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第26話 追いかける補給

 東部方面第一中継補給基地の機能は、劇的な回復を見せていた。


 基地の魔力を独占していた「勇者用の自動荷車」の権限を通常レベルに引き下げたことで、本来の血液である魔力が一般用の機材へと巡り始めたからだ。


 エラーを吐いて沈黙していた仕分けリフトは快音を立てて動き出し、泥濘に沈んでいた自動荷車は次々と前線へ向けて出発していく。


 活気を取り戻した兵士たちの姿に、ヴァンス隊長は何度も深く頭を下げて俺を見送ってくれた。


 だが、俺の心は晴れなかった。


 基地から前線へ向けて再び走り出した装甲馬車の中で、俺は窓枠に寄りかかりながら重い息を吐いた。


「……お客さん、だいぶ険しい顔をしてるぜ。基地の連中はあんなに喜んでたってのに」


 御者が気遣うように声をかけてくる。


「基地の問題は応急処置できた。だけど、根本の仕様は何も直っていないからな」


 俺の視線の先、灰色の雪雲が垂れ込める荒野のどこかに、勇者一行がいる。


 王都から送られる勇者用の特別備蓄(X-01)。


 その宛先は固定された砦ではなく、「三秒ごとに王都の索敵網から受信する勇者の現在地(変動座標)」に設定されていた。


 目標が動けば、荷車も自動でルートを再計算し、道なき荒野を追尾していく。


 一見すると、最前線で戦う勇者を強力にサポートする「究極の親切設計」に思えるかもしれない。


 だが、システムエンジニアの直感は、それが最悪の不具合を引き起こす欠陥仕様だと告げていた。


 馬車が中継基地を出発して数時間。


 荒涼とした東部の平原は、次第に起伏の激しい岩肌と、底知れぬ深さを持つ不気味な沼地が入り混じる悪路へと変わっていた。


「……ん? おい、お客さん。街道から外れた沼の方で、何か光ってるぜ。兵士の姿も見える」


 御者の言葉に、俺は窓から身を乗り出した。


 泥と枯れ草に覆われた巨大な沼地。その中央付近で、青白い魔力の光が不自然に点滅している。


 よく見ると、十数人の一般兵たちが腰まで泥水に浸かりながら、太いロープを使って「何か」を沼から引き上げようと悪戦苦闘していた。


「馬車を止めてくれ。確認する」


 俺は馬車を降り、冷たい風が吹き荒れる沼地へと急いだ。


「引け! もっと引け! これ以上沈んだら魔力核がショートするぞ!」

「駄目です、小隊長! 泥の吸着力が強すぎてロープが持ちません!」


 泥まみれになりながら叫ぶ兵士たちの顔には、疲労と焦燥が色濃く浮かんでいた。


 彼らが必死に引き上げようとしているのは、泥に半分以上沈みかけた一台の自動荷車。


 そしてその荷台には、あの「真新しい白木の箱」が載せられていた。


「……やっぱりか」


 俺は沼の縁に立ち、首席検査官の腕輪を見せながら小隊長らしき男に声をかけた。


「王都から来た検査官のマナベだ。状況を教えてくれ。なぜあんな沼のど真ん中で、勇者用の荷車がスタックしている?」


「け、検査官殿!? し、申し訳ありません!」


 小隊長は泥だらけのまま敬礼し、悲痛な顔で報告した。


「我々は周辺の哨戒任務に当たっていたのですが、突然この勇者様の荷車が、街道を外れて猛スピードで沼へ突っ込んでいったのです! 我々が止める間もなく……」


「荷車が勝手に沼へ突っ込んだ?」


「はい! まるで、沼の向こう側へ一直線に向かおうとするかのように……。勇者様の大切な物資をここで失うわけにはいかないと、慌てて引き上げ作業を行っているのですが、荷車自体が『前へ進もうとする』力場を発生させているせいで、逆に泥の底へ潜り込もうとしていて……!」


