十. 決意の撤退
オブザーバトリ―・サークル一番地にはクイーン・アン様式の立派な屋敷が佇んでいる。ジョーと私は厳重なセキュリティチェックを通り、複数のSPの痛い視線を浴びながら黒く重々しい門をくぐっていった。視界が開けると、目の前には三階建ての白い外壁の屋敷と、そこに連なった尖がり帽子のような小塔が奥に見えた。一階中央の正面玄関は屋根付きの車寄せになっていて、そのまま横に続く広いベランダと一体化している。ここが副大統領アーロン・スミスの公邸だ。
「やあ、ジョー、待ってたよ! アイ、素敵な服だね」
私たちが玄関に近づくとアーロンが出迎えた。ジョーは少しむっつりとした顔を浮かべながらアーロンと軽く握手をすると屋敷へ入っていく。ジョーはアーロンの後についてレセプションホールへと入り、大きな窓を背にコの字を描いている革張りのソファーの一つにどっしりと腰を下ろした。そして天下の副大統領の公邸に入った後の第一声が、これだ。
「俺は下りる!」
ジョーは目の前のローテーブルに組んだ両足を放り出して不機嫌そうに言った。私は滅多に見ない豪奢な内装をブラブラしながら拝んでいる。
「下りる? どうして急に。まだ期限まで三日あるだろ」
アーロンは注いでいたウイスキーボトルを持つ手を止めてジョーに言った。
「俺は確かに君に協力すると言った。でも命を狙われてまでやる筋合いはないぞ」
「命を狙われた? 誰に?」
アーロンは眉に皺を寄せながら二つのグラスを持ってジョーの向かいのソファーに座った。アーロンが私にウィンクをして水の入った方を差し出す。キモ。
「誰って……誰もいなかったんだが……。アイ、見せてやれ」
はいはい。私は鞄からPCを取り出すと、先日テキサスの精神科病院の前で黒いセダンがジョーを追い回した一部始終のCCTV映像をアーロンに見せた。結局、あの黒いセダンも何者かが遠隔で操縦していたようだ。
「何てことだ……どうして直ぐに連絡をくれなかったんだ」
アーロンは申し訳なさそうな顔を浮かべて言った。
「お前がスーパーマンだったらな。お前に連絡しても警察が駆けつける頃には俺はとっくに引かれて千切れたティッシュみたいになってるだろ」
「まあまあ、大変だったな。ほら、一杯飲め」
アーロンがジョーに勧めてグラスを置き直すと、琥珀色の液体が大きく揺れた。
「まあ、ジョー! いらっしゃい!」
重苦しい空気をさらっていくかのように、隣のリビングルームから華やかな女性の声が聞こえてきた。セリーナだ。ベージュ色のニットのセーターにブラウンの丈の長いスカートを合わせ、カールがかった艶のあるブロンドの髪を肩越しに弾ませている。
「やあ、セリーナ、いたのか」
「いたのかって、ここは私たちの家よ」
電気ショックを浴びたようにジョーが両足をテーブルから下ろして言うと、セリーナは悪戯っぽく頬を膨らませてアーロンの横に腰を下ろした。
「君も飲むかい?」
「私はまだ午後にお客様が来るからよしておくわ」
そう言ってセリーナは立ち上がろうとしたアーロンを引き留めた。
「引く手あまたって感じかな。いっそセリーナが大統領になればいいのさ」
「冗談はよしてよ」
ジョーの冷やかしをセリーナは笑って流した。セリーナは大学を卒業後、銀行を経て大手投資ファンドへ就職した。そして巧みに先を読む力を発揮した先物取引で頭角を現し、今では同ファンドのCEOを務めている。
「アイ、お久しぶりね。今日はまた一段と可愛いわ」
「セリーナ、お世辞はいいの。それよりジョーがご立腹よ」
「ご立腹? どうしたの、ジョー」
「君の言った通りだよ、セリーナ。黒いセダンに危うく殺されかけたんだ。アーロンに頼まれた件で関係者に聞き込みをしてた時だ」
「頼まれた件って、この間あなたが私に相談した件?」
アーロンは両方の眉を上げてセリーナにゆっくりと頷いた。
「まあ、それは大変だったわね」
セリーナはジョーの左手を両手で包み込むように握ると申し訳なさそうに言った。しかしジョーはセリーナの手を右手でゆっくりと引き剥がす。
「君たち二人に信用してもらえてるのは有り難いけど、俺にはまだやらなきゃならないことが山ほどあるんだ。EDENのこともそうだし、探してる人だっているんだ。こんなところで殺されちゃ浮かばれないよ」
「アーロン、ジョーを解放してあげるべきだと思うわ」
