浴衣と焼きそばと迷子
第18話「浴衣と焼きそばと迷子」
港南台の夏祭り当日。会場となった広場には色とりどりの提灯が並び、焼きそばやたこ焼きの香り、子供たちの笑い声、盆踊りの音楽が夕暮れの町へ広がっていた。
港ブルーサンダースは町内会から依頼を受け、焼きそばの屋台を手伝うことになっていた。乃亜はチームの青いTシャツに前掛けをつけ、横山紗良、石井結衣、田辺心春、小林凛、松永七海と一緒に、注文を受けたり商品を手渡したりしている。
「焼きそば二つ、お待たせしました!」
元気よく商品を渡した乃亜は、次の注文を確認しようとして振り返った。その拍子に、頭へ巻いていた手拭いが目元までずり落ちる。
「前が見えん!」
「乃亜ちゃん、焼きそばより先に自分が迷子になってるよ」
心春が冷静に突っ込むと、屋台の中に笑いが起こった。
一方、貴教は横浜リトルファイヤーズの森田蓮、河合悠斗と一緒に射的へ挑戦していた。目標は、棚の一番上に置かれたプロ野球選手のカードセットである。
「ライトから三塁へ投げられる俺なら、これくらい余裕や」
貴教は自信満々にコルク銃を構えた。
一発目は、カードセットのはるか右へ外れた。
二発目は、下の段にあった小さな菓子箱へ当たったものの、倒れない。
三発目は、なぜか隣の何も置かれていない場所へ飛んでいった。
射的の係員が首をかしげる。
「肩は強そうだけど、狙う方向が自由だねえ」
蓮が笑いながら言った。
「野球の送球と同じだ。貴教は力を入れると、時々あっちのほうへ飛ぶ」
「今日は風があるから」
「屋台の中に風は吹いてないぞ」
三人が盛り上がっている頃、勝と杏子も会場へ到着した。勝は紺色の浴衣、杏子は涼しげな薄紫色の浴衣姿だった。
乃亜は両親を見つけると、焼きそばの屋台から身を乗り出した。
「お父さん、お母さん、二人とも似合ってる!」
「久しぶりに着たから、帯が苦しくてな」
勝が答えると、杏子がすぐに横から口を挟む。
「それ、帯やなくて、さっき食べたたこ焼きとお好み焼きのせいやろ」
「まだ焼きそばも食べる予定だ」
「お父さんのお腹の中でも夏祭りが開催されてるやん」
午後七時を過ぎると、会場の人出はさらに増えた。町内会の屋台だけでなく、地域のスポーツチームや商店も店を出し、通路は浴衣姿の家族連れで埋まっていた。
焼きそばの屋台を手伝い終えた乃亜は、仲間たちと交代で会場を回ることになった。勝と杏子、乃亜が射的の屋台へ向かうと、そこにいるはずの貴教の姿が見当たらなかった。
「蓮、貴教は?」
乃亜が尋ねると、蓮は周囲を見回した。
「さっきまでここにいたよ。射的が終わって、一緒にかき氷を買いに行こうって話してたんだけど」
悠斗もうなずく。
「俺たちが景品を袋に入れてもらってる間に、いなくなった」
杏子の表情が変わった。
「貴教!」
人混みへ向かって呼びかけるが、返事はない。勝はすぐに携帯電話を取り出したものの、貴教は祭りの最中なので自分の端末を家へ置いてきていた。
「まず落ち着こう。最後に見たのは、この射的の前だな?」
「うん」
乃亜は辺りを見ながら、唇をかんだ。
「貴教、どこ行ったん!」
四人は手分けして捜すことにした。勝は射的から入口までの通路、杏子は飲食屋台の並ぶ場所、乃亜は港ブルーサンダースの仲間たちと盆踊り会場の周辺を確認する。蓮と悠斗も、かき氷や金魚すくいの屋台を見て回った。
五分が過ぎ、十分が過ぎても、貴教は見つからなかった。
「迷子の案内所へ行こう」
