第14話 勇者便は止まらない
地下に広がる中央転送室。
巨大な魔導水晶が鈍い唸りを上げる中、輸送管理官のグレアムは、信じられないものを見るような目で水晶の表面を見つめていた。
「勇者様の、自動補給枠……だと?」
グレアムの震える声が、喧騒の中で妙に響いた。
「そんな馬鹿な。いくら勇者様への支援とはいえ、王都の物流ゲートが完全に麻痺するほどの物資を送り続けるなど、あり得るはずがない! 勇者一行はたったの数人だぞ!」
「俺も最初はそう思いましたよ。一個人の消費量で、都市一つの冬備蓄を三日も足止めできるわけがないってね」
俺は魔導水晶から手を離さず、再び意識を深く沈めた。
『差分解析』
視界が反転し、モノクロームの世界に無数の光の線が浮かび上がる。
俺は、他のすべての通常便を力尽くで弾き飛ばし、ゲートを独占し続けている赤い光――『優先タグ:X-01』の中身を展開した。
「……なるほど。こいつはひどい」
展開された転送履歴のリストを見て、俺は思わず頭を抱えそうになった。
【転送ログ・特例便(X-01)】
・10:04:12 最高級ポーション×1
・10:04:15 温かい紅茶(砂糖入り)×1カップ
・10:04:40 汗拭き用リネンタオル(清潔)×3枚
・10:05:02 魔力回復薬(小)×1
・10:05:15 焼き菓子(一口サイズ)×2個
それが、一秒の狂いもなく延々と続いている。
大量の物資を一度に送っているのではない。極小の荷物を、文字通り「数秒に一回」のペースで絶え間なく連続転送しているのだ。
「グレアム管理官。勇者のパーティーは、今どこで何をしているんですか?」
「は? い、いや……王宮からの通達によれば、現在は東の湿地帯で、魔物の群れと連日戦闘中のはずだが……」
「でしょうね。その最前線に向けて、この『完璧なシステム』は、勇者が紅茶を一口飲むたびに新しいカップを転送し、剣を一振りして汗をかくたびに新しいタオルを送りつけているんですよ」
「なっ……なんだと!?」
俺は視界に浮かぶ仕様の構造を指差した。
「王宮の賢者たちがどういう意図でこの術式を組んだかは知りませんが、おそらく『勇者の状態を常に100%に保つ』という条件を設定したんでしょう。HPや魔力が1でも減ったら即座にポーションを送り、少しでも空腹を感じたら食料を送る」
現代のシステム開発でもよくある、最悪の失敗だ。
現場の通信負荷を一切考慮せず、「常に最新の状態を維持する」という理想だけで組まれた同期プログラム。
「勇者が少しでも消耗するたびに、システムが過剰反応して自動で補給便を生成している。転送ゲートを開くための『準備動作』には莫大な魔力と時間がかかるのに、こんな数秒単位で極小の荷物を送られ続けたら、ゲートは開け閉めを繰り返すだけでパンクする」
いわゆる、身内からのDDOS攻撃だ。
王都の物流システムは、勇者を守ろうとするあまり、自らの首を絞めて機能不全に陥っていた。
「そ、そんな馬鹿な処理が組み込まれているというのか……! だが、ダッシュボードにはそんな細かな通信ログは一切……!」
「出ないでしょうね。そんな異常な回数の転送記録をまともに集計したら、管理側の水晶板が先に焼き切れる。だから、ダッシュボードには『勇者便:稼働中』という一つのランプしか点灯しないように隠蔽されている」
青ざめた顔で座り込むグレアムの横で、現場主任の男が悲鳴のような声を上げた。
「か、監査官殿! 原因がそれだと言うなら、今すぐその『特例便』を止めてください! このままでは、ルミナスどころか他の都市への荷物もすべてタイムアウトで破棄されてしまいます!」
現場の悲痛な叫び。
だが、グレアムが血相を変えて立ち上がった。
「馬鹿者、止められるわけがないだろう! この術式を組み込んだのは、王宮の賢者様たちだぞ! 我々の一存で勇者様への支援を止めれば、国家反逆罪に問われかねん!」
「しかし、このままでは地方が冬を越せません!」
「地方の人間が数人凍えようと、勇者様に万が一のことがあれば世界が終わるのだ! ……我慢しろ! 勇者様が戦闘を終え、休息に入られれば、この自動補給も止まるはずだ!」
保身と建前を優先する管理官と、現実の崩壊を前に絶望する現場。
その光景を冷ややかに見つめながら、俺は魔導水晶のコンソールに両手を置いた。
「……安心してください、グレアム管理官。勇者の特権(X-01)そのものを消し去る権限は、俺にもありません。そんなことをすれば、王宮のセキュリティが作動して俺が捕まる」
「だ、だろう! なら、どうしようもないではないか!」
「ええ、『勇者の仕様』は弄りません。……俺が弄るのは、『ここの現場の仕様』です」
