消えたライブタオル
第15話「消えたライブタオル」
横浜ライブから数日後の夕方、斉藤家の二階から貴教の叫び声が響いた。
「ない! どこにもない!」
リビングで夕食の献立を考えていた杏子が、驚いて階段を見上げる。乃亜も宿題の手を止め、勝は帰宅して脱いだばかりの上着を手にしたまま動きを止めた。
「何がないん?」
杏子が尋ねると、貴教は空っぽになったライブグッズの袋を抱えて駆け下りてきた。
「限定タオル! 横浜アリーナで買ったやつ!」
「昨日の朝、握ったまま寝てたやん」
乃亜が即座に答える。
「それから先が分からんのよ。学校から帰って、部屋を探したけどない!」
貴教はソファのクッションを持ち上げ、テーブルの下をのぞき、テレビ台の裏まで確認する。しかし、黒地にM&Yのロゴが入った限定タオルは見つからなかった。
「どこ行ったんやぁ……」
肩を落とす弟を見た乃亜は、突然立ち上がった。
「こうなったら、徹底的に調べるしかない」
乃亜は自分の部屋から小さなホワイトボードを持ってくると、太いペンで大きく書いた。
『斉藤家臨時捜査本部』
その下には、勝、杏子、乃亜、貴教の名前が並べられた。
「犯人は、この家の中にいます!」
「タオル一枚で大げさやろ!」
杏子が突っ込むが、乃亜はすでに探偵になりきっていた。
「被害品は、M&Y横浜ライブ限定タオル一枚。最後に確認されたのは、月曜日の午前六時四十二分。場所は貴教の寝室。被害者は斉藤貴教、九歳」
「俺、生きてるから被害品の持ち主って言って」
「そして第一発見者は、この私」
勝が首をかしげる。
「そもそも、なくなったことを最初に発見したのは貴教じゃないのか?」
「細かいことは、あとで整理します」
「捜査が最初から雑だな」
乃亜は家族全員への事情聴取を始めた。最初の対象は杏子だった。
「お母さん、月曜日の朝、貴教の部屋に入りましたか?」
「乃亜に起こしてきてって頼んだけど、私が入ったのは、貴教が笑いながら暴れてる声を聞いてからやね」
「そのとき、タオルを見ましたか?」
「そこまで覚えてへんよ。貴教のへそしか目に入らんかったもん」
「お母さん!」
貴教が顔を赤くする。
続いて勝が事情聴取を受けた。
「お父さんには、限定タオルを持ち去る動機があります」
「どうしてだ?」
「自分の分を買わなかったから」
「俺はパンフレットを買った。それに、子供のタオルを盗むほど欲しかったら、自分で買う」
「確かに……」
乃亜はホワイトボードの勝の名前へ、「動機は薄い」と書き加えた。
「次はお姉ちゃんやろ」
貴教が指を差す。
「乃亜には、へそ天写真と一緒にタオルを『爆笑通信』へ投稿する動機がある!」
「投稿してないし、タオルまで送る必要ないやん!」
「じゃあ、スマホ見せて」
「写真は消さんよ。あれは重要な記録やから」
「やっぱり怪しい!」
家族四人の事情聴取は、いつの間にか姉弟げんかへ変わっていた。杏子が手をたたき、二人を止める。
「言い合ってても見つからへんよ。みんなで家の中を探そう」
こうして、斉藤家総出の大捜索が始まった。
勝はリビングと車の中を担当し、ソファの隙間や荷室、座席の下まで確認した。見つかったのは、貴教が以前なくしたと言っていた野球ボール、乃亜のヘアゴム、賞味期限の切れた飴玉だった。
「探しているもの以外は、いろいろ見つかるな」
杏子は洗面所と脱衣所を調べた。洗濯籠をひっくり返し、洗濯機の中まで確認したが、限定タオルは入っていない。
乃亜は二階の各部屋を調べ、ベッドの下や机の裏、クローゼットの奥を懐中電灯で照らした。貴教も自分なりに捜索したものの、なぜか冷蔵庫や菓子棚まで開け始める。
「貴教、タオルが冷蔵庫にあるわけないやろ」
「分からんやん。ライブの次の日、俺、寝ぼけてたし」
「寝ぼけてタオルを冷やす人がおる?」
「暑かったから、冷たいタオルにしようとした可能性がある」
「自分の行動に自信なさ過ぎやろ」
押し入れ、玄関、階段下の収納、ランドセルの中、ライブで使ったバッグ、杏子の通勤鞄まで調べたものの、タオルは見つからなかった。
捜索開始から一時間。四人は疲れ切ってリビングへ戻ってきた。
「誰かが外へ持ち出したんかな」
貴教が不安そうにつぶやく。
「でも、月曜日の朝には家の中にあったんよ」
乃亜はスマートフォンを取り出し、例のへそ天写真を開いた。
一枚目には、ベッドの上で大の字になっている貴教が写っている。右手には、確かに限定タオルが握られていた。
「ほら。この時点ではある」
「その写真、証拠に使ったら消してくれる?」
「事件が解決したら考える」
「考えるだけなん?」
乃亜は二枚目、三枚目と写真を送っていった。二枚目は貴教の寝顔を近くから撮ったもの、三枚目はライブタオルを握った右手まで入るように、少し横から撮ったものだった。
