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第29話 快適な宿営地

 翌朝、最前線防衛砦は地鳴りのような悲鳴に包まれた。


 砦の司令塔に詰め詰めに置かれた簡易ベッドで浅い眠りについていた俺は、外から聞こえる怒号で跳ね起きた。


 窓から外を見下ろすと、昨日まで辛うじて砦を覆っていた青白い防衛結界が、まるで薄いガラスが割れるようにパリンと音を立てて砕け散る瞬間だった。


「結界が落ちたぞ! 魔導炉の出力を上げろ!」


「駄目です、魔力残量が底を突きました! 東の『前哨宿営地』へ向けて、すべての魔力が強制的に吸い上げられています!」


 雪が舞う砦の中庭で、一般兵たちがパニックに陥りながら走り回っている。


 だが、異常は魔力の枯渇だけではなかった。


「おい、待て! その魔石と補修用の木材は、崩れた南の城壁を直すためのものだぞ! どこへ持っていく気だ!」


「止められません! 自動荷車が勝手に起動して、東へ向かおうとしています! 我々の力では引き剥がせません!」


 砦の補修を担う工兵たちが、勝手に動き出した魔導荷車にすがりつき、泥まみれになりながら引き留めようと必死に足を踏ん張っている。


 だが、荷車は「絶対優先」の不可視の力場を発生させ、泣き叫ぶ工兵たちを無慈悲に跳ね除けて、東の荒野へと一直線に進んでいく。


 俺は急いで身支度を整え、ダリル司令のいる作戦室へと駆け込んだ。


「ダリル司令! 予想はしていましたが、いよいよ砦の維持すら不可能になる仕様が起動したようですね」


「……マナベ検査官殿」


 ダリル司令は、血の気が引いた顔で東の窓の外を睨みつけていた。


「勇者様御一行は、夜明けと共にこの砦を出発された。そして今、ここからさらに東へ数キロ進んだ荒野のど真ん中に、彼らのための『前哨宿営地』が展開されている。……砦の防衛用魔力と、工兵たちの貴重な修繕資材を、すべて吸い上げながらな」


「資材まで吸い上げられているとは。単なる魔力の転送だけじゃないんですね」


「ああ。あの『宿営地』は、ただの天幕ではない。王都の術師たちが総力を挙げて組み上げた、完全自動の構築魔導だ。触媒として大量の魔石や木材を消費し、荒野のど真ん中に『王都の貴族邸』を丸ごと錬成するという、狂気の産物だよ」


 ダリル司令の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。


 昨夜、宮廷書記官の部屋で読み取ったログの通りだ。


 【X-01-Camp(前哨宿営地・完全展開プロトコル)】。


 勇者たちが最前線で野営を行う際、彼らに「王都と同じレベルの快適な環境」を提供するために、周囲の全インフラからリソースを強制徴収する最悪のバグ。


「司令、軍馬を一頭貸してください。今すぐあの狂った宿営地を止めに行きます。このままでは、今夜の魔物の襲撃でこの砦は全滅する」


「……死ぬ気か、検査官殿。勇者様の御陣に手を出すということは、王国の法に刃向かうのと同じだぞ。王都の査問委員会が黙ってはいない」


「王都の連中が書いた仕様書が間違っているなら、直すのが俺の仕事です。それに、査問委員会にかけられる前に砦が落ちたら元も子もないでしょう」


 俺が真紅の腕輪を見せながら告げると、ダリル司令はしばらく俺の目を見つめ、やがて小さく息を吐いて頷いた。


「……私の愛馬を持っていけ。一番速い」


 司令から馬を借り受けた俺は、砦の門を飛び出し、東の荒野へと馬を走らせた。


 灰色の雪雲の下、凍てつく風が容赦なく体温を奪っていく。


 だが、馬を走らせること数十分。


 俺の視界に、荒涼とした風景にはおよそ似つかわしくない、異様な光景が飛び込んできた。


「……なんだ、あれは」


 思わず馬の手綱を引き、俺はその場で息を呑んだ。


 荒野のど真ん中に、巨大な「光の城」がそびえ立っていたのだ。


 青白く輝く何重もの結界がドーム状に展開され、外の雪や冷風を完全に遮断している。


 結界の内部には、砦から強奪された木材や魔石を触媒にして錬成された、白亜の豪邸が建ち並んでいた。


 美しく整備された庭園の幻影が広がり、どこからか温かな湯気が立ち上っている。おそらく、魔力で地下水を沸かした露天風呂まで完備されているのだろう。


 周囲には、魔物との戦闘の痕跡など微塵もない。


 ただそこだけが、切り取られた王都の貴族街のように、圧倒的な快適さと平和に包まれていた。


 その光の城の周囲では、砦から追いついてきた数人の工兵たちが、自分たちの資材が「庭園の飾り石」や「豪華な外壁」に作り変えられていく様を、涙を流しながら見つめていた。


