五. 悠久の友
ジョーと私はルーカスが収容されている拘置所へ向かうため、ロサンゼルス国際空港へ到着した。世界一の発着便数を誇る空港だけあって、検査場の長蛇の列にかれこれ三十分以上は並んでいる。
「寝袋を持ってくれば良かったと後悔してたとこだよ」
やっとセキュリティ検査の順番が回ってくると、ジョーは検査員の男に冗談なのか文句なのか分からないことを言った。目が回るほど忙しい検査員は気にもせず、次々と乗客に荷物をトレーに乗せるように発破をかけた。
「ミスター・ジョー・モラレスですか?」
検査員とは違う小奇麗なダークスーツを着た長身の男がジョーに話しかけた。メルヘンの国から出てきたような金髪のイケメンで、白く輝く歯が印象的だ。胸には〈PS〉というロゴマークが付いていて、その洗練された装いと雰囲気は明らかに混沌の最中にある検査場では異様とも感じられた。
「まだ検査してないんだけど、何か持ってちゃまずい物でもあったかい?」
「いいえ、飛んでもございません。あるお方があなた様を是非お連れするようにと仰っておりまして。ご一緒願えないでしょうか」
メルヘンの男は慇懃無礼なほどの低い姿勢でジョーを招待した。
「あんたの便は?」
突然横から先ほどの検査員の男がジョーに聞く。毎日コーラとピザばかり食べてるのが見た目で分かるほど美味しそうな二重顎をしていた。
「AA951便だよ。結構早く着いちゃって、まだ三時間ほどある」
「だったら付いてった方がいい」
「どうして?」
「もし俺があんたなら今すぐこんなクソみたいな仕事からおさらばして、この男に付いてくね」
意味不明だと言わんばかりに顔をしかめたジョーを、メルヘンの男は両手を前で組んで微笑みながら見守っている。
「まさかお前、PSを知らないのか?」
「PS? 聞いたこともない」
ジョーが両手を広げて告白すると、検査員の男は大笑いしながら同情するかのようにジョーの肩をパンパンと叩いて仕事に戻っていった。
「ジョー、いいじゃない。行ってみましょ?」
私はジョーの背中を押した。なぜなら、私には誰が招待してるのか察しがついたからだ。
「まあ、そこまで言うなら」
ジョーが渋々そう言った途端、メルヘンの男はジョーの足元に置かれたスーツケースを素早く持ち上げた。
「ミスター・ジョー・モラレス、こちらです」
メルヘンの男は再び綺麗に整った象牙のような歯を光らせて私たちをエスコートした。
「おいおい、こっちじゃ出口に戻っちゃうじゃないか。どれだけ待ったと思ってるんだ?」
まるでフィルムを逆再生するように、検査場からチェックインカウンターを通って空港の出入口に案内するメルヘンの男の背中にジョーは文句をぶつけた。
「大丈夫です、ミスター・ジョー・モラレス。この先に車を待たせていますので」
「車? 俺たちは飛行機に乗りにきたんだぞ!?」
メルヘンの男は自然と振り返ってただ笑顔を向けると再び軽快な足取りで出口へと案内した。私たちは出口を出ると、一般客の乗降場に群がる人の波を通り抜けていく。人の群を抜けると、直ぐに一台の白いBMW7シリーズが停車しているのが見えた。その横にはメルヘンの男と同じようなチャコールグレーのスーツに身を包んだ白人の女性が一人立ってこっちを見ている。そのメルヘンの女も額縁に飾って置きたいと思うほど美しく完璧な笑顔を浮かべていた。
「お待ちしておりました、ミスター・ジョー・モラレス」
メルヘンの女は深々とお辞儀をすると、後席のドアを優雅に開いた。
「その、ミスター・ジョー・モラレスは止めてくれるかな。ジョーでいいよ」
「畏まりました、ミスター・ジョー・モラレス。さ、頭に気をつけてご乗車ください」
メルヘンの男がジョーの荷物をトランクに乗せている間、メルヘンの女は私たちに車に乗るよう丁寧に促した。
「もう、何でもいいや」
ジョーは観念したようにぼやくと、芳醇なフレグランスに満ちた車内へ乗り込んだ。空港から意外にも十分ほどかけて車で南へ移動すると、フロントガラスの向こうにPSの文字を掲げた施設が見えてきた。一見、空港施設の一部かとも思ったが、隠れ家のようにも感じる。そのまま車は施設内へと乗り入れ、二重のゲートで身分証確認をして通過すると、まるでラグジュアリーホテルかと思うほどのエントランス前で停まった。直ぐに別のメルヘンたちが車のドアを開けて私たちを施設の中へ案内してくれたのは言うまでもない。
