第21話 水道は誰のために流れる
王宮行政局の窓から見下ろす王都は、かつてない混乱に包まれていた。
「おい、どうなっている! ロイド! 行政局(お前のところ)の決裁を通した途端、なぜ下層区の水が止まるんだ!」
武具管理室長のジャイルズが、行政局長・ロイドの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
先ほどまで書類の山に埋もれて死にかけていたロイドは、悲鳴のような声を上げる。
「私に言いがかりをつけるな、ジャイルズ! システムに詰まっていた『勇者様関連の決裁』が自動処理された結果だ! その中に、居住施設への水と熱源の最優先供給の申請が混ざっていたんだよ!」
「水と熱源の最優先供給だと……? まさか、上層区にある『勇者様の迎賓館』のことか!」
輸送管理官のグレアムも血相を変えて会話に割り込んだ。
「迎賓館?」
俺が尋ねると、グレアムが顔を引きつらせながら振り返った。
「王都の最も標高が高い上層区に、勇者様一行が王都に滞在されるための専用の館があるのだ。……だが、勇者様方は今、東の湿地帯へ遠征中のはず。館は無人のはずだぞ!」
「館が無人だろうと、システムには関係ありませんよ」
俺は窓から離れ、足早に行政フロアの出口へと向かった。
「ジャイルズさん、ロイドさん。言い争っている暇はありません。王都の『水道局』と『熱源管理室』はどこです?」
「地下の最下層だ! 大魔導水車と直結している!」
ロイドが慌てて案内を買って出る。
俺たちは王宮の階段を駆け下り、インフラの心臓部である地下施設へと急行した。
王都の華やかな街並みを支えるのは、この地下深くで轟音を立てて回る巨大な水と火の魔導炉だ。
だが、俺たちが水道局の制御室に飛び込んだ時、そこはすでにパニックのどん底だった。
「メインバルブ、制御不能! 王都全域への水流供給の90パーセントが、第七パイプ(上層区ルート)へ強制的に吸い込まれています!」
「熱源炉の出力も同じです! 中層区以下の暖房用魔力がすべて遮断され、迎賓館の保温へ回されています!」
制御コンソールに張り付く技師たちが、泣きそうな顔でレバーを引いているが、魔導制御されたバルブはビクともしない。
「おい、バルブを戻せ! このままでは王都の民が凍えてしまうぞ!」
ジャイルズが怒鳴るが、現場の技師長は首を横に振った。
「無理です、ジャイルズ様! 『特級承認(X-01)』の魔導印が押された最優先命令が下っています! 我々の手動操作では、システムの強制バイパスを解除できません!」
「くそっ、私の局が承認してしまったせいだというのか……!」
ロイドが頭を抱えて崩れ落ちた。
物流、通信、そして行政。
せき止められていたシステムを正常化したことで、奥に潜んでいた「本命のウィルス」が動き出してしまった形だ。
「どいてください」
俺は技師たちをかき分け、水と熱の分配を管理する統括水晶の前に立った。
右手を触れ、意識を沈める。
『差分解析』
視界がモノクロームに反転し、王都の地下に張り巡らされた巨大な水路と熱源のパイプが、青と赤の光の線となって浮かび上がった。
【要求仕様】
王都の各区画(上層・中層・下層)に対し、世帯数と需要に応じた均等な水と熱の分配を行う。
【現仕様】
※警告:行政局からの『特級決裁(X-01)』を受理。環境維持プロトコルを起動します。
※動作:勇者指定迎賓館(無人)の『大浴場』および『全室の魔導暖房』を常時最高出力で稼働させるため、王都の総インフラ出力の90%を同施設へ強制バイパス中。
「……無人の風呂を沸かすために、下層区の飲み水を止めているのか」
俺は思わず毒づいた。
これもまた、典型的な「リソース確保のバグ」だ。
「真鍋殿! 原因は分かりましたか!」
グレアムが背後から叫ぶ。
「ええ。勇者の迎賓館に、王都の9割の水と熱が集中しています」
「な、9割だと!? いくら迎賓館が大きくても、たかが建物一つだぞ! なぜそんな莫大なエネルギーが必要になる!」
「『常時、最高状態を維持しろ』という命令が下っているからです」
俺は視界に広がる異常な魔力流動を指差した。
「勇者がいつ帰ってきてもいいように、常に大浴場には新鮮な熱い湯を溢れさせ続け、すべての部屋を春の温度に保ち続ける。……少しでも湯が冷めれば捨てて新しい熱湯を注ぎ、空気が冷えれば莫大な熱を送り込む。それを『無人の館』に対して、24時間・無限にやり続けているんです」
「ば、馬鹿な……。それでは、まるで穴の開いたバケツに水を注ぎ続けるようなものではないか!」
ロイドが絶望的な声を上げた。
その通りだ。
「勇者をもてなす」という建前で作られた仕様は、エネルギーの効率や上限という概念を完全に無視している。
「ロイドさん。この『環境維持』の決裁書類、誰が起案したんです?」
「王宮の……賢者会議だ。勇者様が遠征から帰還された際、一秒の不便もかけさせないようにと、彼らがインフラの術式に直接この特例を書き込んだ……!」
