二十一枚目の家族写真
第50話「二十一枚目の家族写真」
北海道旅行から戻った最初の日曜日、斉藤家の居間には、旅先で撮影した写真が何百枚も広げられていた。
日高地方の牧場で草を食べる馬、帯広で貴教が夢中になって食べた豚丼、緑の大地がどこまでも広がる釧路湿原、冷たい風が吹き抜ける納沙布岬、知床の海と山、網走で学んだ北海道開拓の歴史、そして富良野の花畑。どの場所でも、三人は杏子の写真を手にしていた。
「お父さん、これ見て。貴教、馬と同じ顔してる」
乃亜がタブレットの画面を拡大すると、牧場の柵から顔を出す馬の隣で、貴教が口を大きく開けている写真が表示された。
「同じ顔やない! 馬の鳴き声をまねしてただけや!」
「それが同じ顔になってるって言ってるんよ」
「お姉ちゃんだって、豚丼を食べてる写真、めっちゃ幸せそうな顔してるやん」
「豚丼がおいしかったんやから、当然やろ」
勝は二人の言い合いを聞きながら、候補に残す写真へ印を付けていった。きれいな風景を撮った一枚よりも、帽子が飛びそうになった瞬間や、食べ物を頬張っている途中の写真ばかりが選ばれていく。
「普通に写っている写真が、ほとんど残らないな」
「斉藤家に普通の写真を期待するほうが間違ってるんよ」
「お母さんがおったときから、そうやったもんな」
貴教が何気なく口にした言葉に、三人は笑った。
杏子がいなくなったから、斉藤家のにぎやかさまで失わなければならないわけではない。旅行を終えてから、三人は少しずつそう考えられるようになっていた。
写真を整理していた乃亜は、本棚の奥から一冊の町内会広報誌を見つけた。表紙をめくると、かつて町内会から依頼されて撮影した斉藤家の家族写真が掲載されている。
乃亜は港ブルーサンダースのユニフォーム姿で、バスケットボールを片手に漫画の選手のポーズをまねていた。貴教は横浜リトルファイヤーズのユニフォームを着て、バットを構えている。杏子は二人の間で明るく笑い、勝も少し不自然ながら懸命に笑顔を作っていた。
目を閉じた乃亜、よそ見をする貴教、表情が固まった勝。数々の失敗を繰り返し、試し撮りを含めた二十枚目で、ようやく家族全員が笑った写真だった。
「このとき、撮るだけでめっちゃ時間かかったな」
「お父さんの笑顔が怖かったからやろ」
「笑顔を作ろうとすると、どうしても力が入ったんだよ」
「お母さん、ずっと『普通に笑って』って言ってた」
笑いながら話していた乃亜の声が、次第に小さくなっていく。
広報誌の中では、杏子が今も家族の真ん中に立っていた。
「今のうちらも、家族写真を撮ってええんかな」
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「新しく撮ったら、そこにはうちと貴教とお父さんしか写らんやろ。三人だけで家族みたいに写ったら、お母さんがおらんことに慣れたみたいで……。昔の四人家族を終わらせてしまう気がする」
勝はすぐに否定せず、広報誌の家族写真を見つめた。
貴教は立ち上がると、仏壇の前から杏子の写真を持ってきた。さらに、北海道旅行へ持っていった限定タオルを収納棚から取り出す。
「三人だけやない。次も四人で撮るんや」
「でも、写真を持って写るだけやろ?」
「お母さんの写真を持つから四人になるんやない。俺らが今も、お母さんを家族やと思ってるから四人なんや」
貴教の言葉を聞き、勝は二人の前へ座った。
「俺たちは、いつまでも、これからもずっと四人家族だ。杏子が亡くなったからといって、杏子がお母さんでなくなるわけでも、俺の妻でなくなるわけでもない」
乃亜は杏子の写真を見つめた。
「新しい写真を撮っても?」
「もちろんだ。二十枚目の写真には、あの頃の俺たちが写っている。次の写真には、杏子を失って、それでも生きてきた今の俺たちが写る。それは前の写真を消すことじゃない。俺たちの中には、これからも杏子が生き続けるんだ」