「俺たちの……俺たちが命懸けで集めた補修用の魔石が……。あんな、ただの幻影の庭を光らせるために使われているなんて……」


「頼む、その木材だけは返してくれ! 南の城壁が崩れかけていて、今夜の襲撃に耐えられないんだ!」


 工兵が叫びながら結界の障壁に叩きつくが、青白い光は彼らを冷酷に弾き返すだけだった。


 俺は馬から降り、工兵たちの元へ歩み寄った。


「下がってくれ。あんたたちの資材と魔力は、俺が取り戻す」


「け、検査官殿……!?」


 驚く彼らを背にかばいながら、俺は光の城を覆う最も外側の結界に右手を押し当てた。


 そして、意識を深く沈み込ませる。


『――差分解析(現仕様閲覧)、実行』


 視界が反転する。


 圧倒的な情報量が、暴力的なまでの奔流となって俺の脳内へ流れ込んできた。


 空中に展開された半透明のフローチャートは、これまで見たどの魔導インフラよりも複雑で、そして醜悪だった。


 本来、この術式は「雨風を凌ぎ、魔物の接近を知らせる」という、最低限の野営を目的としたシンプルなものだったはずだ。


 それが、幾度にもわたる「王都からの親切なアップデート」によって、原型を留めないほど歪な怪物へと成長していた。


【空調管理:常時22度、湿度50%を維持。不足分は砦の魔導炉から強制徴収】

【幻影投射:王宮の庭園風景を再現。魔石の消費制限なし】

【自動調理:食材の鮮度維持と加熱処理を並列実行】

【騒音遮断:外敵の悲鳴および一般兵の怒声を不快音としてフィルタリング】


「……ふざけるな。どこまで現場を舐めれば気が済むんだ」


 怒りで視界が赤く染まる。


 勇者が過酷な旅をしていると勘違いした王都の貴族や官僚たちが、「勇者様には快適な夜を」「随行者には王都の生活を」と、思いつきで例外処理パッチを継ぎ足し続けた結果だ。


 その膨大な処理を維持するために、最前線で血を流す兵士たちの命綱が、文字通り「燃料」としてくべられている。


 俺は仮想コンソールを開き、この光の城の中枢――メインプロセスへと強制アクセスを試みた。


 当然、王都の最高位魔導師たちが組んだ分厚いプロテクトが、俺の侵入を阻もうと赤いエラーを吐き出してくる。


 『権限不足』『王命による不可侵領域』。


 そんな警告の羅列を、俺は冷笑と共に叩き割った。


「王命がどうした。現場の仕様ルールを決めるのは、今ここに立っている俺だ」


 俺は左腕の真紅の腕輪――首席検査官の最上位権限をフル稼働させ、絡み合うスパゲティコードの根源にある「優先度設定」の項目を直接書き換えた。


【権限上書き:X-01-Campの実行モードを変更】

【王都再現モード(フルスペック)から、緊急野営モード(ミニマム)へダウングレード】

【環境維持、幻影投射、娯楽施設のプロセスを強制終了キル

【強制徴収した魔力および資材の所有権を解放】


「……落ちろ」


 俺が最後のコマンドを実行し、結界から手を離した瞬間だった。


 ピシッ、という小さな亀裂音が、光の城全体に響き渡った。


 次の瞬間、荒野を照らしていた圧倒的な青白い輝きが、まるで電源を落とされたかのように一斉に消失した。


「な、なんだ!? 結界が……消えたぞ!」


 結界の内部にいた宮廷書記官や、豪華な服を着た侍従たちが、パニックを起こして悲鳴を上げる。


 だが、崩壊はそれだけでは終わらない。


 過剰な魔力供給を絶たれたことで、王都の貴族邸を模していた白亜の館が、ボロボロと砂のように崩れ落ちていく。


 美しい庭園の幻影は瞬時にかき消え、温かな露天風呂はただの泥水が溜まった窪みへと戻った。


 砦から強奪されていた木材や魔石が、役目を失ってゴロゴロと荒野の地面に転がり落ちる。


「……信じられない。あの無敵の御陣が、ただの野営地に戻っちまった……」


 背後で見ていた工兵が、呆然と呟く。


 彼らの目の前に残されたのは、豪華な城ではなく、雨風を凌ぐための最低限の天幕と、冷たい風を防ぐ程度の薄い結界だけだった。


 そして、光の城が消費していた莫大な魔力は、本来の持ち主である砦の魔導炉へと一気に逆流していく。


 遠く離れた砦の方角から、再び強固な防衛結界がドーム状に展開される青白い光が、はっきりと確認できた。


「俺たちの資材だ! 早く回収して砦に戻るぞ!」


 我に返った工兵たちが、地面に転がった木材や魔石を拾い集め始める。


 これでいい。砦の防衛力は取り戻せた。


 俺は小さく息を吐き、崩れ去った天幕の群れを見つめた。


「き、貴様ぁぁぁっ! また貴様か、マナベ・シュウジ!」


 瓦礫と化した天幕の中から、昨日砦で言い争った宮廷書記官が、泥まみれになりながら転がり出てきた。


 彼は血走った目で俺を睨みつけ、震える指を突きつけてくる。


「何ということを……! 勇者様の、偉大なる勇者様の御陣を破壊するとは! これは明確な反逆だ! 王国の法において、即座に極刑に処される大罪だぞ!」


「極刑で構わないよ。だがその前に、あんたたちは自分の足元を見てみろ。ここは王都じゃない。魔物がうろつく最前線だ。幻影の風呂に入ってワインを飲んでいる間に、砦が落ちて魔物に食い殺される方がお望みだったか?」


