二十一. 天空の攻防
ロンドンからクラクフへとんぼ返りをしてきたジョーと私は、空港に降り立つなり隣接する立体駐車場に来ていた。がらがらの駐車場に一台、見覚えのある黒いワンボックスカーが停まっている。私たちが近づいていくと後席ドアがスライドして開いた。後席にはどうやらガルだけが一人で座っている。ジョーと私が乗り込むと、ドアは再び静かに閉じた。
「すまない。君が考えてた通り、力ずくでナディアを取り戻すことになる」
ジョーは乗り込んで早々にガルに謝罪した。
「いいわ、期待なんてしてなかったから。今日が約束の日。あなたたちはナディアの居場所を突き止めた。それだけで充分よ」
ガルは深紅の口紅が塗られた艶やかな唇を緩めた。
「それで? 探し人は見つかったの?」
ガルが珍しく他人事に首を突っ込むようなことを聞く。しかしジョーはガルの目を見上げて首を静かに横に振った。
「ナディアはルシアじゃなかった。徳山頼安————ルシアと君の兄だった人だ」
「私の兄……」
ガルは言葉を転がすように呟いた。
「お別れね。もう二度と会うこともないと思うけど」
ガルはそう言うと、運転手に後席ドアを開けさせる。開いていくドアの隙間から外界の光が差し込んできた。しかしジョーは直ぐに降りようとせず、脇に抱えていたナディアのスケッチブックをガルに差し出した。
「これはナディアが描いた絵だ。別れ際にナディアがくれたけど、きっと彼女が見せたいと思ってるのは俺じゃない」
ガルはジョーからスケッチブックを受け取ると中身を捲り始めた。そして最後のページで手が止まる。そこには、小さな女の子を肩車して歩く父親とその父親と手を繋ぐ母親の後ろ姿が描かれていた。脇には文字が書かれている。
「全ての人にこの幸せを————」
ガルはふと我に返ったように瞬きをするとスケッチブックを閉じた。そしてジョーと私は車を降りて歩き始める。私たちの後ろでは、ガルの乗った車のエンジン音が遠ざかっていくのが分かった。
「アイ、ここから先は大統領救出に集中してくれ。俺のことは構うな」
ジョーが厳しい声で言った。
「無理だけはしないで」
「もちろんだ。たくさんの子供たちも俺の帰りを待ってるからな」
ジョーの頭を子供たちの顔が過ったのだろうか、ジョーは笑顔を浮かべた。そして私たちはターミナルに繋がる通路の前で立ち止まる。
「気をつけて」
「ああ。君は俺の最高の相棒だ。本当にルシアがずっと俺の傍にいてくれたようだった」
「よかった」
私はそう言うと、大統領の護衛のためにメリーランドの空軍基地へ向かった。
「こういうのを裏口入学っていうんだ。この専用機に乗れる人間がどれだけ熾烈な競争を勝ち抜いてきたか分かるか、アイ?」
アーロンが大統領専用機のアッパーデッキに置かれた十九インチのラックを撫でながら説教がましく言った。既に大統領をはじめ、関係閣僚や経済団体のトップたちが機内に乗り込んでいた。さすがドルフね。必要な機材は全て揃っていつでも使える状態になってる。
「そんなこと知らないわよ。それよりそのイヤフォンマイクは操縦士にも常に付けておくように言っておいて」
「仰せの通りに。そう言えばジョーからもさっき連絡があったよ。大事なことは相棒に任せて、よりによって本人は東欧のあんな所でバカンスか? 本当に頑固で、勝手な奴だ。」
「アーロンから本人にもそう言ってくれると嬉しいんだけど」
アーロンはどこか寂し気に笑いながら軽くラックを叩くと、イヤフォンマイクを付け直しながら階段を下りていった。今のところシステムを監視してる限り異常は見られない。クロスが差し向けてくるのは恐らくカインとアベル。絶対に何か仕掛けてくるはず。
