第20話 行政窓口は進まない
王都、中央魔導局・東棟。
この国のあらゆる法規、認可、予算の執行を管理する「王宮行政局」は、文字通りの地獄絵図と化していた。
大理石で設えられた豪奢なフロアには、天井まで届きそうな羊皮紙の山がいくつもそびえ立っている。
その書類の山の合間を縫うように、数十人の文官たちが青ざめた顔で駆け回り、無数の書類にひたすら「魔導印」を押し続けていた。
「第五書記官! まだ『勇者様関連』の決裁が五百件も残っているぞ!」
「ふざけるな、こっちは徹夜で三千件処理したんだ! 手が、手がもげる……ッ!」
ヒステリックな怒号と、羊皮紙の擦れる音だけが響き渡る空間。
俺を案内してきた物流部門のグレアムと、武具管理室長のジャイルズは、その異様な光景に絶句して立ち尽くした。
「な、なんだこれは……。王宮の頭脳である行政局が、書類の雪崩に埋もれているではないか」
ジャイルズが信じられないという顔で呟く。
「……おや、グレアムにジャイルズではないか。こんな野戦病院へ何の用だ?」
書類の山の中から、フラフラと幽鬼のように現れたのは、酷く痩せこけた初老の男だった。
その胸には「行政局長」のバッジが光っているが、彼の目は完全に虚ろで、手には魔導印のインクがべったりとこびりついている。
「ロイド……お前、その酷い隈はどうしたんだ」
グレアムが絶句しながら声をかけた。行政局長・ロイドは、彼らと同じく中央魔導局を取り仕切る古参の役人だ。
「どうもこうもあるか。見ての通りだ」
ロイドは乾いた笑い声を上げた。
「ロイド。実は、地下の絶対封印区画に隔離されてしまったルミナス向けの冬備蓄を解放するため、お前の『特級承認印』をもらいたいのだが……」
グレアムが恐る恐る要件を切り出した。
「ヒッ、ヒヒ……特級承認印? いいだろう、出してやる。ただし、現在この局が抱えている『最優先の決裁待ち』が約三万件ある。お前の申請書は、その一番下だ。……順調に処理して、印を押せるのは三年後くらいだな」
「さ、三年!? ロイド、冗談を言っている場合か! それではルミナスの民が凍死してしまうぞ!」
ジャイルズが怒鳴りつける。
「知ったことか! 我々だって過労死寸前なんだ!」
ロイドが血走った目で怒鳴り返した。
「一ヶ月前からだ! 勇者様が旅立たれてからというもの、毎日毎日、何千枚という『最優先書類』が、我々の決裁システム(魔導ワークフロー)に自動で叩き込まれ続けている! 他部署の通常申請など、見ている暇はないんだよ!」
局長の悲痛な叫びに、俺はため息をつきながら書類の山に近づいた。
現代の役所や大企業でもよくある光景だ。
「システム化して便利になった」はずなのに、なぜか以前より承認の手間が増え、現場が書類に埋もれて死にかけている。
「……ロイド局長。その三万件の『最優先書類』ってのは、具体的に何なんです?」
「誰だか知らんが、見れば分かるだろう!」
ロイドが机の上に投げ出した一枚の羊皮紙。
それを見た瞬間、俺の隣にいたジャイルズの顔が、サァッと青ざめた。
『申請書:国宝(疑似聖剣)の紛失による緊急代替錬成の事後承認について』
『優先度:特級(X-01)』
『備考:勇者様ご一行が、泥沼での戦闘中に剣を投棄したため、自動システムにより新品を錬成しました。担当者の承認印を求めます』
「な、なんだこれは……!?」
ジャイルズが書類をひったくるように手に取った。
「ロイド! この書類は、王宮システムが自動で発行したものか!?」
「ああ、そうだとも! 武具管理室(お前たち)のシステムが、勇者様に新しい武器を錬成するたびに、ご丁寧に『国宝を消費した事後承認』の書類を我々の窓口へ自動送信してくる仕様になっているんだ!」
俺は額に手を当て、天を仰いだ。
すべてが繋がった。
勇者がゲーム感覚で「疑似聖剣」を使い捨てにする。
そのたびに、武具システムが自動で新しい剣を錬成する。
