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沈黙の王子と、星を鳴らす音律師  作者: 銀細工ナギ


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15/20

封じられた塔への招待状

 封じられた塔は、王都の北端、崖の上に立っていた。


 旧天候院から持ち出した地図には、塔の場所だけが黒く塗りつぶされている。道は途中で途切れ、周囲には枯れた鐘草が広がっていた。風が吹くたび、茎同士が触れ合う。音はするのに、どこか遠い。


 リセラは胸元の封印を押さえた。紙のように見えた招待状は、もう紙ではなかった。薄い銀板へ変わり、表面には細い光の線が走っている。その線は、彼女が歩くたびに塔のほうへ伸びていった。


「あれが、十年前から閉じられていた塔です」


 カシウスが言った。灰色の外套の裾が風にあおられている。


「封鎖の理由は、星鐘の破損と記録されています。でも、ここには修理工房も、記録庫もない。あるのは王立音律局の古い観測施設だけです」


 エルドは手帳に書いた。


『それなら、なぜ招待状を?』


「私たちを中へ入れて、何かを聞かせるためでしょう」


 リセラが答えると、カシウスは苦い顔をした。


「罠だと思うか」


「罠でない理由がありません」


 そう言いながらも、彼女は塔から目を離せなかった。


 塔の頂には、鐘の代わりに巨大な銀の輪が浮かんでいる。輪の中心だけが欠けていた。遠目には何も鳴っていないのに、リセラの耳には、そこから落ち続ける音が聞こえた。


 高く、細く、途中で途切れる音。


 母の譜面に残されていた、あの抜け落ちた一音と同じだった。


 塔の入り口には、鍵穴の代わりに三つの窪みがあった。ひとつは星形、ひとつは羽根形、最後のひとつは音叉の形をしている。


 リセラが銀板を星形の窪みへ近づけると、扉の内側で歯車が回った。続いてカシウスの革箱に入った金属板が淡く光り、羽根形の窪みへ吸い寄せられる。


 エルドが最後の窪みへ指を置いた。


 音はなかった。


 それでも扉は開いた。


 中は、外から見たよりも広かった。壁に沿って螺旋階段が伸び、階段の下には無数の管が並んでいる。管の中には水ではなく、淡い光が流れていた。雨の季節、風の向き、雲の重さ。王都へ配られるはずのものが、細い光になって封じ込められている。


「これは……」


 カシウスが息をのんだ。


 リセラは管の一本へ耳を寄せた。中で、何千人もの声が重なっている。祈り、作業歌、子どもの笑い声。そのすべてが一つの譜面にされ、誰かの許可を待つように止められていた。


「雨を配る魔法は、天候院が作っていたのではありません」


 彼女はゆっくりと言った。


「王都に住む人たちの暮らしそのものを、星鐘が音に変えていた。だから誓約譜を変えれば、届く雨も変えられる」


 エルドが階段の上を指した。途中の壁に、古い王家の紋章が刻まれている。その下には、十年前の日付と短い文字があった。


 ――声を鍵とする。沈黙した者のみ、中央室へ進め。


 エルドの顔から、わずかに血の気が引いた。


 リセラは彼の袖をつかんだ。


「戻りましょう。ここから先は、あなたの声を奪った事故に近すぎます」


 エルドは首を横に振り、手帳を開いた。


『十年前から、ここへ戻ることを望んでいた』


『でも、ひとりでは来られなかった』


 最後の一行を書いたあと、彼はペンを止めた。リセラが覗き込むと、その下に新しい文字が増えていく。


『君の耳が必要だ』


 胸の奥が、塔の管よりも強く震えた。


「……私が、ですか」


 エルドはうなずいた。


 そのとき、最上階から声が降ってきた。


「ようこそ。遅かったな、第三王子」


 ヴァスティ・グレイムだった。


 姿は見えない。けれど、声は管を通り、塔全体から響いた。どの方向から聞こえるのか、わからない。


「その証言者と音律師を連れてきたのは正解だ。中央室を開くには、三つの立場が要る。王家に沈黙を強いられた者。家のために真実を捨てた者。そして、音の欠落を聞き分ける者」


 カシウスが拳を握った。


「私たちを利用するつもりか」


「利用ではない。選ばせるのだ」


 グレイムの笑いが、暗い階段を転がった。


「中央室には、改ざん前の誓約譜がある。だが、その譜面を戻すには最後の一音が要る。音律師ならわかるだろう。欠けた音は、部品を足せば戻るものではない」


 リセラは黙って、塔の頂を見上げた。


 母が何度も書き直していた、空白の小節。エルドの声を閉じ込めた事故。王都全域から消えた雨。すべてが、この塔の中央室へつながっている。


「最後の一音は、誰が出すのですか」


 彼女の問いに、グレイムはすぐ答えなかった。


 代わりに、塔の奥でひとつの扉が開いた。そこから黒い光が流れ出し、階段の手すりに文字を浮かべる。


 ――入室者は、もっとも大切なものを差し出すこと。


 カシウスが息を呑み、エルドの手帳が床へ落ちた。


 リセラは文字を見つめた。大切なもの。それが技術なのか、名前なのか、声なのかはわからない。


 ただ、塔の最上部から聞こえる無音の中に、誰かが待っている気配があった。


 誰かの命令ではなく、自分で選んだ言葉を。


 リセラは落ちた手帳を拾い、エルドへ返した。


「行きましょう」


 彼は驚いたように目を見開いた。


「怖いです。けれど、ここで引き返したら、また誰かに私たちの音を決められてしまう」


 彼女は銀板を握り直した。


「何を差し出すかは、塔にも、グレイムにも決めさせません。私たちが決めます」


 エルドはしばらく彼女を見つめ、それから静かにうなずいた。


 三人が階段を上り始めると、背後で扉が閉じた。


 封じられた塔の中で、失われた一音だけが、まだ鳴らずに待っていた。

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