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四. EDEN一号棟の地下

 私とジョーはダボスでの仕事を終え、帰国したその足でEDENの一号棟へ向っていた。ジョーの愛車ダットサン240Zが青空に真っ白く輝く陽光を浴びながらインターステイト280号線を南へ快走している。世界で最も美しいと呼ばれるこの高速道路の景色を三十分も眺めていれば、ここロヨラの町に到着する。この辺は地中海性気候で年中温かく、ジョーは空港で早速半袖に着替えてたほどだ。ここをEDENの一号棟の場所に選定したのは一重に目と鼻の先にシリコンバレーがあるからだと言っていた。ジョーは先ずここにEDENを動かす人工知能の開発拠点を築き、世界中からこの地に集まる優秀なエンジニアたちを惜しげもなく投入していたらしい。当然、この地がその開発資金を支え得るベンチャーキャピタルの集積地だっていうのも選定理由の一つだったらしいけど、結局資金の大半をドルフが出したから関係なかったみたい。ハイウェイを下りて閑静な住宅地を抜けていくと、EDENの看板が見えてくる。そこから暫く森に挟まれた細い私有道路を抜けると、途端に視界が開けて広大な芝生の中に佇むEDENの建物が見えてきた。アーチ型の窓が特徴の白い二階建ての家で、中央のホールを境に左右に六部屋ずつ計十二部屋を備えた施設だ。周囲を囲む森はそのまま背後に広がるナショナルパークに繋がっている。

「ジョーだ!」

「ジョーが帰ってきた!」

ニューサイトオレンジのスポーツカーの姿を見ると、外で遊んでいた子供たちが我先にと駆け寄ってきた。車から降りたジョーは直ぐに子供たちに囲まれてしまう。ここには三歳から十八歳までの子供が三十人暮らしていて、年齢も肌の色も様々だが、子供たちは一様にジョーのことが大好きだった。ジョーは小さな子供たちにしがみつかれ、両手を引かれながら玄関へと急かされるように歩いていった。ジョーの後ろには年長の女の子がお土産袋を抱えながら歩いていて、別の子供たちが周りでハイエナのように袋をつついている。

「早く着ついたのね」

 裏のテラスで本を読み聞かせていたのか、ジョセフィーヌが小さな子供たちを連れて建物の脇から出てきた。ジョセフィーヌはEDEN一号棟の施設長だが、人工知能の開発と保守を担うチームの責任者でもある。世に言うCTOという役職だが、案外本人は施設長の仕事の方を楽しんでるようだ。黒人のふくよかな年配のベテランエンジニアという体裁だが、名だたる世界のテック企業が喉から手が出るほどほしい人物として真っ先に名が挙がるのが、このジョセフィーヌ・ジェファーソン、通称フィフィなのだ。

「やあ、フィフィ、飛行機が珍しく時間通りに飛んだんだよ」

「それじゃ、明日は嵐でも来るのかしら」

「またダボスに飛ばされなきゃいいけどね」

 フィフィはジョーの冗談に笑うと外にいる子供たちに建物へ入るように促した。

「そう言えば聞いたかしら、AzTech(アズテック)社の話」

「Σ(シグマ)のか?」

 玄関ホールに入るとジョーは玄関脇で自動仕分けされている自分宛の郵便物を取り上げてフィフィに聞いた。∑は世界で最も多くのユーザーを抱えるAzTech社が提供するSNSサービスだ。近年∑にはMaxという名前の人工知能が搭載され、対話形式で様々な質問に回答してくれる便利な機能として注目されている。

「そう。いよいよ次世代のフォトニックコンピューターの試作品ができたらしいわ。」

「予定より五年は早いな。金があるところは違うねー」

 ジョーは屋根のレールを伝って子供たちへのおやつを運搬するゴンドラを仰ぎながら口笛を吹いた。そして近づいてきた清掃ロボットを跨ぐと正面のエレベーターに乗り込む。

「うちにも入れたらどうなっちゃうんだ?」

「電子の代わりに光子で演算を行うんだから、特定の計算タスクなら私たちのシリコンチップの数千倍を上回るスペックね。超高速演算だけじゃなくて、信号の遅延がほぼないゼロ・レイテンシ。消費電力もスパコンの一%程度だからお財布にも優しいわ」

「お財布もそうだけど。それを使ってここが誰かに攻められたら危ないな」

ジョーが指紋と虹彩の認証を済ませると、エレベーターの〈G〉のボタンの下に〈S〉のボタンが現れる。そしてジョーが〈S〉ボタンを押すとドアが閉まり、人工知能の声と伴奏に合わせて歌っていた子供たちの声も完全に聞こえなくなった。

