第25話 補給基地は勇者を待つ
冷たい泥濘に足を取られながら、俺は荷捌き場の中央へと歩み寄った。
周囲では、魔力不足で沈黙した魔導荷車を前に、兵士たちが絶望的な顔で立ち尽くしている。
そんな彼らを嘲笑うかのように、勇者用の物資を積んだ白木の箱だけが、青白い魔力の光を煌々と放ち、自動制御の力場で泥を跳ね除けながら突き進んでいた。
「ヴァンス隊長。今から監査を開始します。まずは、あの『止まらない白木の箱』の権限を、一時的に凍結させます」
俺の宣言に、ヴァンス百人隊長は血相を変えた。
「ま、待て! やめろ検査官殿! それは勇者様への特例支援物資だぞ! システムに逆らってそんなものを止めれば、王都の査問委員会にかけられて首が飛ぶ!」
「首が飛ぶのは、第三砦の傷病兵に薬が届かなかった時ですよ。安心してください、壊すわけじゃない」
俺はヴァンスの制止を振り切り、泥を蹴って白木の箱へと接近した。
箱を載せた自動荷車が、接近する俺を「障害物」として認識し、不可視の力場で弾き飛ばそうと出力を上げる。
だが、俺は左腕に嵌められた真紅の腕輪――首席検査官の証拠を、荷車の制御核が埋め込まれた台座へと押し当てた。
『――差分解析(現仕様閲覧)、実行』
視界が反転し、荷車を動かしている命令のフローチャートが空間に浮かび上がる。
システムが俺を排除しようとする赤いエラー群。
俺はその中から、王都の権限と直結している「承認ゲート」の術式を見つけ出し、検査官の権限を使って強制的にアクセスした。
パスワードの解読など必要ない。王都の広域転送ゲートをデバッグした際、この『X-01(勇者特権)』のシステム構成はすでに頭に叩き込んである。
俺は仮想コンソールを操作し、荷車のプロセスに一つの命令を割り込ませた。
【検査官権限行使:対象プロセスの優先度をAbsolute(絶対)からNormal(通常)へ変更】
【強制待機コマンドを発行】
カチリ、と。
物理的な音こそ鳴らなかったが、俺の視界の中で、赤と緑の暴力的な光を放っていたフローチャートが、スンッと静かな青色に変わった。
直後。
泥を跳ね除けていた力場がフッと消失し、煌々と輝いていた青白い魔力の光が、ランタンの火を落としたようにスッと消える。
勇者の白木の箱を載せた荷車は、周囲の一般物資と同じように、泥濘の中で完全に停止した。
「……と、止まった……?」
周囲の兵士たちが、信じられないものを見るような目で息を呑んだ。
「馬鹿な……! 王都から送られてきた『絶対優先』の魔導具だぞ。あれは、基地のどの権限を使っても止められなかったのに……!」
ヴァンス隊長が、泥まみれの顔を引き攣らせて俺を見る。
俺は荷車から手を離し、泥を払いながらヴァンスへと向き直った。
「当然です。この荷車の優先権は、基地のシステムではなく、王都の中枢システムから直接付与されていたんですから。現場の権限で止められないのは当たり前です」
「じゃ、じゃあ、あんたは一体何を……」
「一時的に優先度を下げて、ただの『普通の荷車』に戻しただけです。……隊長。これで、この基地の『謎の魔力不足』は解決しましたよ」
俺がそう言った、まさにその瞬間だった。
ブォン、という低い起動音が、泥濘のあちこちから鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
「隊長! 第三砦向けの荷車が……動きました! 魔力が通っています!」
「こっちもだ! 沈黙していた仕分け用のリフトに、光が戻ったぞ!」
悲鳴のような歓声が次々と上がる。
先ほどまで「魔力不足」を吐いて沈黙していた数十台の一般用魔導機器が、一斉に青白い光を放ち、軽快な音を立てて再起動を始めたのだ。
重い泥濘に足を取られていた荷車が、本来の力を取り戻して泥を掻き分け、前進し始める。
止まっていた物流の血液が、再び流れ始めた瞬間だった。
「……どういうことだ。予備の魔力炉を立ち上げたわけでもないのに、なぜ急に機材が動き出した?」
ヴァンス隊長が、呆然と周囲を見渡しながら呟く。
俺は彼に近づき、静かに説明した。
「単純な話です。機材の劣化でも、基地の魔力不足でもありませんでした。ただ、あの『勇者用の荷車』が、基地の魔力を独占していたんです」
「独占……? だが、たかが荷車一台だぞ。基地全体を停止させるほどの魔力を食うわけがない」
「ええ、普通ならそうです。ですが、あの荷車には『最優先で目的地へ到達せよ』という命令が組み込まれていた。そして、その目的を果たすために、基地の魔力プールから『引き出せるだけの魔力を限界まで引き出す』仕様になっていたんです」
俺は視界の端に残るログを指差した。
「例えば、この基地の魔力供給量が百だとします。あの勇者用の荷車が動くのに必要な魔力は、本来ならたったの五でいい。ですが、システムは『勇者のためなら、百あるうちの百すべてを使っても構わない』という許可を出していた」
「……ッ!」
「だから、あの白木の箱が動いている間は、他のすべての機材への供給がゼロにされていたんです。俺は今、その許可を『必要な分(五)だけ持っていけ』という通常の仕様に書き換えました。結果として、余った九十五の魔力が、皆さんの機材へ戻っていったんです」
