三. 副大統領からの依頼
会議も四日目。ジョーが新しいスポンサー探しをしている間、私はいつものルーティンに没頭してる。世界中のCCTVのサーバーにハッキングをかけて、あちらこちらを覗き見して回るのだ。噴水がある公園で日向ぼっこをする人たちもいれば、路地裏で薬を売ったり、ビジネスマンを喝上げしたり、同じ時間、同じ場所で不倫してる人たちだっている。人間ってほんと暇だなって思うんだけど、私は趣味でこんなことしてるわけじゃないのよ。歴とした私の大事な仕事。ある人を探してるの。その人は男なのか女なのかも分からないし、大人なのか子供なのかも分からない。ただ一つの手がかりは、首筋にある十字の痣。そう、ジョーにあるのと同じもの。その痣を持ってる人の中にジョーが探してる人がいる。
もしあなたがドルフみたいな厳格なカトリックなら目と耳を閉じててほしいんだけど、ジョーには前世の一部の記憶が鮮明に残ってるの。ほら、本人の言葉でいう〈宇宙のバックアップデータ〉と言った方がいいかしら。そのジョーの前世っていうのが、長崎に渡ったキリスト教の宣教師だったらしくて、そのタイミングがまた最悪だったのね。徳川幕府も初代の狸親父からロボットみたいに冷徹な秀忠に代が代わって、サルの時代から続くバテレン追放令を徹底した時代なの。あ、ちなみにサルっていうのは人間の方よ。そこでキリスト教を広めたり、キリスト教を信仰してた人たちは改宗しない限り処刑されたってわけ。お察しの通りで、宣教師だったジョーの前世も西坂の刑場で最期を迎えるわ。
でも話はここで終わらないの。その時刑場で処刑された人たちは全員、拷問の時に首筋に十字の焼き印を刻まれてたのよ。キリスト教に関わるとこうなるっていう見せしめのためね。町中を引き回される時も、首を斬られた後も、その跡を民衆に晒したはずよ。そしてその痣が今生きてるジョーの体にも現れてる。実はジョーの母親のイザベラにも同じ痣があって、ジョーが前世の記憶を手にしたトリガーが、ジョーが小さい頃にイザベラと額を合わせた時だったのよ。イザベラは前世で宣教師を匿った家の主人だったらしいわ。イザベラは五年前に既に他界してるけど、その時のジョーの悲しみ具合といったらさすがの私でも…覚えてないわ。だって、私まだジョーと出会ってないんだから。それでも次の話をジョーから聞いた時は私も思わずフリーズしてしまったわ。ジョーの前世にはルシア徳山という妻がいて、一緒に長崎で処刑されてたというの。どう? 私が覗き見してる話とつながったかしら。ジョーは自分のように生まれ変わったであろうルシアを探し出すために私とパートナーシップを組んでるってわけ。私だって好き好んでこんなことしてないわよ。確かにジョーが私に払ってる年報の額がいくら魅力的だって言っても、画質が粗いCCTVの映像から十字の痣を持つ人を探すなんて至難の業よ。首筋の痣がタトゥーだったとか、キスマークだったとかざらにあるんだから。それでも私はプロフェッショナルだから画像を人工知能でアップスケーリングしたり、現地のエージェントを使って世界中の候補の痣を肉眼で確認したりしてるけどね。大海に針を探すってやつよ。あ、ごめん、ちょっと気になるメールが届いた。ジョーに連絡するわ。
「……ジョー、今話せる?」
「スポンサーと話してるんだ、後にしてくれ」
「随分と腐れ縁の人から今晩会いたいって連絡が来たんだけど、どうする?」
「腐れ縁? 誰だよ」
「副大統領」
心拍数はざっと毎分百十回ってところね。ジョーは二人の黒人のSPを前にして自分の名前を嚙みながら告げた。SPの一人が身を翻して厳つい肩で風を切りながら私たちを案内していく。どうしたらそんなに筋肉ムキムキになれるのかしら。それにしても五つ星ホテルのロビーっていい香りよね。何フレーバーっていうんだろ、これ。そんなことを考えてる私の前で、ジョーも天井で輝く大きなシャンデリアを見上げながら歩いている。私たちはSPの男の背中を追いかけてエレベーターホールに着くと、そこにはもう一人の白人のSPが立っていて、その人の背後には下へ続く階段が見えた。私たちを連れてきた男はその男に一言二言話すと、二人は階段の両脇に立って私たちに下りるように促した。ジョーは二人の顔と階下の様子を恐る恐る見比べてから、軽く挨拶をして階段に足を踏み降ろした。階段は年季の入った木製の手すりが美しい螺旋を描きながら階下へ続いている。階下からは温かい照明とジャズの音色がこぼれていた。階段を下りると落ち着いた雰囲気のパーラーに出て、正面奥にトイレが、右手の部屋にはバーが見えた。バー内の左手にはソファー席があり、右手には宝石のような様々な酒瓶が並んだカウンターが見える。そしてカウンターではグレーのスーツを着た大柄な男が一人で葉巻を吹かしていた。こちらは筋肉ではなく肥えた体でスーツが突っ張ってるだけだけど。
