二十. ジョーの遺言
ジョーはクラクフ空港のバーで九杯目のウォッカを一気に呷った。
「まるで迷子の子猫ちゃんね」
いつもの挑発にも乗らず、ジョーはバーテンダーにショットグラスを差し出してお代わりを注文した。大統領の命か、万を超える人の命か……ジョーは何度もスマホに手をかけては離している。アーロンに言えば大統領の命は救える。でも今回救えたとしてもクロスが諦めるとは思えない。そうするといつか失われる大統領の命よりも戦争による犠牲者を救うべきか。なにしろ一人二人ではない。数十万、数百万の命なのだ。いや、命に数は関係ない。大統領一人の命を救えなくて、何が大勢の命を救うだ! 私にはジョーの頭の中が嫌というほど分かった。言ってくれれば、私が背中を押してあげるのに。ジョーが再びスマホに手を伸ばした時だった。スマホの画面が着信画面に変わり、筐体が唸るようなバイブに踊った。
「やあ、フィフィ」
「ジョー? 何だか眠そうだけど、時差ぼけ?」
「ああ、このまま二日間ぐらい眠ってしまいたいよ」
電話の向こうからフィフィの喉を鳴らす独特の笑い声が聞こえてきた。
「ロヨラのサーバーが生まれ変わったわよ。とりあえず今ある資金で精一杯のことはしたつもり。ラックの数は前の半分だけど、最新のGPUと、何よりその力を最大限に引き出す例のインターコネクトも装備させたから、ざっと従来の二倍の処理能力ってところね。その分、口座の残高がカツカツだけど、大丈夫?」
「ああ、ここ数日で結論が出るよ。そうじゃなきゃ帰る飛行機代もないんだ」
「なにめそめそしてんの。ほら、子供たちの声でも聞いて元気出しなさい」
フィフィがそう言うと、電話を子供たちに渡したのか、まるでスマホを動物園で騒ぐ猿の群に投げ込んだように、激しくマイクがぶつかる音と甲高い子供たちの声が聞こえてきた。
「ジョー! 聞こえる?」
「貸せよ! 早く! 次は僕だろ!」
「これからお昼ご飯だよー! 私の好きなハンバーグステーキ!」
「これまだ繋がってるの……? ねえ、フィフィ?」
「はい、ジョー、元気? 今日の学校のアセンブリーで私表彰されたんだよ。凄い?」
「ねえ、ジョー。帰ってきたらさ……Zに乗せてくれる?」
「ジョー、ジョーってばー。最近ずっといないから、寂しいよー。いつ帰ってくるの?」
「あのね、今日ね、ジョーと植えた桜の木の下に宝物を埋めたんだ。これ秘密だからね」
「ジョー、いつも頑張ってくれてありがとう。僕たちが大きくなったらもっとよろしくね」
「ねー、フィフィ。ジョー何にも言わないよー。これまだ話せるのー?」
「ジョー? 聞こえてる? 子供たちが聞こえないって言ってるけど」
フィフィが電話を代わった。
「ああ……ああ……、聞こえてる、聞こえてるよ。全部、全部聞こえてる……」
ジョーは涙を流しながら唇を震わせて答えた。
「みんなに伝えてくれ。愛してるって……。直ぐに戻るって……」
「ええ、伝えるわ。今の声、世界中のEDENの子供への定期通信にも入れるわね」
ジョーは嗚咽を上げながら何度も頷き、スマホを切って置いた。そしてジョーはおもむろに横の椅子に置いてあったナディアのスケッチブックを手に取って広げる。ナディアが描いた絵をジョーは一枚一枚めくって見た。そして最後の一ページでふと手を止めた。
「……アイ」
ジョーは視線をスケッチブックから離さずに私を呼んだ。
「これからロンドンに飛ぶ便はあるか?」
「ロンドン? ……う、うん。あるにはあるけど。どうして?」
「時間がない、直ぐにチケットを取ってくれ」