勝の提案で、三人は放送席を併設した案内所へ急いだ。
その頃、貴教は案内所のすぐ近くに置かれた長椅子へ座っていた。
隣にいるのは、黄色い浴衣を着た四歳くらいの女の子だった。目には涙を浮かべ、手には小さな巾着袋を握っている。
射的を終えた貴教は、屋台の裏側で一人泣いている女の子を見つけた。両親の姿が見当たらず、名前を尋ねても「めい」としか答えられなかったため、すぐ近くにあった案内所まで連れてきたのである。
「お父さんとお母さん、絶対に迎えに来るから大丈夫やで」
貴教が話しかけると、女の子は不安そうに尋ねた。
「ほんと?」
「ほんと。ここは放送もできるし、一番見つけやすい場所やから」
案内所の係員が、女の子の特徴と名前を会場放送で呼びかけていた。しかし、女の子はまだ涙を止められない。
貴教は射的でもらった小さな菓子箱を見せた。
「これ、俺が一発で当てたんよ」
実際には三発使っても倒せず、係員が参加賞として渡してくれたものだった。
「すごい?」
「すごいで。狙ったところとは違う場所に当てるのが得意やから」
女の子が少しだけ笑った。
「野球もやってるん?」
「やってる。外野を守ってるんよ。たまにボールが違うほうへ飛んでいくけど」
「へたなの?」
「いや、成長途中」
女の子はさらに笑い、ようやく涙を拭いた。
そこへ、案内所へ駆け込んできた勝と杏子、乃亜が、長椅子に座る貴教を見つけた。
「貴教!」
杏子が駆け寄る。
「どこ行ってたん! みんなで捜したんやで!」
貴教は目を丸くした。
「どこって、ずっとここにいたよ」
「急にいなくなったから、迷子になったんかと思ったやろ!」
貴教は隣に座る女の子を指した。
「迷子になったのは、この子。俺はこの子の相手をしてたの。案内所のすぐ近くやで」
「でも、ひと言くらい言ってから――」
杏子が続けようとしたところで、貴教は腰へ両手を当てた。
「迷子になったのは、お父さんとお母さんやろ。僕はずっと案内所にいたんやから」
勝と杏子は顔を見合わせる。
「確かに、俺たちのほうが貴教を見失って捜し回っていたな」
「もう、どっちが大人なんだか」
貴教の突っ込みに、乃亜は耐え切れず吹き出した。
「貴教にそこまで言われるとは思わんかった!」
杏子も安心した途端に力が抜け、貴教を抱き締めた。
「もう……無事でよかった。でも今度から、誰かにひと言伝えてな」
「うん。ごめんなさい」
そのとき、案内所の反対側から、一組の家族が駆け込んできた。
「芽依!」
女の子が顔を上げる。
「お母さん!」
両親と一緒に走ってきたのは、貴教のクラスメイトである藤原美緒だった。迷子になっていたのは、美緒の妹・藤原芽依だったのである。
美緒の母・奈津美が芽依を抱き締め、父・浩介も安堵した表情で膝をついた。
「よかった……。本当に心配したんだから」
「お姉ちゃんと一緒にいたのに、ちょっと目を離したら人混みに入ってしまって……」
美緒は妹の手を握ったあと、貴教を見た。
「斉藤君が、芽依をここまで連れてきてくれたの?」
「うん。屋台の裏で泣いてたから」
「ありがとう。本当にありがとう」
浩介と奈津美も、貴教へ何度も頭を下げた。二人は勝や杏子とも顔なじみで、思いがけない場所での再会に驚いていた。
「貴教君が一緒にいてくれたから、芽依も安心できたんですね」
奈津美が言うと、芽依も小さくうなずいた。
「たかのりくん、やきゅうは、せいちょうとちゅうなんだって」
美緒が首をかしげる。
