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仕様書のない異世界で、俺だけが“現仕様”を見抜ける  作者: 結城ログ
第9章:現仕様、最後の依存を剥がす編(最終章)
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第103話 昔、人で塞いだ

 応急が買った猶予は、十日だった。


 その十日を、修司は白い障害票を埋めることに使うと決めていた。人で塞がない、と方針だけは立った。だが票の本文は、まだ一行も進んでいない。手動点検の当番は、今日も深層で汗をかいている。時間は、誰かの消耗と引き換えに、少しずつ減っていく。


 修司が足を向けたのは、記録室ではなく、ヴェイドの居室だった。


 立会いの日、二つの書式の図を長いこと見つめて、ヴェイドは「昔、別の者に見た」とだけ言い、それ以上を続けなかった。無理に引き出した言葉は、正確でない。あの日はそう考えて、修司は引いた。だが十日しかないいま、確かでないままでいいから、その一片を、もう少し聞いておきたかった。


 ヴェイドは、修司を拒まなかった。乾いた声で、座れ、とだけ言った。


「昔の話を、聞きに来たか」


「確かでないなら、確かでないままで構いません。ただ、あなたが『別の者に見た』と言った、その別の者が、今の俺と同じ壁の前に立っていたなら――どうしても、聞いておきたいんです」


 ヴェイドは、しばらく黙っていた。それから、組んだ手の上に、視線を落とした。


「地方の、小さな炉だった」


 声は、低く、乾いていた。


「その炉にも、同じ『最後の一点』があってな。埋まらないと、点検が滞る。今の基盤炉と、そっくり同じ困りごとだ。そして、その一点に、ぴたりと嵌まる者が、一人いた。村の、静かな男でな。炉が、そいつを呼んだ。お前でいい、と。――私は、繋いだ」


 修司は、黙って聞いた。


「炉は、安定した。何年も保った。村は、その男が炉を支えていることを、じきに忘れた。安定とは、そういうものだ。誰かが支えているのを、皆が忘れられる状態を、安定と呼ぶ」


「その男は」


「少しずつ、すり減った。目に見える速さじゃない。年に、爪の先ほどだ。だが、ある冬、炉ごと――消えた。男も、村も、一晩でな」


「止められなかったんですか。すり減ってると、気づいた時点で」


「気づいた時には、もう炉が、その男の形に馴染んでいた。外せば、炉が荒れる。荒れれば、村が凍える。外すに、外せん。――今の、お前と同じだ。繋いだが最後、外す理由より、繋いだままでいる理由のほうが、いつも多くなる」


 ヴェイドは、そこで一度、言葉を切った。


「それから、私は会議で口数が減った。確かでないことを確かなように言うのが恐ろしい、と言ったのは、半分は、そのせいだ。あのとき私は、繋げば安定する、と確かなように言った。安定は、本当だった。だが、その裏で何がすり減るかは、確かめもせずに言った」


---


 修司は、二つの書式が寸分違わず同じだった、あの盤を思い出していた。


「一つ、当たりがつきました。確かじゃありません。ただの見当です」


 言葉を、慎重に選んだ。


「昔は、炉の最後の一点を、一人の人間で塞いでいた。あなたが繋いだ、あの男みたいに。一人に全部を背負わせるから、その一人が、すり減って消える。――召喚ってやつは、たぶん、その塞ぎ方を、変えるための継ぎ足しです。一人にまとめてかけていた負担を、大勢の召喚者に、薄く割って背負わせる。すり減りを、一人分から、大勢分に、散らすための仕組み」


「大勢で、薄く」


「ええ。だから、すり減りが目立たなくなった。一人が消える代わりに、大勢が、少しずつ削られる。目立たなくなっただけで、塞いでるのが人だってことは、昔も今も、変わっていません」


 言ってから、修司は付け加えた。


「断定は、しません。俺の能力は、今動いてる仕組みは読めますが、それを誰がいつ、どういうつもりで継ぎ足したかは、読めない。これは、あなたの話と、盤の書式から立てた、ただの見当です」