現場の苦労を知らない、トップダウンの極致。
勇者という存在を神聖視するあまり、「万が一」に備えた過剰なリソース確保が、平時の市民の生活を破壊している。
「……真鍋殿。これを止めることはできるか? このままでは、暴動が起きるぞ」
ジャイルズが、祈るような声で俺に問いかけた。
「止めますよ。システムは、少しの工夫で劇的に軽くなる」
俺は水晶のプログラムにアクセスした。
今回も、勇者の『X-01』という特権そのものを消し去ることはできない。
だが、「無人の風呂を延々と沸かし続ける」というアホな処理方式を、現代の効率的なシステムに書き換えることはできる。
【追加仕様(ローカルパッチ:オンデマンド供給)】
※対象:迎賓館への水・熱源の強制バイパス処理。
※動作1:『常時稼働』を解除する。
※動作2:迎賓館の入り口に設置された『魔力生体センサー(入退室管理)』のログと連動させる。勇者一行の生体反応が館内に【存在しない(不在)】場合、水と熱の供給量を最低限の維持レベル(1%)まで引き下げる。
※動作3:生体反応を検知(帰還)した瞬間に、バイパスを全開にし、急速加熱・給水を行う。
いわゆる『センサー式の自動省エネモード(オンデマンド)』だ。
人がいない時は止め、人が帰ってきた瞬間だけ全力で動かす。これなら勇者の快適さを損なうことなく、無駄なエネルギー消費を抑えられる。
「……よし。これで、無人の館に注がれていた無駄な水と熱は止まる。技師長、バルブを開け!」
「は、はいっ!」
俺が承認のルーンを叩き込むと同時、技師長がメインコンソールのレバーを引いた。
――ゴォォォォォォッ!!
地下施設全体が震えるような轟音と共に、迎賓館へ向かっていた極太のパイプが閉じ、王都の各区画へ向かう無数の配水管へと、勢いよく水と魔力が流れ込んでいく。
「バイパス解除! 下層区への配水、正常値に戻りました!」
「中層区の暖房出力、回復しています! 魔力炉の負荷も規定値内に収まりました!」
制御室に歓声が響き渡る。
安堵のあまり、ロイドとグレアムはその場にへたり込み、ジャイルズは天を仰いで深く息を吐き出した。
「助かった……。これで王都の民も、凍える夜を過ごさずに済む」
ジャイルズが、心底からの感謝を込めて俺を見た。
「真鍋殿。物流、通信、装備、そして行政と水道……。我々が完璧だと信じていた王都のシステムが、これほどまでに脆く、狂っていたとは思いもしなかった。あなたが来てくれなければ、この国は内側から崩壊していたかもしれない。本当に、なんと礼を言えばいいか……」
王都の重鎮たちが、揃って俺に頭を下げる。
現場のトラブルはすべて解決した。これでようやく、ルミナス向けの冬備蓄を送り出し、俺の出張も終わる。
――はずだった。
「……ジャイルズさん。礼を言うのは、少し早いかもしれませんよ」
俺は水晶のコンソールから手を離さず、冷や汗をにじませながら、視界に浮かぶ『現仕様』のさらに奥深くを凝視していた。
「な、何か……まだ異常があるというのか?」
ロイドが顔を引きつらせる。
「ええ。俺も今、ようやく気がつきました。……今まで直してきたバグは、すべて『別々の事故』じゃなかった」
俺は視界に展開された、数々のエラーログを空中にホログラムとして投影した。
・物流を食い潰していた『優先タグ:X-01』
・通信を占有していた『優先タグ:X-01』
・装備品に魔力を送り続けていた『優先タグ:X-01』
・行政窓口をパンクさせた『優先タグ:X-01』
・そして今、水道と熱を奪っていた『優先タグ:X-01』
バラバラに見えていたそれぞれの部署の不具合は、すべて『勇者支援システム』というたった一つの根幹仕様から派生したものだ。
「……これは、勇者が悪いわけじゃない。勇者という存在を『あらゆるルールの例外』として最優先させるために、王宮の賢者たちがインフラの根本に直接組み込んだ、特権のソースコードそのものが狂っているんです」
俺は集まった王都の官僚たち――ジャイルズ、グレアム、ロイドを真っ直ぐに見据えた。
「あんたたち各部署の責任者は、自分の管轄で起きている問題しか見えていなかった。だから『地方のせいだ』『たまたまエラーが起きただけだ』と思い込んでいた」
だが、現実は違う。
「王国のシステム全体が、『勇者を支援する』という名目のもとに、怪物のようなキメラに成り果てている。……このまま応急処置のパッチを当て続けても、いずれ別の場所がパンクして、王国は完全に沈む」
静まり返る制御室で、俺の言葉だけが冷たく響いた。
「真鍋殿……。では、我々はどうすればいいのだ?」
ジャイルズが、震える声で問う。
「根幹を叩くしかありません。この狂った『X-01』という仕様の親玉――王宮のメインサーバーに直接アクセスして、王国全体の設計図を引き直す」
それはつまり、この国の「勇者制度」そのものの設計不良を暴き、書き換えるという、異世界における最大のシステム改修の始まりを意味していた。




