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好きだった舞台の話をしよう  作者: ふじの


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6/13

ダイヤの原石


 リビングに入ってきた女の子は、女の子というには強すぎた。


 ハーフアップになった髪の毛は黒ではなく、こげ茶色をしている。切りそろえられた前髪の下からは、ぱっちりとした二重瞼に宝玉が埋め込まれているようだった。

 舞台の上にいる子というより、元服前の武士のような雰囲気さえ感じる。

 つまり清廉で潔白で、この世の綺麗なところばかりを煮詰めたように見えた。

 これは大変なことになりそうだと、すぐに予感した。

 

「初めまして。高峰沙都子です」


 中学生にしては、きちんとした挨拶だ。

 曲げられた腰は四五度くらいで、ぴしりと止まる。背筋はまっすぐで、指の先まで伸びていた。

 日本舞踊か、バレエか。とにかく礼儀作法を身に着けるものを習っているのは確定だろう。

 聞き取りやすい声は、姿から想像されるよりも低く、硬い。

 ここまでは冷静に実香は沙都子を分析していた。

 ――どこかで見た気がする。

 向かいに立つ沙都子に記憶の奥がざわめいた。

 会ったことは無い、はず。だが沙都子の持つ雰囲気を実香は確かに見たことがあった。

 

「初めまして。桐原 実香です。昔は歌劇団を目指していたの」


 もどかしさを抱えたまま、当たり障りのない自己紹介を口に出す。

 にっこりと笑顔も添えたはずなのに、沙都子の表情は変わらない。硬い表情でこちらを見ている。

 どうやら実香の目的はすでに見抜かれているらしい。

 言葉が続かない。時計の秒針の音が、妙に大きく響いた。


「へぇ」


 沙都子から出て来た短い相槌は、まるで乾いた石のように転がる。

 興味ないのが丸わかりだ。ここまで態度に出されると逆に面白い。

 ふいに沙都子が顔を横に向けた。その瞬間に記憶の扉が開かれる。

 あ、と声を出さなかった自分を褒めたい。

 沙都子の横顔が、前の土曜日、日比谷でポスターを見つめていた少女と重なる。あのとき、実香の心を奪った少女だった。

 記憶の狭間に落ちかけた実香の耳に、尖った声が聞こえて来た。

 

「沙都子、せっかく実香さんが来てくれたのに、その態度はなに?」

「お母さんが、歌劇団を諦めさせるために、呼んだ人でしょ?」


 千珠の声に間髪入れることなく沙都子が言い返す。

 出されたお茶の表面が揺れた。

 親子らしいぶつかり合いに、実香は肩を小さくするしかない。沙都子の視線は、まっすぐ母親に突き刺さり、真っ向勝負をしていた。


「だからと言って、初対面の人にその態度は失礼よ」


 それもそう。だけど、事情を知っている実香としては、丁寧な挨拶を貰った方だと思っていた。

 沙都子と千珠の間で視線がぶつかり合い、張りつめた沈黙が部屋に満ちる。

 我慢しきれなくなったのは、この部屋で一番温い覚悟しか決めていなかった実香だ。


「ま、まぁまぁ。千珠さん、沙都子ちゃんとはゆっくり話してみますから」


 けんかの仲裁なんて柄でもない。二人の間に入りながら、ぎこちなさを実香自身が感じていた。

 二人の視線が実香に移動してくるのを感じてから、実香は眉を下げる。千珠は大人らしく、一度大きく息を吐くと、にっこりと笑顔に切り替えた。


「そうね。せっかく実香ちゃんがお菓子を持ってきてくれたんだし、出しちゃうわね」


 千珠が立ち上がると、ソファに座っているのは実香だけになった。沙都子は微動だにしない。座るほど気を許してもないし、かといって部屋に戻るほど怒っているわけでもないのだろう。

 静寂。お互いに緊張しているため動けないだけ。

 それは今の実香と沙都子の間にあるのに、もっともぴったりなものだった。


「座ったら?」

「はい」


 間が持たず、席を勧めたのは、またしても実香だった。

 ひとり立っているだけで、存在感がある。横目で気にするくらいなら、目の前に座ってもらった方がよほど安心だ。

 素直に座った沙都子に、実香は少しだけほっとした。目の前のお茶に再び手を伸ばすと、温度はすでに冷めていた。

 

「……なんで、諦めたんですか?」

 

 そんな冷めたお茶でさえ、心を落ち着けるには十分だった。だが、沙都子は実香の心の動揺など気にすることなく突っ込んでくる。

 真正面からの問い。綺麗すぎる視線が刺さる。

 この時、実香の胸に湧いたのは二つの相反する感情だった。

 ひとつは、素直に不快感。ここまで直接的に実香の傷をえぐってくる人はいなかった。

 もうひとつは――感心。化粧さえしていないのに、沙都子の目には力があった。思わず引き込まれる力。それは舞台の上でこそ映えるものだろう。


「大した理由じゃないよ。私に舞台に立つ度胸がなかっただけ」


 なんて答えようか。過った疑問はすぐに霧散した。

 迷うほど、大したものじゃない。

 実香は自嘲するように肩をすくめる。指先が無意識に膝の上で絡み、網のように心を覆う。


「それだけですか?」

「それだけ」


 この子の前で、それ以上、一体、何が言えるだろうか。

 実香は受験さえせずに逃げた人間だ。そして、同じように沙都子に夢を諦めさせようとしている悪い大人。

 沙都子の冷静な声に、実香は静かに頷き、唇を結ぶ。短い返答が二人の間に浮かんでいた。

 一瞬の逡巡。その後に、沙都子は言い放つ。

 

「じゃ、あたしは舞台に立ってみせます。必ず」


 実香の言葉を切って返すような宣言。

 これ以上ないほど度胸の据わった返事だ。

 この時点で、実香は沙都子が受験を諦めることは無いだろうなと悟った。

 窓から差し込んだ光が、沙都子の横顔を強く縁取る。

 ああ、きっと、彼女にはスポットライトが似合う。彼女以外見えないくらいの強い光だ。

 実香は、その光景を幻視したように目を細めた。


「それは……スゴイね」


 口から言葉がこぼれ落ちていく。

 実香は小さく笑う。この時、実香はステージの上、銀の橋を渡る沙都子の姿さえ見えた気がした。

 世田谷区成城。午後の居間で、実香は自分の人生を変えてしまうくらい強い光と出会った。


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