九. 一線の代償
ジョーと私はサンアントニオ市内の精神科病院の長椅子に座っていた。ジョーはZの鍵を指で回しながら、落ち着かない様子で足を組んで貧乏ゆすりをしている。目はカウンターで内線電話をかけている職員を見つめているが、視点が合っていない。恐らくここに着く直前のアーロンとの会話を思い出してるんだろう。
「それはそうとジョー、一つ残念な知らせだ」
Zの騒がしいキャブレーター音に何度か聞き返しながら、アーロンはジョーからニールの映像についての報告を受けると、重い声で話し始めた。
「残念な知らせ?」
「ああ、ルーカスが死んだ」
ジョーは思わずブレーキペダルを踏み込んだ。後ろの車がけたたましくクラクションを鳴らしてくる。一瞬の沈黙の後、ジョーは我に返ると再びZを発進させた。
「いつ、どうして……どうやって……!?」
「昨晩、急性ニコチン中毒だ。ルーカスに差し入れられたインスリン注射の中身がニコチンにすり替えられてたらしい。怪しいのはその注射を準備した看守のケルビンだ」
「それなら、そいつをしょっ引けばいいだろ」
「そうしたいのは山々だが、ケルビンは今朝から行方不明なんだ」
「クソッ! 一体どうなってんだ!」
ジョーは苛立たし気に両手をハンドルに叩きつけた。
「今現地の警察が二百人を動員してケルビンを探し回ってるよ」
アーロンの大きな溜息が聞こえる。
「……容疑者のほとんどが死んだ……ルーカスも死んだ……」
ジョーはぶつぶつと独り言を言いだした。
「…しかしマーラは死んでない。アーロン、マーラは確かに生きてるんだよな?」
「ああ、マーラ・ムーアは州立の精神科病院にいるよ。夫のモリス・ムーアが死んでから気が狂ってしまったがね。ジョー、君は今どこにいるんだ?」
「そのマーラがいる病院さ」
ジョーはそう言ってアーロンとの電話を切ると、病院の玄関口に車を停めた。
「ジョー・モラレスさん! 面会でお待ちのジョー・モラレスさん!」
年配のケアラーがジョーの名前を呼ぶと、ジョーは手を軽く上げて立ち上がった。
「十分だけでしたらお会いできますが」
「構いません、お願いします」
ジョーがそう言うとケアラーは施設内の多目的ホールへと案内した。丁度昼食後の休憩時間だろうか、白を基調とした広いスペースで多くの患者が思い思いに過ごしている。
「あちらです。あの柱の向こうの窓際に一人で座ってる女性です」
ケアラーが指を差す先には、確かに柱の陰に一人で庭を眺めている女性がいた。白髪混じりの黒い長髪だが、肌は東南アジア系の血筋を思わせるこげ茶色をしている。ジョーと私は
ケアラーにお礼を言って別れると、その女性の方へと近づいていった。
「マーラ・ムーアさんですか?」
ジョーがマーラの目の前の席に座りながら声をかけるが、女性は窓の外を見つめている。
「マーラさん、初めまして、ジョーです。少しお尋ねしたいことがあって来ました」
マーラは何も答えない。
「今、訳あってあなたの旦那さんの件を調べてるんですが……」
「昨日のミートボールは黄色の顎でしわくちゃになって飛んでっちゃった。葉っぱは全然ないのにビルを逆さにしても犬の目ん玉が凍るから塩をかけないと夕方になっちゃう」
マーラは支離滅裂な独り言を口にし始めた。しかしその目だけはジョーを凝視している。
「マ、マーラさん……?」
ジョーは椅子をマーラの顔が向いている方へずらして対面すると、マーラの目玉も磁石のようにジョーを追いかけた。その目は明らかにジョーを威嚇している。
「一年前、旦那さんのモリスさんが亡くなった時のことを少しだけでも教えてくれますか」
「赤は湿っても布団の中で転がってるから、串で刺して炭をトイレに流せば明るくなるはずで、物置の上に山と芋が繋がって、青くて渋くてマイアミの空で蟻が弾けて……」
マーラはそう言いながらジョーを見つめて不気味に笑い出した。
「ジョー、時間がないわ。私がやる」