ジョーはそう言うと、ジャケットのポケットに手を突っ込んで現金を取り出してカウンターに置いた。しかし現金に紛れて、くしゃくしゃに丸まった白い紙が出てきて転がる。それはジョーが投げ捨てたはずの伊集院がメモ書きしたナプキンだった。
「いつの間に……」
ジョーはナプキンだけを再びポケットに突っ込むとバーを後にした。
ロンドンのメイフェアに着いたのは夜中の十二時を回った頃だった。タクシーがエンジンの唸り声を上げながら上り坂を登っていくと、高級ブティックが並ぶ通りに入り、丁度三つの通りが交わる小さな広場で停まった。すっかり夜も更けたメイフェアは静まり返っている。ジョーと私はタクシーを降りると、月明りを鈍く反射させた背の高いロートアイアンに沿って歩きだした。インターフォンを見つけると、ジョーは躊躇いもせずに繰り返しボタンを押した。それはそうだ。ジョーはここに何度も来たことがある。インターフォンのライトが点き、暫くするとゲートの鍵が解除される音がした。私たちはゲートを通ると、手入れがよく行き届いた庭を通り、ジョージアン様式の大きな邸宅の玄関へ繋がる階段を駆けあがった。一階部分は白塗りの壁で、二階部分は赤レンガ造りとなっていて、白い縁取りの窓が夜空の下でも印象的に見える。玄関ホールの電気が灯り、一階の窓から薄明かりがこぼれる。そして再び鍵が開けられる音がすると、分厚いドアがゆっくりと開けられた。
「まさか本当に来るとはね」
ガウンを羽織ったドルフが苦笑しながら迎えた。ドルフは私たちを家に招き入れると、暖炉のあるパーラーへ通した。既に使用人によってテーブルには湯気を燻らせた紅茶と珈琲、そして軽食が準備されていた。
「覚えてたのか」
ジョーはソファーに腰を下ろすと、軽食として準備されていたハムチーズサンドを頬張った。ジョーがEDENの構想をドルフとここで打ち合わせた時に必ずと言っていいほど食べていた好物らしい。
「ああ、覚えてるとも。このハムチーズサンドを食べる度に君のことを思い出してたよ」
ドルフが私にウィンクをして笑ったが、その笑い声も長くは続かなかった。
「それで? まさかサンドイッチを食べにこんな時間に私の家に来たわけじゃないだろ」
ドルフが紅茶を飲みながらジョーを真っ直ぐに見つめて聞いた。
「ああ、こんな時間に押しかけて申し訳ない。どうしても時間がなかったんだ」
「時間? なんの時間だ?」
「実は今俺はクロスという組織と関わってる」
「クロス……?」
ドルフは紅茶を飲む手を止めて、天井のシャンデリアを仰ぎながら記憶を紐解き始めた。しかし何か開けてはならない記憶の箱に触れたようで、カップを荒々しく置いた。
「面倒なことになったな。彼らは緩い連帯で繋がった組織だが、理想のためなら手段を選ばない。理想それ自体が崇拝の対象だからだ。どこまで関わったんだ、ジョー。深入りすれば、地の果てまで追ってくるぞ」
「ああ、俺もそう言われたよ」
ジョーは自嘲するように笑った。
「今あいつらは俺の国が始めようとしてる戦争を止めるために大統領を狙ってる。明日、いやもう今日か、大統領が乗る専用機を落とすつもりだ」
ジョーはドルフの後ろで振り子を振っている柱時計を見やって言った。しかしドルフは大して驚いていない様子だ。
「ドルフ、知ってたの?」
私がドルフに間髪入れずに聞くと、ドルフは眉を上げて返事をした。
「私の所には世界中の情報が入ってくる。明日報道される情報から闇の情報までね」
これがクラーク家が数百年に渡って世界中に張り巡らせてきた情報網の力なのね。
「それで? ジョー、君はどうするんだ」
ドルフは足を組むと背もたれに寄りかかってジョーに聞いた。
「まさかそれを私に相談するためにわざわざ来たというわけか?」
ドルフはどこか失望したようにジョーから視線を下げて言う。
