八. 野良犬の尻尾
240Zの野太いエンジン音を聞き続けて既に二日が過ぎようとしている。ジョーと私はモーテルを梯子しながらロヨラからテキサスに向かっていた。次第に早晩の気温差が激しくなってきたのが分かる。今回、実は出発する前に移動手段について私はジョーと一悶着あった。ロヨラから目的地までの距離は千四百マイル。それをジョーはZで行くと言い張ったのだ。車だと直線距離で二十時間以上、休憩や宿泊を入れて三日の旅程。飛行機を使えば三時間で着くというのに、車で行くなんて私には非効率極まりない最もあり得ない選択肢だった。それでもEDEN一号棟を出発する時のジョーの生気のない顔つきを見ていたら、最終的には折れてしまったの。まあ、あのニールの映像の心理的ショックが相当大きかったみたいね。車を散々かっ飛ばしてきた今の顔つきと見比べれば結果オーライなのかも。それにしても車の運転ってそんなに気持ちいいものなのかしら。ジョーは今、高速道路でZを飛ばしながらアーロンと通話をしている。
「君が言う通りミュートにしておいてよかった。そのままあの映像を見た分析班の何人かはその場で気を失って泡を吹いたって言ってたよ」
ジョーはアーロンの言葉に苦笑して同情するように首を横に振った。
「しかしさすがアイだ。映像の暗号化に気づいたのもそうだが、RSAをこんな短時間で解読してしまうなんて、一体どんな技を使ったのか教えてほしいね」
「ご想像にお任せするわ」
「そうかい。まあ、どこぞの研究所からレポートが上がってきても私がもみ消しておくよ」
そう言ってアーロンは大袈裟に笑った。揺れるアーロンの二重顎が想像できて嫌になる。
「それで? お宅の分析班は何だって?」
ジョーはバックミラーをチラチラ見ながら言った。
「合成された映像、たったそれだけだ。誰が作ったのか、何の目的で作ったのか、どうやって我々のSDカード内のオリジナル映像とすり替えたのか、さっぱり分からん」
「優秀なメンバーだ」
「ありがとう。今は内部に協力者がいないか調べさせてるよ。それで? 君の意見は?」
ジョーは再びバックミラーを何度か見るだけでアーロンの質問には直ぐに答えない。そして三速で車を充分に引っ張っていくと、右手をシフトレバーにかけた。
「一つだけ分かったとすれば、この七つの事件にはまだ黒幕がいるってことだ」
ジョーはそう言うと、レバーを四速に入れてアクセルを思い切り踏み込んだ。途端に、直列六気筒エンジンから唸るようなサウンドが噴き上がった。小一時間ほど前から私たちの後ろをずっと走ってきた一台の黒いセダンを一気に引き離していく。
「煽り運転かしら」
「さあな、このまま巻いてやる!」
「ジョー、どうした? なんだか騒がしいぞ」
「アーロン、知らぬ間に野良犬の尻尾を踏んだみたいだ」
私が後方を見ると、先ほどのセダンが既に私たちの後ろに追いついていた。ジョーはそのまま車線変更を繰り返しながら前を走る車を次々と追い抜いていく。三連キャブが奏でる官能的なサウンドとガソリン臭が車内に充満してきた。
「アーロン、ちょっと代わって」
電話の向こうから女性の声が聞こえた。
「ジョー? 聞こえる?」
「セリーナ? やあ、元気かい?」
アクセルベタ踏みの男が口にする台詞じゃない。
「ええ、私は元気。いつぶりかしら」
「あーっと……大学卒業以来だ。どけっ! どくんだ!」
「え? 何か邪魔したかしら」
「いや、ちょっとこっちに大きなハエがいてね」
ジョーは追い越し車線で前を走るキャンピングカーに何度もクラクションを鳴らすが、運転席の窓からは中指を突き立てた手が伸びてきた。
「ごめんなさい、どうしても話したかったことがあって」
「クソッ! あ、ごめん、そうじゃなくて……今日はまだ出てないんだ!」
「あら、それは何て言うか……お気の毒ね」
ジョーは後ろにぴったりと付けている黒いセダンをバックミラーで確認すると、クラッチを踏みシフトレバーを一瞬でニュートラルに入れる。そして再びクラッチを繋げるとアクセルペダルでブリッピングし、タコメーターの針が五千回転に迫ったところでジョーは再びクラッチを踏み、シフトレバーを四速から二速へ一気に落した。
「よし! これでも喰らえ!」
「何ですって? そういう汚い冗談はよして」
Zはブレーキランプも灯らないまま突然減速をしたため、後ろのセダンは急ブレーキをかける。ジョーはスピードを落としながらZを隣のレーンを走る二台の車の間に滑り込ませ、後ろの車からクラクションを鳴らされながら黒いセダンと並走させた。しかしセダンの窓はスモークフィルムが施されていて中の様子が分からない。
「ジョー、今日嫌な夢を見たの。黒いセダンには気をつけて。絶対に近寄ってはダメよ。」
「黒いセダン……!?」
その黒いセダンがタイヤを鳴らしながらZに体当たりしてくる。
「おいおい、本気か!?」
ジョーはギリギリのところでハンドルを右に切ってかわすと、そのまま第一車線へ移って黒いセダンとの距離を取り、再びギアを三速に入れて加速しだした。しかし黒いセダンは他の車とぶつかりながら強引にジョーの後ろへ割り込んできた。
「本気よ、真面目な話なの」
「セリーナ、君は何と言うか、相変わらず先を見る力がピカ一だね」
「お世辞はいいから、本当に黒いセダンには気をつけるのよ」
「ああ、君の旦那がどうして副大統領になれたのか今分かった気がするよ」
ジョーはギアを四速に入れて再び黒いセダンとの距離を開けようとするが、どうやら向こうのスペックが上のようだ。二台の距離が見る見るうちに縮まっていく。Zの速度は既に百二十四マイルに達していて、ノーマル仕様のこの車ではこの速度が限界だ。
「ジョー! 前!!」
前から一台のコンパクトカーの後部が物凄いスピードで迫ってくるのを見て私は叫んだ。
「分かってる!」
ジョーはそのコンパクトカーの向こうに何かを瞬時に確認すると、コンパクトカーに衝突する直前でアクセルを踏み込んだままクラッチを一瞬底まで蹴り込んだ。その瞬間エンジンの物凄い音と共にタコメーターのエンジン回転数が急激に上がる。そして間髪入れずにクラッチを繋ぐと後輪が悲鳴を上げるようにホイールスピンし、ジョーがアクセルを踏み込んだままハンドルを右に切るとZはドリフトしながら右に急転換した。
「セリーナ、アーロンに代わってくれないか!?」
「アーロン? アーロン、ジョーが呼んでるわ」
ジョーは白煙を巻き上げたZをサンアントニオ市内に通じる出口に滑りこませながらセリーナに叫んだ。そして私たちの後方では、急ブレーキが間に合わなかったのだろう、黒いセダンが前方のコンパクトカーに衝突するクラッシュ音が響いた。
「ジョー、セリーナとの話はもういいのか?」
「ああ、懐かしかったよ。ところで、車の修理代って出してもらえるんだっけ?」
ジョーは車内に籠った白煙を手で扇ぎながらとぼけた声で言った。