 ヴェイドは、否定も肯定もしなかった。ただ、乾いた目を、わずかに細めた。


---


 その見当を、修司は翌日、賢者会議に持ち込んだ。反応は、割れた。


 ガレオンの隣に座る、年配の賢者が、静かに言った。


「ならば、話は逆ではないか。大勢で薄く割れるなら、消耗の少ない召喚者を選んで繋げばよい。すり減りの遅い者なら、何十年と保つ。マナベ殿が、ご自分を繋ぐ必要も、ない」


 悪意はなかった。暮らしを守りたい、という善意から出た、現実論だった。


 それに答えたのは、修司ではなく、ヴェイドだった。


「速いか、遅いかの違いだ」


 乾いた声が、会議の間に落ちた。


「爪の先ほどのすり減りでも、塞ぐのが人である限り、いつか、その人を失う。遅ければ、失うまでの間、皆がそれを忘れていられる。忘れていられる、それだけのことだ。私は、その『忘れていられる速さ』のために、一人を炉に繋いだ。二度と、勧めん」


 会議は、静まった。修司は、その静けさの中で、自分の方針の重さが、一段、確かになるのを感じた。人で塞がない。それは、修司が組み上げた理屈である前に、ヴェイドが一人分の消耗と引き換えに、確かめてきた痛みだった。


 会議を出たあと、修司はいちど、深層の手動点検の当番に顔を出した。若い保守員が、今日も「実行できず」の項目を、人の手で一つずつ潰している。額の汗は、昨日より濃かった。応急が買った十日は、この汗の上に載っている。ヴェイドの言う「忘れていられる速さ」というのは、裏を返せば、今この当番の消耗を、まだ誰も忘れられていない、という意味でもあった。忘れられないうちに、塞ぐ手を見つける。それが、繋がないと決めた側の、締め切りだった。


---


 会議のあと、修司はヴェイドに頼んで、あの小炉の古い記録を、開いてもらった。


 失われた炉の記録は、ほとんどが焼けて、断片しか残っていない。だが、その断片の中に、修司は、思いがけないものを見つけた。


 炉を人で塞ぐ前に、誰かが、人以外で塞ごうとした試みの痕だった。


「これは……緩衝ですね」


 修司は、焼け残った図の一部を、指でなぞった。


「人を一点に繋ぐ代わりに、間に何かを挟んで、最後の一点を埋めようとしてる。あなたが繋ぐ、もっと前に。誰かが、人でない塞ぎ方を、試しています」


「試して――失敗した痕だ」


 ヴェイドは、低く言った。


「その試みは、うまくいかなかった。だから、私の代で、結局は人で塞ぐことになった。方向としては、間違っていたんだろう」


 修司は、首を振らなかった。だが、頷きもしなかった。焼け残った図を、もう一度、端からたどった。失敗した、とヴェイドは言う。確かに、この試作は破れている。だが、破れ方のほうが、気になった。


 図には、一本の高密度の接続で塞ぐのではなく、いくつもの中くらいの接続を、束ねて一点に寄せた跡があった。一人の人間の代わりに、複数の細い流れを寄り合わせて、擬似的に、あの高密度の一点を満たそうとした形跡。


 失敗している。焼けている。それでも――方向は、間違っていなかったかもしれない。


 同席していたリゼットが、修司の手元を、横から覗き込んだ。


「修司さん。さっきから、失敗した記録ばかり、熱心に見ていますね」


「失敗の中に、次の手が落ちてることがあるんだ」


 修司は、白いままだった障害票の本文を、思い浮かべた。人でない何で塞ぐのか。その一行目が、焼け残った古い図の上に、うっすらと、輪郭を持ちはじめていた。


「束ねる、か」


 修司は、断片を、そっと手に取った。失敗した試作の、その破れ目に、次の一手の、最初のとっかかりが埋まっているような気がした。


 マルファスなら、この束ねる形を、数で検めてくれる。修司は、焼け残った断片を、写しに取らせることにした。失敗した試作を、そのまま真似ても、また焼けるだけだ。だが、なぜ束ねようとして、なぜ破れたのか――そこまで読み解けば、破れない束ね方の輪郭くらいは、描けるかもしれない。


 白いままだった障害票の本文に、修司はようやく、最初の一行を書き込んだ。件名の下に、ただ一言。人でない何かを、束ねて塞ぐ、を検討する。まだ、それだけだった。それだけだったが、票は、もう白紙ではなかった。

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