私はそう言うと、マーラを真正面から見据えた。
「マーラ、初めまして、私はアイ。今日のテキサスはいい天気ね。気分が良ければ後で一緒に散歩でもしましょうか。そう言えばテキサスって八世紀初頭には、ここ一帯がニューフィリピンなんて呼ばれてたことは知ってる? 当時優良植民地として成功してた国の名前にあやかった呼び方だそうよ」
初めてマーラの右目が僅かに引きつる。
「その国のことで言えば最近あることを調べてて面白い話があるの、聞きたい? この病院から毎月必ず一通以上、マニラに向けて手紙が送られているのよ。宛先はマニラ郊外の住所。その近辺には丁度一年半前、つまりあなたの旦那さんがあなたに殺される半年前に一人の女の子が移住してきてるの。名前はアシュリー・ムーア。あら、偶然ね。あなたと同じ苗字じゃない? それでどういうわけか、アシュリーの保護者であるビアンカという女性の口座に毎月決まって十二万ペソが振り込まれているのよ」
マーラが視線こそ私から外さないが、先ほどの狂言を再び口にし始めた。
「あなたは知ってるわよね。その振込元口座の名義人が誰なのか」
マーラの声が大きくなり、明らかにその声に焦りが混じっている。
「マーラ・ムーア、あなたの口座よ。気が狂った人がどうして手紙を書いたり、毎月の振込をしたりできるのかしら」
マーラは椅子を倒して突然立ち上がると、両手の平をテーブルに叩きつけた。
「……ついて来なさい」
明らかに先ほどまでとは違う押し殺した声でマーラは私とジョーに言った。速足で歩いていくマーラを私たちが追っていくと、マーラはホールを出た廊下沿いにある用具入れのドアを開け、ジョーと私を中に押し込んだ。
「一体どういうつもり!?」
ドアを閉めるなり、マーラは今にもジョーに食いかからんばかりに言い放った。
「どういうつもり? それはこっちの台詞だよ。君は……君は正気だったのか?」
ジョーは動揺しながら改めてマーラの頭の先から爪先まで見直している。
「あなたたち、何者? なぜモリスのことを嗅ぎまわってるの!?」
「落ち着いてくれ。君に危害を加えたいわけじゃないんだ」
「あなたたちもあいつらの仲間なの!? 私を殺しに来たんでしょ!?」
「あいつら? 君を殺すなんてとんでもない!」
ジョーは両手を差し出してマーラに落ち着くように促すが、マーラは壁に立てかけてあったモップの柄を手に取って身構えている。
「マーラ、頼むから落ち着いてくれ! 俺は今回の事件について調べるように頼まれただけだ。調べる内に俺も何か変だと思い始めてる。警察は君が容疑者だと思ってるけど、本当は君じゃないんだろ? 君がモリスを殺す動機がどうしたって見つからないんだ」
柄を握るマーラの両手から力が抜けていく。
「君の知ってることを俺たちに教えてくれ」
ジョーの言葉をそこまで聞くと、マーラは糸が切れた人形のようにその場に座り込んだ。
「私が殺すわけないじゃない……私がどれだけモリスのことを愛してたか……。何も知らないくせに、誰も私の言葉を信じてくれない!」
マーラは髪を振り乱して泣き叫んだ。ジョーは静かに座ると、マーラの肩に手を添える。
「モリスはあの晩、君が作ったスープを飲んで死んだんだよね」
「漢方よ。モリスは肝臓が悪かったから、小柴胡湯を作って飲ませようと思ったのよ」
「ショ、ショウサイコ……まあ、料理研究家の君なら詳しいんだろうけど……」
「いくら私でも漢方は門外漢よ。Maxで肝臓に効く漢方って聞いたら出てきたの」
「Max? Σの?」
「ええ、みんな使ってるでしょ? それで材料と購入場所も調べたんだけど、肝心の柴胡だけ周りで中国人がやってる漢方薬局になくて…ネットで購入することになったんだけど」
Maxとネット購入……ルーカスの時と同じような話の流れね。
「だけど届いたのは柴胡じゃなくて、猛毒のドクゼリだった。見た目はほとんど同じで、さすがの君でも気づかなかったということだね?」
