毎日、魔物と戦わされています。……魔法なんて使いたくないのに、杖が勝手に魔力を吸い上げて炎を出すんです。血の匂いも、魔物が断末魔を上げる声も、全部僕たちが受け止めなきゃいけない。……夜になっても、頭の中でその声が響き続けて……」


 私服姿の女性も、顔を青ざめさせてカズヤの背中にしがみついている。


 戦闘の極限のストレスとトラウマ。それに加えて、あの「光の城」のような狂った過剰環境での生活。


 彼らが精神的に限界を迎えているのは誰の目にも明らかだった。


 俺は小さく息を吐き、真紅の腕輪を光らせて彼らを見つめた。


 彼らを「特権階級の思い上がり」だと責める気は、もう完全に失せていた。


 だが、事実(現仕様)は確認しておかなければならない。


『――差分解析(現仕様閲覧)、実行』


 視界が反転し、カズヤや青年たちの周囲に展開されている「勇者支援システム(X-01)」のコアモジュールが浮かび上がる。


 俺は彼らの装備している銀の胸当てや、魔法の杖、そして腰の聖剣に付与されている術式のログを読み解き――そして、背筋が凍りつくのを感じた。


【プロセス:自動防衛・強制回避】

【プロセス:痛覚遮断・感情抑制プロトコル】

【プロセス:随行者への現在地・生体情報常時送信】


「……ひどいな」


 俺は思わず呟いた。


 彼らの装備に組み込まれていたのは、彼らを魔物から守るための術式だけではない。


 彼らの痛覚を麻痺させ、恐怖や逃亡の意思を強制的に抑制し、さらに現在地や心拍数といったプライバシーのすべてを、王都や随行者へ「常時監視」させるための分厚い縛りだった。


 彼らは英雄として崇められているのではない。


 システムに繋がれた、最も高価で、最も不自由な「自動兵器」として飼い慣らされているのだ。


「カズヤ。あんたたちは、自分たちが受けている支援が、どこから来ているか知っているか?」


 俺の問いに、カズヤは虚ろな目を向けた。


「どこから……? 王都から、送られてきているんじゃないんですか? 書記官も侍従たちも、いつもそう言っています。王都の皆が、僕たちのために最高の物資を用意してくれていると」


「違う」


 俺は首を横に振り、冷酷な現実を彼らに突きつけた。


「あんたたちが毎日食べている温かい食事。あんたたちの部屋を暖める魔力。そして、この狂った『光の城』を維持するための資材。……それらはすべて、王都から送られてきたものじゃない。すぐ後ろにある最前線の砦から、強制的に奪い取ってきたものだ」


「……え?」


 カズヤの目が大きく見開かれた。


 後ろにいた青年と女性も、信じられないというように顔を見合わせる。


「嘘、だろ……? だって、誰もそんなこと……」


「彼らはシステムに与えられたものを当然のように消費しているだけだ。だが現実は違う。あんたたちの馬鹿げた宿営地を錬成するために、砦の防衛結界は消滅しかけ、工兵たちが命懸けで集めた城壁の補修資材が、ただの庭の飾り石に変えられていたんだ。あんたたちに届いているポーションも、一般の兵士たちが使うはずだったものをシステムが横取りして送ってきている」


 俺の言葉を聞くごとに、カズヤたちの顔から急速に血の気が引いていく。


 カズヤはガタガタと震え出し、自分の両手を見つめた。


「そんな……僕のせいで? 僕が快適に過ごすために、最前線の兵士たちが危険に晒されていたっていうんですか……!? 知らなかった! 本当に、誰も教えてくれなかったんだ!」


「わかっている。あんたたちは知らされていなかった。……知らされないように、システムが組まれているからな」


 勇者に罪悪感を抱かせず、ただひたすらに魔物と戦わせるため。


 そのために、王都の連中は「勇者に不都合な現実」をすべてフィルタリングして隠蔽する仕様を作り上げたのだ。


 カズヤたちは加害者ではない。この狂ったシステムの、最も悲惨な被害者だった。


「マナベさん! お願いです、僕を……」


 カズヤが俺に助けを求めようと手を伸ばした、その時だった。


「――そこまでになさい。マナベ・シュウジとやら。勇者様をこれ以上惑わすことは、私が許しません」


 凛とした、だが氷のように冷たい声が響いた。


 崩れた天幕の奥から、純白の法衣を身にまとった美しい女性が歩み出てくる。


 手には輝く杖を持ち、その周囲には微かな光の粒子が舞っていた。


 彼女こそが、王都から勇者の補佐として遣わされた最高位の存在――聖女だった。


「聖女様……」


 カズヤが縋るような目を向けるが、聖女は優しく、しかし有無を言わせぬ力で彼の肩を抱き寄せた。


「勇者様。あなたは何も気になさることはありません。あのような平民の言葉に耳を貸してはなりません。あなたはただ、魔物を討ち果たし、この世界を救うことだけをお考えになればよいのです」