勝は二人の肩へ手を置いた。
「つらいときは泣けばいい。杏子に会いたいと、何度でも言えばいい。でも、笑えるときまで我慢する必要はない。これからも三人で、そして杏子と一緒に、たくさん笑っていこう」
乃亜は涙を拭き、ゆっくりとうなずいた。
「撮ろう。二十一枚目の家族写真」
撮影場所に選んだのは、斉藤家の近くにある広場だった。北海道を一周した新型車「イモト」を背にし、後方には港南台の街並みが見える。
勝は三脚へカメラを固定し、構図を確認した。杏子の写真は風で倒れないよう透明な固定ケースへ入れ、限定タオルとともに車の前へ飾る。
乃亜は横浜ブルーサンダース女子中学部のユニフォームを着て、バスケットボールを持った。貴教も横浜リトルファイヤーズのユニフォームへ着替え、グローブとボールを用意している。
「前と同じような格好やな」
「同じじゃないよ。うちは中学生になったし、貴教も五年生や。お母さんに、成長した姿を見せるんやから」
「じゃあ、俺は強肩を見せるポーズにする」
「写真撮るだけなのに、ボール投げんといてよ」
勝はセルフタイマーを十秒に設定し、急いで二人のもとへ走った。
「お父さん、もっと右!」
「乃亜、杏子の写真が隠れてる!」
「貴教、帽子が曲がってる!」
「あと何秒?」
「三、二――」
その瞬間、広場を強い風が吹き抜けた。
貴教の帽子が頭から飛び、車の後方へ転がっていく。
「あっ、待て!」
貴教が反射的に帽子を追いかけた。その拍子に、ポケットへ入れていた「イモト」のスマートキーが押され、車の警報音とクラクションが一斉に鳴り始めた。
「うわっ、何やこれ!」
ハザードランプが点滅し、広場へ大きな警報音が響き渡る。
「貴教、キー! キーを貸して!」
「帽子が先!」
「警報が先や!」
乃亜が貴教を追い、勝は車へ駆け寄る。しかしカメラのセルフタイマーは、その騒ぎなど関係なく撮影を続けていた。
一枚目には、帽子を追って走る貴教。
二枚目には、貴教を追いかける乃亜。
三枚目には、スマートキーを探して慌てる勝。
四枚目には、三人が車の前でぶつかりそうになった瞬間。
そして五枚目には、ようやく警報が止まり、三人がその場へ座り込んで大笑いする姿が写っていた。
その中央には、杏子の写真がしっかりと残っていた。
「もう、何で家族写真一枚で、こんな騒ぎになるん?」
乃亜は笑い過ぎて腹を押さえている。
「帽子が勝手に飛んだんや! 俺は悪くない!」
「警報を鳴らしたのは貴教やろ」
「お父さんも、キーの止め方分かってなかったやん。開発責任者やのに」
「分かっていた。少し慌てただけだ」
「少しどころやなかったで」
貴教が勝の動きを大げさに再現し、乃亜は再び笑い崩れた。
帰宅後、三人は撮影した写真を確認した。最初はきれいに並んだ写真を選ぶつもりだったが、三人の目が止まったのは、警報が止まった直後の一枚だった。
乃亜は地面へしゃがみ込んで笑い、貴教は拾った帽子を片手に大きく口を開け、勝も二人の肩を抱きながら笑っている。その中央では、杏子の遺影が穏やかにほほ笑み、北海道の限定タオルが風に揺れていた。
「これが一番、斉藤家らしいな」
勝の言葉に、乃亜と貴教もうなずいた。
二十枚目の家族写真は、杏子が生きていた頃の四人を写した一枚だった。二十一枚目には、姿の見える三人と、三人の中で生き続ける杏子が写っている。
二つの写真は、どちらも斉藤家の家族写真だった。
金曜日の夜、三人は完成した写真と、その撮影で起きた騒動を「フライデー爆笑ラジオカフェ」へ投稿した。
爆笑通信の時間になると、優子が笑いをこらえながら読み始める。
「横浜市の斉藤乃亜さん、斉藤貴教さん、お父さんの勝さんからです。『北海道旅行から帰り、新しい家族写真を撮りました。セルフタイマーを押した瞬間、貴教の帽子が飛び、それを追いかけた拍子に車の警報装置が作動。家族写真の撮影が、一時、防犯訓練のようになりました』」