大統領専用機は定刻通り夜の十時に離陸すると、北西の大圏航路に沿って順調に飛行を始めた。階下では日を跨ぐまで大統領と側近の打ち合わせが行われていたけど、今ではすっかり機内も寝静まっている。私は通信管制センターに置かれたサーバーを通して専用機の制御システムにアクセスして操縦士と同じモニターを見られた。ナビゲーション・ディスプレイを見ても予定航路通りに飛行中だし、コントロール・ディスプレイ・ユニットの数値を見ても、次の通過地点であるアラスカまでの残距離と到達予想時刻も問題ない。プライマリ・フライト・ディスプレイの飛行姿勢や高度、速度にも異常は見られない。おかしい…。何も起こらな過ぎて逆に気持ち悪いわ。
「機長、こちらアイ。計器に何か問題はありそう?」
「機長のジャックだ。今のところ特に問題はないが、どうかしたのか?」
「いえ、何もなければいいんだけど……」
まあ、そりゃ、そうよね。私でさえ、異常を感知してないんだから。
「アイ、そっちは窮屈じゃないか? 操縦室に来たらどうだ?」
「いえ、私は大丈夫。機械に囲まれてる方が私は落ち着くから」
「そうか。でも、ここから見る月は本当に美しいぞ。アイも見るなら早く来た方がいい。もう月が沈んじまう。ああ! 雲に隠れちまった!」
確かに高度一万メートル上空から見る月は対流圏を脱して、信じられないほど青白く輝いて見えるでしょうね。
「……ちょっと待って。今何て言ったの?」
「え? アイも見るなら早く来た方が……」
「違う。月が沈む!? 雲に隠れた!?」
「あ、ああ……だって、ほら、月がもう地平線にかかって、また雲に隠れて……」
「おかしいわ。今計器が示す通り高度一万メートルを飛んでるなら、月は後十二分間は地平線上に留まるはず。それにこんな快晴の中で雲なんて漂ってるわけないじゃない」
「そ、そんな! それじゃ、あの黒い陰はまさか……?」
「マッキンリー山! そうすると、予定より五千メートルも低く飛んでることになるわ!」
「そんなことありえない! 高度計は確かに一万メートルを指してる!」
計器は問題ないのに実際に見える景色が違う。まさか!? 私は直ぐに制御システムにアクセスして、電波高度計のログを直接監視した。そして生データを拾い上げて見てみる。
「ジャック! 直ぐに機首を上げて!」
「な、何だって?」
「早く! 計器はもう信じられない! 自分の目を信じて!」
吸い上げた生データには、数秒ごとに急激に近づいてくる山肌の反射波が記録されていた。こんなことになるなんて……考えられるのは一つしかない! GPSスプーフィング! つまり、あいつら(・・・・)がこの専用機の電波をジャックしてGPSデータを狂わせたのよ。恐らく機体整備士をサプライチェーン攻撃の踏み台にしたのね。離陸直前の整備士によってアップデートされたソフトにマルウェアが仕込まれていて、GPSを乗っ取ったんだわ。そしてドローンか何かで飛行中の機体に強い電波を照射してGPS信号を上書きしてしまえば、後は芋づる式に航路がズレていく。計器が異常を察知してアラームを鳴らさなかったということは、GPSの他にINS(慣性航法装置)の補正アルゴリズムにバグを仕込んだ可能性が高い。物理的な機体の加速度や角速度から機体の位置と速度と姿勢を算出する装置だけど、補正アルゴリズムが〈GPSを優先せよ〉と書き換えられてたら、頼みの綱のINSでさえGPSに合わせて自動修正されてしまう。気づいた時には山岳地帯に突っ込んでお陀仏よ。
「ダ、ダメだ! 機首を上げようとしても高度は正常だと認識してるから操縦桿が利かない。オートパイロットを切る!」
「ジャック、それとアンテナ線をエアギャップ化して。外部からの操作を遮断するの」
「分かった、外部通信を遮断する! 機体を上げるぞ!」
ジャックが慎重に機首を上げ始め、僅かに機内でも重力の重さを感じる。