「セリーナ。まあ、君がそう言うなら……」
アーロンは両手をハの字に広げて降参するように言った。
「決まりだな」
ジョーはそう言うと、懐のポケットからSDカードを取り出してテーブルの上に置いた。
「とりあえず、今まで分かったことはレポートにしてこの中に入れてある」
レポートは私が書いたんだけど。
「それと報酬をくれとは言わないけど、俺の愛車の修理代くらいは出してくれないか。あのイカれたセダンに追い回されてデフがやられちまったみたいだ」
「それは運転手のせいだと思うけど」
「アイ、黙ってろ……!」
愛車でドリフトなんて矛盾もいいところよ。
「ああ、それはもちろん構わないが。そうか……、何だか残念だ」
「アーロン、気をつけろよ。この一件、闇が深いぞ」
ジョーはそう言ってアーロンの肩を叩いて立ち上がると、玄関に向かって歩き出した。
「ジョー、待って。私が送ってくわ」
セリーナはそう言って立ち上がると、窓際の引出しから車の鍵を取り出した。
さすがロールスロイス……森の中みたいに静かね。ジョーの車とは大違い。
「アーロンのこと、悪く思わないでね」
セリーナは助手席のジョーを一瞥して言った。
「今回は俺の運が悪かったんだ。アーロンにも悪かったと言っといてくれ」
ジョーは窓に次々と浮き上がる小雨の筋を指でなぞりながら言った。
「あの時もこうして雨が降ってきたわね」
「あの時?」
「岬の教会でお祈りを捧げてから、一緒に湊を眺めた時」
「岬の教会…? ああ、そんなこともあったっけな」
「あなたは私の気持ちを知ってたくせに、いつも話すのはルシアのことばかり。いい加減、私も頭にきて怒ったら、あなたは腰ベルトに吊るした袋から、こっそり食堂から盗んできたカステラを出して私にくれたのよ。これで許してくれって」
雨雲が広がって暗くなる車内にセリーナの笑い声が広がった。
「カステラ? チョコバーじゃなかったか?」
「いいえ、カステラよ。でも私もカステラが大好きだったから、機嫌も直ってあなたと一緒に食べたの。そうしたら急に雨が降ってきて、教会に戻ったら雨宿りに来た子供たちとばったり。結局私たちのカステラ、全部子供たちに食べられちゃった」
セリーナの笑い声と共に雨粒も大きくなり、ワイパーが自動で動き出した。
「お互い記憶力がよすぎるのも辛いものね」
「記憶力か……」
車内には窓を叩く雨粒の音とワイパーが動くモーター音だけが暫く響く。
「なあ、セリーナ。君がドルフに代わってEDENに資金を出してくれないか」
「ジョー……」
突然のジョーの申し出に、セリーナは悲しそうな顔を浮かべて言葉を選んでいるようだ。車がシティーセンターに入ると、窓の外を流れる風景は先ほどまでの自然に溢れたものから、高い石造りの建物と人と車で溢れたものに一変した。
「ごめんなさい。私はあなたを尊敬してるし、EDENを助けたい気持ちは山々だけど、私が動かしてる資金は全て金儲けにしか関心のない人たちのものなの」
「そうだな。リターンの見えない投資なんて顧客が賛同するわけないよな」
「子供たちにこそ投資をするべきだって、私は思ってるのよ」
「ああ、その言葉が聞けただけで満足だ」
セリーナが運転する車は暫くすると私たちが泊まるホテルのエントランス前で停車した。雨はすっかり大きくなり、道行く人びとは色とりどりの傘を差している。私たちが車を降りて運転席側からセリーナにお礼を言うと、セリーナは窓を開けた。
「ジョー、きっと新しいチャンスが直ぐに来る」
「ああ、今晩にでも来てほしいね」
ジョーはピエロのようにお道化て言うと、セリーナはホーンを鳴らして去っていった。
ご一読いただきありがとうございます!本作は、今、私達が問うべき人類とAIのあり方について一石を投じるべく執筆しています。
現在、個人で利用できる最新のAI技術を駆使し、本作の『公式プロモーションビデオ(実写映画風PV)』を鋭意制作中です! 完成版は私のX(https://x.com/RIGHTTHINGADAY)やYouTubeで公開し、こちらのページでもお知らせします。ジョーとアイの凸凹コンビの謎解き、ハッカーたちの息詰まる攻防を、ぜひ映像でも体感してください。よろしければ、今のうちにブックマークや評価で応援していただけると励みになります!