勝が三枚目を見て、画面を指差す。
「乃亜、この奥に写っているのは何だ?」
写真の端には、ベッド脇の姿見が写り込んでいた。その鏡の中には、貴教のベッドと床の一部、そして口が開いたまま置かれている野球用のバッグが映っている。
「リトルファイヤーズのバッグや」
「そういえば、あの朝、貴教がくすぐられて暴れただろ。そのとき、タオルが手から飛んだんじゃないか?」
家族四人は顔を見合わせ、再び貴教の部屋へ駆け上がった。
野球用バッグは、ベッドと壁の間に置かれていた。先ほど貴教も中を確認したはずだったが、グローブや練習着を上から見ただけで、底までは調べていなかった。
勝がグローブを取り出し、練習着を持ち上げる。
その一番下から、黒い布が現れた。
「あった!」
貴教が飛びつくようにして引っ張り出す。間違いなく、M&Y横浜ライブ限定タオルだった。
「くすぐられたとき、バッグの中に飛び込んだんや!」
「しかも、その上から自分で練習着を入れたから見えなくなったんだな」
勝が状況を整理すると、乃亜は得意そうに腕を組んだ。
「事件解決。やっぱり、私の写真が決定的な証拠になりました」
「へそ天写真に助けられるとは……」
貴教は複雑そうな顔でタオルを抱き締める。
杏子が笑いながら言った。
「写真、撮られといてよかったやん」
「よくない。でも、今回だけは役に立った」
「じゃあ、保存していい?」
「家族以外に見せんのなら……」
貴教が渋々答えると、乃亜はすぐにスマートフォンを操作した。
「保存先を“重要証拠”に変更しました」
「普通の家族写真にしといて!」
その夜、『爆笑通信』には、乃亜から写真を添えない形で一通の投稿が届いた。
『弟の限定タオルが消えました。家族四人で一時間探した結果、弟のへそ天写真に写っていた野球バッグが手掛かりとなり、無事発見されました。写真は、ときに真実を写します』
番組スタッフは投稿を採用し、見出しをつけた。
『へそ天は事件を解決する』
その見出しを見た貴教は、リビングで頭を抱えた。
「写真を送ってないのに、結局へそ天が全国に知られた!」
斉藤家に、いつもの大きな笑い声が響いた。
その頃、川崎駅では、斉藤家とはまったく別の緊張が生まれていた。
夕方のホームを巡回していた駅員の杉本が、柱のそばに立つ男へ目を向けた。男は電車が到着しても乗らず、降りてくる乗客を眺めるだけで、すでにかなり長い時間そこにいた。
杉本は少し離れた場所にいた先輩駅員へ、小声で話しかける。
「なんか、あの男、どの電車に乗るでもなく、ずっとホームの上にいるんですよね。何してるんですかねえ?」
先輩駅員も男の姿を確認した。
「さっき反対側のホームでも見たな。迷っている様子でもない。念のため、副駅長に伝えよう」
男が何か違反行為をしているわけではなかった。しかし、多くの乗客が行き交う場所で長時間滞留し、電車にも乗らず周囲を見続けていることから、駅側は安全確認を行うことにした。
連絡を受けた複数の駅員と、駅構内を巡回していた鉄道警察隊員二人が、一定の距離を保ちながら男へ近づいた。
「お客様、何かお困りでしょうか」
駅員が穏やかに声をかける。
男はしばらく黙っていたが、やがて短く答えた。
「人を待っているだけです」
「長い時間いらっしゃるようですが、待ち合わせ場所はここで間違いありませんか?」
「もう来ないみたいだから、帰ります」
鉄道警察隊員が尋ねる。
「体調が悪い、あるいは何かお手伝いが必要ということはありませんか?」
「何もないです」
男は二言三言答えただけで、それ以上の会話を避けるように階段へ向かった。駅員たちと鉄道警察隊員が見守るなか、そのまま改札を出ていく。
明らかな違反行為が確認されたわけではなく、男を引き留める理由はなかった。それでも、杉本の胸には言葉にできない違和感が残った。
「また同じように長時間いるようなら、すぐ共有しましょう」
鉄道警察隊員の言葉に、駅員たちはうなずいた。
改札の外へ出た男は、しばらく駅舎を振り返っていた。やがて手にしていた封筒を上着の内側へしまい、人混みの中へ姿を消した。
男が立ち去ったホームへ、何も知らない通勤客を乗せた京浜東北線の電車が入ってきた。
次回予告
横浜リトルファイヤーズの練習試合で、貴教が終盤からライトの守備へ入ることになった。
肩の強さには自信があるものの、試合で外野フライを追うのは初めて。空高く上がった打球を見上げた貴教は、落下地点を見失ってしまう。
「ボールから目を離すな!」
大森監督の声を聞き、貴教は懸命に芝生を走る。
次回、第16話「ライトへ走れ」。
貴教は、初めての守備機会でボールをつかむことができるのでしょうか。