「でも! 砦の兵士たちが僕のせいで……!」


「それは彼らの『役割』です」


 聖女は事も無げに言い切った。


「兵士は命を懸けて魔物と戦う。工兵は砦を直す。そして我々随行者は、世界を救う勇者様に最高の環境を提供する。……それが、王国の法であり、魔導の理において定められた正しい姿なのです。彼らの犠牲は、勇者様が世界を救うための尊い礎にすぎません」


 俺はギリッと奥歯を噛み締めた。


 聖女の目には、悪意など微塵もなかった。


 彼女は本気で、それが「正しい世界」だと信じ込んでいるのだ。


「……狂ってるな。あんたたちの中央の理屈は」


 俺が低く唸ると、聖女は冷ややかな目で俺を睨んだ。


「狂っているのはあなたの方です、検査官。あなたが独断でこの御陣の術式を破壊したせいで、勇者様の御心は乱れ、我々随行者の務めにも多大な支障が出ました。これは決して見過ごせる事態ではありません」


「支障が出た? 笑わせるな。あんたたちが幻影の風呂に入れなくなったことと、砦の兵士が魔物に食い殺されること、どっちが重大な支障だと思っている」


「詭弁です。勇者様が万全の状態でなければ、いずれ世界は魔物に飲まれます。我々はそれを防ぐために、王都の叡智を結集した最高位の術式を用いて、最も確実な手段を取っているにすぎません」


 会話が通じない。


 彼らは「勇者を支援する」という目的のために、手段の異常さを完全に正当化してしまっている。


 かつて地方都市ルミナスでその罪を暴いた、あのマルファスのような私利私欲で動く悪党ならば、証拠を突きつけることで倒すことができた。


 だが、この聖女や書記官たちは違う。彼らは「善意」と「大義」という最強の鎧を着て、前線を破壊し続けているのだ。


「……マナベさん」


 カズヤが、聖女の腕の中で力なく俺を呼んだ。


 その後ろでは、青年と女性もまた、絶望に満ちた顔で俺を見つめている。


「僕たち、どうすればいいんですか。逃げることもできない。戦うのをやめれば、もっとたくさんの人が死ぬ。……でも、僕たちが戦い続ければ、僕たちを支えるために、また誰かが犠牲になる……」


 その瞳には、完全な絶望が宿っていた。


 俺は彼らから視線を逸らさず、はっきりと告げた。


「あんたたちは何も気にしなくていい。今まで通り、前だけを向いていればいいさ」


「え……?」


「あんたたちの背中を食い物にしている『腐った仕様』は、俺が全部叩き壊してやる。あんたたちが魔法を使うたびに誰かが泣くような仕組みは、俺が絶対に直してやるから」


 俺の言葉に、カズヤの目からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。


 青年は顔を覆ってむせび泣き、女性もカズヤの背中に顔を押し当てて声を上げている。


 彼らは泣き顔を隠すように俯き、ただ何度も何度も頷いた。


「……不遜な男ですね。たかが一介の検査官が、王国の理を変えられるとでも思っているのですか」


 聖女が氷のような声で告げる。


「変えてみせるさ。あんたたちにその気がないなら、中枢の術式から直接書き換えてやる」


 俺は背を向け、崩れ去った野営地を後にした。


 待機させていた馬に跨り、ダリル司令のいる最前線砦の方向へと手綱を引く。


 勇者支援システム(X-01)。


 この悪意なき暴走を止めるには、末端の術式をいじっているだけでは駄目だ。


 もっと深く、このシステムを定義づけている「根源」にアクセスしなければならない。


「……ダリル司令の砦に戻ろう。あそこの魔導炉の認証核なら、もっと上位の権限に繋がれるはずだ」


 荒野を駆ける馬の上で、俺は決意を固めた。


 勇者という個人を責める段階は終わった。ここから先は、この国に彼らを縛り付け、前線を搾取する「勇者制度」……そして、その奥にある「召喚制度」そのもののバグを引きずり出す戦いになる。

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