「一体、誰なんだ」
「直ぐに分かるわ」
ワインレッドの厚い絨毯が敷かれた豪奢な建物の中を歩いていくと、私たちは一つの個室に連れていかれた。ジョーはアホみたいな顔で口を半開きにしながらまだ天井のシャンデリアを眺めている。
「それではごゆっくり、お寛ぎください」
三人目の黒人のメルヘンの女は部屋のドアを静かに開くと、深々とお辞儀をして立ち去っていった。ジョーは明るい光が零れ出るドアの隙間に足を踏み出すと、部屋の中へとそのまま入っていった。
「やあ、すまなかったね。突然呼んでしまって」
相応に歳を重ねた、でも馴染みのある男性の声が聞こえた。部屋の正面は屋外の庭を望む開放的なガラス窓になっていて、その手前にはアルカンターラ調の三人掛けのソファーが置かれている。そこに座ってこちらを見ていたのはドルフ・クラークだった。やっぱりね。
「ドルフ?」
逆光になって見えづらかったのか、ジョーはソファーに近づいていってやっとドルフだと気づいた。ジョーは差し出されたドルフの手を取って握手をしながら、同じソファーに腰をかけた。
「どうしたんだ、一体?」
「いや、丁度私がここに向かう車の中で、空港の前でタクシーから降りる君の姿を見かけたんだ。どこに行くかは知らないが、もし時間があればと思ってね。どうだ、いい所だろ?」
ドルフはいつものようなジャケット姿ではなく、白いポロの半袖にベージュのハーフパンツといったラフな格好をしていた。
「びっくりしたんだぞ。検査場で呼び止められた時は、こっそり誰かに麻薬でも荷物に突っ込まれたのかと思って焦ったよ」
ジョーが冗談を言うと、ドルフは子供のように手を叩いて大笑いした。
「さあ、自由に飲んでくれ」
ドルフはドア横のバーカウンターを指してジョーに飲み物を勧めた。
「今日はこれからどこに行くんだ?」
「アレクサンドリアだ」
「アレクサンドリア? 何のために?」
一パイントグラスにビールをタップから注いでいるジョーにドルフは聞いた。
「頼まれ事だ」
「お金のためよ」
「アイ! 余計なこと言うな! ああっ!」
ジョーが注意を逸らした途端、グラスから泡が溢れ出した。ドルフは再び笑い声を上げると、テーブルから飲みかけのカクテルグラスを持ち上げた。ジョーはグラスを持ってソファーへ戻ると、ドルフとトーストをしてビールを口に運んだ。
「金は集まりそうなのか?」
「ああ、もちろん大丈夫だ」
「そうか。それならよかった」
これ見よがしなジョーの言い方にも関わらず、ドルフは優しく笑った。
「また世界がきな臭くなってきたんだよ、ジョー」
「きな臭い?」「
「君の国がEUと近づき始めた。距離をとっていた者同士が突然近づきだすというのは、必ず何か裏があるということだよ」
「仲良くなることはいいことじゃないか」
「それが本当の親交ならだがね」
ドルフはカクテルナッツを手で掴むと口に放り込んだ。
「なるほど、それであなたは今日そんなにラフな格好をしてるのね?」
「分かるかい? アイ」
「もちろん。きな臭さっていうのは、あなたにとっては金の臭いだもの。どうせゴルフしながら悪い人たちと金儲けの話ばかりしてるんでしょ?」
「嫌な言い方をしてくれるな。まあ、その通りだけどね。先月までは金の買い入れや戦時で落ちそうな株の売却で忙しかったよ。最近は多額融資の引き合いが殺到してるんだ」
「武器の量産か?」
「いや、その先の復興支援に使うんだそうだ」
「戦争はまるで出来レースだな」
ジョーが汚物を見るような顔をして舌打ちをした。
「例えば中東がもめれば原油価格が上がり、先物取引で巨額の利益を上げることができる。こんなこと学校で教えてないだけで、小学生でも分かる理屈だ。だから戦争は止められない。金持ちは益々金持ちになっていくんだよ」
「世界有数の富豪から聞くと説得力があるよ」
ジョーはビールグラスを空にするとテーブルに置いた。
「EDENはその罪滅ぼしってわけか?」
ジョーはティッシュで鼻をかもうとしながら言ったが、直ぐに手を止める。
