お父さんの車はチームバス?
『戻らない日常2 「ただいま」の消えたホーム』
第6話「お父さんの車はチームバス?」
斉藤勝が開発責任者を務める新型車は、この日、試験の大詰めを迎えていた。走行を終えた車が戻ってくると、勝は運転を担当した社員から乗り心地や車内の音について聞き取り、記録と照らし合わせていく。
「後ろの席は、路面が荒れたところで少し揺れました」
「分かった。明日は条件を変えて、もう一度確かめよう」
勝にとって、車の性能は資料の数字だけで決められるものではなかった。家族で出かけるとき、後ろの席の子どもが眠れるか。運転する人が疲れているときにも、安心して帰れるか。そんな使われ方を思い浮かべながら、一つずつ確認していた。
そのころ、横浜リトルファイヤーズの練習では、大森健二監督から週末の予定が発表されていた。
「今度の日曜日、みんなでハマスタへベイスターズの試合を見に行く。プロの選手が守備位置を変えるタイミングや、外野からどこへ返球するかも、よく見てこいよ」
「ハマスタ!」
貴教が真っ先に声を上げた。ベイスターズの試合をチームのみんなと見られるだけでも楽しみなのに、外野手の動きを勉強できるとなれば、いつも以上に目を離せない。
練習が終わっても、貴教はグラブを抱えたまま水野悠真や渡辺陸と観戦の話を続けていた。
「俺、外野からの返球、絶対見る」
悠真がにやりと笑う。
「ちゃんと中継の選手へ投げるところを?」
「もう監督の帽子の話は忘れてよ!」
選手たちが笑うなか、貴教はふと思いついた。
「そうだ。うちのお父さん、大きなワンボックスの車に乗ってるんだ。みんな乗っていけるんじゃない?」
陸が目を輝かせた。
「あの車? 前に練習試合の帰り、乗せてもらったやつだよな。乗り心地よかったなぁ」
「そうそう。俺も貴教のお父さんの車、また乗りたかった」
悠真が言うと、同じ四年生の岡田優斗が陸を指さした。
「陸、前に乗ったとき、三分で寝てたやろ」
「いや、あれは二分半です」
「どっちでも早い!」
子どもたちが声を上げて笑ったところで、大森監督が手をたたいた。
「残念ながら、移動は電車だ。港南台駅から根岸線に乗って、関内駅まで行く。ハマスタまではそこから歩くぞ」
「えーっ」
貴教を含め、何人かが声をそろえた。
「車一台にチーム全員は乗れないだろ。駅でも車内でも、勝手に走らないこと。集合場所と時間は、保護者にも連絡しておくからな」
大森監督の言葉に、貴教は大きなワンボックスの座席を頭の中で数えた。運転する父と自分、その隣に悠真、後ろに陸と優斗と大地……まだほかにも選手がいる。
「そっか。全員は無理か」
「ようやく気づいたか」
神谷大地に肩をたたかれ、貴教は少し照れくさそうに笑った。
帰り道も、子どもたちの話題は車と電車で持ちきりだった。陸がまた勝の車を褒めると、優斗がぽつりと言った。
「いいなあ。俺んちの車、小さいし、道がでこぼこだと結構揺れるんだ。音も大きいし」
優斗は何気なく笑っていたが、貴教は足を止めた。
「それでもいいやん。大切な家族やろ?」
「え?」
「優斗の家族を乗せて、いろんなところ行った車なんやろ。だったら、いい車じゃん」
優斗は少し驚いた顔をしたあと、自分の帽子のつばを触った。
「まあ……そうだな。父ちゃん、その車でいつも練習に送ってくれるし」
「ほら。俺、その車にも乗ってみたい」
「今度、父ちゃんに聞いてみる」
二人が笑うと、悠真が横から口を挟んだ。
「でも車の中で貴教にボールは持たせないほうがいいぞ。窓じゃなくて、監督の帽子を狙うかもしれない」
「だから狙ってないって!」
家へ帰った貴教は、夕食を待ち切れず、勝が玄関へ入ってきたところで週末の予定を話し始めた。