光子の笑い声が重なる。
「なんで家族写真を撮るだけで、車の警報まで鳴ると!」
「写真から音が聞こえてきそうやもん!」
優子は投稿の続きを読む。
「『でも、警報が止まったあと、三人で笑っている瞬間が撮れていました。真ん中には母・杏子の写真があります。今も、これからも、私たちは四人家族です』」
スタジオが一瞬、静かになる。
光子が優しく語りかけた。
「新しい写真を撮ることは、前の家族写真を消すことやないもんね。杏子さんと過ごした時間を大切にしながら、今の三人が笑っている。すごくすてきな一枚やと思います」
「乃亜ちゃん、貴教君、勝さん。これからもいっぱい写真を撮ってください。ただし次は、撮影前にスマートキーを安全な場所へ置きましょう」
「そこが一番大事!」
裏トークでは、光子と優子が送られてきた写真を改めて見ながら、帽子が飛んだ方向と勝が警報を止めようと走った経路を本気で推理し始めた。
「この帽子の角度から考えると、風速はかなり強かったはず!」
「待って。勝さんの走る方向、車と逆やない?」
「ほんまや! 開発責任者、最初にどこへ向かったと!」
三人は居間で腹を抱えて笑った。
翌日の夜、今度は「はなまるツインズの土曜前夜はおまかせカフェ」へ、家族三人で初めて投稿することにした。
番組では、映画、音楽、おすすめの店、旅先などを紹介している。三人は北海道旅行の中から、富良野の花畑で撮影した写真と、二十一枚目の家族写真を添えた。
八幡ひなたが投稿を紹介する。
「初投稿、ありがとうございます。斉藤家の皆さんが、お母様の写真と一緒に北海道を一周されたそうです」
枝光みずほが、富良野の写真を見ながら語る。
「花畑の前で帽子が飛びかけて、みんなが笑った瞬間なんですね。きれいに並んだ写真もすてきですけど、こういう予想外の一枚には、その日の風や声まで残っている気がします」
「そして家へ帰ったあとに撮った写真では、今度は本当に帽子が飛んで、車の警報まで鳴ったと」
「貴教君の帽子、旅の間ずっと大活躍ですね」
ひなたが笑うと、みずほも続けた。
「でも、二枚ともお母様が真ん中にいらっしゃいます。家族写真は、ただ写っている人数を数えるものではないんでしょうね。撮る人たちが誰を大切に思っているのか、その気持ちも一緒に写るものなのだと思います」
放送を聴き終えた三人は、二十枚目と二十一枚目の家族写真を、居間の同じ壁へ並べて飾った。
一枚目には、杏子が生きていた頃のにぎやかな斉藤家。
その隣には、深い悲しみを抱えながらも、もう一度笑い始めた今の斉藤家。
勝は二枚の写真を見上げた。
「これから二十二枚目、二十三枚目って増やしていこう」
「そのたびに警報鳴らすん?」
「鳴らさへんわ!」
貴教の返事に、乃亜と勝が笑う。
家族の形は、あの日を境に変わってしまった。しかし、家族そのものが終わったわけではない。
杏子の笑顔を胸に抱きながら、斉藤家はこれからも泣き、笑い、時には大騒ぎをして、新しい時間を写真へ残していく。
四人家族の物語は、二十一枚目の先へも続いていた。
次回予告
新学期を迎えた乃亜と貴教に、将来の夢を書く課題が出される。
乃亜が書いたのは、バスケットボール選手としてオリンピックへ出場すること。貴教が書いたのは、横浜ベイスターズの外野手になること。
それは、杏子へ何度も話していた夢だった。
「お母さんに見てもらえへんのに、夢をかなえる意味ってあるんかな」
二人が迷うなか、乃亜には神奈川県の育成選手選考会、貴教には大会の先発メンバーを決める守備テストの知らせが届く。
勝は杏子の手帳から、二人の夢について書かれた一枚のメモを見つける。
『乃亜と貴教が選んだ道を、最後まで応援する』
次回、第51話「夢の続きを、見せにいく」。
母に見せたかった未来へ、姉弟はもう一度走り始めます。