「私が知るわけないじゃない! モリスのために作ったものがまさか猛毒のスープだったなんて、私がどうして分かるっていうのよ!」
マーラはジョーの両腕を激しく揺すりながら悲痛な声で訴えた。確かにモリスの検死解剖の結果、ドクゼリの成分であるシクトキシンによる中毒が死因だと断定されてる。牛や馬でも誤って食べて死んでしまうほどの猛毒。でもマーラがドクゼリを買ったサイトには当然そんな物は売ってないし、FBIが倉庫を徹底的に調べてもドクゼリが保管されたり出荷された痕跡は全く見つからなかった。誰かが従業員に扮して故意にすり替えた…? こんな質の悪い悪戯程度の事件で、第十六空軍司令官のモリスばかりか、有力な政府要人が次々と死ぬなんて、いくらなんでも出来すぎでしょ。————ということは、
「ああ、君に濡れ衣を着させてる誰かがいるようだね」
ジョーは正に私が考えていたことをマーラに告げた。
「でもマーラ、君はどうして狂ったふりをしてここにいるんだ?」
「モリスは誰かに狙われてたのよ。モリスにも何か嫌な予感があって、娘のアシュリーを私の親戚が住むマニラへ先に避難させたの。そうしたらあんなことになってしまって……次はきっと私よ。私が殺されるのよ!」
「それで君は精神病患者を装ってここで匿ってもらってるってことか。でも……」
ジョーは一瞬考えるような間を置くと、再び口を開いた。
「でも俺が思うに、君はもう誰にも狙われてないんじゃないかな」
「なぜそう言えるの?」
「もしモリスを殺した誰かが君も狙ってるとすれば、君はとっくに殺されてるはずだからさ。実は今回と同じような事件で、君と同じように容疑をかけられた人が拘留中に死んだんだ。持病の薬を毒物にすり替えられてね。この意味、分かるだろ?」
「そ、そんな……」
ルーカスだけじゃない。他のほとんどの容疑者も実は殺されていたとすれば、どうしてマーラは殺されないの? 死んだ容疑者にはあって、マーラにはないものがある…?
「ところでマーラ、さっき君はあいつらの仲間って言ってたけど、モリスを狙ってたやつらに心当たりがあるのかい?」
マーラは突然体を強張らせて膝を抱えたまま黙り込んだ。体が僅かに震えている。
「マーラ大事な話なんだ、辛いだろうけど……」
「め……、め……」
「ん? め……? 目って言ったのか?」
マーラは両目を思い切りつぶりながら震えた唇を半ば強引に開いた。
「目、大きな目……恐ろしい目を見たの」
「それはいつ?」
「モリスが死ぬ一ヶ月ほど前。モリスは二階の書斎で仕事をしてて、私は一階で夕食を作ってたの。そうしたら突然モリスの悲鳴が聞こえてきて……私が急いで書斎に入ったら、モリスが椅子から転げ落ちて床に額をこすり付けて怯えてたの。あの屈強なモリスが……子供のように泣いてて……。私がモリスに駆け寄って、何を聞いてもずっと泣いてて……、それでふと見上げたの。電源が点けっぱなしだったモリスのPCを。モリスは私の袖を引っ張ってなぜか止めたけど、私は立ち上がったわ。そして見たの…画面一杯に見開かれた恐ろしい目を……体は真っ黒で……影のようで……ずっとこっちを凝視してる目だった」
ニールの映像と同じ? ジョーが大きく唾を飲み込むのが分かった。
「……それで……何だかゆっくりと口を開けるように目が動いたから、私は気味が悪くなって咄嗟に画面を持ち上げて床に叩きつけたの。何度も何度も、あの目が見えなくなるまで叩き割った。その時に一瞬見えたのよ」
「見えた?」
「その、モリスの相手のアイコンが一瞬見えたの」
「アイコン? モリスは誰かとビデオ通話をしてたのか?」
「逆さ剣だった」
「逆さ剣……?」
ジョーがオウムのようにマーラの言葉を繰り返した時だった。用具入れのドアが開く。
「あなたたち、こんな所にいたの!?」
さっきのケアラーが腰に両手を当てて叫んだ。