 俺が冷たく言い放つと、書記官は顔を真っ赤にして激昂した。


「黙れ、黙れ黙れ! 兵士の命など、勇者様の快適な旅路の前には安いものだ! おい、近衛兵! この狂った検査官を今すぐ捕縛しろ! 勇者様の名において、私が処刑を命ずる!」


 書記官の叫びに呼応し、野営地の奥から、完全武装した数人の近衛兵が剣を抜いて現れた。


 彼らは俺を取り囲み、鋭い切先を向けてくる。


 俺には戦闘能力はない。剣を向けられれば、ただの無力な男だ。


 だが、俺は逃げるどころか、まっすぐに書記官を見据えたまま一歩も退かなかった。


「……やめなさい。剣を下ろして」


 その時。


 澄んだ、だがどこか酷く疲労を含んだ若い声が、緊迫した荒野に響き渡った。


 近衛兵たちがハッと息を呑み、一斉に剣を下げて道を開ける。


 書記官もまた、慌てて平伏するように膝をついた。


「ゆ、勇者様! お目覚めになられましたか! 申し訳ございません、この不届き者が勝手に術式を弄り、御陣を破壊するという暴挙に……!」


 崩れた天幕の奥から静かに歩み出てきたのは、一人の若者だった。


 不釣り合いなほど立派で豪奢な銀の胸当て。手には、王国の至宝と呼ばれる聖剣が握られている。


 だが、俺の視線は、その豪華な装備ではなく、彼が下に着ているボロボロの衣服に釘付けになった。


 ……日本の、見慣れた学生服。


 あの日、王宮の広間で俺と一緒に召喚された数人のうちの一人だ。


 彼が、この狂った特権階級の頂点に立つ存在。


 王国のインフラを無自覚に破壊し続けてきた元凶、勇者その人だったのだ。


 勇者と呼ばれた若者は、俺の顔を見るなり、驚いたように大きく目を見開いた。


「あなたは……あの日、王宮から追い出された……?」


「ああ。あんたと同じ日に召喚されて、戦闘能力がないからと『外れ枠』の烙印を押された男だ。マナベ・シュウジ。……たしか、あんたはカズヤ、だったか」


 俺が静かに名前を呼ぶと、カズヤは信じられないものを見るように俺を見つめ返し、やがてその顔に、英雄としての覇気とは無縁の、年相応の弱々しい安堵を浮かべた。


「生きて……いらしたんですね。よかった……。外に放り出されたと聞いて、ずっと気になっていたんです」


「俺の方はしぶとく生きてるよ。……他の連中は? あんたと同じように、スーツや制服を着ていた他の召喚者たちは一緒じゃないのか?」


 俺が周囲を見回すと、カズヤの背後にある別の崩れた天幕から、恐る恐る顔を出した若い男女の姿があった。


 俺と一緒に召喚された、スーツ姿の青年と、私服姿の女性だ。彼らもまた、聖剣こそ持っていないものの、上質な魔法具を身に纏い、勇者パーティーの一員としてこの前線に組み込まれているようだった。


 彼らも俺の顔を見て、幽霊でも見たかのように驚きの声を漏らしている。


「……よかった。皆、無事だったみたいだな」


 俺の言葉に、カズヤは小さく頷いた。


 だが、その瞳には、最前線で命を削り続けることへの深い疲弊と、自分が何のために戦っているのかすら見失いかけているような、虚ろな色が浮かんでいた。


「……あなたが、術式を止めてくれたんですか」


 カズヤは、足元の冷たい土を踏みしめながら、ひどく掠れた声で言った。


「毎晩毎晩……眩しすぎる光の結界と、甘すぎる香水や肉の匂いで、僕も他の皆も、一睡もできていなかったんです。……やっと、静かな夜が来ました。ありがとうございます、マナベさん」


 俺は、思わず息を呑んだ。


 第一中継基地で見た過剰な自動荷車。


 野戦治療院で見た過剰な薬の予約。


 そしてこの、過剰な光の城。


 それらはすべて、「勇者たちのため」という建前で作られていた。


 だが、当の勇者本人や他の召喚者たちは、その過剰な親切という名の暴力に、誰よりも苦しめられていたのだ。


 書記官の怒号を背に受けながら、俺は静かに真紅の腕輪を光らせた。


 このシステムは、ただの設計不良じゃない。もっと根深い、何か恐ろしい悪意の形をしている。

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