二. 暗雲のダボス
今年のダボスはどうもきな臭い。本来、官民を挙げて世界的な課題解決に向けた議論を進める場がこのダボス会議というものだけど、メディアの注目は専ら次の戦争がいつどこで起こるのかに向けられているからだ。それもそのはず。今、世界の覇権というシーソーゲームは新興国と衰退していく国々との間で大きくバランスを崩しているからだ。この会場ですれ違う世界の首脳陣やグローバル企業のトップたちは誰もが白い歯を見せて笑顔で握手をしているけど、その腹の中で何を考えているのかを想像すると人間とは如何に恐ろしい生き物かと思わずにはいられない。そして数分前まで股間の火傷の治療をしていたジョーの手を笑顔で握手する聴衆を見ていると、人間とは如何に恐ろしい生き物かとこれまた思わずにはいられな……、あ、ジョーが合図してる。腕を振るジョーの胸元では大ぶりな二輪の白百合を模ったブローチが照明を反射していた。私は早速PCを操作して資料の投影を始めた。
ジョーはダボス会議二日目のプログラムの一つに講演者として招かれている。テーマは『人工知能と孤児養育』という固いものだけど、それもやむを得ない。ジョーは社会活動家界隈では一角の人物だからだ。丁度ジョーが自己紹介を始めるわ。
「今日は皆さまお集まりいただきまして、ありがとうございます。こういうオープンブースでの講演は初めてで、途中で退席されると地味にショックなのでトイレ以外は最後まで座っててください。はっはっはっ、冗談です。えー、先ずは私についてですが、私はスタンフォード大学でコンピューターサイエンスを学んだ後、同大学の教授になりました。その後、商務省国立標準技術研究所の所長として人工知能の研究を指揮していましたが、ほら、皆さんもご存知の通りで、政権の交代と共に研究所の予算が大幅に削減されてしまいまして、私は高給取りだったので研究所を真っ先に追い出されたってわけです」
お、意外に笑いが起こってる。
「それからです、私が社会活動家としてEDENの経営を始めたのは。従来の孤児院というのは慢性的な人手不足が大きなボトルネックでした。そもそも子供を育てるということには多大な労力がかかるわけですが、孤児院に来る子供たちは加えて心理的な問題を抱えている割合が高くなりますし、通常の子供よりも更に入念なケアが必要になります。資金の確保というどの組織にも通じる問題と共に、この人手不足が生み出す孤児院経営の質の低下が、子供たちの健全な人格形成を妨げ、進学率の低下を招き、ひいては施設を出てからの生涯収入の低下を引き起こしてきたと言えます。そこで私は大胆な発想をすることにしました。私が長年研究してきた人工知能の知見を導入して、人工知能を前提とした施設設計と養護方針をゼロから作ったのです。それが現在世界で三十九施設を展開するEDENです」
サクラもいないのに会場から拍手をもらえるなんて、よかったわね、ジョー。え? はいはい、次のページね。……という具合にこのままジョーのプレゼンテーションは続くけど、この資料は私が作ったから、かいつまんで主旨をまとめるわね。今日ジョーが言いたいことは主に三つあるの。一つ目は、その人工知能オリエンテッドの施設設計によって、EDENの施設運営は従来の孤児院の十分の一の工数で回せるようになったということ。これによって人手に依存しない運営ができるようになって、ニーズがあって人手が集まらない場所でも施設展開をすることができるようになったの。二つ目は人工知能を子供一人一人のケアラーとして配置することで、よりきめ細かい養育ができるようになったことよ。さっきジョーが言ってたように、孤児が持つ心の傷にも人工知能が寄添えるし、マンツーマンの家庭教師としても活躍できるわ。実際、EDENの子供たちの大学進学率は八割を超えてて、一般家庭のそれを優に超えてるの。最後の三つ目は、子供一人一人の特徴を学習した人工知能が里親とのマッチング精度を高められるということ。これまではせっかく里親を見つけてもお互いの相性が合わないことが多々あったの。人工知能は相性のアセスメント精度を高めるだけじゃなくて、子供は施設で一緒にいた人工知能をデバイスと共に里親の家にも持ってけるから、新しい環境に慣れてく伴走役を人工知能が負うことができるのよ。どう? 意外に画期的だと思わない?