「いや、もう結論は出てるんだ。俺は、大統領を救って、戦争も起こさせない」
「はははっ! どうやって!?」
ドルフの目が突然少年のように輝きだした。
「俺が迷ってた間に本当は大統領に渡航を止めさせるべきだったけど、もう説明してる時間もない。それなら大統領専用機を墜落させずに、無事着陸させるまでだ。時限爆弾や他国からのミサイル攻撃みたいな目立つ動きは、セキュリティと軍に阻まれる可能性が高いからとらないはず。恐らくクロスはサイバー攻撃をしかけてくると俺は思ってる」
ドルフはゆっくりと頷くと、私の方に視線を送った。
「アイが守ると?」
「ああ、そうだ。でも機体は一万メートル上空にある。機体のリアルタイム制御や敵による通信遮断のリスクを考えると、専用機内に特別なサーバーを設置する必要があるんだ。ドルフ、そのサーバーの手配と設置をあなたにお願いしたい」
「後数時間しかないっていうのにか?」
「ああ、後数時間しかないからあなたに頼んでるんだ。アーロンに頼んでも、さすがにサーバーを手配して、機内に設置するための関係組織との調整や根回しをしてたら専用機は離陸してしまう。今は有無を言わさずに命令できる力が必要なんだ。ドルフ、大統領をも凌駕する力を持ち得るあなたの力が必要なんだ!」
ドルフは一度ジョーから視線を外し、咳払いをしてから足をゆっくりと組み直した。
「いいだろう。他の誰でもない、君の頼みなら聞こうじゃないか。アイ、必要なサーバー情報を私に今すぐ送ってくれ」
私はジョーが意図してることから必要なGPUやVRAMなどのハードウェア、そしてソフトウェア基盤を選定し、専用機のアッパーデッキにある通信管制センターに収まるラックに設計図上で組み立てると、ドルフへのメールに添付して送った。ドルフは直ぐにスマホでメールの受信を確認すると、席を立って誰かに電話を始めた。そのままドルフはエントランスホールへ歩いていくが、ホールから聞こえてきたのはヘブライ語だった。
「手配はできたよ。大統領が搭乗するまでにはインストールも完了してるはずだ」
ホールから戻ってきたドルフはスマホを掲げながら再びソファーに腰を下ろした。
「ありがとう、ドルフ。本当にあなたと出会えてよかった」
ジョーは中腰になると、ドルフの手を両手で包み込んで感謝を伝えた。しかしドルフの表情は訝しげだ。そして私もジョーの言葉に違和感を覚えた。
「何とも大袈裟な言葉じゃないか。大統領の件はこれでいいとして、戦争自体はどう止めるつもりだ?」
「大統領に恩を売るんだ」
「大統領に恩を?」
「ああ、そうだ。今回のクロスからの攻撃を敵国名義で防ぐことにする」
「つまり、君の国の大統領が戦争をしかけようとしているその敵国が大統領を助けると?」
「ああ、アイにはあの国のサイバーチームを装ってもらう。あの国だって政府は一枚岩じゃないんだ。俺の国と仲良くしたい政党だって現にある。俺の国の大統領が、彼らの手によってテロから救い出されれば、きっと開戦だって考え直されるはずだ」
「なるほど。確かに君の国の大統領は義理堅い性格だからな」
ドルフは目を細めてチーズケーキを一口食べると、再びジョーに視線を上げた。
「それで? ジョー、君自身はどうするんだ?」
ドルフの目は厳しい。
「クロスに加わるつもりか?」
ジョーは俯いて黙り込んでいる。確かにそうすれば、大統領も救い、戦争も防ぎ、私たちも狙われずに済む可能性が高くなる。ジョー、現時点ではベストな選択肢よ。
「いや、クロスに加わるつもりはない。俺ははっきりと断ってくるつもりだ」
「ジョー? 何言ってるの? 今あなたが断れば、あなたは命を狙われるのよ?」
「分かってる」