ジョーは危うく警察を呼ばれる寸前まで施設長に怒られたが、一本の電話が施設長に繋げられると彼女は態度を一変させて私たちを帰してくれた。当然その一本の電話というのは私がアーロンに頼んでかけさせたものだけど。たまにはアーロンも役に立つってもんよ。
「ΣのMaxにネット通販……それにあの不気味な目に、逆さ剣……」
ジョーは車の鍵をポケットから取り出しながら呟いた。
「アイ、いよいよ危ない臭いがしてきたな」
「そうね。無事にロヨラに帰れるといいんだけど……」
私はそう言いながら敷地の出入口に一台の車が停まっているのを見つけた。それはバンパーがグニャグニャに曲がり、ドア部分の黒色の塗装が灰色に見えるくらい擦れている車だった。
「あの車、さっきの!」
ジョーは片手をZのドアノブにかけたままその黒いセダンと睨み合った。するとセダンはハイビームを照らし、あからさまにエンジンを吹かし始めた。そして突然タイヤをキュルキュルと空転させながら私たちの方へ突進してきた。ジョーは直ぐにZから離れて全速力でロータリーを逃げていくが、セダンはドリフトしながら他の利用者を蹴散らしてジョーを追いかける。静かだった精神科病院に悲鳴とエンジン音が響き渡った。
「おいおいおい! 殺す気か!?」
ジョーの叫び声を聞きながら、私は黒いセダンの車種とモデルを調べた。
「ジョー! ちょっとの辛抱よ!」
「辛抱!? どう考えたって車の方が速いだろ!」
私が急遽偽のアクセスポイントを作ると、早速いくつかのデバイスが接続された。そのMACアドレスのベンダーコードを見ていくと————あった! あの黒いセダンのものだ。インフォテインメント・システムのブルートゥースに接続されてるようで、このシステムOSの未修正バグを突いてバッグドアを設置すれば……はい、ナビとオーディオはもう私のもの。
♪トゥルル~~~トララン!! ダッダッダンダン♪ ダッダッダンダン♪
ほら、スパイ映画のテーマ曲を黒いセダンから爆音で流すことだって自由自在よ。ん? ジョーが早くしろって叫んでる。はいはい。で、走行制御網へ繋げるゲートウェイはどこかしらって調べてくと……あったあった、ここね。さーて、ここからよ。私が数メガバイトのゴミデータを詰め込んだ音楽ファイルを黒いセダンのオーディオに送ると……はい、クラッシュ! そしてシステムが再起動する間に私のハッキングコードを滑り込ませると……あーら不思議、私をご主人だと思って車のコントロールユニットにアクセスできちゃうのよ。こうなれば単なる大きなラジコンね。
「アイィー! まだがぁー!!」
ジョーは何度か黒いセダンに引かれそうになりながらもスパイ顔負けの横っ飛びでかわしている。もう少し見てたいけど、後で怒られるから止めとこ。私は黒いセダンの通信プロトコルに〈ハンドルを右四十度に切って直進せよ〉と命令を送ると、間もなくセダンはジョーを追うことを止めてロータリー脇に生えている立派なペカンの巨木に正面衝突した。黒い車体は白い煙を巻き上げて完全に沈黙している。ジョーはというと、息も絶え絶えになりながらも怒り狂った様子で黒いセダンに駆け寄った。
「一生豚箱にぶち込んでやる!」
ジョーがそう叫んで運転席を勢いよく開けると、そこには誰も乗っていなかった。
ご一読いただきありがとうございます!本作は、今、私達が問うべき人類とAIのあり方について一石を投じるべく執筆しています。
現在、個人で利用できる最新のAI技術を駆使し、本作の『公式プロモーションビデオ(実写映画風PV)』を鋭意制作中です! 完成版は私のX(https://x.com/RIGHTTHINGADAY)やYouTubeで公開し、こちらのページでもお知らせします。ジョーとアイの凸凹コンビの謎解き、ハッカーたちの息詰まる攻防を、ぜひ映像でも体感してください。よろしければ、今のうちにブックマークや評価で応援していただけると励みになります!