「まだ試作品よ。完成するまでに非線形光学リミッターか波長ホッピングを組込んどくわ」

「それにしたってまた金がかかる」

 頭を抱えるジョーの肩をフィフィはタップしながら笑った。エレベーターは甲高いモーターの駆動音を響かせて地下へと下りていく。〈S〉には〈Sub(地)-basement(下)〉の意味もあるけど、ここでは〈Server(サーバー)〉の意味も兼ねている。つまりEDEN一号棟の地下には、全世界のEDENを動かしている人工知能の巨大なデータセンターが敷設されているのだ。エレベーターを降りると、コンクリートむき出しのシンプルな廊下が一本伸びている。右手側は全てガラス張りで、その向こうには果てが見えないほどのサーバーラックが整然と並んでいた。それが永遠トウモロコシ畑のように広がっているのだ。一方、左側には執務室や会議室、そして一番奥にはフィフィのチームが働いているラボがレイアウトされている。

「このデータセンターも金食い虫よ。新しいパトロンは見つかったの?」

「ああ、脈ありな人は見つけてきたよ」

「あら、それは上出来ね」

 フィフィはジョーの報せに安堵した様子で胸に手を当てた。ジョーは一番手前の自分の部屋に近づきながらフィフィに振り返る。

「ちょっと疲れてるから、ラボには後で顔を出すよ」

「先に報告書を見たがってるって顔してるけど」

 フィフィはジョーが脇に抱えている郵便物を一瞥して白い歯を見せた。ジョーは何も言わなかったが、とぼけたように口笛を吹きながら執務室のドアを開けた。


 私たちが執務室に入ると、ジョーは無言で部屋の奥のカウチソファーに体を沈めた。こういう時は何も声をかけない方がいいと分かっているので、私は私で自分の仕事に取りかかる。ジョーは何封かの大型の封筒を次々と開け、中から取り出した報告書に食い入るように目を通していた。部屋にはデータセンターから伝わってくる微かなバズ音とジョーが報告書を捲る乾いた紙の音だけが響き渡る。間もなくしてジョーは突然立ち上がると、全ての郵便物をデスクの上に放り投げて、自分は応接用のソファーに仰向けに寝転がった。

「ごめんなさい」

 ジョーは私の言葉に直ぐには答えず、ただ黙って天井を見つめていた。

「いや、アイのせいじゃないよ。仕方ない……また探せばいい」

 ジョーは瞬きもせずに機械のように言った。これまで十字の痣を持つ人物に関するエージェントからの報告書をジョーが読む度に、私は何度もジョーのこういう表情を見てきた。

「ジョー! さあ、気を取り直して!」

 私が大きな声で叫ぶと、ジョーはしぶしぶ起き上がった。

「そうだな。アイ、これ見てみるか」

 ジョーはそう言うと、ジャケットの内側ポケットから一枚のSDカードを取り出した。それはアーロンが先日ジョーに渡したものだ。ジョーはローテーブルの上に設置されたプロジェクターの電源を入れてSDカードを差し込んだ。プロジェクターの駆動音と共に真っ白な壁に光の画面が現れる。

「誰かさんが機内で大口開けて寝てる間に、もう私は一通り目を通したけど」

「真面目だねー。その誰かさんに見習わせたいところだよ」

 私がファイルの中身を展開してる間、ジョーは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、勢いよく噴き出した泡と格闘している。これが仮にも一国の副大統領から依頼を受けた人間が仕事に臨む姿だろうか。

「それで? どんなファイルがあるんだ?」

 ジョーはタオルでお腹を拭きながら革張りのソファーに沈み込んで言った。

「アーロンが話してた七人のプロフィール。それにFBIは事件性を疑ってたのね。初動調査の検視調書や実況見分調書の他に、死体検案書や解剖結果報告書、関係者への聞き取りをした供述調書や通信と行動履歴を追った捜査報告書もあるわ。それと興味深いのはこっちのフォルダよ。アーロンが言ってた容疑者に関する資料があって、プロフィールや供述調書が個別に格納されてるの。ファイルは画像、映像合わせてざっと二千近くね」

 ジョーは飲んでいたビールを噴き出した。

「あいつ、何でもかんでも放り込みやがって。典型的なパワハラ上司だな」

「百万ドルの仕事よ、これくらい当然だと思うけど」

「どっちの味方だよ……」

「お金よ。当然じゃない」

 ジョーは開いた口が塞がらない表情で私を見つめた。

「まあいいや。それじゃ興味深い方からいこうか。全員容疑者がいるって言ってたけど、一体どんな面子なんだ」

「それが全員身内か死亡者の身近な人たちよ。最初に死亡したヒロユキ・カナイの容疑者は妻のヤスコ・カナイ、続いてランディ・ホワイトは使用人のセシリア・ラモス、モリス・ムーアは妻のマーラ・ムーア、ウォルター・ヘルムズは同棲相手のベイリー・ブラック、ベス・ミラーは隣人のカムロン・ジョーンズ、デラルド・ブラウンは夫のアルトン・ブラウン、そしてニール・リチャードソンはSPのルーカス・ジョンソン」

「まあ、八割の殺人事件の犯人は被害者と面識がある人間だって言われるから、変な気はしないよ。それでこの容疑者たちは今どこで何してるんだ?」

「マーラ・ムーアは州立の精神医療施設に入院中、ルーカス・ジョンソンは拘留中、その他は全員死んだわ」

「死んだ!?」

 容疑者の近況をさもありなんといった様子で聞いていたジョーが突然叫んだ。

「そう。ヤスコ・カナイは拘留中に服毒自殺。セシリア・ラモスは第二級殺人で十五年の刑を言い渡されたけど刑務所内で囚人によって殺害。ベイリー・ブラックは麻薬の過剰摂取で死亡。カムロン・ジョーンズは自分の妻と練炭自殺。アルトン・ブラウンは護送中に交通事故で即死。どう? これでも変な気しない?」