 小隊長の言葉通り、荷車は青白い光を点滅させながら、ガリガリと不快な駆動音を立てていた。


 前へ進もうとする推力と、泥の粘着力が反発し合い、結果として荷車は自ら沼の深みへと穴を掘り進んでいる状態だ。


 俺は小さく舌打ちをし、泥水の中へ足を踏み入れた。


「け、検査官殿!? 危険です、沼には水棲の魔物が潜んでいる可能性が……!」


「いいから、ロープを緩めろ! 荷車が暴れて怪我をするぞ!」


 俺は兵士たちの制止を振り切り、ズボンの裾を泥水に濡らしながら荷車へと近づいた。


 そして、泥にまみれた制御核の台座に手を押し当て、意識を集中する。


『――差分解析(現仕様閲覧)、実行』


 視界が反転し、沼地の上に半透明のコンソールと、荷車のルーティング(経路計算)のログが浮かび上がった。


 真っ赤なエラーログが滝のように流れている。


 俺はその中から「現在地」と「宛先座標」の推移履歴を抽出し、なぜこの荷車が沼へダイブしたのかを読み解いた。


 そして、そのあまりにもお粗末な仕様に、思わず天を仰いだ。


「……馬鹿げている。ルート計算のアルゴリズムに『地形の概念』が組み込まれていないのか」


 宛先は勇者の現在地。三秒ごとに座標が更新される。


 だが、勇者たちが「魔物との戦闘中」あるいは「魔法による高速移動中」だった場合、どうなるか。


 荷車は新しい座標を受信するたびに、現在地から宛先までの「最短の直線距離」を算出しようとする。


 システムは、そこに沼があろうが、谷があろうが、岩山があろうが関係ない。ただひたすらに、算出した直線のベクトルに向かって推力を全開にするのだ。


 障害物があれば力場で弾き飛ばせばいい、という強引な設計思想。


 それが通用するのは平坦な道か、相手が動かせる木箱程度の時だけだ。巨大な沼地や絶壁という「自然の地形」に対して、そんなゴリ押しが通用するはずもない。


 これは「座標のタイムラグ」と「地形データ無視」が引き起こした、必然のバグだ。


「……権限上書き。プロセスの優先度を下げ、推力発生を強制停止」


 俺がコンソールに命令を割り込ませると、青白く点滅していた制御核の光がフッと消えた。


 暴れていた荷車が完全に沈黙し、ただの重たい木の塊に戻る。


「よし、力場は消した! 引っ張り上げろ!」


 俺の合図に合わせて、兵士たちが一斉にロープを引いた。


 抵抗がなくなった荷車は、ズズズッと重い音を立てて沼の縁へと引き寄せられ、無事に固い地面の上へと回収された。


「た、助かりました……! ありがとうございます、検査官殿!」


 泥だらけになってへたり込む小隊長たち。


 俺は息をつきながら、泥まみれになった白木の箱を冷たい目で見下ろした。


「小隊長。この辺りで、こうやって『荷車が勝手に自滅する』ケースは多いのか?」


「……はい。恥ずかしながら、ここ数週間で五件目です。岩壁に激突して力場を張り続け、魔力切れで停止していたものや、谷底へダイブして完全に回収不能になったものもあります」


「その度に、あんたたち一般の哨戒部隊が本来の任務を放り出して、この箱の回収作業をやらされているわけか」


 小隊長は気まずそうに目を伏せた。


「勇者様の物資は、何よりも優先すべきだと上から厳命されておりますので……。我々の食料が減ってでも、これを回収しなければ処分を受けます」


 俺はギリッと奥歯を噛み締めた。


 ヴァンス隊長が言っていた「後日、空になって基地へ帰還する確率は半分」という言葉の意味が、痛いほど理解できた。


 残りの半分は、勇者に届いたわけではない。


 こうして地形を無視した暴走の末に自滅し、前線の兵士たちの本来の任務を圧迫し、彼らに無用な危険と疲労を強いる「デブリ(ゴミ)」と化しているのだ。


「便利すぎる自動化は、要件定義を間違えればただの凶器になる……」


 王都の人間は「自動で追尾する便利な荷車」を作ったつもりでいる。


 だが現仕様は、前線の兵士たちを回収作業という名のデスマーチに巻き込む、最悪のバグ発生装置だった。


「小隊長。この荷車はもう動かないように俺が権限をロックした。中身の物資は、あんたたちの部隊で消費して構わない」


「えっ!? し、しかし、これは勇者様の……!」


「いいから使え。こんな泥だらけの箱を最前線まで手押しで運ぶつもりか? これは俺の『首席検査官としての命令』だ。責任はすべて俺が持つ。書類には『回収不能のため現地で適切に処分』とでも書いておけ」


 俺の言葉に、小隊長と兵士たちは顔を見合わせ、やがて深々と敬礼した。


「……っ、ありがとうございます! 実は、ここ数日の寒さで部隊の保存食が尽きかけていまして……。本当に、助かります!」


 兵士たちの感謝の言葉を背に受けながら、俺は再び装甲馬車へと戻った。


 狂っている。


 通信を奪い、基地の魔力を奪い、一般兵の労力まで奪う。


 すべては「勇者のため」という建前のもとに、誰もその仕様の異常さに気づけないまま、前線を内側から食い破っている。


「……出そう。次の拠点へ」


 馬車は再び荒野を進み始めた。


 目指すは、この東部方面における医療の中心地、『野戦治療院』だ。


 だが、俺の胸の中には、さらに嫌な予感が渦巻いていた。


 通信や物流ですらこの有様だ。命に直結する「医療」の現場に、勇者特権のバグが入り込んでいないはずがない。


 数時間後、巨大な白い天幕が立ち並ぶ野戦治療院の敷地が見えてきた時。


 俺の予感は、最悪の形で的中することになる。

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