「君たちも葉巻が欲しけりゃ、あそこのヒュミドールから好きなのを取ったらいい」
男は私たちの気配を感じたのか、半身だけ振り返って奥のドアを指差した。
「俺が煙草の一本も吸ったことがないって忘れたのか」
ジョーが毒づくと男は豪快に笑った。そして私たちが男と並んでストゥールに腰をかけると、入れ替わるように男は立ち上がった。
「今夜は貸し切りだ、好きな物を注文してくれ」
「いいご身分になったな、アーロン」
「皮肉はよしてくれ。何がいい?」
アーロンは得意げにバーカウンターの内側へ入って言った。
「スコッチを頼む。ストレートで」
「いいチョイスだ」
「まさか副大統領に酒を注いでもらう日がくるなんて思ってもなかったよ」
「ありがたく飲むんだな。アイ、君は?」
「冗談でしょ?」
「あっはっはっ! 悪い悪い、君は酒を飲まなかったね。水だけ置いとくよ、ジョーも飲むだろうし」
アーロンは十二年物のスコッチをウイスキーグラスに注ぐと、ジョーの前に差し出した。ジョーはグラスを受け取ると手元で円を描くように転がして香りを楽しんでいる。
「ウイスキーは十二年が一番うまい。十年じゃダメだ、十八年でもダメだ」
アーロンはグラスに口をつけているジョーを見ながら二重顎を揺らして言った。ジョーはウイスキーの鼻に抜ける香りをやり過ごすと恨めしそうな顔でアーロンを見上げる。
「俺とお前が十二年ぶりだっていうことと掛けてるのか? いつからそんなロマンチストになったんだ」
ジョーはアーロンに指を差しながら説教をするように言った。アーロンは両手を開いて肩をすくめてお道化てみせる。
「前会った時は、私は駆け出しの政治家、君はまだ教授をしてたね」
「ああ、その駆け出しの政治家に推されてあの研究所に入ったんだ」
「感謝してるかい?」
「複雑だね」
「おいおい、大統領の方針は私のせいじゃないだろ」
アーロンは不満げな表情を浮かべながら、シャンパングラスを取るとドン・ペリニヨンをなみなみと注いだ。そして一気にグラスを空けると赤くなった顔を緩めて話し始めた。
「本当は先日の君の講演を聴きにいこうと思ってたんだが、急用が入ってね」
「アンバーEU大統領との会談だろ? ニュースで見たよ」
アンバーとはアンバー・ロバーツ欧州理事会議長のことだ。
「暫く欧州とは距離を取ってきたが、いつまでもそうはしてられなくなりそうなんだ」
「そんな忙しいやつが俺の講演なんて聴きにくる必要ないだろうに」
ジョーがそう言って鼻で笑うとアーロンは再びシャンパングラスを満たしながら言った。
「まあ君の話を聴きたかったということも嘘ではないが、本当は君に話があってね」
「話? 学生時代の昔話でもしようっていうのか?」
「それは願ってもないことだが、今回はそうじゃないんだ」
アーロンはグラスを脇に置くと、カウンターに両肘をついて私たちと向き合った。そしてアーロンは右手を懐に忍ばせて、七枚の写真をカウンターに広げた。いずれも人物写真だ。ジョーは訝しげな顔で写真を取り上げて見ると、直ぐにアーロンに突き返した。
「何だよこれ」
「ロスアラモス国立研究所所長ヒロユキ・カナイ、陸軍参謀総長ランディ・ホワイト、第十六空軍司令官モリス・ムーア、CIA長官ウォルター・ヘルムズ、国会議員ベス・ミラー、同じく国会議員デラルド・ブラウン、そして国防長官のニール・リチャードソンだ」
アーロンは一人一人の写真を人差し指で指しながら名前を名乗っていった。
「まあ、全員の役職の前には元をつけなければならないけどな。————全員死んでるからだ」
眉をひそめたジョーとは対照的に、アーロンは少年のような悪戯っぽい顔をして続けた。
「厳密に言えば全員殺されたんだ。もっとも、私がそう思ってるという段階だけどね」
アーロンの唐突な話に、ジョーはアーロンを見つめながら両目を細めた。少しの間があり、アーロンは再び肘を上げてシャンパングラスを空けた。
「ちょっと待ってくれ、確かCIAのウォルターと国防長官のニールは二人とも持病で死んだって報道されてたじゃないか。ニールはホテルのテレビで見たからよく覚えてるぞ」