俺の説明を聞き終えたヴァンス隊長の顔から、怒りや疑念が完全に消え去っていた。
代わりに浮かんでいたのは、長年苦しめられてきた「見えない幽霊」の正体を突き止められたような、深い安堵と、驚愕の色だった。
「そんな……そんな馬鹿な仕様で、我々は今まで……傷病兵への薬を遅らせていたというのか……」
「隊長の責任じゃありません。こんな狂った仕様を通した、王都の設計不良です」
俺の言葉に、ヴァンス隊長はギュッと拳を握りしめ、やがて深く、深く頭を下げた。
「……感謝する、首席検査官殿。いや、マナベ・シュウジ殿。あんたが来てくれなかったら、我々はあと数日で完全に崩壊していた。……おい、お前ら! 機械が動くうちに一気に片付けるぞ! 第三砦向けの医療品を最優先で積み直せ!」
「「「おおおおっ!!」」」
ヴァンスの号令に、兵士たちが歓声を上げて動き出す。
彼らの顔には、先ほどまでの絶望はなく、自分たちの仕事をやり遂げられるという力強い活気が満ちていた。
泥まみれになりながらも、次々と物資が整理され、前線へ向けて出発していく。
その光景を見届けながら、俺は小さく息を吐いた。
まずは一つ、現場の致命的なバグを潰せた。これで、東部方面の補給線は首の皮一枚で繋がったはずだ。
だが。
俺の仕事は、これで終わりではない。
周囲が忙しく立ち働く中、俺は再び、泥の中に停止させたままの「勇者用の白木の箱」へと視線を戻した。
基地の魔力をすべて食い潰してでも、「最優先で目的地へ到達せよ」という命令を与えられていたこの箱。
俺が気になったのは、その魔力消費の異常さだけではない。
「……いくらなんでも、ただの自動荷車が基地全体の魔力を吸い上げるなんて、異常すぎる。いくら『許可』があったとしても、荷車の制御核がそんな膨大な魔力に耐えられるはずがない」
水筒に湖の水をすべて注ぎ込もうとすれば、水筒が破裂する。
それと同じで、小さな荷車に巨大な魔力を流し込めば、普通は自壊してしまうはずなのだ。
だが、この荷車は自壊することなく、その魔力を「何か」に変換して消費し続けていた。
俺は再び『現仕様閲覧』を発動し、凍結状態にある白木の箱のルーティング(配送先)のログを覗き込んだ。
荷物は、送り状に書かれた「宛先」へ向かって進む。
第三砦なら第三砦。野戦治療院なら野戦治療院。固定された座標へ向かうだけなら、そこまでの魔力は必要ない。
だが、俺の視界に浮かび上がった『X-01』の宛先データは、兵站の常識を根本から覆す、恐ろしい仕様になっていた。
【宛先:勇者パーティー現在地】
【座標データ:三秒ごとに王都の索敵網から現在地を受信し、進行ルートを再計算】
「……なんだ、これは。宛先が、固定されていない?」
俺は思わず呟いた。
その呟きを聞きつけたのか、手が空いたヴァンス隊長が近づいてきた。
「どうかしましたか、シュウジ殿。その箱に何か問題でも?」
「隊長。この勇者用の荷車……これまではどうやって、最前線にいる勇者一行の元へ届いていたんですか? 彼らは魔物と戦いながら、常に移動し続けているはずですが」
俺の問いに、ヴァンス隊長はひどく疲れた顔で苦笑した。
「どうやって届いていたか、ですか。……恥ずかしながら、我々にもわかりません。我々にできるのは、この基地からあの箱を『東へ向けて出発させること』だけです。あとは、あの荷車が勝手に勇者様の居場所を追尾して、道なき道を進んでいくんですよ」
勝手に追尾して進んでいく。
言葉にすれば便利そうに聞こえる。
だが、システムエンジニアの視点から見れば、それは「最悪の仕様」以外の何物でもない。
刻一刻と位置を変える対象に向かって、道もない荒野や魔物の群れの中を、自動でルート計算を繰り返しながら進み続ける。
障害物があれば、全力の力場で弾き飛ばす。
その膨大な計算処理と、力場の維持。だからこそ、この小さな荷車は、基地一つを停止させるほどの異常な魔力を必要としていたのだ。
「……隊長。その『勝手に追尾して進んでいく』荷車ですが……本当に、ちゃんと勇者の元へ届いているんですか?」
俺が静かに尋ねると、ヴァンス隊長は重々しく首を横に振った。
「王都の記録上は『すべて届いている』ことになっています。ですが……我々がここから送り出した勇者用の荷車が、後日、空になってこの基地へ帰還する確率は……およそ半分です」
「半分……」
「残りの半分は、おそらく魔物に破壊されたか、沼に沈んだか、あるいは座標を見失って荒野を永遠に彷徨っているか……。誰も確認できないんですよ。ただ、システムが『送れ』と要求してくるから、我々は送り続けるしかない」
泥濘の上にポツンと取り残された白木の箱。
それは、最前線の兵士たちの命を削って作り出された、底の抜けたバケツだった。
王都の官僚たちは、勇者を支援している気になっている。
だが現実(現仕様)は、届きもしない物資を、前線を破壊しながら延々と荒野に投げ捨て続けているだけなのだ。
「……行くぞ」
俺は立ち上がり、さらに東――灰色の雪雲が垂れ込める、最前線の空を睨みつけた。
「この狂った自動配送を止めるには、宛先である『勇者』に直接会って、仕様を根本から書き換えるしかない」