「ジョー・モラレスさん、素晴らしいお話をありがとうございます。CBB放送のアーティといいますが、人工知能が運営コストを下げる一方で、人工知能の開発やメンテナンスには莫大な費用がかかるのではないですか」
アーティは褐色の肌に黒縁眼鏡が知的な印象を醸し出している女性記者だ。ジョーは右手前のアーティに向き直ると、質問への丁重な礼を述べてから続けた。
「アーティ、君の言う通りだよ。EDENがこれだけ注目されてるにも関わらず他の団体に模倣できないのは、人工知能の開発力と共にそこに要する莫大な費用が大きなハードルとして存在するからさ。民間の営利企業ならいざしらず、我々のような社会活動家としては、素晴らしいモデルが容易に模倣できないというのは由々しき事態だと思ってるよ」
「その費用はどれくらいなんでしょう。失礼、私はMP研究所のエルマーです」
アーティの質問に被せて、短いカール髪がキュートな白人男性のエルマーがジョーに質問をした。ジョーはエルマーにも紳士的に挨拶をしてるけど…あのジョーの空中を移ろう目は言おうか言うまいか迷ってる目ね。ん? 視線が止まった…誰かを見てる。ああ……また絶妙なタイミングで絶妙な人が来るものだわ。
「エルマー、こんなことを言うと笑われてしまうかもしれないけど、私は人工知能の開発者ではあっても、実はあんまり財布事情は詳しくないんだ。いるだろ? そういうタイプの経営者って。もしそれでも知りたいなら、あそこでコーヒーをすすりながらほくそ笑んでる今年のクリスタルアワード受賞者に聞いてみるといいよ」
ジョーがそう言って聴衆の後方を指すと、まるでロボットのように一同が同時に後ろを振り返った。視線の先には黒いタキシードにフェルトハットを合わせたドルフが小さく手を振って立っていた。
「ドルフはEDENの共同設立者でもあるし、長年のパトロンでもあるからきっと資金繰りについては詳しいはずだよ。…あ、いけない! ドルフはもうEDENには一セントも資金を出してくれてなかったんだっけ! そうだろ、ドルフ!?」
ドルフはハットを片手で持ち上げて銀色の頭髪を見せると、苦笑いを浮かべて両肩をすくめただけだった。あら、また手が挙がった。今度は黒髪のアジア人女性ね。
「ご老人を人前で笑いものにするのはあまり賢いことだとは思いませんね」
「肝に銘じておきます。そう言えば去年も会いましたね、伊集院さん」
「ええ、あの時は私がそちらで、あなたがこちらでしたけど」
伊集院はEDENと同様に孤児院を展開している組織の代表だ。
「専ら私たちは戦争孤児を専門とした養護施設ですが、EDENの子供たちにも戦争孤児は含まれていますか」
「ええ、確か戦争が原因で孤児となった子供は三割ほどだったと思いますが」
「そうですか。そこで聞いてみたかったのですが、どうすればこの世界から戦争がなくなるとお考えですか」
オープンブースであるにも関わらず一瞬沈黙が広がった。ジョーは笑顔を浮かべながらも伊集院の顔を顎を引いて見つめている。ジョー、固まってないでさっさと答えなさいよ。
「いい質問だね。うん、実に……本当にいい質問だ」
ほら、ドルフなんてもう笑いを堪え切れなくなってるわ。
「思いつきで答えるにはもったいない質問だから……宿題にさせてもらえるかな」
花火のようにブースに笑い声が炸裂した。コメディアンも真っ青のウケ具合ね。
「ええ、もちろんです。またお考えを聞かせてください」
「はい、必ず。それでは皆さん、今日はありがとうございました。それとEDENにご関心のあるスポンサーの皆さまはぜひご連絡ください。お手元の資料の連絡先までぜひ」
ん? もう終わりでいいの? それじゃ、PC閉じよっと。
「アイ、君も来てたのか」
ドルフが私の肩に手をかけてきた。
「ドルフ、ごめんなさい。ジョーのことは……ほら、解ってるでしょ?」
「ああ、もちろんだ。私はジョーのああいうところは嫌いじゃないよ」
ドルフが笑うと東洋の七福神の恵比寿天を思い出すの。いいおじいちゃんだこと。でも、何でまたジョーにはどこか厳しいのかしら。ほら、来ましたよ、張本人が。
「やあ、ドルフ、まだいたのかい」
「ああ、君とどうしても話したくてね。いいプレゼンテーションだったよ」
「ありがとう。アイに少し手伝ってもらったんだ」
「どうせ全部作ってもらったんだろ? さすがアイだ」
何よ、このピリピリした空気は……。
「ジョー、君はもう省庁回りはしたのか」
「ああ、もう全部回ったよ。今の政権は財政立て直しが最優先でどこも新規の補助金は凍結だってさ。政府のバックが無くなれば銀行だって俺たちの話は聞いてくれないよ」
「それは大変だ」
「ああ、そう、大変なんだ。このままじゃ本当にEDENが潰ちまう。それで……ドルフ、君は気が変わったのか?」
「残念だが私の気は変わらないさ。君こそ気が変わったかい?」
「俺の? まさか。いいかい、ドルフ。これだけグローバルに展開してるEDENがどうしてカトリックの考えに縛られる必要があるんだ。現地の文化を取り入れてくことが地元社会に根付く大事な要素だってどうして気づかないんだ」
「君のいう文化には宗教も含まれるのかい?」
「ああ、当然だ」
「それじゃ、ダメだ」
「どの宗教だって教えは違っても、目指すところは同じだろ?」
「ジョー、そういう話じゃないんだ」
「どういう話なんだよ」
「私の信念はカトリックの教えにあるんだ。これだけは譲れない。カトリックでなければダメなんだ。EDENの教育をカトリックに沿うものにする、たったそれだけじゃないか」
「まったく、ひどい頑固ジジイだ」
「君こそ、私以上の頑固ジジイになること間違いなしだよ」
この二人、いつもこんな感じ。
「ジョー、ドルフ、続きは場所を替えてからにしたら?」
「このじいさんに何度言ってももう無駄だ。直ぐに新しいパトロンを見つけてやる」
「せいぜい頑張ることだ。私なら今すぐこの場でアイに三百万ドルぽいっと出せるがな」
「ドルフ、気持ちは嬉しいけど、そんな大金をぽいっと渡されても困るわ」
「まあ、いい。俺はこれからアポイントが入ってるから先に行く」
ジョーはそう言うと、鞄だけ持ってブースから離れていった。ドルフは溜息をつきながらフェルトハットを被り直す。ジョーの背中を見送るドルフの目は少し悲しそうだ。
「アイ、少し頭を冷やしてから出直すよ」
ドルフはそう呟くように言うと、ジョーとは逆の方向へ歩いていった。