 ジョーはプロジェクターに散りばめられた容疑者たちの顔写真を無言で見つめている。そして思い出したかのようにジョーは一つのファイルを開くように言った。それはニールの最期が収められた映像だ。私はニールのフォルダから動画ファイルを見つけて再生すると、間もなくプロジェクターは漆黒の闇を映し出した。私は反射を嫌って部屋の電気を消す。

この映像は国防長官ニール・リチャードソンの私邸脇にある細い路地のゴミ捨て場に設置されたCCTVが記録したものだ。真っ暗な画面に目が慣れてくると、画面中央に一本の道が手前から奥の街灯に向かって延びているのが判る。道は一度中央で途切れたように見えるが、それは左から一本の太い木の幹が張り出しているからだ。路地の両脇には大人の背丈ほどの木の茂みが暗闇を作っている。茂みの後ろからは道に沿って木々の枝が覆いかぶさり、葉を落とし切った骨だけの枝はまるで街灯の光を遮る亡者たちの手のように見えた。未舗装の路地なのだろうか、全体的にぬかるんでいる様子で所々に水たまりもある。路地の向こう側にはニールの屋敷のものだと思われる大きな建物の陰が、薄明るい都会の夜空を背景にくっきりと見えた。暫くすると街灯の下に二人の男が現れる。二人ともこちらに背を向けているが、談笑しながら時折見せる横顔から左側がニールで右側にいるのがSPのルーカスだと判る。二人はどうやら単なる雇い主と使用人という関係以上に深いらしく、一見するととても親し気に話をしている。するとルーカスが懐から何か小さな物を取り出した。ニールが大袈裟に喜ぶ仕草をしている様子からすると、ルーカスが何かをプレゼントしたのだろうか。そしてニールはルーカスから渡されたものを両手で開き、何か細い物を一本取り出した。それはどう見ても煙草のようなもので、ニールはしきりにルーカスにも勧めているが、ルーカスはそれをやんわりと断っているようだ。ニールはとうとう諦めたようにルーカスの肩を数回叩くと、煙草を一本くわえた。ルーカスはすかさずポケットからライターのようなものを取り出して、ニールがくわえた煙草に火を点ける。そしてニールが煙草を一口吸い、二口目を吸った時だった。突然ニールが体を強張らせ、煙草を落として両手で首を搔きむしりだした。ルーカスも異変を感じてニールの両肩を抱く。力なく崩れ落ちるニールを支え切れず、ルーカスもニールに引きずられるようにして二人はその場に倒れた。よく見るとニールの手足は激しく痙攣している。ルーカスは気が動転したように何度も周囲に向かって助けを呼んでいるようだ。ルーカスは静かになったニールに何度か心臓マッサージと人工呼吸を行っているが、ニールは全く動かない。そして映像はここで途切れて砂嵐に変わった。

「ここ。ここ何だか変だと思わない?」

 私は最初に見た時から映像の最後に違和感を持っていた。

「いや、そんな感じはしなかったけど。それで、ニールの死因は何だったんだ?」

「中毒死よ。ニールが吸った煙草にはキャッサバの葉が仕込まれてて、急性のシアン中毒というのが検死の結果みたい」

「キャッサバの葉? 一箱分全部?」

「そう、全部」

「どれを吸っても外れってやつだな」

「誰かが故意にやったのは間違いなさそうね」

「煙草の箱の指紋は?」

「ルーカスとニールの二人の指紋だけ。メーカーにも調査が入ったけど、同じロット番号の製品は問題ないし、従業員によるテロの痕跡も見つかってないわ」

「それでルーカスは何て言ってるんだ」

「犯行を否認してる。それに周囲の聞取りによれば、ルーカスとニールが特別な関係だと疑われたとしても、ルーカスがニールを殺害する動機らしい動機は見つかってないの」

「特別な関係?」

「ああいう関係よ」

「ああ、ああいう関係か……確かに仲が良さそうだ」

「証拠はあれど動機はなし。アーロンの言う通りね」

 ジョーは組んだ足をプロジェクターの横に放り出しながら、まだ壁上に踊っている砂嵐とにらめっこをしている。

「それに中毒死はニールだけじゃないの」

「他に誰が?」

「七人全員よ」

 私はニールの動画ファイルを閉じると、部屋の電気を再び点けた。ジョーは何かぶつぶつ言いながら立ち上がると、デスクの上に散らかっていた手帳とスマホを手に取った。どうやらラボに顔を出しにいく気になったらしい。

「アイ、ありがとう。とにかくルーカスと面会できるようにアーロンに頼んでくれないか」

「お安い御用よ」

 ジョーは左手を軽く上げて私に挨拶すると無言で執務室を出ていった。


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