「アイ、どうした。何かあったのか?」
アーロンの声が機内通信に乗ってきた。
「アーロン、ごめんなさい。敵は既に私たちが搭乗する前にこの機体の制御システムにバグを埋め込んでいたみたい。GPSもINSも、計器という計器はもう信用できないの。外の景色を見る限り、今は高度五千メートル上空をマッキンリー山目がけて飛行してるわ」
「マッキンリー!? 衝突するのか!?」
「衝突なんかさせない。ジョーと約束したんだから」
「わ、わかった。とにかく大統領に知らせよう」
アーロンが通信を切った時だった。機体に激しい衝撃が伝わり、今度は急降下を始めた。
「アイ! アイ! マズことになってる!!」
ジャックが悲鳴を上げた。機体が激しくガタガタと震え、階下からも人の悲鳴が聞こえてくる。
「しょ、昇降舵が動かない! フルダウンで固定してるんだ!」
制御ソフトが乗っ取られてる? 外部との通信は完全に遮断してるのに! どうして? どうして……!? ……そうか! ロジックボムだ。機首を上げて、エアギャップ化したことで、隠蔽工作がバレたと判断したプログラムが制御ソフトを乗っ取って機体を墜落させようとしてるんだわ! カイン! アベル! やったわね!!
「ア、アイ! どうなってる!? 山が直ぐ目の前まで迫ってるぞ!」
アーロンの叫び声が聞こえてきた。諦めない…、絶対に私は諦めないんだから!
「ジャック! 聞こえる?」
「あ、ああ!」
「制御ソフトが言うことを聞いてない。私が電力系統をわざとショートさせてフライトコンピューターを強制的にリブートし続けるわ。再起動するほんのわずかな間だけ、操縦桿の制御が戻るはず。その一瞬を繋いでアナログで機体を不時着させるのよ」
「つ、つまり手動でやるってことか?」
「ええ、そう。マッキンリーの麓には氷河が広がる地帯があるのは知ってるわよね」
「ま、待ってくれ! マニュアルで不時着なんてやったことないぞ!」
「行くわよ!」
私が強制リブートをかけると、まるでポルターガイストのように機内の照明が激しく明滅しだした。機体の激しい揺れの音の狭間で搭乗者たちの悲鳴が一層大きくなる。
「こ、この野郎……! サイドスティックもヨークも暴れやがる!」
ジャックの怒声に紛れて〈Pull Up!〉の警報音が不気味なスタッカートを刻む。
「ジャック! 推定高度二千四百メートル、速度時速千キロメートル」
速度は音速の域ね。マッキンリーの北壁が目の前に迫ってきた。私は0.5秒おきにフライトコンピューターを再起動させ続け、ジャックがその合間にフラップを強引に展開して、何とか空気ブレーキを機能させて墜落速度を殺している。
「推定高度千八百。速度は千百」
フルスロットルで急降下する機体の外では圧縮された空気が呻くような重低音を鳴らし、機体のあらゆる部分のパネルが悲鳴を上げている。
「アイ! ダメだ! このままじゃ機体が空中分解するぞ!」
確かにこのままじゃ危ないわ。再起動の瞬間は制御システムが完全にオフになるから、フライ・バイ・ワイヤの姿勢安定化機能も利かなくなる。この急降下する機体を電子的な補助なしで強引に引き上げれば、翼に設計限界を超える重力が加わって機体がバラバラになってしまう。こうなれば、一気に制御権を奪い返さないとゲームオーバーね。
「ジャック、機首を上げる確度を五度までに抑えて。もう少しだけ時間稼ぎしてほしいの」
「ああ、何とかやってみる!」