「お父さん、チームのみんなとハマスタに行くんだ! 最初、お父さんの車にみんな乗れるかなって思ったんだけど、大森監督が電車で行くって」
勝は靴を脱ぎながら笑った。
「貴教、うちの車は伸びないぞ」
「分かってるよ。ちゃんと数えたら、全員は乗れなかった」
「ちゃんと数える前は乗れると思ってたの?」
杏子が台所から顔を出す。
「大きい車だから、いけるかなって」
「車を作ってるお父さんの息子なのに、そこは気づかなかったのね」
勝まで笑ったので、貴教は頬を膨らませた。乃亜は弟の隣に来て、遠征の案内をのぞき込む。
「ハマスタなら、関内駅から歩けるね。みんなで電車に乗るのも楽しそう」
「うん。監督が、車内では騒ぎ過ぎるなって」
「貴教が一番心配されてそう」
「お姉ちゃんだって、バスケのチームで移動したら絶対うるさいよ」
「私は最上級生ですから」
乃亜が胸を張ると、杏子が静かに言った。
「掲示板お姉ちゃん?」
「お母さんまで!」
夕食の席に笑いが広がった。
日曜日、横浜リトルファイヤーズの選手たちは、港南台駅に集合した。大森監督と西村直人コーチが人数を確認し、子どもたちは二列になって改札を通る。貴教は電車がホームへ入ってくると、友達に何か話しかけようとして、大森監督の視線に気づき、口を閉じた。
「小さい声なら話していいぞ」と監督が言う。
「はい!」
乗り込んだ根岸線の車内では、貴教は窓の外を眺めながら、陸とベイスターズの外野手について話した。優斗は吊り革につかまり、「うちの車より静かだ」と小声で言った。
「でも、優斗の父ちゃんの車はグラウンドまで連れてってくれるからな」
貴教が返すと、優斗はうなずいた。
「次の練習のとき、父ちゃんにありがとうって言っとく」
関内駅に着くと、選手たちは監督たちの後について球場へ歩いた。横浜スタジアムの姿が見えた瞬間、貴教は思わず歩幅を速める。
「貴教、列から離れるなよ!」
「はい!」
振り向いて答えた貴教は、今度はしっかり友達の隣へ戻った。
スタンドに座ると、プロの選手たちがグラウンドで練習を始めていた。貴教は外野手が打球を捕り、内野へ返すまでをじっと見つめる。肩の強さだけではない。打球へ走り出す前の構えも、捕ってから体を向ける速さも、見ているうちに気になることが増えていった。
「今の返球、真っすぐ行った」
「貴教も練習すればできるさ」
隣の悠真に言われ、貴教はうなずいた。
「次は悠真が一歩も動かなくていいところへ投げる」
「頼む。俺、毎回追いかけるの大変だから」
二人は顔を見合わせて笑った。
その夜、貴教は帰宅するなり、観戦中に気づいたことを勝へ話した。勝も仕事で確かめてきた車の話を少しだけ聞かせる。話題は違っても、二人とも「乗る人」や「受け取る人」のことを考えているのだと、杏子は食器を片づけながら感じていた。
「それでね、お父さん。陸がまた、うちの車に乗りたいって」
「そうか。今度、人数がちゃんと座席に収まるときにな」
「陸、乗ったら二分半で寝るよ」
「三分より短くなってるじゃない」
杏子が吹き出し、勝も笑った。貴教は得意げに「本人がそう言ってた」と答える。
大きな車に全員を乗せることはできなかったけれど、電車で並んで球場へ向かった一日も、貴教には忘れられない遠征になった。
次回予告
もうすぐ母の日。乃亜と貴教は、いつも忙しい杏子に一日休んでもらおうと、家事を引き受けることにする。
「洗濯は私に任せて!」
「じゃあ、俺は朝ごはん!」
頼もしい宣言から数分後、洗濯機の前に立つ乃亜の表情が変わる。
次回、第7話「お母さん、今日は座ってて」。
杏子は本当に、座っていられるのでしょうか。