「ごめん、ドルフ。その、そういう意味じゃないんだ……言い過ぎた」
ジョーはドルフに突然謝罪をした。ドルフは少し悲しそうな目をしながらも、空笑いをしながら片手を振って気にするなと伝える。ドルフと奥さんの間には子供がいない。長年に渡る不妊治療の末に、奥さんが四十半ばを超えた時にやっと第一子を懐妊した。しかし高齢出産だったために医師は帝王切開を勧めたが、奥さんは自然分娩を強く望んだ。結果、奥さんは出産時に大量出血をして亡くなり、子供も後を追うように死んでしまった。以来、ドルフは自然分娩に賛成した自分を強く責め、まるで自分の子供を重ねるように孤児院の経営に強い関心を寄せるようになったという。
「これからまた孤児が増える。そんな中、EDENがまた息を吹き返すのは嬉しいよ」
ドルフはジョーの手に自分の手を重ねて労った。
「そこまで言うなら、ドルフ。もしかして気が変わったのかい?」
「気が変わった? そんなバカな話はない」
ドルフはそう言うと、握っていたジョーの手を冷たく突き放した。…また始まったわ。
「いい加減意地を張るのはよすんだ、ドルフ。老体に響くぞ」
「余計なお世話だ。カトリックの徳育の何が気に食わないっていうんだ」
「ドルフ、何度も言うが、俺は徳育には賛成だ。でも宗教教育は柔軟にするべきだって言ってるんだ」
「静かな祈りと聖歌を通じた精神修養は素晴らしい人格形成の支えとなるんだよ」
「ピラミッドが見える砂漠の国でもそんなことをやれってのか?」
「カトリックを受け入れる地域に出せばいい」
「孤児がいる所なら場所を選ばずに施設を出せるのが人工知能を駆使したEDENの最大の特長じゃないか」
「その通りだよ、ジョー。カトリックを受け入れる地域に限ってはね」
「またそれだ。四百年経ってもちっとも変わってない」
「私はまだ七十過ぎだ。勝手に化け物みたいに言わないでくれ」
「そういう固い考えだったから役人との軋轢が絶えなかったんじゃないか」
「価値観が違えばどの国の役人とも衝突だってするだろう」
「郷に入っては郷に従えだ。もうちょっと彼らを刺激しないようにしなくちゃ」
「例えば何だ?」
「目立たなくやるとか、役人への根回しとか、あんな公然と街頭で説教なんてしようとしたら、そりゃ役人だって黙ってないぞ」
「説教じゃない。聖書の授業を課外活動に取り入れようとしただけだ」
「それにお墓参りを偶像崇拝だって言ったら、さすがに子供たちだって引くじゃないか。」
「私は子供たちに崇拝と崇敬の違いを教えてあげただけだよ」
「もう少し俺を見習ってほしかったよ。そうすれば殉教なんてしなかったんだ」
「殉教? 面白いことを言うな。君がこのまま頑固なままだったらEDENは正しく殉教者になってしまうよ。君は本当にそれでいいのか?」
ジョーは大きな溜息をついてソファーの背にもたれかかった。
「まったく、宗教って面倒ね。いっそ、EDENの方針は人工知能に決めてもらったら?」
私は愛想をつかすように二人に言った。
「いや、アイ、それはダメだ。EDENにとって宗教の教えは大切なバックボーンなんだ」
「その通りだとも。いいかい、アイ。ぶれない価値観の軸があってはじめて子供たちを一人の立派な人として育て上げることができるんだよ」
この二人、仲がいいんだか、悪いんだか。
「失礼します。ミスター・ドルフ・クラーク。そろそろ離陸の時間となりますが」
メルヘンの女がノックをして入ってくると、ドルフに告げた。
「おお、もうそんな時間かね? 分かった、直ぐに行くよ」
メルヘンの女は深く一礼をすると、先に部屋を出ていく。ドルフは掛けてあったジャンパーを羽織りながらジョーを振り返った。
「ジョー、楽しかったよ。また会おう」
「ああ、今度会う時はもう少し頭の体操をしてきてくれると嬉しいな」
ドルフはジョーの皮肉を込めた挨拶を一笑に付した。
「この部屋は自由に使ってくれ。時間になったらスタッフに飛行機まで君たちを送ってもらうように言っておくよ」
「ああ、それは助かる。これからどこに?」
「暫くロンドンだよ」
ドルフはそう言ってキャップを被ると、モスグリーンのコードバンのクラッチバッグを片手に部屋を後にした。