私は機体制御を一旦ジャックに任せると、制御ソフトのメモリダンプをロヨラのサーバーに高速転送した。先日フィフィが完成させたばかりの最新のGPUクラスターが数百万行の制御コードの中からロジックボムが書き換えた数行の不正条件を瞬時に解析する。そして高速インターコネクトのお陰で機内と地上はほぼリアルタイムで送受信を繰り返すことができた。OSが乗っ取られてるからパッチを当ててもダメね。私はロヨラで生成させた超軽量な仮想化レイヤーを機内のサーバーから機体制御用PCに流し込んだ。これで乗っ取られたOSの更に下層に潜り込んで、ロジックボムの命令を無効化できるはず。
「ジャック、昇降舵を上げて!」
「ダメだ! まだだ! まだ動かない!」
何で!? ……そうか、機体の姿勢を急激に変更できない安全装置をボムが悪用してロックを掛けてるんだわ! これじゃ機首を上げられない! それに安全装置のメモリ領域は毎秒数万回変わる暗号キーが掛けられてる……あの子たち、意地でも墜落させるつもりね。だったらこっちだって超高速ブルートフォースよ! EDENのみんな、少しだけ我慢してね! 私は一時的にロヨラのサーバーのEDENへのリソース配分を全て奪い、全GPUを連結してリアルタイムで生成される暗号キーを片っ端から解析する総当たり攻撃を仕掛けた。ロヨラで算出した解除キーが一切の遅延なく機内サーバーへ送り込まれてくる。これでどうだ! 開け! 開け! 開いて! お願い!!
「上がった! アイ! 機首が上がったぞ!」
ジャックの叫び声と共に安全装置が解除された機体からは機首が上がる軋みが聞こえた。階下からもにわかに歓声が沸き上がった時だった。私の視界が急に暗くなりだし、意識も朦朧としてきた。どうして!? それにドルフが設置したサーバーの反応が異常に遅い! これって……まさかウイルス!? このままじゃ、私が私でなくなっちゃう!
「……ジャック。いい? よく聞いて。私が合図をしたらコクピット右壁のマスターブレーカーを物理的に引き抜いて」
「ブレーカーを? どうして? やっと操縦桿の手応えが戻ったんだぞ」
「いいから言う通りにして! そうじゃないと、私がこの機体を墜落させることになる」
「君が墜落させる? どういうことだ!?」
「ブレーカーが落ちたら、エンジン推力だけで調整して、機首を水平に保って。ブレーカーが落ちても、私の方で予備電源を使ってヘッドアップディスプレイに水平線と降下角度のガイド線を焼き付けて置くわ。この水平線を必ず山よりも上に位置するように操縦桿を引き込むのよ。もし線と山が重なれば、それは衝突を意味するわ」
「そ、そんなの無茶だ!」
「無茶でもやるしかないの!」
「一切の計器も使わずにどうやって着陸しろっていうんだ!?」
「ジャック、大丈夫。あなたには体があるでしょ。あなたの体を、そして感覚を信じて」
ロヨラのサーバーが、後五秒でウイルスがバックドアを完成させ、完全に操縦権を乗っ取ると告げた。
「今よ! ブレーカーを落として!」
「ああああああ!!!」
ジャックが悲鳴を上げるように叫びながらマスターブレーカーを引いた。するとそれまでの電子アラームが嘘のように消え去り、数百メートル上空で鉄の塊と化した大統領専用機は静かな風切り音だけを不気味に奏でだした。ジョー、ごめんなさい。私はもうここまで……。私の意識はそこで途絶えた。
ご一読いただきありがとうございます!本作は、今、私達が問うべき人類とAIのあり方について一石を投じるべく執筆しています。
現在、個人で利用できる最新のAI技術を駆使し、本作の『公式プロモーションビデオ(実写映画風PV)』を鋭意制作中です! 完成版は私のX(https://x.com/RIGHTTHINGADAY)やYouTubeで公開し、こちらのページでもお知らせします。ジョーとアイの凸凹コンビの謎解き、ハッカーたちの息詰まる攻防を、ぜひ映像でも体感してください。よろしければ、今のうちにブックマークや評価で応援していただけると励みになります!