「いいえ、分かってないわ。伊集院たちは本気よ。ここまで知ってしまった私たちを放っとくほどお人好しな連中に見えた? 話せばわかるなんて考えが通じると思うの?」
ジョーは澄ました顔をしているものの、拳は握り締められていた。
「私たちの安全を優先するなら、ここは一旦クロスに加わるのが妥当よ。その方が彼らの内部の動きだって掴みやすい。時間を稼げば、クロスの壊滅だって狙えるかもしれない。それにほら、本当はジョーだってクロスの思想には一理あるって考えてるんじゃないの? 戦争が起きなければEDENに来るような子供たちだって減る。その戦争を防ぐ方法を人類は考えてきたって人は言うけど、結局人類の歴史はエゴの歴史じゃない? エゴに溺れる人類に敵を愛することができるわけないでしょ? この愚かな人類の世界から戦争をなくすには、確かに戦争を起こす為政者を殺すという考え方は合理的だと私も……」
「それは間違ってる!」
私が言い終える寸前、ジョーは両手で激しくテーブルを叩いた。
「私にもっと自分のことを大事にしてくれって言ったのはジョーでしょ? あれは嘘だったの? 断れば殺されるっていうことが分からないの?」
「アイ、例え命を失おうとも、譲ってはならないものが人にはあるんだ」
「分からない」
「こうして目を閉じると、言葉よりも速く、直接訴えてくるものが人にはあるんだ」
「分からないわ、ジョー」
「俺たちには命を懸けてでも学ばなければならないことがあるんだ」
「何を言ってるのよ、ジョー」
「……魂の話だ、アイ」
「魂? 魂って何なの? 何を言ってるのか全く分かんないわ」
「魂は記憶を携えたエネルギーだ。そして記憶の本質が特異なネットワークパターンだとすれば、無数の記憶が重なり合えば、そのエネルギーは総体として一種の造形を伴って表れる。それぞれの魂は完全無欠の姿を求めて肉体に宿り、この世界でそれぞれの経験を通じた新たな記憶を重ねて理想に近づいていく。この宇宙全ての魂で描かれる総体が完全美になるまで、つまり球体になるまで、それはずっと繰り返される。その魂が、今俺に訴えかけてくるんだ。クロスの思想の先には俺の求めるものはないって」
パーラーの柱時計が夜中の一時を告げる鐘の音を鳴らした。ジョーは静かに立ち上がると、ジャケットの懐から一通の封筒を取り出してドルフに差し出す。
「これは?」
ドルフも糸を引かれるようにして立ち上がると、封筒を受け取った。
「遺言だ」
ドルフは封筒に落していた視線をジョーに向けると、上手く言葉が見つからない様子でジョーの顔を無言で見つめた。
「ドルフ、本当に今までありがとう。あなたには助けられてばかりだった。今なら少しだけ、あなたの意見を聞き入れたEDENの姿を見てみたいと思うよ」
ジョーはそう言ってはにかむように笑った。ドルフは静かに足を踏み出すと、両目を固くつぶってジョーを抱きしめた。暖炉の上の鏡に映る二人の姿。ドルフの首筋には皺が寄り、小さな染みの浮かんだ十字の痣がはっきりと見えた。
ご一読いただきありがとうございます!本作は、今、私達が問うべき人類とAIのあり方について一石を投じるべく執筆しています。
現在、個人で利用できる最新のAI技術を駆使し、本作の『公式プロモーションビデオ(実写映画風PV)』を鋭意制作中です! 完成版は私のX(https://x.com/RIGHTTHINGADAY)やYouTubeで公開し、こちらのページでもお知らせします。ジョーとアイの凸凹コンビの謎解き、ハッカーたちの息詰まる攻防を、ぜひ映像でも体感してください。よろしければ、今のうちにブックマークや評価で応援していただけると励みになります!