そして「国宝を新しく作った」というシステム上の重大な変更が行われたため、ご丁寧にも『行政の事後承認ログ』が自動発行され、行政局へと飛んでくる。
「……勇者たちが森や沼に捨てた疑似武器の数は、この一ヶ月で数百本。さらに、ポーションや防具の消費も合わせれば、毎日ものすごい数の『自動報告書』が作られているわけか」
俺の呟きに、ロイドが泣きそうな顔で頷いた。
「その通りだ! しかも、それらはすべて勇者様の『X-01』タグがついた最優先書類! 我々行政官は、他のどんな重要な決裁(ルミナスの冬備蓄など)よりも先に、この『勇者様が剣を捨てたという報告書』に、一つ一つ手作業で魔導印を押さなければならないのだ!」
システムが自動で吐き出す膨大なエラーログ(システム通知)を、わざわざ紙(羊皮紙)に出力して、人間が手動でハンコを押して処理している。
ITエンジニアが見たら、泡を吹いて倒れかねない最悪の非効率だ。
システムの自動化と、古いお役所の「目視とハンコ至上主義」が最悪の形で融合してしまった結果である。
「ジャイルズさん、それにグレアム管理官。これが『建前』の行き着く果てですよ」
俺は、呆然とする二人を振り返った。
「システムは『国宝は大切だから、一つ消費するごとに必ず行政のハンコをもらえ』という古い法律(建前)に従って動いている。勇者が国宝を割り箸のように捨てまくっているという『実態』を無視してね。……結果として、お役所の決裁機能はシステムからのDDoS攻撃(自動書類スパム)を受けて完全にパンクした」
「そ、そんな……。私の部署の武具錬成が、まさか行政局まで麻痺させていたとは……」
ジャイルズが深い罪悪感に顔を歪めた。
「真鍋監査官。あなたなら……この書類の山も、なんとかできるのか?」
グレアムが縋るような目で俺を見る。
「もちろん。こんな無駄なハンコ押し、今すぐ終わらせてやりますよ」
俺は行政フロアの奥、壁に埋め込まれた巨大な「決裁統括水晶」の前に立ち、右手を置いた。
『差分解析』
視界がモノクロームに反転する。
飛び交う怒号が遠のき、水晶の中を流れる「承認待ちデータ」の膨大な列が可視化された。
【要求仕様】
他部署のシステムから送信されたすべての申請書に対し、人間の行政官による『魔導印(生体認証)』の押印をもって、決裁完了とする。
処理順序:優先タグを最優先。
【現仕様】
※警告:待機キューに『特級(X-01)』の自動生成ログが32,450件滞留中。
※状態:人間の処理速度(手動押印)がシステムの生成速度に追いつかず、完全なデッドロック(処理停滞)に陥っています。
「機械が1秒で作ったログを、人間が数分かけて読んでハンコを押す。……アホらしくて涙が出てくるな」
俺は視界の中で、決裁システムの「仕分けルール(ルーティング)」にアクセスした。
やるべきことは簡単だ。現代のメーラーでも誰もがやっている「自動振り分けフィルター」の設定である。
「ロイド局長。あんたたちが読んでいるその『勇者の武具消費ログ』、ハンコを押した後はどうしてるんですか?」
「ど、どうもこうも……決裁が済んだら、地下の長期保管庫へ放り込んで、二度と見ない! ただの事後報告なのだからな!」
「だろうな。誰も読まないログに、わざわざハンコを求めるシステムがおかしいんだ」
俺は水晶のプログラムに、新たなパッチを強引に書き込んだ。
【追加仕様(ローカルパッチ:自動承認フィルター)】
※対象:送信元が『システム自動生成』であり、かつ『X-01』タグを含む事後報告系の申請データ。
※動作:人間の行政官の端末へのルーティングを【スキップ】する。
※処理:該当データは受信と同時に『システムによる自動承認済み』フラグを付与し、直接データベース(地下保管庫)へ自動アーカイブする。
「……システムが吐いたログは、人間を介さず、システムに直接飲み込ませて保管庫へぶち込む。これでいい」
俺が最後のエンター(承認)のルーンを叩き込んだ瞬間。
――シュゥゥゥゥン……!