「何の話?」
「そこは説明せんでええよ!」
貴教が慌てると、周囲に笑いが広がった。
案内所の係員が、念のため会場放送のマイクを取った。
『先ほどお知らせしました藤原芽依ちゃんは、無事ご家族と再会しました』
そこで一度放送を終えようとしたが、勝が先ほど貴教を捜していたことも伝えていたため、係員は続けた。
『なお、斉藤貴教君をお捜しのご家族の皆様――』
貴教は慌てて放送席へ顔を出す。
「僕、ここです!」
係員はマイクを押さえながら笑った。
「君が斉藤貴教君?」
「はい。迷子じゃないです」
『失礼しました。斉藤貴教君も、無事ご家族と再会しております』
会場内のあちこちから、小さな笑いが起こった。
乃亜は弟の肩をたたいた。
「迷子を助けて、自分まで迷子放送される人、初めて見た」
「俺は一歩も迷ってないから!」
午後八時。祭りの締めくくりを告げるアナウンスが流れ、会場の照明が少し落とされた。
斉藤家の四人は、藤原家やスポーツチームの仲間たちと一緒に、花火がよく見える広場へ移動した。
夜空へ一筋の光が昇り、大きな音とともに最初の花火が開く。
赤、青、緑、金色。五千発の打ち上げ花火が、港南台の夜空を次々と染めていった。
芽依は母親に抱かれながら花火を見上げ、貴教へ何度も手を振っている。貴教も嬉しそうに振り返した。
「今日の貴教、格好よかったよ」
杏子が言うと、貴教は少し照れながら答えた。
「困ってる子がおったら、案内所に連れていくの普通やろ」
勝は息子の頭を優しくなでた。
「その普通のことを、すぐにできるのが立派なんだ」
乃亜も笑顔で付け加える。
「ただし、次からは自分の居場所も連絡してください」
「お姉ちゃんまで大人みたいに言わんといて」
夜空いっぱいに、ひときわ大きな金色の花火が開いた。四人は肩を並べ、その光を見上げた。
帰宅後、杏子は『爆笑通信』へ短い投稿を送った。
『夏祭りで息子がいなくなり、夫婦で必死に捜しました。ところが息子は案内所で迷子の女の子を助けており、“迷子になったのはお父さんとお母さん”と叱られました。九歳の息子に、大人二人が保護されました』
投稿には、スタッフからすぐに見出しがついた。
『迷子の大人、二名発見』
その画面を見た勝と杏子が同時に頭を抱え、乃亜と貴教の笑い声がリビングに響いた。
同じ夜、川崎駅の改札付近では、以前ホームに長時間滞在していた男が、再び姿を見せていた。
男は改札の外から構内を見つめていたが、巡回する駅員と鉄道警察隊員の姿に気づくと、駅へ入らずに立ち去った。
ガラス越しにその姿を見かけた杉本駅員は、男が消えた方向をしばらく見つめていた。
以前と同じ男だったのか、確信までは持てない。それでも杉本は、その時刻と状況を駅員室へ伝えた。
祭りの夜は、何事もなく終わった。
しかし、駅員たちの胸に残った小さな違和感だけは、消えていなかった。
次回予告
夏祭りが終わり、斉藤家にいつもの平日が戻る。
栄商事で急な対応を任された杏子は、家族へ「少し遅くなる」と連絡を入れる。仕事を終え、いつもの川崎駅へ向かう頃、京浜東北線には遅れが発生し、ホームとコンコースは帰宅を急ぐ人々で混雑していた。
その人混みの中で、杉本駅員は見覚えのある男の姿を見つける。
「以前、お声をかけた方では……?」
一方、杏子は勝へメッセージを送る。
『今から帰るね』
次回、第19話「いつもの帰り道」。
家族へ送られたその一言が、斉藤家の一日をつなぎます。