俺は『差分解析』の視界の中で、ゲートの送信待機列を管理している領域にアクセスした。
「現場主任。このゲートの『一度の最大転送容量』はどれくらいだ?」
「え? あ、はい! 馬車三台分、およそ五トンの質量までなら、一度のゲート開閉で同時に送れます!」
「上等だ。勇者の紅茶やタオルなんて、全部まとめても数キロにも満たない。なら、毎秒ゲートを開け閉めするからパンクするんだ」
俺は、水晶のプログラムに新たな『条件付け』を割り込ませた。
勇者の『X-01』タグの発生源は止められない。だが、ここで受け取った指示を、どう処理するかは現場の送信ゲート側の裁量だ。
「何をしている!? 勝手にシステムを――」
「黙って見ていてください」
俺が組み込んだのは、単純な『バッチ処理(おまとめ梱包)』のパッチだ。
【追加仕様】
※対象:『優先タグ:X-01』を受信した場合。
※動作:即時転送を保留し、専用の待機バッファに格納する。
※トリガー条件:バッファ内の物資が「一定量(木箱一つ分)」に達するか、「一時間」が経過したタイミングで、一つの荷物としてまとめて転送を実行する。
「よし、これで勇者の『数秒ごとの極小リクエスト』は、一時的にこの水晶の中にプールされる。……結果として、ゲートの占有が解除され、本来の『空き時間』が生まれる」
俺が最後の承認のルーンを叩き込んだ瞬間。
――ゴオォォォォォッ!!
中央転送室に鎮座していた巨大な魔法陣が、眩い青色の光を放って回転を始めた。
今まで勇者の紅茶やタオルにかき消されていた「本来の転送処理」が、せき止められていたダムが決壊したかのように一気に流れ込み始めたのだ。
「ゲートが開いたぞ!」
「ルミナス向けの冬備蓄、第一便から第五便まで、一斉に転送開始!」
「いけえええっ!」
オペレーターたちの歓声が響き渡る。
荷馬車に積まれていた毛布や魔石の入った木箱が、次々と青い光に包まれ、空間の彼方へと吸い込まれていった。
ルミナスの受信ゲートでバルト親父が歓喜の声を上げている姿が、目に浮かぶようだ。
「ば、馬鹿な……。勇者様の支援を止めることなく、地方の荷物を流したというのか……?」
グレアムがへたり込み、信じられないという顔で水晶板の「真の正常稼働」を見つめていた。
「ええ。勇者には少しだけ『まとめ送り』で我慢してもらいますがね。紅茶は少し冷めるかもしれませんが、世界の危機には代えられないでしょう」
俺は軽く肩をすくめ、水晶から手を離そうとした。
現場の問題はこれで解決した。ルミナスには無事に冬備蓄が届き、凍死者は出ない。俺の「首席検査官」としての初仕事は、これで終わりのはずだった。
だが。
『――警告。特例タグ:X-01の参照範囲を確認』
視界を閉じようとした直前、『差分解析』の端に映り込んだ一文が、俺の目を釘付けにした。
「……なんだ、これは」
俺は再び意識を集中し、勇者のシステムに付与されている『X-01』という特権タグの「定義ファイル」を覗き込んだ。
通常、こうした優先タグは「物流部門」なら物流部門のシステム内だけで有効なものだ。
だが、この『X-01』のアクセス権限は違った。
【有効ドメイン:GLOBAL(王国全域インフラ)】
・物流転送ネットワーク:有効
・魔導通信ネットワーク:有効
・防衛・装備管理システム:有効
・都市環境維持(水道・熱源):有効
・行政承認プロセス:有効
背筋に冷たいものが走った。
このバグのような「勇者最優先の割り込み処理」は、物流ゲートだけのものではない。
王国全土の、ありとあらゆる魔導インフラに、この『X-01』という最上位の特権が組み込まれているのだ。
「……なあ、グレアム管理官」
俺は、歓喜に沸く転送室の中で、静かに振り返った。
「この王都で最近、物流以外にもおかしなことは起きていませんか? たとえば、通信が繋がらないとか、水道の水圧が急に下がるとか、行政の承認が理不尽に止まるとか」
グレアムはビクッと肩を震わせ、青ざめた顔で俺を見た。
「な、なぜそれを知っている……。実はここ数日、王都の各部署から『原因不明のシステム遅延』が相次いで報告されている。だが、皆それぞれ自分たちの部署の軽微なエラーだと言い張っていて……」
俺は小さく息を吐き出した。
点と点が、最悪の形で繋がりつつある。
ルミナスで起きていた「水路の怪」や「たらい回しの行政窓口」。そしてこの「届かない冬備蓄」。
一見バラバラに見えるそれらの不具合は、別々の故障ではない。
王国という巨大なシステム全体が、「勇者を最優先する」というたった一つの狂った仕様によって、今まさに内側から食い破られようとしていた。