「ジョー、報道を鵜呑みにしてはいけない。誰が原稿を書いてるか知れたもんじゃない」
ジョーはアーロンから視線を逸らしてウイスキーを一口胃に流し込んだ。
「当然FBIに捜査させてるよ。でも政治の世界は敵が多くてね。特に今の大統領は色々と余計な敵をつくる人だ。いつどこで報告が捏造されてもおかしくない」
「アーロン、君は彼らの死因に疑問があると思ってるのか?」
「ああ、その通りだ」
「なぜ?」
「全員決定的な容疑者がいるのに、全員の容疑者に動機がないんだ」
「動機がないのになぜ容疑者になるんだ」
「殺害に使われた凶器とその凶器を容疑者が使用した証拠が揃ってるからだよ」
アーロンは真顔でジョーに答えた。
「それは単に動機が明らかにされてないだけじゃないのか」
「そうかもしれない。だから私は、そう思ってる段階だって言ったんだ」
アーロンは嫌味っぽく笑ってみせた。私は目の前に並ぶ七人の死亡時期を調べた。
「この七人、全員がここ二年以内に死んでるのね」
「ああ、そうだ」
「この七人が殺されてるとすると、何かマズいことでもあるの?」
アーロンは私の質問には答えず、後ろの棚の酒を物色している。
「まあ、いい。それで? なんでこんな話を俺に?」
アーロンはジョーのこの言葉を待っていたように酒瓶も取らずに振り返った。
「君の意見を聞きたいんだ、ジョー」
「俺の意見? この人たちが殺されたのかどうかって意見か?」
「ああ、そうだ」
「何で俺なんだよ」
「君は私の唯一の親友だ。頑固だが、頭が良くて絶対に嘘はつかない。政治からも遠い。私は今の政府内の人間は誰一人信じられない。それに————君にはアイがいる」
「アイは関係ないだろ」
「アイには能力がある」
「アイには無理さ!」
「どうして決めつける」
「決めつけてなんかない!」
「君だってアイの異名は知ってるはずだ」
「それが何だっていうんだ」
「スレッド・リッパー」
「異名は異名だ!」
「どんなに強固なシステムでも、絡まった糸を切り裂くように入り込む世界屈指のハッカーだ」
ジョーは私のことになるとなぜか直ぐに感情的になる。もしかして愛されてるのかしら、私。ジョーはウイスキーグラスを空けると、再び口を開いた。
「俺たちに犯人捜しをしろってのか?」
「そこまでは言ってない。君の見解が聞ければそれでいいんだ」
「俺にはEDENがあるんだ。そんなことしてる時間はないんだ」
「タダでとは言わない。しっかり報酬は出すよ」
「報酬とか、そういうことじゃ……」
「百万ドル!」
私はすかさず叫んだ。
「アイ、待て待て、金の話じゃないだろ」
「金の話よ、ジョー。EDENに今一番必要なものは金しかないじゃない」
ぐうの音も出ないジョーを見て、アーロンは肩を揺らして笑った。
「それに、そもそも君を推したのはセリーナだ」
「セリーナが?」
ジョーの表情が変わる。セリーナはアーロンの奥さん。そしてセリーナもアーロンと同じでジョーの大学時代の同級生だったの。当時のセリーナはかなりジョーに入れ込んでたみたいだけど、なぜかアーロンとくっついたのよね。随分と男を見る目があること。
「ああ。色恋事以外ならジョーは裏切らないって言ってたよ」
「やけに刺のある言葉だな」
「刺については、自分の胸に手を当てて聞いてみるんだな」
ジョーは暫く空いたグラスを指で弄びながら黙り込んだ。そしておもむろに口を開く。
「セリーナか……大学卒業以来だな。そう言えば術後は良好なのか?」
「ああ、良好だ。コンプレックスだった染みが消えて清々したって喜んでたよ」
セリーナは癌を患って、最近手術をしたばかりだ。ジョーは一度大きくため息を吐くと、空いたグラスをアーロンに差し出した。アーロンはジョーのグラスにウイスキーを注ぐと、グラスと共に一枚のSDカードを添えてジョーの前に置いた。
「この件に関する必要な情報は一通りこの中に入ってる。ニールのものだけだが、彼が倒れた時の映像も入ってる。現場近くのCCTVの記録に残ってたんだ」
「期限は?」
「三週間くらいで結論をもらえるとうれしいな」
「わかった、やってみよう」
アーロンがウイスキーの入ったロックグラスを掲げると、ジョーと私はそれぞれグラスを持ち上げてトーストした。小気味のいい音が弾けると共にアーロンの表情が突然変わる。
「それはそうとアイ、もう少し値引きしてくれないか」
「絶対やだ」