行政フロアを埋め尽くしていた、数万枚もの「勇者の申請書(羊皮紙)」が、青白い光を放ちながら一斉に宙へ浮き上がった。
そして、魔導の光の粒子へと分解され、壁の統括水晶を通って、地下の保管庫へと直接吸い込まれていく。
「な、なんだ!? 書類が……消えていく!?」
「局長! ダッシュボードの待機件数が、三万件から……一気に減少しています! ……ゼロになりました! 勇者様関連の決裁が、すべて自動処理されました!」
オペレーターの絶叫に、行政フロアが水を打ったように静まり返った。
天井まで届いていた書類の山は綺麗さっぱり消え失せ、残されたのは、本当に人間の判断が必要な「通常の申請書」数十枚だけだ。
「……信じられん。我々が徹夜で押し続けていたあの無駄な時間は、一体……」
ロイドが、インクに塗れた両手を見つめながら、その場にへたり込んだ。
だが、その顔には深い疲労と共に、解放された安堵の涙が浮かんでいる。
「監査官殿……いや、真鍋……と言ったか。あなたは、神か何かか……?」
「ただのデバッガーですよ。……ロイド局長。これで窓口が空いたはずだ。悪いけど、この『ルミナス向け冬備蓄の解放申請』に、特級承認印をもらえませんか?」
俺がグレアムから預かった書類を差し出すと、ロイドは弾かれたように立ち上がり、深々と頭を下げた。
「もちろんだとも! これほどの恩義、今すぐ、私の権限で即時決裁しよう!」
ロイドが力強く魔導印を押し込んだことで、書類は緑色の光を放ち、「承認完了」のステータスへと切り替わった。
これを持っていけば、地下の絶対封印区画から魔石を引き出し、ルミナスへ送り直すことができる。
通信エラーから始まった物流のパケットロス、そして行政のデッドロック。
長い連鎖のバグを一つずつ潰し、ようやく全てのミッションが終わった。
「……ふう。これでやっと、ルミナスに帰れるな」
俺が肩の力を抜き、ジャイルズやグレアムと無言の労いを交わした、その時だった。
『――警告。行政決裁の制限解除に伴い、保留されていた【環境維持プロトコル】が再起動しました』
視界の端、完全に閉じていなかった『差分解析』の端っこで、小さな赤いエラーログが点滅した。
「……あん?」
俺は顔をしかめ、そのログの詳細を展開した。
勇者の『X-01』システムが、王国の行政局に対して要求していたのは、ただの「武具消費の事後報告」だけではなかったのだ。
行政局の決裁機能が麻痺していたせいで、システム内で「承認待ち」のままストップしていた別の要求が存在していた。
【要求元:勇者支援システム(X-01)】
【要求内容:勇者一行の『宿泊施設』における、水質および熱源の最上位確保】
【対象エリア:王都セントラル・上層区】
【処理結果:行政承認完了。王都の『水道局』および『魔導熱源基盤』の出力を、対象エリアへ強制バイパスします】
「……おいおい、嘘だろ」
俺の呟きとほぼ同時に、行政フロアの窓の外――王都の街中から、悲鳴のようなざわめきが上がり始めた。
「局長! 王都の下層区から通報です! 水道の蛇口から急に水が出なくなったと!」
「中層区の魔導暖房も、一斉に停止しました! 王都中の水と熱が、どこか一箇所へ向けて猛烈な勢いで吸い上げられています!」
報告を聞いたロイドたちがパニックに陥る中、俺は窓際へ歩み寄り、王都の中心部を見下ろした。
通信、物流、装備、そして行政。
勇者を最優先する狂った仕様は、ついにこの王都の「物理的な生活インフラ(水と熱)」にまでその牙を剥き始めていた。




